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2008年11月

2008年11月28日 (金曜日)

クリスマス

その男は教会の一番奥に吊るされている。

しかも、苦しそうな顔をして。

頭には茨が。

横腹には、槍の刺さった跡があり、血まで流れている。

どうも、死んでいるらしい。

その男の誕生を祝う日がクリスマスである。

その男の死に様を想像したら、笑顔ではいられない。

しかも、人間を救うために死んだと聞いては、こころ落ち着かない。

クリスマスと聞くと、教会に吊るされている男の苦しそうな顔を思い出す。

その男は、死ぬために生まれてきたのであり、生誕より、復活に意味がある。

緒方拳の出ている風のガーデンを見ている。

緒方さんは死ぬことを知りながらどんな気持ちで演技をしていたのだろうかと思う。

しかし、よく考えれば、僕自身も死ぬことを知りながら今を生きている。

明日からはじまるアドベントは、そんな人間の死の意味を考える4週間だと思っている。

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2008年11月26日 (水曜日)

稼働率

特別養護老人ホームは、福祉施設であるが、民間の事業所である。

経営に失敗すると、当然、倒産する。

現実には、社会的な責任があるので、行政の支援が入るのだが。

それでも、介護保険の報酬が下がる中、職員の確保が難しい状況が続いている。運営費の殆どが人件費に消え、その人件費も伸び悩み、一生懸命働いても結婚ができない状況だという話しは絶えない。

今日は、その話ではない。

どこの施設も定員を設けている。100名だったり、80名だったり、200名だったりする。

少ない定員でアットホームに運営したいが、効率が悪い。だから、どうしても80名(ベッド)以上のホームが多い。

100名程度のホームでは、毎月2,3名の利用者が転び、病気になり、入院する。

入院中は利用料を取れない。(取ってもいいと思うのだが)

入院が長期化し、定員割れが、2名、4名、7名となると、稼働率(ホテルと同じで、どれだけベッドを使っているかという数字)が下がる。稼働率が9割では、経営できない。95%、あるいは98%で何とかという数字が求められる。

つまり、殆ど万床という状態でないと苦しい。

入所までには時間がかかるので、退所してもすぐにはベッドが埋まらない。

だから、万床でも100%にはならないということ。

今日はその話ではない。

先日、芳子さん(仮名)が入院した。

入院すると、まず言われることが、「1ヶ月以上入院が続いたら退所してもらいます」ということ。

しかしである、80、90の高齢者が入院して、1ヶ月で前のような状態に戻れるだろうか?

無理だろう。

入院後、状態が安定し、リハビリにより、時間をかけて回復する。

それまでに、3ヶ月かかるかもしれない。

それなら、施設費を払ってもベッドを確保したいと考える。

または、施設に、リハビリ病棟を作って中間的な(病院と施設の)サービスを実施して欲しい。

制度ができると、制度に振り回されることになる。

制度より人を、柔軟な運用を期待したい。

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2008年11月25日 (火曜日)

不思議な気持ちになった

マモル君こんばんは。

もうオジサンになっている君に、君でもないと思いますが、僕の中には、中学3年生の君が住んでいます。

そういえば、尾瀬に行って、実習生に会ったことを急に想いだしました。

マモルにとって、僕はどんな存在だったのだろうと考えます。

僕にとっては、楽しい時間でした。

中学生から高校生になり、そして社会人になって、家にもよく遊びに来ましたね。

あの頃の、ナオミ、カズミ、イコマ、そして、マモルのことは、よく想いだします。

教会の階段から落ちて救急車で運ばれたことや、

雪合戦をして、アキラがガラスを割ったことや

マモルのベッドでよく昼寝をしたことや

我慢大会をしたことや

野球ゲームやサッカーゲームをしたことや

マモルがケンタロウを可愛がっていたことなど

あの頃も僕より、今の君の方が年を取っていると思うと不思議な気持ちです。

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2008年11月24日 (月曜日)

