寒い

味の素スタジアムに行った。
寒かった。
試合については、ノーコメント。
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苦手な人は自分に似ている。
「なんでそんな無神経なことを言うんだろう」と考えていると、いつも僕が言っていることだったり。
上手に話すその言い方が、冷たさを感じたり。
何気ないしぐさや、足の組み方まで似ていると、まったく嫌になる。
自分に似ているから苦手なのではなく、自分の嫌なところを見たくないという気持ちが強くなり、嫌悪感を覚える。
そう考えると、妻は、まったく似ていない。
こんなに共通点がないのによく一緒に生活していると思うぐらい。
若いころは「似ている」と思い込んでいたが、20年以上一緒に暮らしていると、違いのほうが目に付く。
それでいて、違っていることがぜんぜん気にならない。(相手のストレスになっているようだが、こちらのストレスにはならない。こんなところも全然違う)
それに、結婚当初は相手を理解しようとか、相手に近づこうと努力したが、その努力の甲斐もなく、現在に至っている。
分からないものは分からないと感じるし、分からなくてもいいような気がしている。むしろ、まったく違う生き物と暮らしていると思ったほうがいい。(これは妻の言い分)
あきられめないとこも大切だろうが、あきらめてしまうと楽なこともある。
まあ、家に宇宙人を飼っていると思ってくれればいい。未知の生物なら、諦めもつくだろう。
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いつまでも頭から離れない言葉というものがある。
「あなたはすぐに答えを出そうとする」と言われた。
これは、褒められたのではなく、だから「冷たい」と言われた。
僕が人に冷たいとうことは自覚している。それでも、正面から言われることは少ないので、何とか生きていける。
他人に対する関心より、自分への興味が大きいのは事実である。だから、巻き込まれることは少ない。むしろ、どこか逃げているところがある。ほめられた性格でないが、今までこれで生きてきたのだからどうしようもない。
それ以上に、「答えをすぐに出そうとする」というフレーズがどうも気になる。
それは、確かに「そうだから」だ。そういう人間なんだということに、あらためて気づかされたからだ。
この場合の答えは、「相手の答え」ではなく「僕の答え」である場合が多い。
答えがどうしても出せない人にとって、僕の答えなんか聞きたくないだろうし、答えを聞かされることは苦痛だったのかもしれない。
でも、つい答えのようなものを喋ってしまう。
返事をすることも同じかもしれない。
僕にとっては、返事のつもりで「そうですね」といっていても、それが「決めつけ」に聞こえたり、「投げやり」な言葉に聞こえるてしまう。
どうしてショックが大きかったのかは分かっている。
僕が無防備だったからだ。予想外の答えが返ってきたからだ。本質を突いた言葉だったからだ。
どれも当たっている。
当たっていても、どうしようもない問題だと分かっている。
そういわれても、どうすることもできない。
なにせ冷たい人間は、なかなか温まらない。
それに、もうすぐ季節は冬である。
春まで待つしかないか。
ついこの前、夏が終わったばかりなのに。
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「よく毎日書くことがありますね」と言われることがある。
書きたいことが毎日あるわけではない。
例えば今日は、午前中に車で家裁(霞ヶ関)に行き、その後、事務所に寄り、その足で、病院へ行き、老人保健施設に入所する被後見人を横に乗せ、施設に着いたら、洋服が足りないと言われ、洋服を買いに行き届け、家に着いたら、誰も居ないので洗濯物を取り込み、そうこうしているしているうちに少年が帰ってきた。
しかし、そのことは書かない。(実際は書いている)
なぜなら、感動しなかったから。
書くことは、なんとなく頭に浮かぶ。
浮かばないときは書かない。幸い浮かぶことの方が多い。
浮かんでも書かないことのほうが多い。
たとえば、今日一日のことで面白いことも沢山あった。でも文章にしたくないこともある。
被後見人を横に乗せ、運転しながら東京案内をした。施設に着いたとき「運転手さんありがとう」と言われたことは書かない。
施設の部屋に行き、手続きをしているときに、「運転手さんまだ帰えらへんの」と言われたことは書かない。
僕の車の屋根が緑色だから、タクシーと間違えられたのかということも書かない。
荷物を届けに帰ったときに、また、「運転手さん偉いわね、買い物までして」と言われたことも当然書かない。
帰り際に、「チップはあげられないけど」と言われ、手を握ってもらったことなんか絶対に書けない。
これでも自己規制をしている。
文章を作りながらいじくる。脚色することがある。事実からどんどん離れて行き、現実ではない物語が出来上がる。
その方が面白い。
事実を書きたい訳ではないし、まして、何かを訴えたい訳でもない。
自分のバランスを取るためと、自分の歴史を残すために書いている。それもフィクションの歴史だから、何のためにもならない。
何のためにもならないことを熱心に取り組むこと以上に面白いことはない。
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ケアプランの説明を受ける。
ケアマネジャーとしてケアプランを作っていたが、説明を聞くということは貴重な体験だ。
プランを作るには、モニタリングを行い、本人や家族の希望・要望を確認し、本人の生活が豊かになり、自己実現が出来るようにすることが大切だといわれている。
実際は、家族の要望やケアマネジャーとして「これがいいだろう」という専門的意見が組み入れられる。
とくに、認知症や発言が出来ない人の場合はなおさら。
しかし、後見人として、ケアプランの説明を受けると、まったく違った感覚になる。
ケアマネジャーが、「こういう危険性がありますから・・・・」、「これが出来ないので・・・・・」と説明され、「そういえば、僕も安全面を中心にプランを立ていたなぁ」と思い出す。
また、「見守りを行うことで・・・・」、「様子を見ながら・・・・」という言葉に出会い、「状況がつかみづらく、具体的な方策がとりにくいんだろう」と感じた。
後見人は、本人の代弁者である。つまり、殆ど本人になったつもりで話を聞く。
すると、説明に対して「弁解をしたくなる」。この辺が変な気持ちだ。
「確かに、そうなんだけど、そこのところは違うと思います」とか、
「そうは言っても、人手があればできることじゃないですか」とか、
「今はそうだけど、これから変わってくることもあるかもしれないじゃないですか」なんてね。
本人になると、ケアプランも結構シビアに感じる。
それでも、前よりもイイプランが出来るととてもうれしい。
少しでも変化があることを願うので、
「継続です」という言葉だけは聞きたくない。
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相模原のケアマネのみなさん、お疲れ様でした。
