暗いトンネル
桐野夏生が、「小説を書くのは、暗いトンネルの入り口に立つような感覚」だ、と言っている。その後で、暗いトンネルに入るには強い「タイトル」が必要だと話をしているが、そのことより、「暗いトンネル」という表現がいい。
決して、夢や希望で満ちた世界ではなく、現実すれすれの、それでいて、現実でない世界が、そのトンネルには充満している。
トンネルに入ると、早く明るい世界に出たいと感じる。しかし、遠くに見える光は、いくら自転車を漕いでもすぐにはやってこない。
一生この暗闇から出られないのではないかと感じ、それなら、いっそ、壁抜けでもして、別の世界へと、一瞬夢を見る。
ホントウに、トンネルの中で目を開けているのに、一瞬夢を見る。
現実の世界も、トンネルの中のようなものなのだろう。
昨夜、さんまと大竹しのぶの、二人の会話を聞いていた。
人気者のさんまを「この人といると、ホントウに、すべてが嫌なの」よ、大竹はいう。
それは、テレビ的な表現であり、皆が期待する会話であるのだが、その会話の中に真実があるような気がする。
二人は、トンネルに入ったのだ。気がつくと、真っ暗なトンネルの中で、二人きりだった。
多分、お互いに近寄り過ぎたのであろう。
分かれた二人はとても仲がいいように見える。
暗闇で手をつないでいると、相手は、自分を信頼しているように感じる。しかし、その時、全く違うことを考えているかも知れない。
それに、その手が、いつの間にか、違う人の手だったなんていうこともあるから怖い。
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