価値を疑え

先日、クリティカル・シンキングの話を聞いた。

その中で、「価値を疑え」というフレーズが耳に残り、この次の話のテーマにしようと考えている。

対人援助にとっての価値は、信じ込んでしまっているやり方、あるいは、動かしがたい行動みたいなものだろうと感じている。

つまり、ああ「これはできないな」と感じる時、それは、ある価値観にのっとってできないのであり、別の価値観に立てばできるということになる。

立ち位置を変えるということになるかもしれないし、または、座ってしまう、あるいは寝転んでしまうのかもしれない。

援助者には「いい」と感じる価値観がある。しかし、その「感じ」が、援助者を縛ることになる。

「いい」感じを具体的にイメージできる援助者は、専門性が高く、解決に向けた小さなステップをイメージできる。

それが上手くいき、どんどん「いい」感じが強化される。

そして、ある「価値」になる。

そんな時、その「価値」を疑れるだろうか。

たとえ話

船乗りが海に出ていると、キリストが海上を歩いてきた。

そこで弟子が、「わたしも」とお願いした。

キリストは「来なさい」と命じ、弟子は海の上を歩き始めた。

しかし、強い風が吹き始めたとたん、「疑い」の気持ちが強くなり、おぼれ始めた。

この場合、弟子は、何を疑ったのか?

その1 キリストの力

その2 人間が海の上を歩いていること

その3 自分自身

この辺りが、人間の人間である弱さであり、魅力だと感じる。

彼が、疑いの気持ちを起さず、そのまま、海を渡りきることはない。

それでは、物語は始まらない。

彼は、理想と現実の挟間に立ち、「価値」を疑った。

「価値」を疑ったお陰で、海の上を歩き、再び疑うことで、「人間」に戻ることができたのだ。

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2008年11月23日 (日曜日)

ソーシャルワーカー講座のお知らせ

阿佐ヶ谷にいるのも後2か月となり、講座開催も残り2回です。

12月の講座は、

開催日:12月8日(月曜日)

午後6時30分から8時30分

場所:阿佐ヶ谷地域区民センター内 キックオフオフィス5号室

福まね さいとう社会福祉士事務所

内容:テーマは特に設けません、年末でもあり、今年を振り返ってみませんか。

お待ちしております。

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2008年11月22日 (土曜日)

アセスメント(私)

どうも私アセスメントがうまくできない人が多いようだ。

僕自身も。

人のことはよくわかるのに、自分のことが分からない。

自分のことが分からない人に人のことが解るのかというと、わかったような気がする。だけ。

どうして自分の事が解らないかというと、時間をかけて考えたことがないからだろう。

人の相談に乗ることはあっても、自分の相談には乗らない。

自分の相談に乗ってみるといい。

それが、自分アセスメントだ。

どうするか?

まず、自分がしたいことを書いてみる。

それも、できるだけたくさん。

すると、そんなに書けないものだ。

そして判る。

そんなに、したいことがあるわけでもないことに。

それでも、したいことが見つかればいい。後は、するだけ。

もししたいことが見つからないときはどうするか。

どうもしない、ずっと考えていればいい。

そにうち人生も終わる。

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たのしい仕事

専門学校で、社会福祉士として独立すると楽しいことがたくさん待っていると話をした。

特に、良いところを強調して話した。

ほんとうは、もっと楽しいことがたくさんあります。

本日の感想はこちらにコメントください。

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2008年11月20日 (木曜日)

アセスメント(ゴール)

