もっと普通に
野田秀樹が多摩美術大学の教授になった。
講義は演劇スタジオで行われ、俳優や演出家、映像作家志望の学生の前で授業が始まる。
野田教授の最初の講義は舞台の上を「普通に」歩くことから始まった。しかし、「普通に」歩こうとする学生の動きはぎこちなかった。
「足の悪い老人のように」とか、「いま、恋人にふられた22歳の青年のように」だったら、それなりに歩くこともできるが、「普通に」には歩けない。
それは、座っている場合でも同じ。
役者は小物があると上手く演技ができるという。例えばタバコ。タバコを持ちながら、いじりながら演技をすると上手い人も、何も持たずに「普通に」演技をすることは難しい。
どうしたら普通に歩けるのか。
歩いていることを忘れることだ。
社会福祉士資格を取った人が、資格を生かして「社会福祉らしい」仕事をしたいと言う。
しかし、現実はそう簡単には進まない。
では、どうしたらいいのか。
とにかく仕事をすること。
そして、その仕事振りを見た人が、「社会福祉士らしさ」を判断するだろう。
でも、仕事が楽しくなってくると、何も考えず、ただ「普通に」することができ、どう見られたいかなんて考えなくなっている。
資格なんて、「らしく」見える小物のようなもの。小物が無くても演技ができるのがプロというものだろう。
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コメント
同感!!!
投稿: doi | 2008年4月29日 (火曜日) 15:49