似てる?

左は、今日買ってきた急須。
右は、10年前に作った器。
同じような釉薬をつかい、デザインも似ている。
考えることが同じ人がいることが嬉しいね。
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左は、今日買ってきた急須。
右は、10年前に作った器。
同じような釉薬をつかい、デザインも似ている。
考えることが同じ人がいることが嬉しいね。
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この映画のテーマは「死」だと思った。
それは、「生きる」ための。
それに、黒沢明の「生きる」に通じるものを多く感じた。
「生きる」の中で、志村喬は、市役所の市民課長として、「何もしないこと以外には」することがないような「ミイラ」として生きてきた。
誰にも尊敬されることもなく、誰からも振り返られることがない人生を送ってきた。
グラントリノのクリント・イーストウッドも、憎まれ口を利き、自分の背負っている憎しみを他人にぶつけるだけの人生を送ってきた。
隣に住むモン族の祈祷師から、「誰からも尊敬されず、誰からも愛されない」人生を送ってきたといわれる。
志村は、癌を宣告され、自分の人生を振り返る。
そこに登場するのは、若い事務員の女性だ。
彼女の若さに憧れ、どうしたらそんなに生き生きと「生きる」ことができるのかと問う。
その言葉は、恐ろしいほど真に迫っている。
「君は、どうしてそんなに活気があるのか。全く活気がある。それが私は羨ましい。私は死ぬまで、一日でもいいからそんなふうに生きたい。そうでなければとても死ねない。何かをしたいが、それが分からない。教えてくれ。どうしたら君のようになれるのか」
そんなことを云われて困った若い女は、「だって、私、だた働いて、食べて」と答え、毎日毎日作っている小さな兎の玩具を動かす。
「課長さんも何か作ってみたら」と思わず云ってしまう。
そこから物語りは動き始める。
つまり、志村喬は「死」に向って生きはじめる。
この映画では、若いモン族の青年が登場する。
彼は、若さゆえの生きる力を持っている。それに、クリントイーストウッドは、彼を助ける力(知恵)を持っている。
しかし、彼を大人の男にしようとする自分の姿は、自分の過去を死に追いやり、今を生きる力になっていることに気づく。
そして、どのように死を迎えるか、どうしたら死を生きる力に変えることができるかを考え行動する。
「死と生」に関して、宗教観も違う日本とアメリカにあって、こんなにも共通するものがあることに驚くと共に、深く感動した。
ちなみに、隣のモンの家の壁に掛かるタペストリーは、家の壁に掛かっているタペストリーをそっくりです。
興味のある人は見に来てください。
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被後見の関係者と電話で、あるいは面接をすることがある。
当然、初対面の相手である。
面接や電話がうまく進むかどうかは、初めから予想がつく場合と、全く予想できない場合がある。
悪いほうの予想はつきやすい。
本人とのそれまでの関係や人生歴から大体の成り行きは想像できる。
しかし、本人が長年連絡を取っていない場合は、相手の気持ちがつかめない。
そのため、電話などは、連絡をした要件を初めに伝える。
突然の電話を詫び、本人との関係を伝え、要旨を伝える。
何のために電話し、電話をしなければならなかった目的をまず伝える。
それからは、相手の話を受け止める。
あまり長い説明をせず、相手の出かたを確認する。
関りたくない場合には、終了する。
しかし、できれば、A又はBを選択する可能性はないかを確認する。
この、A又はBについては、電話する前に選択可能な点を探しておく。
そう事前の準備が大切であり、準備しだいで可能性も広がったり狭まったりする。
それに、相手にいい印象を持て貰うために、電話をしっかり持ちお辞儀を丁寧にする。
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ブログのアクセスを見ていると、独立社会福祉士の年収を知りたい方が多くいる。
以下はあくまで個人的な見立て。(たぶんそんなもんだと思う)
まず、収入の幅が広いということと、経験差が大きいだろうと思われる。
独立といっても大きく分かれるのは、事業を経営している人とそうでない人。
ここで、人といったのは、その人をソーシャルワーカーと呼べるのかという問題。
事業経営者は、比較的収入は安定している。
ここで問題は、収入は安定しているが、支出が多いということだろう。