生まれて、生きて、そして今。

これまでのストーリーを読むことがアセスメントなら、これからの物語の続きを想像するのもアセスメントだ。

これからの物語のゴールが何かというと、「死」ということらし。

そうなるとハッピーエンドにはならない。

そして二人は結ばれました。という物語も、その後の悲惨な夫婦生活が待っていたりする。

さらに。

そして、貧乏人は正直に暮らし、お金持ちになりました。という物語だって、その後、会社が倒産して再び貧乏になるかもしれない。

しかし、最後はみんな、同じゴールにたどり着く。

すると、どのようにゴールを迎えるか。

ゴールに着く前の生活がどんなものかが気になる。とっても気になる。

できるだけ、美しくゴールを迎えたいと思う。

そうする為に、今から絵本を沢山読んでおいた方がいい。

僕としては、浦島太郎に憧れる。

いい思いをし、突然おじいさんになるなんて素晴らしい。

そういえば、最近の高齢者は

おじいさんにも、おばあさんにもなれなくて困るらしい。

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アセスメント(サイン)

どうしたらその人のことを解るか。

このわかるは、理解する、知るということらしい。

その人の事を知るには、知りたい気持ちが大切だ。

つまり、どれぐらい知りたいか。その気持ちがどれほど強いかが関係する。

もの凄く知りたくなると、後をつけたり、一日中観察したり、かなり危ない状態だ。

まあ、ほどほどと云ったところがいい。

だから、仕事上でその人を解るということは、かなり難しい。

だって、仕事が終われば忘れてしまう程度なので、その程度、それ程深くない。

そして、その人の動きが気になる。動きは身体に留まらず、心の動きも。

あ、いま、笑ったとか、今の視線は何か意味がありそうだとか、細かいサインを見逃さない鋭さが身に付く。

それも、ほどほどがいいけどね。

サインは、する人にとっても意味があるのと同様、されるほうにも意味がある。

川上監督がバントのサインを出しても、ホームランを打つ長島には伝わらないと、サインの意味がない。

ブロックサインを読むには、それなりの技術がいると言うことらしい。

では問題です。

モジモジして、膝をこすり合わせている人のサインは何でしょう?

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ぎこちない関係

少年とうまく話せなくなった。

うまくなくても話せないのだが。

話せないと、何もすることがなくなる。

何もする事がないと、ただ眺めていたりする。

ただ眺めていると、気持ち悪いと言われる。

そう云われてもすることがないので、どこを見ていいのか分からない。目をつぶっているのも余計に気味が悪いと考えていると、ボーとしてしまう。

ああ、ぎこちない関係は疲れる。

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アセスメント(手話)

一日手話通訳の人に通訳をお願いして聞き取りを行った。

30年前に1年間手話を習ったことがあるが、殆ど覚えていない。

手話でのコミュニケーションを間近に見ていると、抽象的な概念を伝えることが難しそうに感じたが、実際は、僕の頭が固まっていることに気づいた。

手話を操る人と、僕の頭は違う動きをする。目で見て、言語かするのではなく、始めからイメージを具体化することができる能力を持っている人たちだと感じる。

コミュニケーションの90%は非言語的なメッセージだという。それを、言葉に置き換える作業をすることによって、抽象的な概念をつかむ。彼らは、はじめから抽象的なニュアンスを指・手の動きで表現できるとすれば、そままま自分の気持ちの機微を伝えることができる。

では、どうしたら、彼ら彼女らの世界が見えるのだろう。

通訳の人に聞いてみたら、私は、「彼らの側から考える」ようにしているといった。

彼らの側とは、彼らの世界に入ることで、その世界で考えることができればコミュニケーションは上達する。

これは、外国語を習うことや、宇宙人と話をする際にも有効だろう。

宇宙人と話す機会は少ないが、認知症の人のアセスメントをする事はある。

認知症の人のアセスメントは、認知症の人の世界から、こちらの世界を見ることにより可能になる。

実際に、手話を操る人の手の動きではなく、その人に注目して話を聞くようにすると、「はい、いいえ」の向こう側の、気持ちが見えるような気がした。

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2008年11月17日 (月曜日)

