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2008年9月12日 (金曜日)

百万遍

百万遍とは、相も変わらず百万遍も同じことをしているという意味だろうか。

花村満月の自伝的小説「百万遍ー青の時代」を読んでいる。

惟朔は、教護院を出て高校に行く。しかし、その高校からも追い出され、世間にぶつかりながらも、なんとか生きる。

1970年。そう、万博のあった年だ。太陽の塔と三波春夫の「こんにちは音頭?」が頭の中をめぐり出して止まらない。

「こんにちは、こんにちは、世界の国からこんにちは」。この曲には、9年後お世話になった。

タイの農村で、村人から歌を求められて、「こんにちは」を「サワディーカップ」に置き換えて、その後は適当な世界語で楽しく音頭を踊った。

真っ暗な空を見上げながら、踊りを踊ると、世界が回りはじめる。僕が回っているのか、世界が回っているのかが分からなくなり、気がつくとしりもちをついていた。

惟朔も、トルエンをやりながら、自分を探す。しかし、自分なんか探しても見つかるわけがない。そもそも、そんなものはないのだから。

みうらじゅんは、高校時代に「自分捨ての旅」に出た。自分を捨てるために金沢へ家出した。

家出する理由もないので「家出してやる」と書置きをのこし、ギターとハーモニカ、それに、下着を鞄に詰めた。金沢に着くと、タクシーで兼六園に向かい、誰もいないベンチに座り、自作の曲を歌いだした。もう、家出少年の気分満点。

しかし、その後はすることもない。捨てるべき自分もない。仕方がないから家に帰ったみうら君は、誰にも発見されない「家出してやる」という書置きを、自分で処分する羽目になる。

話は、みうらじゅんの「青春ノイローゼ」双葉社になってしまった。

みうらじゅんは、1958年生まれ、16歳の時に兼六園にいた。

そう、まさにその年の、3月、18歳の僕も金沢にいた。もしかしたら、みうらくんの「自分捨て」の現場の横を通りかかったかもしれない。

何しに金沢に行ったのか?

もちろん、自分探しです。

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