丸一日、話をしたり、話を聞いたりするのはホントにしんどい事ですね。
それにしても、みなさまのパワーには圧倒されました。何しろ、ストップをかけないといつまでも終わらないくらい熱中して話をしている後姿は、何かを物語っていました。
そう、物語といえば、
問題が解決するときには、その人の物語が次の場面に移るときだと言われています(勝手に僕が言っているのですが)。
物語は、一生続きますが、どんなに長い話でも、1章、2章と途中で場面が変わります。一段落するのですね。
一段落するときには、息を「ふー」と吐き出します。つまり休憩です。幕と幕の間の休憩時間にはトイレに行ったり、タバコをすったり、お茶を飲んだりして気分を変え、次の幕の(章の)準備をします。
物語は、その物語を書く人によって話が展開するものです。自分の物語を楽しくするのも、辛くするのも、アドベンチャーにするもの、皆、作者が決めることです。
私たちは、自分の物語を書きながら、人の物語を読まなければならない仕事をしています。しかし、他人の物語は代筆することは出来ないので、困ります。
もう、「こうして書くんですよ」と言いたくなることもあるでしょうが、そこは我慢して、黙って読み続けましょう。
すると、そのうちに、救いの神が現れるかもしれません。
そこが、物語の面白いところです。
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妻が実家に帰っている。といっても逃げ帰ったのではない。(今のところ)
ということで、少年(息子)と二人になった。
二人でいる時間が殆どないので、なんとなく気まずい空気が流れている。
日中は、父親は仕事、少年は友達と遊びにいき、交流はない。
しかし、夜になるとそうは行かない。
普段、必要がないと口をきかない関係でも、なんとなく相手を気遣うように口をきく。
食事の準備をするのは父親。テーブルに座っている少年に食事を差し出すと、「ありがとう」といわれる。
こういう言葉に父親は弱い、「そうか、そうか、じゃな、他に用はないか?」という顔になる。
しかし、少年は黙々と食事をし、次に出た言葉は「おかわり」であった。
どうも、父親の操縦については母親から聞いているようである。
それから、家来のように働く父親であったが、二人の時間を結構楽しんでいた。
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アセスメント・シートを活用して、利用者の状態を把握すると、全体像がつかみやすい。
だからといって、シートに書いてある項目の質問をそのまましても、こちらに都合のいい回答が返ってくるとは限らない。むしろ、とんでもない答えが返ってくる方が多いのかもしれない。
また、質問項目に拘ると、「これも聞いておこう」と、ついつい順番に質問してしまい、話の流れを遮ってしまうことになる。
特に初回のアセスメントの場合、その目的を達成することに力を注ぎたい。
それは、利用者との関係を結ぶということだと思う。
知らない人同士が知り合いになるということは、何かを聞き出すという姿勢より、その人の印象や、行動、言動から感じられるものを記録することが初回のアセスメントの中心となる。
だから、シートは頭の中に入れておいたほうがいい。紙を見ずに利用者(お客さん)を見つめることが基本だろう。この点、デパートなどの接客業は徹底している。
量販店で成績のいい店員は、エレベーターから降りてきた客を捕まえ、瞬時にアセスメントをしている。5分後には商品の説明をし、10分後には、高価な家電を売っている。
アセスメントは、サービスを利用する側にとって有効なのもであるべきなのに、施設や事業者が利用者の情報を得るために収集しているところがある。
利用者主体を謳うのであれば、アセスメントは利用者がリードするなかで行われることが望ましい。
そんなことを考えながら、桃子さん(仮名)のアセスメントに立ち会った。
質問者と桃子さんの会話は噛み合わず、時間ばかりがどんどん過ぎていく。話を聞いていると、質問に対して絶妙な「切り替えし」と、「ぼけ」が入り、漫才を聞いているような会話になっている。
人間の大きさと人を見る力の差を感じた。
桃子さんは、アセスメントされているんじゃなく、質問者を「値踏み」しているように微笑んだ。
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不安を感じているかと聞かれれば
「そうだ」と答える高齢者は多い。
相談の趣旨は、後見や相続であるが、よくよく聞くと「漠然とした不安」であることが多い。
そんな時、課題を解決することより、課題との付き合い方を知ると安心する。
この課題を解決する方法はないかと聞かれた。
よくよく話を聞き、問題の本質が分かってきた。
その課題に関わらないことがいいと思うと答えた。
予想を裏切ることを言うときには、相手の顔色を見ないといけない。
それは
いわないほうがいい時もあるからだ。
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事務所にやってくる人は、カバンの中に発明品を入れて売り歩くお兄さんぐらいだ。
これでも事務所を借りる必要はあるのかを時々考えてしまう。
ココ(激安の事務所)に居られるのも後1年。そろそろ次を考えなければと思っている。ココと同じ事務所を駅前に借りようと思ったら、今の家賃の3倍、いや、4倍ぐらいは掛かる。
そんなに稼げない事務所としては、それは無理である。
では、どうするかといえば、そのうちいい話が来るだろうと待つ。
そんなことで大丈夫ですか?と聞かれるが、何とかなる。
仕事も増えている。
今日も、黙っていても裁判所から依頼の電話が来た。
メールで、仕事の依頼が来る。
リハビリに行けば、「お弁当のおかずは良くなりましたか?」と聞かれる。
それでも、人に会えば、「仕事ありませんか?」と挨拶する。
こんな一見無駄なような声掛けから仕事はやってくる。
そう、来るものは来る。去るものは去る。
来る足は遅い、去る逃げ足は速い。
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友達にいじめられる。
友達から仲間はずれにされる。
だから・・・
しかし、そんな子を友達と呼べるのだろうか。
学校の先生は友達と仲良くしなさいという。
友達は一生の宝だという。
しかし、将来の宝より、今の平安が欲しい。
友達と仲良くした方がいいだろうけれど、一人でいたっていいと思う。
一人で居られる力を付けたほうがいいこともある。
みんなと一緒じゃないで、一人でコツコツと穴を掘るとかね。
穴を掘って、底に座り、一人で壁抜けの練習をする少年なんてたくましい。
穴から空を見上げて人生を考える少女はロマンチックだ。
友達が100人いることを自慢するより、友達が一人もいないでも楽しい人生を送っていることを自慢したい。
友達がいなくても、牢獄で苦しむ人に慰めの手紙を書ける人になって欲しい。
求めるより、求められることを