寄り道

寄り道をして、明日の神話を見に寄った。

太郎はすごい。

何だろうと思わせるパワーがある。

何か分からないけど、何だろうと感じる。

先週も、今週も、忙しい。

何だか分からないけど、忙しくなってしまった。

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2008年11月14日 (金曜日)

インタビュー

インタビューが上手な人は、聞いてほしいことを聞いてくれ、自分でも気か付かなかったことまで聞いてくれ、最後にいい気持にさせる。

と、分かっていても、話を聞いていると、質問になってしまう。

つい、こちらが聞きたいことを聞いてしまう。

そこまではいいのだが、だんだん、自分でしゃべり始めると最悪だ。

インタビューを終わった後、またやったと感じる。

人の話を聞くときにメモを取ることをマナーと教わっている人が、メモなんか取り始めたら、まったく逆転してしまっている。

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2008年11月11日 (火曜日)

腰いた

腰が痛い。

保育園の椅子に一日座っていたせいか。

無理な姿勢で本を読んでいたせいか。

仕事が忙しくなってきたので、身体が唸っているのか、それはわからない。

今週と来週が正念場である。

身体なら休めばいいのだが、頭を使うと気分が悪くなる。

と、云いつつ、仕事が残っているのでまた後で・・・

11時10分前

やっと1本、終わった。

もう一つある。

今日できることは今日やるべきか。

明日できることは明日やるべきか。

悩みは大きい。

それでは、また、あとで・・・

12時

半分終わったので終了。

中途半端な人生です。

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2008年11月 8日 (土曜日)

中学生

中学生のアンサンブルコンクールを聞きにいった。

緊張感が客席まで伝わり、ドキドキしながら演奏を聴いた。

リラックスして聞く音楽もあるが、緊張して聞く音楽もありだろう。

しかし、音楽の凄いところは、一度いい音が出ると、音の中に溶け込み、リラックスした音になるということだろう。

中学生の音は怖いものがある。ちゃんとしているからだ。ちゃんとしてない僕にとっては厳しい音でもある。

家にいる少年が吹くクラリネットも「しっかりしろ」と鳴っている。だからとても緊張してトイレに行きたくなる。

思い出してみれが、中学生時代って、中途半端だった。中途半端な時代を懐かしいと思えるのは自分がおじさんになったからで、そのときは、夢中で生きていた。

どんどん成長するのに、将来に対する夢がなく、絶望感がどんどん大きくなり、飲み込まれる夢を見ていた。

その夢の話を大学時代に人前で話したら、話が終わってから3人ほど寄ってきて、「俺も、私も」と言われた。

みんな悩んで大きくなったんだと感じた。

しかし、人から「大丈夫だと」言われても、「ちっとも大丈夫じゃない」と感じるのが中学生で、それが青春なんだろう。

じゃなかったら、無意味に海岸を走ったり、大きな声をあげたりしない。

そういえば、中学時代に好きだったことは、雨の中でサッカーをすることだった。

今は、雨の中を自転車で走っていても、誰も「青春している」とは云ってくれないことがさびしい。

これを、「中年している」というのだろう。

中年よ大いに悩めと云いたいが、残り少ない時間であるので、早めに切り上げないといけない。

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2008年11月 7日 (金曜日)

語ることの怖さを知る人

小林さんの家に行くと朝日ジャーナルのバックナンバーが置いてあった。

貧しい僕は、夕食をごちそうになり、ビールをごちそうになり、風呂にまで入り、布団も半分借り、ジャーナルを読んでいた。

1978年。新しい時代は、騒がれているほど明るくもなく、一部の浮かれた人を横目で見ながら、何も起きない毎日が続いていた。

筑紫哲也がジャーナルの編集長になり、巻頭言に「多事争論」を掲載し始めた。

物事を正面から見つめ、その視点があまりにまっすぐなので、二十歳の僕も戸惑うほど純粋なものを感じた。

こういう人を大人と呼ぶんだろうと何となく憧れて、30年。

すでに大人も過ぎ、何もしないうちにおじいちゃんになるんだろうと、高石ともやの「主婦のブルース」を歌っている。

おお人生は楽しくなんかないわ

恋なんてしないうちに老けちゃった

これが私の人生かしら

思いどうりにはいかないものなのね

髪の毛も白くならず、どこかにいき。

筑紫さんのように、自分の人生を、「よかった」と言えるのだろうか。

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2008年11月 6日 (木曜日)

