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2008年5月21日 (水曜日)

愛田地低

アイデンティティーとは、同一性。

自分が他の者ではなく、自分自身ということ。しかし、自分は誰だ?と問われると、「わからない」と答えるしかない。

アイデンティティーとは、他のものと、はっきりと違いがわかるものだが、さて「どこが?」といわれると困る所がある。

虹を探しに行き、虹の下まで行くことができるが、まさにその下に来たときには、虹はなくなってしまうようなもの。

日本人のアイデンティティーとはと考えたとき、他の民族との違いははっきりしているように感じる。しかし、日本人は、そんなことは意識もせずに、のんびりと暮らしてきた。

国家が「国民のため」とか「日本人として」と言い出す時代は、幸せな時代ではなかったようだ。

アイデンティティーという言葉を使い始めたエリクソンは、ユダヤ人だ。ユダヤ人は、世界のどこに住んでいてもユダヤ人と意識せざるを得ない民族のようだ。それは、幸せなことではない場合が多い。

私という存在を強く意識する時、何かが生れる可能性がある一方、私という存在にとっての危機的状態でもある。

大人としてのアイデンティティーとは何かなんて分からない。それに、それが分かったところでいいことがあるかも分からない。

そんなことを考えているうちに老人になり、子どものようになり、しまいにいなくなって行く存在が人間だということは分かる。

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