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ブースに入る前に大きく息を吐いた。
そのせいか、いつもより余裕が持てたような気がする。
話を急がず、待つことができたようだ。そうなると、終わり方に違いが出てくる。
この辺の呼吸は面白い。
いつもだって焦っている訳ではない。きちんと話を聴こうとしている。
対人関係には深さがあるように感じる。
こちらの調子とあちらの調子が関係する。
こちらが余りに調子いいと「頑張ってしまう」傾向があり、上手くいかないことにもなる。
あちらさんだって、話したい時もあれば、聴きたいときもある。
また、テンポ、リズムが大きく二人の関係を左右する。
大きく息を吐いたのは、一呼吸置くことを意識づけるため。
あちらさんの言葉に対して反応を遅くすることで、間ができる。
とくに僕の場合は待つことができない。しかし、間が持てると、待てるようになる。
すると、いつもより早く終わったりする。
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ガソリンスタンドに寄ったら、お兄さんに声を掛けられた。
「・・・大丈夫でしょうか?」
初めの言葉が聞きとり難く、「大丈夫か?」だけが、耳に残った。
「大丈夫か?」。そういわれると、「大丈夫じゃないような気もする」し、具合が悪い顔をしているのだろうかと、室内ミラーを見た。
お兄さんは、もう一度繰り返してくれた。おじさんの耳が遠いと思ったのだろう。
「4000円で大丈夫でしょうか?」
どうやら、僕がお願いした、「レギュラー4,000円分お願いします」という内容を確認するためにマニュアルどうりに言っているようだ。
それにしても「大丈夫」はないと思う。
そういってみた。(いつも余計なことを言うところがおじさんである)
「よろしかったでしょうか。ですか?」と疑問系で聞かれた。
それも違うような気がする。
「4,000円だったでしょうか?」
もう一息。
「大丈夫だったでしょうか?で、どうでしょうか?」
そんな調子で話していたら、4千円分入ってしまった。
僕の車が走り去ると、お兄さんは先輩に、
「まったく嫌なお客様でした」と報告していることだろう。
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東関東の家裁に出かけた。
相続の調停の申立てを行い、待つこと1ヶ月。本日が第一回調停日。
調停というのは、日本人としての常識と知恵を出して課題解決を図ることらしい。
調停員は、弁護士資格を有するものの他、民事もしくは家事の紛争解決に有用な専門知識を有するもの・・・がなるようだ。
民事事件の場合、法律だけでは解決しないことが多く、知識や常識より知恵が大きなウエイトを占めることがあるように感じた。
もともと法律は、人間生活を潤滑に進めるために作られてもので、法律によって生活に潤いが無くなってしまってはどうしようもない。
次回の開催日が1ヵ月後に決まり、裁判所を後にする。
その足で、老人保健施設に行く。
先日、本人面接を実施し、来週、入所が決まった。
ここまで来るのに、施設を5,6箇所回った。
回ってみて、ハッキリ分かったことは、施設のために利用者がいるという現実。
サービス業という観点から、「いいお客」と「悪いお客」がいる。施設は、いいお客を選ぼうとする。(当たり前)
しかし、客の方は、福祉に対して「ある期待」を持っている。
期待を持つことより、施設を上手く利用することを考えるべきなのだろう。
だって、利用施設なのだからね。
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ソーシャルワーカーとして仕事をしていて、これでいいのだろうかと感じる時がある。
それでいて、「いいんじゃない」と、言われても納得できない。
それは、自分が一番「それじゃよくない」と思っているからだろう。
「どうしたらいいの?」とアドバイスを求めて凄くいい回答をもらっても、少し時間がたつと、「そんなに上手いくはずはないよね」と思い直す。
そんな時には、自分が回答出すことを拒否していると感じる。
「そう簡単には行くはずがない」と信じているから、どんなにいい答えでも、「だめ」な回答に見えてしまう。
問題を複雑にしているのは、クライエントではなく、自分。
問題を解決しないことを選んでいる。
問題が解決しないことの方がいい。
そんなことをいうと、「絶対に違います。すごく解決したいんです」と言い返される。
相手の人は困っているのか聞くと、「困っていないですね」と云う。
「じゃあ、誰が一番困っているの?」と聞くと、
困った顔になる。
そして、「私かもしれない」と。
「じゃあ、問題を解決しないでいると、あなたはずっと困っていられるのね」と意地悪をいうと、
「そうかもしれません」と言われる。
問題を抱えていることが心地いいってこともある。
痛みが少しあった方が生きている実感を感じることもある。
人間って難しい生き物だ。
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リーガル・サポート主催の成年後見無料相談会に相談員として参加した。
今年は、午前中にNHKの取材が入り、お昼のニュースを見た人が4、5人、相談者に来るなど、反響が大きかった。
夜のニュースでは、岩手の社会福祉士・木村氏が取り上げられるなど、編集にも工夫が見られた。
成年後見、遺言、相続については、市民の関心が高まっていることは、行政相談をしていても明らかである。
しかし、ニュースで、後見人についてアナウンサーが読み上げるときには、「弁護士や司法書士などの専門家」という。どうして、社会福祉士が出てこないのだろう。
成年後見の業務の中心は被後見人の生活の保障だと感じる。だとしたら、「社会福祉士等の専門家」と呼んで欲しい。
そんな時代もすぐにやってくるだろう。
しかし、そうなるためには、独立・開業して成年後見事業を行う社会福祉士が、東京で100人、全国で800人、被後見人10万人位の数字が必要だろう。
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空を飛ぶ
と、いっても飛行機ではない。
空中に浮かぶ。
といっても、身体ではない。
昨日から、ベッドに横になって、身体を浮かせる練習をしている。
まずは、身体の皮の上の部分と下の部分に気持ちを動かす。幸運なことに身体が太いので、上と下がハッキリと区別しやすい。
気分的には、けっこう、できるようになる。
続いて、身体がベッドから離れて浮いた状態にする。
こちらも、少しづつ、浮き落ちる、浮いては落ちるをくり返す。
どうしてこんなことをしているのかといえば、村上春樹の「壁抜け」には体力がいるという文章を読み、リハビリの一環と、寝ながらできる運動だと気がついた。
昨夜は、一回にして、浮くことができた。とても気分がいい、浮きながら下を向いたら、そこに僕は居なかった。つまり、ホントに浮いているということ。
おりようとしたら下りられない。
困ったなっと思ったら、目が覚めた。
さて、どこまでが現実で、どこからが夢だったのか?
もう一度見ないと判らない。