偏る国

勝男さん(仮名)の担当者会議。

担当者会議において大切なことは本人の気持ちであり、希望の確認。

本人の気持ちを確認する手段は、本人の意思を確認すること。しかし、本人が明確に意思を表示できないときにはどうするか?

そのことを、来月話をすることになり、現在準備中である。

本人が意思を表示できないということは、二つの意味がある。

本人に意思がない場合と、本人の意思を確認する人が理解できない場合だ。

本人に意思がないとは考え難い。ミンデルによると、昏睡状態の人であっても生きる意志を持っており、世界とコンタクトしているという。

もう一つは、確認する側の能力の問題である。

普通は、こちら側には問題がなく、本人側に意思表示の問題があるとしているが、どうも、こちら側の問題が大きそうだ。

コミュニケーションは、ノンバーバルの部分が大きいということは言われるようになっているが、意思表示においては、バーバルで確認することが一般的と信じられている。

信じられていることは、疑う余地があるということだ。

先日、認知症で高齢期精神症を合併していると云われているクライアントの側で、アセスメントを試みた。

その結果は、今度話そうと思っている。

話は戻る。

勝男さんの気持ちを確認する方法として、今までどのように生きてきたかを考えることが一番だと思っている。

そうすると、正月も家でのんびりとしたいということは分かる(たぶん)。

しかし、問題は、勝男さんの生活を支えるヘルパーを確保することが難しいということだ。これでは、どんなにいい、アセスメントを行っても、資源と手段がないようなものだ。

一方で仕事がなく、もう一方で人が集まらないという、全く変な状況になってしまった。

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2008年11月 5日 (水曜日)

飛行機が小さい


             

調布飛行場にある、洒落たお店に飛子さん(仮名)と出かけた。

飛子さんは、この1年で大きくなり、車に乗せるのが大変だった。カフェに着くと、窓側の席をとり、飛行機を見ながらシフォンケーキを食べた。

飛子さんは、クルームをケーキに塗り、あっと言うも間に平らげ、今度は、お寿司を食べに連れて行ってという。

食べ終わると、飛行機を見る余裕ができたのか、じっくりと見つめ、「なんだか小さいね」という。

「きっと、飛子さんが大きくなったからだろう」というと、「そんなことはない、私は小さくて可愛いの」と、強く主張する。

そして、「もう食べるものもないし、飛行機にも乗れないのなら帰ろう」という。

僕が、トイレから帰ると、隣りの席のおばあさんと仲良くなり、今度来るときには、一緒に飛行機にのる約束をしている。

飛子さんを車に乗せると、「やっぱり、お寿司の方がいいね。いつ連れて行ってくれるんだい」と、小さな瞳が輝いた。

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2008年11月 3日 (月曜日)

数馬その6

結局、すべすべ温泉に入り、足裏マッサージをする。

ゆったりした。

新ゆりには、3時に着いた。

家について、自転車の掃除をしていたら少年が帰ってきた。少年の後ろには少女がいる。

「お父さん、頼むから向こうに行って」と云われ、部屋の中に隠れる。

どうして、自分の家にいて隠れなくてはならないのか、大きな疑問がわいた。

妻に、「キクタクなら、隠れなくていいよね?」と聞くと。

ニヤッと笑い、「どう見ても、ぬくみずだもんね」と言われる。

風呂に入り、じっと鏡を見て納得する。

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数馬その5

11時を回りお腹が空いてきた。

朝は、パン1個。


すいとんを食べた。
温まる。
ここまて60キロ。そろそろ戻ります。

数馬の湯に入ると、下りが寒そうなので断念。

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数馬その4


10時30分。(46キロ)

