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2009年2月

2009年2月28日 (土曜日)

トイレ

木・金と軽井沢に出張。

色々な施設、家、機関を訪問する機会に恵まれている。

そこで思うことはトイレがみんな違うと言うこと。

トイレが気持ちいい家は素敵な家だと思っている。使い勝手がいいとか、きれいだとか、広いとか云うのではなく、なんとなく居心地いいトイレは、住む人の気持ちがこもっている。

軽井沢の・・のトイレには小さな電気ストーブが置いてあった。廊下が寒かったせいもあり、なんてあったかいトイレなんだろうと、出たくなくなった。

妹尾さんの「トイレまんだら」を読むと、トイレが住む人の拘りを表現する場であることが分かる。

そういえば、妻の実家にはウォシュレットの初期型が設置されていた。それがなんだか分からずボタンを押した時の驚きを今も忘れない。

仕事に行き詰ったり、職場で嫌なことがあった時、トイレに逃げ込むというドラマがあるが、気持ちの収まるトイレなら、「また、やるか」という気分になる。しかし、「もう、いや」という気分になるトイレから出た社員は会社を去るだろう。

会社やデパートがトイレにお金をかけている理由も分かる気がする。

追伸

ボクが子どもの頃、便所は廊下の突き当たりにあった。「トイレまんだら」の157頁とそっくり。

暗い小さな部屋なのに、座ると上の方にある明り取りから入ってくる光がとっても明るいと感じた。

天国からの光はこんな感じだろうと思った。

用が済むと、手の平で下から押し、必要な分だけ水を使う用器から水を出した。

長く座っていると疲れるのと、夜は怖いので、すぐに飛び出していた。

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2009年2月27日 (金曜日)

消えた報告書

朝から、報告書を作成。

何故かペンが進む。キーボードの音が軽やかで、どんどん進む。

自分の文章がすばらしく見えるほど。

昼前にはほぼ完成し、満足して外出。

利用者宅と銀行を回り帰宅し、最後のコメントを書いて送ろうとしたその瞬間、パソコンの画面から報告書が消えている。

消えたと言っても何処かにあるだろうと探すがない。

ないものはない。

仕方がないので、最初から書きはじめるが、ぜんぜん思い浮かばない。

あんなにすばらしい文章だったのにと思うが、

振り返ってみると大したことがないように感じる。

再度、書き直してみると全く違ったことを書いている。

あの高揚感は一体なんだったのか。

という訳で、何をしているのか分からないうちに日が暮れた。

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2009年2月23日 (月曜日)

独立社会福祉士の課題は

研修報告

東京学芸大学の高良麻子氏が(2007年)調査した結果報告を伺った。

長くなると思われるので(続き)に書きます。

続きを読む "独立社会福祉士の課題は"

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2009年2月22日 (日曜日)

そして奈良

体調が万全でない中、車で往復1000キロ走って戻ってきた。

それだけで嬉しい。

大仏は偉い。

何しろ何百年も黙って座っている。

南大門の仁王様も偉い。

彼も黙って立っている。

黙っているのに存在感があるというところが憎い。

その点、鹿は人間に慣れ、チラチラと観光客の動向を気にしている。

存在の重要性を実感した。

天童荒太氏の「悼む人」を先日NHKで取り上げていた。

仏という存在は悼みを共存するためにあるものかも知れないと感じる。

何も言わずに座って、立っている。それだけで、そこに居るだけ。

しかし、何千人の人の死を生を内包する時間を共有してる。

その時間の長さ、歴史が、痛みを和らげてくれる。

上から目線であるが、天井かは人間の強さも弱さもよく見えるのだろう。

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大阪その後

いいホテルでした。

コーヒーが美味しかった。

昨日、「なぜ大阪に来たんですか?」と聞かれた。

「観光です」と答えても信用されなかったが、ほんとにそうかもしれない。

ただ、観光といっても物見ではなく、自分を確認するための観光だったような気がする。

いつもの場所から離れることで見えてくることがあるとしたら、一人会社の場合には、たまに外に出ることが大切だと感じる。

社会福祉士の会議は、たとえ開業して仕事をしようというものでも、どうしたら儲かるかという重要な話題が少ない。

何を話すかといえば、「自分は何をして生きていけばいいのか」「ほかの人の人生とどのようにかかわるか」ということになる。

まるで哲学を話しているような雰囲気だ。それがいいのだけれど。

今朝、(日曜日)

食事をしながら神の話をしている牧師がいた。(たぶん匂いでわかる)

