わしを生まれさせてくれて、ありがとうございました
ヤスは親父に会うことになる。
ヤスは今まで、自分はアキラの親だと思ってきた。
しっかりした親であることで自分のバランスを取ってきた。
「親じぇけん」と気張って生きてきた。
それが、ヤスの親父が現れた。
突然現れる。
小説でなくとも、突然現れるものだ。
僕自身、80年、90年という歳月を越えた兄弟の再会を仲人したことがある。
「私を騙そうとしてもダメです」と言われた。
俺おれ詐欺と思われた。
ヤスは、親父に言う。
「生まれさせてくれてありがとう」と
生まれたのは子どもの力であり、親の力であり、そうした、双方の関わりによって、自分の生があることを表現している。
ヤスは、父親であると同時に、子どもであったことを思い出した。
それに気づいたのが50を越えてからである。
いくつになっても気づくことがあるんだろう?
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