檜原村役場着。

ますます寒くなってきたので、長そで、長手袋をはめる。

すると、どうでしょう、温かい。

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数馬その3

42キロ地点。

瀬音の湯入口。

ここまで来ないでも、つり橋を渡るコースもある。

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数馬その2


10時10分、武蔵五日市駅到着。(38キロ)
だんだん寒くなってきたので、長袖を着る。

つもりだったが、そのまま。

五日市街道はまっすぐで走りやすい。

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目指せ数馬の湯


天気、雲。

自宅を7時半に出発。
1時間10分、(28キロ)かかり福生到着。
空気が冷たい。

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2008年11月 2日 (日曜日)

F1

何年かぶりにフィルムを買った。

それもモノクロ。

カメラにフィルムを詰めた。

ドライバーをつけるとずっしり重い。のこカメラは25年前に購入。しかも、しっかり動く。

機械式カメラなので、電池がなくても手動で動く。

写真は面白いもので、同じオブジェを撮っても、人により質感じが違う。それに、何に興味があるか、結構違うのも。

つまり、人柄が映るんだよね。

阿佐ヶ谷に居るのも残り3か月になったこともあり、街を撮ろうと思っている。

それにつけても、カメラってきれいでしょ。

レンズはFD24㎜

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2008年11月 1日 (土曜日)

どぶどぶどぶ

「先生、私のことを罵ってください」とその人は、突然しゃべり出した。

話を聞くと、パチンコで相当な額をすったらしい。

負けると分かっているのに、つい欲が出る自分のことが嫌になった。どうしようもない私を「ばかばかばか」と3千回言ってください、という。

「僕は、さっき心を入れ替えて、いい人になったから、もう人の悪口はいえない。もう少し前に来てくれたらよかったのに」と謝った。

そんな言葉を無視して、いかに自分がダメ人間かを話す、その人。「きっと、皆は笑っているんです。私が、店に入って行くと、ほくそ笑んでいるのがわかります」という。

「なんだか、僕のことを言われているようで、だんだん、恥ずかしくなります」と、返事をするが、そんな言葉は聞いていない。

「もう、お金がありません。こんな無駄なことに大事なお金を使って、本当に馬鹿です。」

と、云うので、「よかったですね」と返す。

「なにが良かったんですか?」と、初めて言葉が届いたようだ。

「だって、今まで無駄にお金を使い、どぶに捨てるように使ってきたのに、今回のお金は、これからはもうやらないというお金になれば、いい使い道ですよ」と話す。

「そうですか、どぶですか。どぶとは思わなかったです」と、どぶという言葉が心に響いた様子で、下を向いて考え込んでしまった。

そのまま、その人は、ドブどぶどぶと口の中で3千回も呟きながら、とぼとぼと帰って行った。

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記憶

新宿を歩いていたら、聞きなれた声がした。

何となく、声のほうに体が動く。

声は、エレベーターを降りて行くので、その声に従った。

そこには、10数年前、同じ職場で働いていた人が立っていた。

「あらまあ、あたし、昨日退職したの」と、突然の再会にも関わらず、職場を辞めた事から話は始まった。

においや音は記憶につながる部分があると聞いたことがある。

確かに、街の騒音の中でも、聞き分けられる声の特徴がある。その声は、街の中に流れていたにも関わらず、僕の記憶をくすぐるように引っ張る力があった。

このシンクロニシティの意味は何だろう。

その日は、インタラクティブ・フォーカシングの本を読んでいた。そして、人の悪口を心の中で言っていた。

あんまり悪いことを考えているので、口をふさぐために、おしゃべりな人を登場させたのだろう。

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