事業収入は、介護保険、障害、評価事業、福祉サービスなどなど。事業が軌道に乗れば一定の収入を確保することは難しくない。
それが、500万だろうと5千万だろうと、一定の収入は確保できる。
しかし、人件費等の支出は一定とはならず、経営を圧迫する。
収入が5千万の事業所の場合。(あくまで例です)
20人のスタッフを雇っている。
一人平均年間150万円の人件費。事務所の賃貸、維持費に年600万、その他の経費が年360万かかるとする。
これで、経営者の売上が1千万ある。
しかし、支出は思わぬところで生じる。
車が壊れた。事務所を移転する必要が生じた。職員の退職金を積み立てる必要になった、スタッフが交通事故をおこした・・・。
すると、経営者の収入は200万から1,000万といったところではないかと想像する。
また、最悪の年は、赤字という場合もありえる。
では、一人ケアマネなど、個人事業所の場合はどうだろう。
この場合は計算が簡単。
介護保険法で定められた数のプランを立て、自宅で開業するという経費削減を図ったとする。
それでも、利益は300万から400万といったところ。ここから経費を引くと手取りの学は雇われていたほうが高かったということになる。
では、個人開業のソーシャルワーカーは、(続く)
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もう20年乗っているMTB(プジョー)のタイヤを交換した。
フレームサイズに合う最小のタイヤ(細い)に交換した。その結果、がたがたいわない、走りがスムーズになった。
前回、太ももがつったこともあり、今日は40キロほどのアップダウンを走った。
天気もいいし、新緑に吹く風が心地いい。
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利用者の交えない担当者会議の出席を断りました。
後見人は利用者本人だと云われます。
実際は本人にはなれないので、本人のように振舞うだけですが。
それでも、本人に代わって担当者会議に出席したりします。
でも、参加しないこともあります。
担当者会議の目的がどこにあるのかを確認し、会議の開催が必要かどうかによります。
しかし、参加しないことの後ろめたさは感じます。
会議というのは、目的が明確である場合でも、次第に、会議をすることが目的になります。
情報の共有をするためということもあり、とりあえず集まって確認することもあります。
それらを否定するつもりはありませんが、会議の中心議題が自分ということになると話は別です。
自分のことを話し合うために人びとが集まるというのなら、その目的が明らかでないと不安です。
ほっといて欲しいと思うこともあります。
また、プランを決める会議を開いて、その後、「こうなりましたので宜しく」といわれましても、「そうですか」とは云いたくありません。
そんなの自分のプランじゃないと思います。
そう思うほうが当然です。
反対したり、否定したり、自己主張したりすることが難しい日本です。
主張する中に、その人の本音があります。
それを汲み取って欲しいのです。
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カエル君へ
社会学者高橋氏のものの考え方は面白い。
彼にとっては当然の道なのかも知れないが、主人公と思われている人以外の人生を見つめる視点がさわやかだ。
ハガルの帰還の場合、アブラムが主人公としてみた場合と、サライを中心の物語を立てる場合と、ハガルから歴史を見た場合では、同じ物語(歴史)でも全く意味が違ってしまう。
(登場する人物名は大きな意味を持たないので、気にしないでください)
善きサマリヤ人では、サマリヤ人にではなく、立法学者に視点を据え、5千人のパンの話では、パンから物語を見ている。
パンは割かれたとは書かれていない。
みんなが満腹したと書かれている。
そのパンはみんなを満腹にする力があったと解釈することもできる。(私見)
そう考えると、人間の生活を猫から見る作家もいるくらいだから、もっと大きな高い視点で見ると全く違って見えるだろう。
その点、宇宙飛行士は凄い。
窓から見える世界の中に、何十億人の人生が展開されている。
あまり多いと何も見えないかもしれないという危惧もあるけど、地球というまあるい星を見てみたい。
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木曜日は大学に行く。
天気がいい。
図書館で本を返し、また、借りてきた。
社会学者、聖書を読む/高橋由典/教文館/2009
その時何があったのか?
