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2008年12月23日 (火曜日)

ねえ聞いて

子どもが母親に「ねえ聞いて」と話をするのは、自分の物語を語りたいからであり、それは、おじさんやおばさんになり、おばあさんやおじいさんになっても続くと河合さんはいう。(「神話と日本人の心」岩波書店)

自分はただのモノではなく、何かにつながる存在として認められ、価値を見出すことで安心する。

石や木は、ものであるが、そこに思い出が詰まるとき、石や木は、ただのものから、意味のあるものになる。

物語は、自分がどこから来てどこに行くのかを説明するために必要であり、それを聞かれない子どもは、どこに行ったらいいのか分からず迷子になる。

それは、大人も同じようであり、家に帰っても話を聞いてくれない大人のオジサンは金を払って「ママ」に話を聞いてもらい、家に居ても誰も話をする人がいない大人のオバサンは、高いお金を払って、美容院やエステに行き物語を話す。

みんなさみしいとも云えるし、どこかにつながりたいと願っている。

それは、子ども時代に、十分に自分の物語を聞いてもらっていないから。

それに、もう十分と感じることがないほど、物語の奥は深い。

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