彼は、あまりに熱心に話をするので神が後ろにいることに気づかない様子だった。

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2009年2月21日 (土曜日)

大阪

大阪社会福祉士会主催の「独立型社会福祉士実践研修」(たぶん)に参加した。

朝、5時起床。

車で大阪に向かう。

大阪城近くのホテル駐車場に車を停め、大阪城を見学。たこ焼きを食べてから天守閣に登る。写真。

その後、信号が赤でも、信号より自分の目を信じる大阪のおばちゃんに混じり街を歩く。昼はカレーを食べる。

研修会場はホテルから1駅。

会場について席に着くと隣の青年に話しかける。

たぶん開業社会福祉士だと感じた。この辺は匂いでわかる。

研修内容は後日書きます。

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大阪にきてます。

大阪にきてます。

22日まで大阪辺りにおりますので御用の方はメール・電話ください。

今のところ、奈良により東京に向かう予定です。

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2009年2月20日 (金曜日)

決めない

「どうしたらいいでしょう」と言われて、すぐに解決策を出すと殆ど失敗する。

どうしたらいいか?

という問いは、「どうしようもない」という意味を含んでいる場合が多い。

「どうしようもない」と感じているのに、どうして「どうしたらいい」かを聞くのかといえば、救われたいからだと思う。

僕自身、胸がドキドキしている。

だからと言って、どうしようもないのに、「どうしてだろう」と聞く。

誰も「どうしてか」なんて分からない。

分かっているのは、そうしている、そう感じている自分がいるだけだ。

「どしたらいいでしょう」と聞かれて、「どうしたらいいでしょう」と応えればいいかというと、そんなに簡単でもない。

本当にどうしたらいいか分からないのでは頼りないし、どうしたらいいか人事のように感じられても呆れるしね。

だから、考えていては、対応はできない。

考える以前に感じているかどうか。

だから、どれくらい「どうしたらいいでしょう」を言っているかが問題になる。

役者が台詞を自分の事のように言える様になるまでには、それなりの修行が必要だ。

生きる意味を問われると、生きている時間とその中身が問われる。

問われると何もない自分が分かってしまうから怖いね。

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ハーモニカ

支援者の家でハーモニカの演奏を聴いた。

ゆったりした時間だった。

何度もリクエストをした。

支援するとかされるとかの関係とは別に、お互いに何かを感じることができる瞬間が嬉しい。

なかでも音楽は言葉で云えない感情を伝えることができる。

ハーモニカを聴きながらその人の歴史を考えた。

前に演奏した時には、誰がそこに立っていたのだろう。

演奏しながら、子どものことを思い出したようで、少し悲しい顔になった。

夕焼けに映る顔が赤い。

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2009年2月18日 (水曜日)

甘い

訪問時にお菓子を持っていった。

お土産である。

お菓子を食べることは楽しみであるが、施設に入っているとなかなか甘いものに触れる機会がない。

お八つに出るお菓子は、甘いが、どこか甘さに遠慮がある。そんなに遠慮しないでもっと甘いものが食べたいと花子さんは言う。

お寿司もマグロのトロが食べたい。

お貸しもしっかり甘いものがいい。

別れ際に、「来月も待っているよ」と、いつもより粘っこい眼で見つめられた。

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近況

なんとなく調子が悪い日々が続いている。

胸が苦しくなり、ドキドキすることが何日も続いた。

脈を取るとしばしば飛んでいる。

「ああ、どうしよう」と思っていると、手が痺れるような気がする。

そんな日々では、ブログに投稿する気になる訳もなく、ただ、安らかに眠れることを願うのみ。

病院に行き薬を出してもらい、それを握っていると安心する。

まったく、小さな心臓である。

そんな小さな心臓でも動いてくれないと困る。

朝起きて、今日も生きていることをありがたいと感じる。

何でもない日万歳。

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2009年2月15日 (日曜日)

よかった

速度違反で捕まった。

いつものんびり走っているのに、なぜかその日に限ってスピードを出した。

そんなにアクセルを踏んだつもりはない。それほどスピードが出ていたとも思わない。

それでも制限速度をオーバーしていた。

ごめんなさいでもなく、ちくしょうでもなく、よかったと思えるようになるまで時間がかかった。

そう、その程度でよかった。

または、気が緩んでいることに気づいてよかった。

調子に乗らないでよかった。

しかし、1万5千円払うときには、気が重かった。

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2009年2月 9日 (月曜日)