数千年前に起きたことを様々なこじつけを交えながら、それでいて、逆転する社会学者の視点が楽しい本です。
クリスチャンのささげもの/V・Sアザライア安部志郎訳/日本キリスト教団/1957
昭和32年発行、120円。安部先生がアメリカから帰ってきて教え始めた頃だろうと思い、借りる。
フランクルを学ぶ人のために/山田邦夫/世界思想社/2002
なんとなく借りる
スーパービジョンを考える/たたら幹八郎・滝口俊子偏著/誠信書房/2001
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一人暮らしの人が人生の終末期、家で暮らすことは難しい。
それは、本人にとってではなく、回りの大人にとって難しい。
本人の意志とは別の常識が働き、「施設へ」又は「病院へ」という話になってしまう。
在宅を支えるためにケアや医療制度がある。しかし、ケアや医療は、在宅向きの人には厚い支援を行うが、在宅に向いていない人には限界があるという。
その「向いている」とは一体どんのことかといえば、ケアや医療の「持分」をさしているようだ。
ケアや医療の専門性が高まるに従い、持分が細分化された。ここまでは在宅で、ここからは専門的施設でということになる。
それは、そのほうが専門的な治療、養護、関りができるからだと云われている。
そういわれる場に、本人はいない。
何しろ、本人は判断能力が衰えている場合が多い。
選択肢が家以外になかった時代にはどうしていたかといえば、どんな状態になっても見守ることを続けてきた。
ひたすら祈ることしかできなかったのかもしれない。
それが、専門性が高まり選択肢が増えた現在。黙って見ている事は悪いことでもしているように見られる。
何がいいのかは分からない。
ただ、そのままにしていて欲しいという選択もあるように思う。
ここまできたら、旨いものをたらふく食べてみたいというような人もいれば、節制して1分でも長く生きていたいと思う人もいるだろう。
それは、その時にならなければ分からない。
ただ、分かるのは本人以外にいないことだけは確かだ。
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「身体値と言語」/奥川幸子/中央法規/2007
先日紀伊国屋(新宿)で購入。
”対人援助技術を鍛える”と副題にある。奥川節が感じられる本です。
ケアの絆/マーさ・A.・ファインマン/岩波書店/2009
相談援助ー自らの問い可能性を感じ取る/山下英三郎/学苑社/2006
リトル・トリー/フォレスト・カーター/めるくまーる/1991
奥川さんの本を読んで、再読中
自立と共生の場としての教会/北村慈郎/新教出版社
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会話に脈略がなく、意味がつかめない一郎さん(仮名)を訪問した。
時間があったので、黙って一郎さんの後につき、話を聞いていた。
そしたら、話しには一定のパターンがあり、飛び飛びの話しにはそれぞれ意味があることに気がついた。
すると、一郎さんとの関係が変わってきた。
ボクの気持ちが変わっただけなのに、一郎さんが積極的話をするようになった。
それならと、とことん付いていきますという態度をとった。
すると、あれほど長い話が短くなった。
なるほど。話をしたかったというより、関係性の中で会話の時間は変わるものなのだろう。
それから、一緒に外に出て、道行く子どもに声を掛ける一郎さん。
紙のこいのぼりを振りながら手を振る子ども。
その子どもに「元気でいろよ」と、声を掛ける一郎さん。
自分の子どもを思い出しているのか、目が潤んでいるように見える。
もう帰っていいよという顔になったので失礼することにする。
「また、遊びに来ます」というと。
「ご苦労様」と、一郎さん。
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バクタイはアフガニスタンのバーミヤンに住んでいる。
妹の子守をしながらも学校へ行く夢を見る。学校に行くには、ノートと鉛筆が必要だと隣の男の子が教えてくれた。
バクタイはお金を持っていない。
持っていないけれど、ノートと鉛筆は欲しい。
卵を市場で売ってノートを買おう。
卵を4つ持って市場に向う。
岩波ホールで掛かっているアフガニスタンを舞台にした映画「子供の情景」は、単純なストリーをバクタイを演じる少女の目を通じて多くを訴えてくる。
戦争は子どもにとっても戦いの場であることは明らかである。現実は否応なしに日常生活に入り込み、子どもの世界を飲み込んでしまう。
子どもの情景は大人の世界を縮小したのもではない。むしろ、世界の現実を引き伸ばし、明らかにしているように感じる。
タリバンごっこをする男の子たちの目は、戦士の目であり、私たちに行動を促すように訴えている。
「自由が欲しければ、死ななければならない」という、現実を。
