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2007年9月21日 (金曜日)

友達が一人もいない父親として

友達にいじめられる。
友達から仲間はずれにされる。
だから・・・
しかし、そんな子を友達と呼べるのだろうか。

学校の先生は友達と仲良くしなさいという。
友達は一生の宝だという。
しかし、将来の宝より、今の平安が欲しい。

 

友達と仲良くした方がいいだろうけれど、一人でいたっていいと思う。
一人で居られる力を付けたほうがいいこともある。
みんなと一緒じゃないで、一人でコツコツと穴を掘るとかね。

 

穴を掘って、底に座り、一人で壁抜けの練習をする少年なんてたくましい。
穴から空を見上げて人生を考える少女はロマンチックだ。

 

友達が100人いることを自慢するより、友達が一人もいないでも楽しい人生を送っていることを自慢したい。
友達がいなくても、牢獄で苦しむ人に慰めの手紙を書ける人になって欲しい。

求めるより、求められることを

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こぐま社から出ている『子どもが孤独でいる時間(こどもがひとりでいるとき)』と言う本のまえがきの中で「孤独でいる時間」をわざわざ「ひとりでいるとき」と訳してその必要性に触れています。『それは、自由であること、内へ向かうこと、自分自身を発見することのために欠かせない条件であり、人間にはひとりでいるときにしか起こらないある種の成長があるのだ』とあります。今は二十歳になる娘が小学校高学年のころ、彼女が思春期特有の?複雑な心境になったころ、たまたま出会った本でした。思秋期を迎えた母として、たくさんの人に囲まれていても、大好きな人のそばにいても感じる「ひとりのとき」を積極的に生きたいと思います。

投稿: midori | 2007年9月22日 (土曜日) 07:50

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