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2008年9月13日 (土曜日)

一瞬の惑い

鷲田清一は「『聴く』ことの力」(YBSブリタニカ 1999年)の冒頭に、柏木哲夫と岡安大仁行ったターミナル・ケアのアンケートを取り上げている。

この調査は、医学生、看護学生、内科医、外科医、がん医、精神科医、看護師を対象に実施された。

鷲田氏が注目しているのは、次のような設問である。

「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者の言葉に対して、あなたならどう答えますか、という問いだ。

選択肢は、次の5つある。

1)「そんなこと言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。

2)「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える。

3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。

4)「これだけの痛みがあると、そんな気持ちになるのね」と同情を示す。

5)「もうだめなんだ・・・・そんな気がするんですね」と返す。

(結果は最後に)

もし、僕が聞かれたら。

実際、とても大事なことを問われることがある。

多くの場合、それは、「死」に結びついている。

「私なんて死んでしまった方がいいんでしょうか?」

そんな時、すぐには言葉がでない。1秒の何十分の一ぐらいの間が訪れる。その時間は自分の「死」を考える時間だと感じる。

次の訪れる気持ちは、なぜ「僕に」そんな大事なことを話すのだろという疑問だ。

その人は何かを期待しているのか。僕に答えを求めているのだろうか。それは独り言だったのだろうか。

とても大事な問い、答えが出ないような問いは、そう問う人は、初めから答えがでないことを知っている。または、答えを出したくない自分に気づいている。そう感じる。

だとしたら、なぜ、問うのだろう。

問わずに入られない自分がある。それほど大きな問題、自分の存在を問われる問題を誰かに背負って欲しい、分けあえないのであれば、少しだけでも抱えてくれれば気が軽くなる。

だから、

大きな波が来たことを感じた人は、その波を避けようとする。

アンケートの結果は、殆どの医師が(1)と答え、看護学生、看護師の多くが(3)を選んだ。しかし、精神科医の多くが(5)を選んだ。

精神科医の多くが、聴くことができているというより、日頃大波に乗りなれていると感じる。

問いに対しては、答えるという選択と同時に「そのままにする」という選択もある。

ただ、そのままにするときに、何をするのかが問われる。

沈黙は、何もしないのではなく、答える以上のことをしなくてはならないから、これも苦しい作業だ。

その苦しさに耐える力の大きさによって答えは違ってくるのだろうか?

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