« 雑談 | トップページ | 続けること »

2009年3月 9日 (月曜日)

理解できる

悼む人を読んでいる。

悼む人(静人)の行動は他人からは理解されない。

わかるとは、一体どういうことだろう。

そんなことを考えながら、昨日は成年後見活用講座チューターとして、講座に参加していた。

被後見人の「判断能力」は、どれ程だと思いますか?

と聞かれ、悩む参加者たち。

「理解できる(力)」、「判断できる(能力)」は、ものさしがあるわけではない。

静人の行動が理解されないのは、それを見た人が、忘れようとしている事柄を思い起こさせるためかも知れない。

だから、「わからない」ではなく、「分かりたくない」という気持ちが大きく左右する。

「分かりたい」と感じる人からは、「共感」が起こる。

この感情は、微妙だ。

分からないは、突然分かるに変わる。

それは、見たくないものであるから、「分からない」という言葉で切り捨てようとする。せっかく切り捨てたものを繋ぎとめようとする静人の行動を理解するには、彼は「病気である」という、自分とは違う存在として違う場所に置く事でしか逃げられない。

しかし、そうはいっても、目に入ってきてしまた彼の行動は、心を大きく揺さぶる。

そこに何かあるという匂いを嗅ぎ取った人は、跡を追ってゆく。

「包帯クラブ」でもテーマは同じように感じる。天童さんは、切り離されたものを結ぼうとしているのか。

認知症と呼ばれる人は、自分を認知症とは呼ばない。

なんだか分からなくなったと感じる。

分からないのは自分である。

自分と世界の繋がりが分からなくなってきたが、何を困っているのかも分からない。

何しろ、世界は今も私の周りにあるのだから。

|

« 雑談 | トップページ | 続けること »

あいまいの知」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/160222/44289509

この記事へのトラックバック一覧です: 理解できる:

« 雑談 | トップページ | 続けること »