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山下達郎のコンサートに行った。
一人で。
2曲目のジャングル・スイングのイントロが流れたら涙が止まらない。なぜか分からないけれど、気持ちが大きく揺れている。
チケットは妻に貰った。
達郎ファンの妻と結婚前からコンサートに行っていたから、もう30年近く聞いていることになる。
それでも、熱心なファンが多い達郎マニアの中では、おとなしく応援している人の一人と自負している。
回りを見れば、頭が白い人と光っている人が多い。
五十を越えたミュージシャンが大きなホールを満員にする時代が来るとは思わなかった。それに、その中に自分が座っていると想像することもなかったけれどね。
音楽で時代を変えることはできないけれど、人を楽しませることや慰めることはできると達郎は云う。
もう充分に力を貰いました。
長生きしてください。
チケットをくれた妻は、千秋楽に中野サンプラザに行く。
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セールスマンは、大きな鞄を持っているのに売るための商品を何も持っていない。
何も売るものを持っていないのにセールスマンは、自分をセールスマンだという。彼が、そう云うのだからセールスマンなんだろう。
セールスマンは、電信柱のある風景の中で生きている。そこが彼の活躍の場であり、そこからは一歩も離れられない。
そこに登場したときがセールスマンとなり、悲劇のヒロインとなる。
彼が語る物語は、それがどんな物語でもホントウのことだ。
彼は、実存としての私を作るために物語る。
彼の語りは、出来事を忘れることからはじまっているように、するするとでてこない。でてこないことでよりリアルな世界を感じる。
彼自身が老人としての世界をさまよっているようである。
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対人援助に於いて「待つ」ことは、基本であり、中心的課題となる。
待つことを考える場合、すぐに浮かんでくるのは、「ゴトーを待ちながら」だ。(あくまで個人的な興味です)
ゴトーとは、ゴッド(神)だと云われている。
神を待つとは、希望を待つことに繋がる。何に対する希望というのではなく、人生に対する希望というような命題だろう。
そこには、既に待っている人が居る。
その存在が大きい。
「もしもし。誰を待っているのですか」とは聞かない。何かを待っていることは明らかであり、その待つという行為自体がその人の人生であるからだ。
しかし、既に待っている人は、一体いつから待っているのだろうか?
それは、以前からであり、待ち続けるうちに時間を超越してしまっている。
神の約束は、歴史の中にあり、それは人類に対する契約として記されている。
待つことに意味はあるのか?
意味とは何だろう。待つことは行為であり、時間という人生に関る。
待つこと自体が意味を持つ。
他人から見ると暇つぶしのように見える。無意味に見える。何もしていないように見えるかもしれない。
しかし、それでも待つことを続ける。
「私には関らないで」と強い拒否を示していた女性から援助を希望する電話を貰った。
3年間待った結果の電話だった。
何が変わった訳ではない。待っていたらそうなっただけである。
そして、その希望さえも変化するかもしれない。
それでも待っていたからこそ、その変化に立ち会うことだできたことは確かだと感じている。
芝居の中でゴトーは現れない。それでも観客としての自分の中に確かな変化が起こっていることを感じることができる。
その感じは、感じる人にだけ訪れる救いのようなものだと思う。
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豚ときのこのバルサミコ酢煮を作った。
日曜日に料理をすることしにて3週間目。
食材にはお金がかかるが、気分転換にはなっている。
写真の色は悪いが味は良かった。家人も満足の様子で安心する。
来週は豆料理の予定です。
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通っている大学には、神学部がある。
神学部がある大学はそれほどない。
哲学や神学という、生活費の直結しない学問を学ぶ学生には興味がある。
養護施設にいたとき、夜警という人がいた。
その施設の場合、学生が住み込みで夜警をしていた。昼間は、大学に通い、夜は夜警をする。
当時、東京神学大の学生が夜警だった。
学生といっても、髭をはやしたおじさんだった。
日本各地を放浪し、かなりの年で神学部に入ったという経験を持つ彼の部屋には、学校や施設に不満を持った少年がたむろするようになった。
また、大学や社会に不満をもった神学生もよく遊びに来た。
そして、泊り込み勤務の時、子どもが寝静まってからボクもよく遊びにいった。
部屋は、4畳半ぐらいだったか、それ以上に狭い。その狭い部屋に金魚が1匹、それも太った金魚だった。