ということで、今晩もベッドから浮くリハビリはつづく。
皆さんもどうですか。
あなたの好きな国に飛んでいけますよ。
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まとまらない話が纏まってくると、それは、物語になる。
自分が何を悩んでいるのか分からないときには助けを求めようにも、何を助けて欲しいのかさえ判らない。
そこに介入する。
介入すると言っても、話に口を出すわけではない。
むしろ、口を出さないようにする。これが難しい。
口を出さないで何を出すのかといえば、気持ちを吸い取る紙のようなものを出す。
どうぞココに吐き出してくださいと言うような吸い取り紙を。
そんなときに体力がいる。
話をするということは、持っているモノを吐き出すこと。吐き出すためには抱え込んでいる状態がある。抱え込むには体力がいる。(何をするにも体力はいる)
一度吐き出すと、身体が軽くなる。気持ちいい。何しろ重くてしょうがなかったものだから、気が軽くなる。すると、もっと軽くしたくなる。(欲が出るんだね)
そうしてバラバラの話が繋がってくる。オレはこんなことを感じていたのかとハットする。
聞いているほうも、あれは、こんなことだったのかと理解する。
だんだん物語ができてくる。
そして
主人公が現われる。主人公は自分の場合もあり、そうじゃないときもある。
主人公は、だいたい、苦難が襲う。
怪獣やオオカミに襲われたり、嵐や竜巻に巻き込まれる。
くるしい、しかし、どうすることもできない。
そんな時、偶然のように助けが現われる。(ここが物語のいいところ)
白馬に乗った王子さまが出てきたり、へんてこなオジサンがスーパーマンだったり、自分に突然力が湧いてきたり、想像できないような事件が起きる。
主人公は戦いに勝つこともあれば、自然現象によって悪が滅びることもある。
そこから先は、急にいい気分になる。解決したような気になる。
すっきりする。
ハッピーエンドにはなっていないが、もうエンドロールは見えたも同然。
物語のいいところは、話が完結するところ。完結しなくても「つづく」と画面に出てくるだけで、良かったと思えるところ。
そんな訳で、物語はつづく。
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ソーシャルワーカーは、体力がいる。
ものごとを集中してやるには、それなりの体力を使うのは当たり前。
一般に面接は頭を使うと思われているようだが、実は頭より、身体を使う。
体力がないとロクナ面接はできない。
いや、面接の方向が変わってしまう。
まず、相手のイメージをつかむには、相当の集中力がいる。
何しろ、もやもやした訳の分からない雰囲気をつかみ、色を付け、形にするのだから、それは疲れる。
続いて、相手の懐に入らないといけない。
「えっ、そんな所には入れませんよ」というような所に入るには、それは力がいる。力といっても、ただ押したり引いたりする力ではない。
相手だって、入らせないように力を出す。大物は大きな力を持っているから下手をすると吹っ飛ばされる。
エネルギーの大きい方に引き寄せられるというエネルギーの法則がある。へなへなとした体力では全く歯が立たない。
しかし、相手に負けないための体力ではない。自分が立っていることができる体力だ。
まずは、腹筋からはじめよう。
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土曜日は、殆どの会社が休みなので街は静か。電話も掛かってこないので事務所もシーンとしている。
そんな時には書類の整理に励む。
しかし、整理といっても結構時間が掛かる。
普段から、個人ファイルに書類と領収書を分けて綴じている。それでも書類が多くなるので、報告に必要な書類(重要書類や領収書)とそれ以外の身上的な書類を分けることにした。
そして、個人別ファイルから、分野別ファイルにし、領収書が届いた順番に綴じられるようにしてみた。この作業だけで午前中を費やした。
こうした書類の整理とゴミ捨てをしないと、机の上は紙で一杯になる。
ペーパレス社会になるといっていたが、紙で管理する以外にはまだまだできないことが多いようだ。
午後は、会社の経理を纏めて打ち込む。経費の計算を半年ぐらいやっていないので、こちらも時間がかかるだろう。
土曜日も結構忙しい。
明日も明後日も仕事です。
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共働学舎新得から届いたとうもろこし。
「今日のお昼はこれよ」と渡された。
大変甘い1本半。
でも、何で昼飯がとうもろこしなんだ?
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五郎さん(仮名・年齢不詳)は、ますます仙人のようになってきた。
「五郎さん、こんにちは」
「やあ・・」
「ごはん食べましたか?」
「ああ、食べたような気もするね。さて、どっちかね」
「さあ、どっちでしょう」
「そんなことはいいから、すわりな」
「はい。そうします」
五郎さんはよく寝る
「五郎さん、よく寝ますね」
「そんなことないよ。今こうして起きてるだろ」
「そうですね」
「そうだよ」
と、いいつつ又ウトウトする。
そして、目を開けて
「いま、寝ていたような気がするが、夢かな?」
「夢でしょう」
「そうか、起きていても夢を見るのか」
「どんな夢でした?」
「そんなことは、もう一度見ないと分からないよ」
五郎さんは教育番組が好きだ
「五郎さん、難しい番組見てますね」
「そうかい」
「日本語の勉強しているんですか?」
「そうでもないけど、見てると勉強になるね」
「ずっと見ているんですか、このチャンネル?」
「まあね。回さないからね」
「こだわりがあるんですね」
「動かないことにはね」
五郎さんの手はきれいだ
「きれいな手ですね」
「そうかい」と手を裏に表に返して眺める
「つめもきれいですね」
「そうだな。きれいだな」
「指に皺がありませんね」
「ないね。他にもないものが沢山あるよ」
「何がないんですか」
「いまは言わないけどね」
「教えてくださいよ」
「手がね、教えてくれるよ、そういうことはね」
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SWM (ソーシャルワーカースキルアップ講座)が毎月続いている。
この、続いていることに価値を見出している。
昨日も新しいメンバーが参加してくれた。
新しいメンバーが参加すると、講師は逃げられないように声が大きくなる。
では、振り返ってみましょう。
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昨日、ショックなことがあった。
名古屋に申し込んだ研修申込書が仙台に着いていた。
これは、僕のミス。ファックス番号の最初(一番上)に送ってしまったところ、そこが仙台だった。
また、税務署から今年の所得税が支払われたいないという通知が来た。
中を開くと、1月分から半年間の支払い額と税額、さらに税理士に支払った額を記入するようになっている。これも僕のミス。
