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2007年7月31日 (火曜日)

助ける

選挙が終わり、混沌とした日本を予想させるなか、小田実逝去の記事を読んだ。

小田氏は、市民にこだわり、人間にこだわった。

著書「状況から」(岩波新書)の”「助ける」ということをについて”のなかで、「援助」の問題を論じている。

援助なんていわんと、「助ける」と噛み砕いて考えていこうじゃないかと云っている。
助ける相手は、国や機関ではなく、・・国に住む人間。その人間が困っているから、「助ける」んだという。

援助の難しさは、援助されてみるとよく分かる。援助は、援助される側と、援助する側にはそれなりの距離が生まれる。

援助される側から、する側へは簡単には移行できないシクミのようなものがある。「あなたは援助される側にいる人」だから、黙ってされなさいという感じがある。

 一方、「助ける」には、生身の痛さが感じられる。助ける人は、助けられる人に接しないと「助ける」ことはできない。道端で横たわっている人を「助け」ようと思えば、その人に身体の下に腕を入れ、力をこめて起こさなければならない。当然、その時に、その人の人間としての感覚を感じる。

その場の決断が求められ、この先も「何らかのコミットメントしますよ」という意志を持つ。

小田は、関西と関東の人間のお金の出し方の違いを述べている。
たとえ10円でも、関東の人は「何らかの理屈」を述べなければ決して払わないといい、関西人は、それが損か得かを見極めて行うという。

「助ける」とは、絶えず決断が求められる。

具体的な行為だけに、何をするのか、どこまでするのかということが。しかし、なぜ助けるのか、誰が助けるのかを考えていたのでは、助けて欲しい人はその場には居なくなってしまう。

それが「状況」なのだろう。

僕たちは、ある時「助ける」人となり、その後「助けられる」人に代わる。

今ある状況の中で、するかしないかを、今決める必要があるのだろう。

小田さんの太い声が雷と重なり響いている。

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