わが道を
余り動くと手が掛かって特養に入れませんよといわれた。
確かにそうかも知れないけれど、手が掛かるから動かないようにしようとする介護って何だろうと感じた。
介護の世界の常識は、手間との戦いなのかも知れない。
人手が少なくなり、効率よい働き方が求められ、非常勤というスポット労働が導入されている。つまり、最低必要な場面に人的配置をする。
だから、介護される人は介護者に合わせないといけない。
トイレは定期的にする必要がある。自分でしたいときにトイレに行くのではなく、時間だからトイレに行く。食事も、お腹がすいたから食べるのではなく、時間が来たから食べ物を腹に運ぶ。
そういう常識にあって、転んだり、他人に関わり転ばせるような人は「危ない」と言われる。危ない人は薬により安定させる必要がある。安定すれば介護しやすい。皆に好かれる人になれる。
だからといって、自宅に戻すこともできないとすればどうすればいいのだろう。
クライエントで一人、特養から逃げてきた人が居る。
その人は、自由に気ままに、誰に気兼ねすることもなくわがままに生きている。
あまりにわがままだと、その人のペースに皆が合わすようになる。(仕方がないから)
そうじゃないといけないよね。
そうなって欲しいね。
わがままな僕がいうと説得力がないけれどね。
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コメント
もっとわがままでもいいのに・・・ということがあった。明日行なわれる障害者のスポーツ大会に急に行かないと言い出した足の不自由な友子さんは「私が行けばみんなに迷惑がかかる、私は何の役にもたっていない」と思って、遠慮して、我慢しようとした。よく話し合った結果、車椅子ごと運べる車に友子さんとお世話する85歳のお母さんを乗せて会場まで行くことに決めた。「明日の朝9時40分にお迎えに行くからね」と私が言ったら、顔をくちゃくちゃにして不自由な手を思いっきり振ってくれた。
投稿: midori | 2007年10月12日 (金曜日) 22:01
介護の基本は、受ける側が主人公!でしょう。
介護を行う人は、介護を受ける人の人生をチョットお手伝いしてるだけ。
言葉では簡単ですが、実行は大変・・・
あと、この国の介護のシステムは、根本的な処が何かヘン。
投稿: 再登場 | 2007年10月12日 (金曜日) 15:45