彼の金魚は餌をもらっても、それを消費できるだけのスペースがない金魚鉢に浮かんでいた。あまりに太ってしまい、泳ぐことを忘れ、ただ浮かんでいた。そして、最後には、腹を上に向けていた。
金魚と同じように、子どもたちも、狭い施設や学校に飽き飽きしていた。することがないので悪いことをする。
それでも、何かをする子はいいほうだ。
何もすることがなく、金魚のように浮かんで時間をつぶす子どももいた。
そんな子どもがやってきても、彼は、何も言わない。
何も言わなくても、彼の生き方は大きな影響を与えた。
彼がバイクに乗っていると、バイク好きの子どもが集まる。
トランペットを吹いていると、楽器好きの子どもが寄って来る。
ラーメンと食べていると、腹の空いた子どもが食わせろという。
賛美歌を歌っていると、下手だから止めろと、横に寝ている子どもが声を掛ける。
先生でも職員でもないので、親や大人の不満や批判をしてはストレスを発散している。
その時、既に40は越えていたであろうから、立派な大人だ。しかし、子ども達のとって、彼は大人ではなかった。
自分の姿を映す池のような存在だった。
どんなに大きな石を投げ入れても、水が溢れることがなく、全てを飲み込んでくれるような存在だった。
「自立と共生の場としての教会」北村慈朗を読んでいて、急に中谷さんを想いだした。
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大学院に行き授業を受けていて思うことは、若い人は集団で行動する傾向にあるということ。
大学院生といっても、若い。
どのぐらいが若いかというと、経験的に、35歳が分かれ目だと感じている。
この年齢前後で人間としての大きな変化があると信じている(勝手に)
個人的には、人間力がつき始めるのもこの35歳くらいからだと思っている。
この年齢は、人生のほぼ半分くらいである。つまり、人生を半分生きたということであり、もう半分の死に向う人生が始まったということだ。
また、親の老後が始まる時期である。
つまり、人生まだまだと思っていた青春時代も終わり、気がついたら、先がそれほどないと感じ始める年代といえる。
このアンダー35.の世代は、何かと楽しそうにくっついている。のこ「たのしそう」というのが怪しい。つまり、「たのしそう」にしなければいけないというプレッシャーを感じながら、仲間とつるんでいる。
それが、オーバー50になると、そんなもめんどくさいと思うのか、一人でいいじゃんと思う。家族からも離れ、たまには「一人になりたい」し、気を使うのも疲れる。
どうせもうすぐ死んでいるんだから、人のこともまで考えていられない。自由に生きましょう。と、そんな感じである。
そう思って、クラスを見回すと、若い人のグループとおじさん、おばさんの孤独な姿が目に付く。
しかし、孤独なのはどちらかは分からない。
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S先生から、「将来は」と聞かれたとき、思考が止まった。
その時、「いきる」で志村崇が部下の女性から「課長さんだって将来のこと考えるでしょ」と云われたときの顔になっていた。
将来とは何だろう。
若いときには、漠然とした将来に対する不安があった。
将来に対する希望があると信じるのは夢の世界である。
では、将来を考えていないかというと、若いときより現実的な将来を考えている。それは、明日のことである。
明日も生きていたいと願う。それも強く願っている。
学ぶことに対する渇望がある。
今、覚えたいと思うのは、忘れる量が多いからかも知れない。
それだけに真剣さだけは若い人には負けない。
「いま・ここ」の世界、現実の積み重ねが将来の自分を作っている。
過去から見ていた将来を生きるようになったとき、これでよかったといえるかどうかが問題だとしたら、これから先は、生きていることが目標だ。
生きていることで、自分の人生だけは作れるように思う。
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今日から大学院の授業が始まる。
大学には、卒業後、養護施設に勤めながらゼミに出たことがあるが、それ以来の授業となった。
小さな大学が森の中にあり、鶯の囀りを聞きながらの授業というものもいいものだ。鶯の声が昨日聞いた、江戸屋小猫の声に聞こえてきておかしかった。
本日は、F先生のスーパービジョンとSの交流分析の授業。
授業前には、拒否的な反応が多かったクライアントから電話がある。
実際動いているケースと、理論がどう結びつくか楽しみだ。僕自身の内面の変化がケースに与える影響が大きい。様々なものがシンクロしていると感じる。
お昼は学食でランチを食べる。
午後の授業が終わってから、利用者宅を回る。
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昭和50年5月20日発行の遠藤周作文学全集第7巻を読んでいる。
本箱の奥にしまわれていたものを取り出した。