早速、税務署に行き、所得税非課税の手続きをする。給与が一定に達していない場合や、扶養等の家族によって非課税になる場合があり、僕と役員の妻は二人とも非課税だ。と、胸を張ることもできないが。
早く、所得税を支払うような高額所得者になりたい。(本当はなりたくない)
また、夕食を食べていたら。お弁当の話になり、僕と少年(子ども)の弁当のおかずが違うということが分かった。
これは、本当にショックだった。
少年には、血となり肉となるように精がつくおかず、僕は、もう成長しないだろうから、油の少ないパサパサした食材。
ああ、肉汁たっぷりのものが食べたい。
体重計に乗ったら、70キロオーバーとなっていた。
体脂肪率もアップしている。上半身ばかりのストレッチをしていたせいで、全体に運動不足。
やはり、油と酒は控えよう。
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昨日、プールに行きました。
流れるプールで、流れながらストレッチをして、2周。
その後、25mプールで300m泳ぎました。クロールで15m泳ぎ、残りの10mは平泳ぎ。
顎を引いて、肩を回すと、なんとかクロールぽくなりますが、息継ぎをしようと左肩が下がった瞬間に激痛が走ります。それで、15mノンブレスで泳ぎ、残りを平泳ぎにしました。
調子に乗って、途中、バックをしました。水から腕を上げようとした時、再び激痛が走り断念。プールから上がり、ジャグジーで休憩しました。休憩が長くなってしまい、すこしのぼせたので、プールサイドのリクライニング・シートに15分寝てしまいました。
その後、流れるプールを走りました。走りながら、両手を合わせて高く上げました。思った以上に高く上がるので、嬉しくなり、ばんざいをしながら走っていたら、小学生の女の子に変な顔で見られました。
その子と顔を合わせにくくなったので、再び25mプールに行き。300m泳ぎました。
帰りに、更衣室でシャツを着ようと腕を上げたら、100円玉がコロコロと何枚か落下。100円を拾おうか、半分通った腕をシャツに入れようか考えましたが、大人としてシャツに腕を入れるべきと思い、作業を続けました。
その場にいた小学生の男の子が、゛肩がいたそうだね゛という顔で100円を一生懸命に拾ってくれたのでお礼を言いました。
帰宅して、輪ゴムのストレッチをもちろんしました。
しかし、まだ、腕立て伏せはできません。
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自宅事務所。
左側に見えるパソコンは、先日突然液晶が割れてしまったもの。
妻が新しいパソコンを買ったので、液晶も貰った、それが右側。
ノートパソコンのキーボードを打ちながら、別の液晶画面を見ると、壊れたPCが目に入ってくるので、ノートPCは閉じることにした。(それになんだか悔しいしね)
そこで、キーボートをどうしようと考えていたら、使っていない゛親指シフト゛があったので,それを使っている。(手前)
親指シフトは、富士通のオアシスで10年以上お世話になった。日本語入力にこだわった傑作である。しかし、パソコンが一般化すると共に衰退してしまった。(そういえば一太郎も)
親指シフトの凄いところは、右手左手を同時に使い、ひらがなを拾うところ。打鍵数が非常に少なくて済む。(親指を同時に打鍵するのでこう呼ばれる)
脳トレにいいんじゃないかと思っているんだけど、どうでしょう川島さん。
しかし、10年前にはブラインド・タッチできた親指シフトも、普段ローマ字入力をしているから、こんがらかってしまい、間違いタッチが多くなる。
それでもイライラしないところは、年齢のせいかもしれない。
見えませんが、左手に、熱帯魚が8匹泳いでいます。
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独立するということは、基本的には一人で仕事をすること。
少なくとも、ソ-シャルワーカーという仕事は一人ですることが多い。もちろん、チームで関わることもあるけれどね。
しかし、上手に独立するためには゛みんなとうまくやる゛ことが大切といわれる。
もちろんそうだと思う。
何事も一人ではできない。
そうはいっても、会社で仕事をしながら、組織の利益を守るために個を無くすことに我慢できなくなったから独立したのにと思う。(個人的には、協調性がなくて独立した)
例えば、ケアマネをやっていると、事業所に雇われていても独立していても、やっていることは同じ。行政に管理され、個人の裁量というものが殆どない。(会社=事業所が管理する必要がない。管理は行政がやってくれるから心配はない)
経営や管理業務がない分、事業所に所属している方が独立ケアマネより自由時間が多いかもしれない。
その他の委託業務についても、集団や組織、団体に所属する。
会のため、組織のために仕事をして報酬を得る。もちろん、そのなかでも自分らしさを発揮することはできる。
成年後見業務についてすべてが独立した仕事ではない。むしろ、しっかり管理された仕事だと考えた方がいいだろう。裁量については、ケアマネより大きいが、基本は国からの委託業務だ。
そう考えると、独立社会福祉士(ソーシャルワーカー)が経営を考えた場合、゛独立゛してできる仕事はかなり限られてくる。
本来のソーシャルワーカー的仕事がなかなかできないことが現実だろう。
ソーシャルワーカー的仕事とは何か。
相談業務だろう。
相談契約により、クライエントから報酬を得る仕事がそうだ。
ソーシャルワーカー契約を結び、相対契約により、クライエントの自己実現を支援する仕事も考えられる。また、後見相談や申し立て支援もそうだろうし、ソーシャルワーカーに対する支援も考えられる。(その他にも、いくらでもあるだろう)
既成の仕事ではなく、契約によりクライエントをエンパワメントする仕事を、ソーシャルワーカーの゛独立的業務゛と呼びたい。(仕事を貰うのではなく、仕事を創る)
そうした仕事は収入の1割から、月によって2割程度である。(当事務所の場合)
それが、独立(自主企画の仕事)業務が3割、成年後見等業務(自由度の高い委託業務)4割、その他の仕事(委託業務や行政の委員、講座講師、役員など)が3割程度になるようにしたいものだ。
※委託業務は相手の都合に振り回されるので、収入割合を減らす努力を行うことは、経営の健全化にも繋がる。
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相手の悩みが分かってしまうときがある。
分かると辛い。
なぜなら、自分も同じ悩みを持っているから。だから、そこから抜け出したい。すぐにでも、逃げ出したい。そうしないとどんなに危険な状態か知っているから。
そうした時、あまりに深くコミットしてしまうため、自分を見ている自分が゛消えてしまう。
それまで、゛そういってもね、大丈夫じゃない゛と言ってくれていたあの人が居なくなる。
自分の心が一致してその人めがけて突入しようとする。気が一本なので、気持ちがよく、高揚感がある。
