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2009年1月 3日 (土曜日)

赤塚不二夫と小川国夫

昨年お亡くなりになった有面人を追悼する番組を見ていた。

赤塚さんと小川さんという、全く正反対のように見える人の言葉に、共通するものを感じた。

天才バカボンのパパ(以下パパ)がいう「これでいいのだ」は、仏教の悟りに聞こえる。

パパは、どんなことにも驚かない。驚かないほどバカなのだとも言えるが、驚きを超越しているとも云える。

どんな逆境にあっても笑って「これでいいのだ」という。

パパがそういうのだから、「それでいいのだ」ろうと世間は納得する。漫画界の許容量は広い。

それでいて、その世界に暮す人々はニコニコしている。

ママの存在も忘れてはいけない。

ママは、ただ「困ったパパね」と云うだけで、パパを許す。

許されることで、パパはエスカレートするが、ハジメの手前、いい加減なところで抑制している。そこがまた凄い。

一方、小川国夫(作家)は、「人生の目標は過去にある」と云う。

それは、過ぎ去ったことであるのだが、そこにこそ目標が存在すると静かに語る。

長年かかって人生のエッセンスを掴んだ喜びは、生まれた瞬間に母親に抱かれた喜びと同じぐらいだろうと云う。

小川が静かに語る言葉を聞くと、そうかもしれないと思ってしまう。

人生の目標が過去にあるのだから、今から先は、「これでいいのだ」ろう。

その、生かされる「これ」を待ち続けるように生きる人生だ。

小川の人生は、待つ人生だったのかも知れない。

18歳で終戦を迎え、19でカソリックの洗礼を受ける。その後、東大からパリ大に私費留学。3年後にスペイン、北アフリカ、イタリア、ギリシャをべスパで回る。べスパとは、ローマの休日でオードリーヘップバーンを乗せてグレゴリーペックが走っていたスクーターだ。

その体験を「アポロンの島」という本にまとめ出版するが、全く売れない。8年後、唯一購入した作家が朝日の書評に掲載したことで認められたという逸話を持つ。

8年間という時間を待つ人生とは、過去に目標があるという小川らしい生き方だ。

彼の本を読んでみたくなった。

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