昭和50年といえば、まだ10代だった。それなのに、どうして遠藤周作なのか、また、「死海のほとり」なのか分からない。
ただ、本を買った記憶は残っている。
この頃、金子光晴全集を買っている。この全集も、読まれることもなく、出番を待っている。
それが、読み始めたら面白い。
遠藤周作は、30年経って味が出てくるのか。
当時、ネスカフェのコマーシャルが流れる前であり、硬派なカトリック作家だった。
それが、嬉しいほど自信のない、自己否定的なクリスチャンとして登場する。
彼は、その男が何もしなかったことの意味を探し始める。その生涯を追うが、何も新しいことは出てこない。それどころか、自分が信じていた姿とはかけ離れた人生が浮かび上がってくる。
それは、「彼」が否定いる自分の人生と重なる。
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春休みの最後の日(と勝手に決めて)
浅草演芸ホールに出かけた。
おりしも、二代目林家三平襲名披露興行だった。
もちろん学割で入場する
寄席に来るのはしばらくぶり。
楽しい勉強をさせてもらいました。

客席から、「がんばって」と声がかかりましたが、「噺家は頑張れないんです」と受け答えていた。まったく、頑張らないようにしながらプロとして笑わせるところがみそ。
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報告会後、作品の紹介と販売会。
今年もチーズとクッキーを購入。
その他の作品は今も使っている。
上は、木工作品
織物。
配色がきれいだ。

報告会で、会員の言葉は印象的であり、力強い。
TAKE IT EASY YOUR LIFE
というTシャツを着ていた青年がいた。病気を抱えながら目標を持ち、生活に取り組んでいると報告をした。
成果を報告するのではなく、生活しているそのことを報告するところに、聞いている者は心を動かすのだろう。
足りないものがあるから責任者を引き受けたという理事長の言葉は意味が深く、考えさせられた。
できることからではなく、できないものを持つことで、何かが始まることもあるのだろう。
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イースターでもあり、復活劇。

キリスト登場(右後ろ)
キリストは生き生きした声を出していて嬉しくなる
賛美歌を歌う会員
中央は、宮嶋眞一郎氏
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新得で作っているチーズ。様々な賞を取っている。

ソーシャル・ファームの紹介。
報告の中でも、農業にこだわりをもち、地域住民と連携を取りながら生活を送ることを大切にしている姿が伝わってきた。
ソーシャル・ファームについては、後日調べてみたい。
作品
上の作品(織り込みの鞄)は半年あまりかけて作成された。農場の中で作られた、作品や製品と地域の生活が繋がる所にソーシャル・ファームの意味があるんだろう。
時間=生産性以外の価値を見出すことで、新しい生き方を模索する所に協働学舎の意味があり、悩みがある。

テーマは、祈りと「弱さ」の力か
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会場は昨年に引き続き、自由学園明日館講堂。
1時前には講堂が満席となり、宮嶋信氏の司会で会が始まる。
協働学舎は北海道、信州、東京と活動(生活)の場を持っており、それぞれの1年を紹介する。今年は、婦人之友の読者(友の会)の方々との交流を深めたいと会報に紹介されていたためか、活動の様子が丁寧に紹介されていた。

信州立屋の全景
雪の信州
養豚の風景
北海道には、寧楽と新得に生活の場がある
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6月に冨士ヒルクライムに出場することになり、今日から準備を始めた。
早速、1ヶ月以上ぶりに自転車にまたがった。
心臓がちゃんと動いてくれるだろうかと少し心配であった。それでも、走り始めると、風に舞うさくらの中を走るのは気持ちの良い。
近くを走って戻ろうと思って出かけたが、結局、多摩川を北上し、羽村まで走った。
昨日読んでいた早川義夫の「ラブジネレーション」の影響か、「サルビアの花」のメロデーが頭から離れない。続いて、はっぴーえんどの「春よこい」、遠藤賢司の「カレーライス」。岡林信康の「今日をこえて」「自由への長い旅」と続いた。
ここまできたら、高田渡の「コーヒーブルース」、高石ともやの「街」と、さくら吹雪の中を疾走しながら歌っていた。
矢野あきこの「ラーメン食べたい」と歌っていたら。終点に着き、タンメンと餃子を食べて帰ってきた。
帰りは、向かい風となり嫌な予感がする。
あと1キロというところで足がつった。
それも、太ももの前部。
こんな大きな筋肉が痙攣すると動くことができない。