気がつくと、アドバイスをしていたり、最高の提案をしている。だいたい、自分で最高の提案だと感じるアドバイスほど、どうしようもないものはない。
相手は、その提案に魅力を感じることはあっても、受け入れることはない。だって、自分で考えた案じゃないからね。
そして、゛この人、私のこと分かっていない゛と感じる。
どこか違っていると感じる。
そうなると、どんとんズレが大きくなり、修正不能に近づく。
それでも、僕は、懸命に説得を続けようとする。気分的には、「もうすぐだ」と感じている。
しかし、現実は、もうすぐ関係は終結するとも知らず。
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「マイケル・ジャクソンが遊びに来たらね、どうすると思う?」
と聞く妻。
「分からない」と答えると。
「ゆで卵を出す」と、嬉しそうに答える。
最近、美味しいゆで卵の作り方を覚えたと、自慢げに話し始める。
「6個のゆで卵を鍋に入れ、卵の6合目まで水を入れ、沸騰したら蓋をして、6分待つ。どんなにぼこぼこいっても、蓋は開けないんだよ」と、少年に説明している。
興味なさそうに少年は、卵にマヨネーズ付けている。
今度は、卵を剥きながら。
「ほら、殻が簡単にむけるでしょ」と、サッと皮をむき、皆に見せる。
「白身がプルプルして美味しそうでしょ」と云うが、僕は、すでに一気に口の中に放り込んでいた。
マイケルがこれを見たら、
「僕みたいに白くてきれいだね、ポウ」と言うだろうか。
妻は、最近ドランクドラゴンの塚地さんに似ていると、「ほぼ100円」(はねるのとびら)を楽しみに見ている。
先日も、「あの赤いワンピース着たらそっくりよ」という。
ほぼそっくりだと認めている少年と僕は
「それだけは止めてくれ」と、説得した。
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子どもの時、台風が来ると興奮した。
昨日、夜中に帰宅すると、カーテンを開け森を見ながら興奮している少年がいた。
少年にとっては、明日の朝、暴風雨警報が出ていれば学校が休みになるのでただ事ではない。
僕が小学生の時、大きな台風が来る前には、雨戸を閉め、雨戸が外れないように斜めに材木を当て、釘で打ちつけた。それは男の仕事だった。
台風は男の活躍する場面が多かった。
夜になり、お決まりのように停電した。
用意してあったラジオをつけ、懐中電灯とろうそくの中で食事をした。
部屋の中が暗くなり、影が長く伸び、狭い部屋も何処かの別荘にいるように気分になり興奮した。
いつものご飯が、とても美味しく、不思議な食べ物を食べている気分になった。
しばらくすると、天井から雨漏りが始まる。
平屋で瓦葺の屋根は、横風で瓦のすき間から雨がしみこんでくる。
これも、準備万端。
こんどは子どもの仕事。用意してあったタライや空き缶を雨漏りの下に置く。今日は、どんな音をさせようかと、拾ってきた空き缶を置くと、「うるさいからタオルを敷きな」と声が飛び、作戦は失敗に終わる。
食事も終わり、することがなくなると、親父の出番。「怖い話でもするか」と、昔話をはじめる。しかし、ネタが少ないのですぐに終わり、話は、親戚の噂話や、近所の面白いおじさんの話や、数年前に行った旅行の話になる。
そこに、突然電話がなる。
電気が切れても、電話は生きている。その頃は黒電話で、大きな音が3回。
誰も電話に出ず、“こんな夜中に誰だろう”という顔。
仕方がないと、母親が出ようとすると、電話が切れる。
そして、しばらくして電気がついた。
電気がつくと恥ずかしいくらい明るく、自分たちがしていたことがバカらしくなり、黙って後片付けを始める。
それにしても、あの電話は誰からだったのだろうと、今の不思議に思う。
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相談者中心アプローチ(パーソンセンタリングアプローチ)を心がけているが、巻き込まれてしまうと問題解決型のアプローチをしていることがある。
問題を抱えている人は、相談者であるのに、その問題を解決しようとしたり、解決できると思い込んでしまう。
ディブ・メアーズ著「パーソンセンタード・カウンセリングの実際」によると、“「賢いと」思われたい気持ちに注意する”と言っている。
自分が賢いと思っている人は少ないだろうが、賢くないと思って相談を行っているカウンセラーも少ないだろう。
つまり、相談をする側にいると言うことだけで充分に過信する要素を持っていることになる。クライアントを救いたいとか、助けてあげたい、又は、自分の援助によってクライアントが変わるのではないかと信じることは多い。
そうした確信は経験を通じて作り上げられるし、実際に上手く行くこともある。ここが難しいところだろう。
相談者の問題が見えてしまう時がある。それは経験上、彼(彼女)は今、こういう問題に陥っているから、アプローチはこれだという具合に。
しかし、たとえその場は問題が解決できたように見えても、また、相談者が感謝の言葉を話したとしても、相談者の本質は全く変わっていない。
相談は、カウンセラーのためにあるのではない。
しかし、問題解決アプローチは、相談者よりカウンセラーの満足度を高める効果があることも事実である。
そうしたアプローチを何度やっても、クライアントは違った問題を持ってくることになる。そして、カウンセラーを試すように、より難易度の高い問題を持ち込んでくる。まるで、予備校の先生が、より難しい問題を解決した時に褒美をくれるかのように。
そうしたゲームから抜け出すためには、「クライアントと共にいること(プレゼンス)の質の向上に努める」と、メアーンズはいっている。
共にいるとはどういうことだろう。
クライアントのプロセスに従って、側にいること。
昨日も、ゲーム好きな僕は、誰が主人公であるのかを忘れ、相談者の見方になれると信じてしまった。
他人の人生を生きることはできないと知っているんだけどね。
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コミュニケーション理論の中でチャンネル理論(勝手にそう読んでいる)がある。
人と人の関係は、ラジオや昔のテレビの周波数を合わせるように、お互いの周波数が合うと心地よいコミュニケーションが取れるという考えである。
ゲルマニュウム・ラジオを作り、つまみを操作し、聞きたい周波数に調整する。初めは、甲高いジージーした音が突然消え、ラジオの向こうから声や音楽が聞こえてくる。
テレビについても、つまみを回し見たい番組に調整した。NHKを6チャンネルにすることもできる。
こうして、チャンネルを一度あわせると、次からは、チャンネルを回すだけでテレビやラジオとコミュニケーションが取れる。
同じことが人間についてもいえる。
認知症と呼ばれる人がいる。
その人たちは、コミュニケーションが取りづらいといわれる。コミュニケーションが取れないから、意思が明確でないとか、判断能力がないと言われるが、本当にそうかは分からない。
コミュニケーションが取れない理由は、認知症と言われる人にだけ原因があるのではなく、それらの人と同じ周波数で話をすることができない僕らの問題でもある。