チャンピオン


チャンピオンは負けを確信したかのようにリングの中央に進み出て来た。
まるで、レフリーの代わりに新チャンピオンの右手を上げようとするように。
優しい所がいいところだが、今日は空振りに終わった。
何がいけなかった訳でもなく、パンチが当たらなかっただけだ。
負けた背中が堪らない。そんなに若いのに負けを知ることができる幸せがある。負けることから始まることもある。
次の試合が楽しみだ。

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2009年2月 4日 (水曜日)

黙っていられない

「人びとに愛を感じないときはーおとなしくじっとすわって、なんでもいいから手仕事にでも携わっていることだ。ただし人間だけは相手にしてはならない」トルストイ。

トルストイはいいことを云う。

しかし、それにも係らず、人間に関ろうとするから、自己嫌悪に陥る。

何かを言って「よかった」と感じることはない。必ずといっていいくらい「言わなければよかった」と後悔する。

それにも係らず、同じ事を繰り返す。

こうなると、癖なのだろうかと考える。

待つことが難しいように、口を閉じていることも難しい。

子どもの教育にとって一番大切なことは、教育的な話をすることではなく、何も言わずに見守ることだという。

さらにトルストイは言う。

「害になることをするよりは、なにもしないほうがまだましである」と。

なにもしないことがどんなに大変なことか、それを知っている人なのだろう。

でなければ、あれだけ本は書けないだろう。

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2009年2月 2日 (月曜日)

心配性のケアマネ

ケアマネから電話を貰った。

「今後のことをどうしましょうか?」と聞かれた。

何のことか分からず、黙って話を聞いていたら。

弘子さん(仮名)のことらしい。

弘子さんが先日階段から落ち、物忘れもあるので、一人暮らしが心配だということらしい。

「有料ホームを検討した方がいいでしょうか?」という。

「まだいいでしょう」というと。

そんなことではいけないというような雰囲気だ。

一人暮らしが大変だからケアマネが支援しているので、一人暮らしが大変だから施設へという気持ちにはならない。

それに、その話は本人とすべきことだと思うと話した。

熱心なケアマネさんが陥りやすい巻き込まれがここにあると感じる。

仕事をすることに熱心なあまり、先を急いでしまう。

在宅で生活することに本人が困るのではないか。そう感じて、家族にそのことを話すと家族は「心配だ」という。

では、何とかしなくてはと仕事を始める。

在宅の次は、施設ということになる。なぜだか、そう考える。

施設に入ると、安心できるという。

誰が安心できるのかを考えていない。

それは、本人に聞いて欲しい。

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静かな夜は

受験生がいる家庭は厳しいものがある。

テレビを楽しそうに見ていると睨まれる。

スポーツクラブで汗を流して家に帰ると冷たい視線を浴びる。

ゆっくり起きて、パジャマで新聞を読んでいると、蹴飛ばされる。

朝早く家を出て、きちんとした格好で仕事に行き、夜遅く帰ってくると何にも言われない。

そうした仕事もそうはないので困る。

ビールを飲んでも、小さく「プハーツ」と音を出し。

漫画を読んでも、眉間に皺を寄せ。

静かな夜は、一人で人生を考えるようにしています。

しかし、考えるような人生を送っていないので困ります。

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日本映画が面白い

「誰も助けてくれない」、「100万円と苦虫女」、「歩いても歩いても」を立て続けに見た。

そういえば最近は邦画をよく見る。

ハリウッド映画のように誰も死なないのがいい。

生きていた人がいなくなるのは寂しいし、突然消えるというのは現実味がない。

その点、「歩いても」のように死んだ人間が生きているかのように話しかける人々の方が現実味がある。

ボクの家にも、たまに出るからね。あれが。

今でこそ3本立ては少ないが、学生の時には、3本立てを朝から見たり、同じ映画を何度も見た。

何度も同じものを見るというのは自分の中に物語を入れるような作業だと感じる。その物語が意味を持ち始め、そこに、その映画の人生の中に少しずつ溶け込むような感じがする。

しばらくはその世界にしたっていられる。

そうしたのどかな楽しみとして映画があった。

ところで、苦虫女は100万円を持って町から街へ旅する。

苦虫君は、自分探しではなく、自分捨ての旅に出る。そこがいい。

自分をどんどん捨ててゆくと、最後に残った粕のようなものが自分だと分かる。その粕を味わうように生きていくと、味がだんだん浸み込んでくる。そこまでしゃぶる必要があるということかもしれないけれど。

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