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2009年4月28日 (火曜日)

グラン・トリノ

この映画のテーマは「死」だと思った。

それは、「生きる」ための。

それに、黒沢明の「生きる」に通じるものを多く感じた。

「生きる」の中で、志村喬は、市役所の市民課長として、「何もしないこと以外には」することがないような「ミイラ」として生きてきた。

誰にも尊敬されることもなく、誰からも振り返られることがない人生を送ってきた。

グラントリノのクリント・イーストウッドも、憎まれ口を利き、自分の背負っている憎しみを他人にぶつけるだけの人生を送ってきた。

隣に住むモン族の祈祷師から、「誰からも尊敬されず、誰からも愛されない」人生を送ってきたといわれる。

志村は、癌を宣告され、自分の人生を振り返る。

そこに登場するのは、若い事務員の女性だ。

彼女の若さに憧れ、どうしたらそんなに生き生きと「生きる」ことができるのかと問う。

その言葉は、恐ろしいほど真に迫っている。

「君は、どうしてそんなに活気があるのか。全く活気がある。それが私は羨ましい。私は死ぬまで、一日でもいいからそんなふうに生きたい。そうでなければとても死ねない。何かをしたいが、それが分からない。教えてくれ。どうしたら君のようになれるのか」

そんなことを云われて困った若い女は、「だって、私、だた働いて、食べて」と答え、毎日毎日作っている小さな兎の玩具を動かす。

「課長さんも何か作ってみたら」と思わず云ってしまう。

そこから物語りは動き始める。

つまり、志村喬は「死」に向って生きはじめる。

この映画では、若いモン族の青年が登場する。

彼は、若さゆえの生きる力を持っている。それに、クリントイーストウッドは、彼を助ける力(知恵)を持っている。

しかし、彼を大人の男にしようとする自分の姿は、自分の過去を死に追いやり、今を生きる力になっていることに気づく。

そして、どのように死を迎えるか、どうしたら死を生きる力に変えることができるかを考え行動する。

「死と生」に関して、宗教観も違う日本とアメリカにあって、こんなにも共通するものがあることに驚くと共に、深く感動した。

ちなみに、隣のモンの家の壁に掛かるタペストリーは、家の壁に掛かっているタペストリーをそっくりです。

興味のある人は見に来てください。

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