しばらくうずくまり、へとへとになり家に到着。
サルビアの花を歌いながら倒れこんだ。
走行距離は、68キロでした。
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説得できないことを認めること。
アンドレ=コント=スポンヴィルによると、「寛容であるとは、すべてを容認する」ことではないらしい。
寛容でないボクは、容認できないで苦しむことが多い。
先日、少年の高校の入学式で、校長先生は感謝することを話していた。
まず、感謝してしまうことからはじめると、少しは寛容になれる。
それは、説得できないことを学ぶことに繋がる。
自分のペースでないことにより容認できないことは多い。
今日も、電話をしていて説得している自分に気がついた。気がついた瞬間から関係は変わる。これは説得できないと感じた時から、感謝に変えることにした。
その後、訪問した老人はいつも感謝の言葉を述べている。
寝ていたかと思ったら、突然目を開け、「あっ、そこに居たのかありがとう」と、そこに居たことまで感謝されてしまった。
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大学から学生証が送られてきた。
学生証を最後に使ったのが20台後半だったか。
大学の学生証を見せて、映画を学割で見た。(すみません)
その時は、学生のような顔をしていたが、今は、どう見ても学生の親のような顔をしている。しかし、学生であるという変な状態になってしまた。
学生証で、飲み屋が半額になる訳ではないが、映画や美術館は学割になる。たぶん。
やってみるのも勇気がいる。
「えっ、学生なんですか、それで?」と云われたとき、どんな返事をすればいいのだろうか。
映画館は、夫婦で見ると二人で2千円で見られる年になり、学割を使うのも考えものだが、使って見たい。
その報告は次回のお楽しみに。
今は、履修する科目を選んでいる。
大学生の時より、まじめに勉強しようと思っているだけ、学生らしいのかもしれない。何より、自分のお金で授業料を払っているので、元を取りたいという思いは強い。
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歴史的建造物が多いパリの街も車で溢れている。
それに一方通行が多いので片側はびっしり車が止まっている。
その間隔は、30センチから1メートルといったところだ。これでは出られないと思うが、そんなことはない。少しずつ前と後ろの車を押して、すき間を広げて当然のような顔をして走り去って行く。
それに、車は走る道具だと思っているのか、ぴかぴかに磨いている人も少ない。
バンパーというのは、車を押すために作られたもののようで、どの車も傷がついていた。
駐車するときも同じ方法だが、まったく違う方法を考える者もいる。
それは、車を縦にいれる。
縦列駐車しているすき間が2メートルの場合、コンパクトカーでも3メートル以上はあるから、少し無理だ。
しかし、幅が1メートル50くらいのミニカーなら、縦に入る。
そうして、縦横横縦と車が止まっている景色も不思議だ。
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被後見人の定額給付金の申請書が届き始めた。
しかし、在宅の場合、転送されないので、役所に事情を説明して転送してもらう手続をとらなければならない。
また、行政により書類が違うため、後見人が代理記入する前に確認が必要だ。
申請者の印鑑を「押さないでください」という所と、「後見人の印鑑を押してください」という行政の対応があった。
特に、申請者と受取人の口座名義が違う場合は問題となりやすい。
さらに、後見人である登記事項証明書などの書類が必要になる。数年前のものであると、再度取り直す必要も出てくる。
もっと、簡単に申請ができるといいのだろうが、行政の事務量を考えると大変なものになる。
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フランスで店に入るときには、「ボンジュー」という。
ボンジュールではない。モレシャンさんが言うように、口を尖らせて声高にボンジューという。
店は、人の家だから、黙って入るのはおかしいという理屈は全うだ。黙って入って、黙って商品を触ることはいけないという理屈も当然。
フラン人は用もないのに店に入らないという。本当かどうかは分からないが。
店に入ると、要件を伝える。
つまり、自分はどんなものが好きで、今の気分はこんな気分で、だから、こんな色のこんなシャツが欲しいんだけど、あるかい?というように。
それは、食堂でも同じ。
ボンジューといい、店に入る。
席に案内されたら、今は腹が減っているから、まず酒をくれといい、その後、おもむろに自分の好みを話してからメニューの選択に取り掛かる。
どれもこれも時間がかかる。
だから、昼も夜もゆっくりと食事をし、殆ど喋りぱなしである。