それらの人と上手く会話ができる人がいる、会話が噛み合う瞬間がある。
今日も、十人以上の認知症といわれる人と話をした。
そんな時に、何かのきっかけで、周波数が合う瞬間がある。それが初対面でもね。
一度周波数が合えば、そこにチャンネルをセットする。
そして、時々チャンネルを合わせて、心地よい関係を作るようにした。
相手の思考に合わせるといいとミンデルも言っている。
目の前にいる人が、いまその瞬間に思っているように思うことができれば、それは、その人と同じことが考えれれるはずである。
それは凄く疲れる作業だろう。
何も考えないインタビューで疲れた僕にとっては恐ろしく遠い作業のような気がする。
そういえば、子どもの時、兄弟でチャンネル争いをし、バチバチと回すものだから、チャンネルがバカになり、チャンネルに遊びができてしまった。
いくら回しても、4チャンネルのままだったり、真ん中のチャンネルができたりした。
認知症と言われる人たちは、いま、4チャンネルと6チャンネルの間の新しい番組を見ているのかもしれない。
それは、ローカルなテレビ神奈川じゃないと思う。
もうすぐ僕らも見れるだろう。
メインキャスターは、滝川クリステルがいいなぁ。
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話といえば、相づち。(強引に話を進めようとする)
相づちといえば、おばさん。
おばさんは、相づちの名人である。その生態を観察すると、相づちプロへの道が近づく。
まず、構え。
相づち名人のおばさんは腰が低い。足が短いともいえるが、ココは、腰に注目。
身体の重心が下にある。そして、足を踏ん張っている。下半身の安定に反比例して、上半身は自由に動く。ココが大切。
手、肩、あご、目、鼻の穴、口などなど、動くものは総動員して話しに参加させている。命令を下すと、ビリーに命令された隊員のように、てきぱきと動き出す。
次に、呼吸。
よく観察すると、吐く時に気持ちを出している。呼吸と一緒に見えないクモの糸を吐き出して、相手を捕まえることができるようで、一度捕まると、1時間はその場から逃げられない。「ここから逃げたら怖いわよ」という、ひくーい声が聞こえそうだ。
最後に、相づち。
一番凄いのは、自分が会話に参加していないとき。そんなときも気を抜かない。
話を聞いている人以上に大きな相づちを打つ。横にいても存在感が大きいのは、無言の相づちのせい。それに押されるように話が弾む。
弾みすぎると、亭主の夕食を作ることを忘れる。
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話が止らない奈々子さん。
会った時から、もう3時間も話をしている。話が止むときは、誰もいなくなるトイレぐらいだ。
人が話をするときには、「私を分かって欲しい」という欲求がある。本当に分かってくれる人が側にいるときには、そんなに話をしないでもいい。
黙っていても、理解されていると感じるものだ。
それが、話が止らないとは、いくら話をしてもその言葉が受け止められていないと感じるからだろう。言葉が上滑りしているときには、会話としては噛み合わない。ズレが生じても一向に構わないという具合に、言葉だけが口から溢れる。
どんどん溢れ出すと、その言葉の洪水に溺れそうになり、余計にもがこうとして、話のスピードが増す。
そんな時には、ゆっくり休んで横になってもらうことが一番いい。
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ブログは誰かに書いている。
しかし、殆どの読者は、名前を名乗らない。
だから、さびしい。
ココログには、アクセス分析という機能があり、訪問者に名前を付けることができる。
そこで、勝手に名前をつけている。(かってにごめんなさい)
それは、こんな具合。
「久しぶりです山田さん。最近ご無沙汰してましたね。今日はゆっくりしていらして」と、なぜか女ことばになる。
名前は、果物であったりする。
「りんごちゃん、こんばんわ。いつも夜遅く来るんだね。気をつけて帰ってね」と、身体のことが心配になる。
名前は、外国人だったりする。
「ハーイ、シンディー。君は、プロフィールばかりみているけど何か気になるのかい?」と、オーバーアクションで会話する。
友達が少ない僕の、唯一の楽しみです。
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ケアマネ講座=その10
久しぶりである。
ケアマネジャーにアセスメントの話をするので、情報について考える。
情報というと、医療情報、生活情報、身体情報、環境情報、家族・・・と様々な情報がある。それらを集めることをアセスメントだと考える人が多いと思う。
ケアマネがアセスメントと言う場合、情報の量や中身だけでなく、利用者のプランを立てる上で必要なものをいう。つまり、必要でない情報は収集する必要はない。
では、必要な情報とは何か?
これは難しい。なぜなら、人によって違うから、又は、その時や場合により変わるからだ。
一般的には、情報を集め、分析してからプランを立てるというやり方が多いのかもしれない。一方、目標を達成するためにプランを考え、そのための情報を集めるというやり方もあるように思う。
情報は多い方がいいと考えがちで、ついつい、必要でない情報まで集めてしまう。
少ない情報でも想像すること、イメージをつかめるようになることは必要で、最初の面接から感じたことが一番重要な情報だったという場合もある。
情報に振りまわされないことが大切だろう。
例えば、
「認知症で、要介護・・、家族の介護負担が大きい」という情報が初めに入った場合、さて何を考えるだろう。
または、
「糖尿病でカロリー制限・・・、インシュリンの自己注射をしている」とか、
「都営住宅に住み、部屋の中がゴミだらけで、蠅やゴキブリが大量にいる」とか
「家族の中に介護保険を受けることを反対している者がいる」とか、
そうして情報は意味がある。
しかし、それだけである。それ以上の意味はない。
一番大切は情報は本人だろう。
本人の希望が情報を裏切ることはしばしばあることだ。
どんな情報も本人の存在がなければ何の意味もない。そういう意味では、本人からどれだけの情報が得られるかが重要で、面接がケアマネの基本だということがわかる。
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寮舎新聞の編集後記(後書き)をまとめた。
ケッコウ時間がかかり疲れた。
文章にも手を加え、編集しなおした。
僕が言っていることはしつこいくらいに同じ。まあ、しょうがないけどね。
ついでに表紙のカットに沢山使ったタカの絵を掲載した。
こちらは、今見ても凄い作品が多い。実物を見ると感心するものばかり。
当時、幼児だった子が今は母親になっている。どこかで会っても分からないだろう。
もし、僕を見つけたら声をかけてね。
御飯をご馳走するよ。
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「ゴリラ」
小学2年ごろの作品

「しんねん」
顔が笑っている

「おとうさん」
パーマをかけ、髭が生えている。1年生の頃の作品。

「そうろう」
先生。煙草を吸って、だらしない所がそっくり。
1年生の時。

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昔、養護施設に勤めていた頃、毎月新聞を発行していた。
読み返すこともなくなったので、編集後記を掲載します。
やっと纏まりました。
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「パズル」
よく見ると色んな魚、人が互い違いに入っている力作。

「キャラ」
職員の似顔絵

「たぬき」
かわいい

「うさぎ」

「ごるふ弁当」
よく分からないがお弁当。

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英語の点が悪くてもスペルを間違うことはない。

「宇宙ねずみ」
実物は出口と入り口がある迷路になっている。とても細かい作品。傑作。

「スケボーをするガイコツ」
このころタカはスケボーにこっており、スケボーにもペイントしていた。

「スケボーする怪獣」
左手に怪獣。右下は波。怪獣は良く見るとけっこう怖い顔している。

「ピース」
なんとなく笑ってしまう。

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「すいか男」
原画は笑えるが、印刷したら怖くなった。

「壁紙」
しましまの魚が泳ぐ壁紙。ちょっとユーモラス。

「メリークリスマス」
こんなクリスマスツリーを飾りたかったのだろう。

「豆まき」
鬼が登場。ガイコツ、怪獣、鬼などが好き。鬼は笑いながら逃げている。

「無題」
これは凄い作品。シュールで細かい。

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ユキオ
スモックを着ている

コウジ
今はボクサー

ヒロミ
今見ても似ている

トシカズ
眉毛がつながっているところがそっくり
タカヒロ
自画像。気分が良く表れている。

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ユウヤ
優柔不断な表情が良く出ている

アキコ
先生とそっくりの体型

ぼく
髪がふさふさしていた頃

中谷さん
特徴をよくつかまえている。
「うま」

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ジョウクラさん(たぶん)

「だいこん畑」
顔はへのへのもへじになっている。

「犬と犬小屋」
狛犬のような犬

「無題」
なんだか分からない。こういう絵が凄い。

「手」

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「旗を持つ魚」

「どこかの人」
不気味さがある。

「にわとり」
これも傑作。線がきれいだ。

「はだかの王様」
なんとなく宇宙人。

「ドクロ」
これは灰皿(たぶん)

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