文化というものは、無駄を積み重ねるものである。
無駄を廃し、便利さだけを追い求めると、人間は話すことをやめる。
電車の中で携帯を打ち込み、それでいて、会話を楽しまない人間がいる一方で、電車の中で、自分のことをしゃべり、歌い、主張する人間もいる。
ところ変わればである。
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クマがホームシックになった。
言葉の違い、文化の違い、人種の違い、何より自分のペースで生活できないことから来るストレスが強かったのだろう。
自己主張する人たちには、自己主張する必要がある。また、日本では、自己主張しなくても生活ができる。
目をあわさなくても言葉が通じる世界というのは希な社会である。しかし、ホントウに通じているかは分からない。
だから、言葉の通じない社会の中では、自分との会話ができるかどうかが問題となる。
自己主張は、バランスとの関係で生まれているとしたら、個が未熟な15歳のクマがバランスを崩すことの方がまともだと云える。
その後次第に立ち直った。
それは、環境が変わった訳ではなく、自分を環境に合わせられるようになったからだと思う。
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帰ってきたら、大学院の入学式が終わっていた。
旅行中に妻から「どうして学校にいくに?」と聞かれた。
それは、「もっと稼いで欲しい」というプレシャーのように聞こえた。
ふくろうのように「ほー」と、声を出した。
その声に反応したのか、TVGの前の席に座っていた男性が声を掛けてきた。
顔の深い皺は、フランス映画の渋い役者のように光っている。
「俺は、広島を知っている。戦争では苦労したんだろう」、とたぶん言っていた。それからも、身振りを交えて30分ほど話を聞いた。
最後に、両手を広げて強く抱き合い分かれた。
友達を作るのは、銀行やスーパー、又は電車の中だといっているカナダ人がいたが、どこでも話しかけ人生を語り合うと友達も多くなるだろう。
それに、友達だと自分が思うだけでその人は親友だ。
ということで、これからは、あのじいさんを「ボクのフランスの友人がね」と人に聞かれたら話すことにする。
日本の友達には、何かをあげないといけないから疲れるね。
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ロンドンの雨は有名だが、パリで蛙を買った。
天気というものが与える影響は大きい。
雨が降ったかと思えば、すぐに陽が射すような天気では傘をさしているのは観光客ぐらいなものだ。
それでも老紳士は傘を持っている。
何に使っているかといえば、杖の代わりになっている。
古い建物が多く、階段の多い街では、杖代わりの傘は役に立つ。
また、ジプシーが老いぼれを演じるにも傘は役に立つ。
それにしても、歴史的建造物を歩くと疲れる。
こう疲れるのでは、昼休みを2時間とり、夕食に4時間かける気持ちも分かる。
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猫を見かけるチャンスはパリの方が多かった。
パリの自由さは猫にあっているようだ。犬だって、食堂(ビストロ)で食事をしていると靴を舐めにやってくる。
そこに働きもののマドモアゼルがきて、「ダメでしょポチたら」と注意するが、ニッコリ笑って去ってしまうと、フレンチブルは靴を舐め続けている。
それに引き換え、ロンドンの猫は、しっかりとギターを持っている。
姿勢もいい。
猫といえば、中高生のやっていることは、どこの国も似ている。
ロンドンの衛兵がまじめに行進していると、手を叩いてからかったりする。
しかし、大人の態度が違う。
英語で、「君たち、衛兵というものは・・・」としっかりと注意する。
どんな注意であったのかは、分からなかったが、大きな中学生が小さくなって話を聞いている。
教会でも、おしゃべりの声が大きくなると「シー」という音がし、静かになる。
日本の大人に比べ、文化を大切にする国では、まだ社会(大人)の威厳が残っている。
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3月の下旬から4月の初めにかけてロンドンとパリに出かけた。
インターネットの時代であり、携帯電話、インターネットを通じて仕事もでき、世界が同じように動いていることを実感すると共に、生活を変えずに暮す人の存在を感じてきた。
今回の旅行は、少年が高校に進学するのに合わせ、家族の時間を持つことが目的のようであった。
「別に」、「うざい」とコミットメントが難しい年頃の子どもと10日間側に居ることは今後はないだろうと考えながら、パリのカフェに座っていた。
仕事以外の人生を考えるにはもってこいの場所であり、いい加減なボクにとっては住みよい場所であった。
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