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2007年4月18日 (水曜日)

横浜

「待つことには、偶然の(想定外の)働きに期待することが含まれている。それを先に囲い込んではならない。つまり、ひとはその外部にいかにみずからを開きぱなしにしておけるか、それが『待つ』には賭けられている。ただし、みずからを開いたままにしておくには、閉じることへの警戒以上に、努めがいる。<待つ>は、放棄や放置とは別のものに貫かれていなくてはならないからだ。」と鷲田はいう。
待てなくなった私たちは、予定を立て、計画を練り、予定通りにコトが進んだ時「よかった」と思う。予定通りに行かないプロジェクトは消失し、そのものの存在自体が無かったことになってしまう。
予定を立てたら、待つ必要はない。一刻でも「早く」実現することが、効率的な仕事であり、その成果として様々なモノを得ると考えるようになってきた。
そうして獲得したモノを増やすために、再び計画を立て、すばやく実行に移し、さらに大きなモノを得ようとする。そうした再生産の繰り返しが経済であり、社会だと考えられている。
あまりに「はやく、はやく」と急いでいるうちに、自分が何をしているのかが分からなくなるのではないだろうか。
これでは、銃社会というジレンマを抱えるアメリカと同じではないだろうか。
自営のために銃を持つ。防衛には銃が必要だと考える社会である。
ここで問題は、仮想の敵も同じように考えること。つまり、銃社会においては、防衛のためにより高性能の銃を持ちつぢけ、絶えず自分以外の敵が攻撃してくると想定しなければならなくなる。
待てない社会においては、スピードが人間を麻痺させている。
多くの利益とモノをすばやく獲得することを優先する社会では、効率が優先される。成果は予定されたものであり、その量と速さを競うようになる。
妻が最近取材した出産にまつわる医療では、生まれる前の胎児をビデオに録画する技術が進んでいるという。
自分の子どもが生まれていないのに、お腹の中での様子がカラー映像として全て丸見えになってしまう。性別のみならず、障害、癖までわかるという。技術の進歩は、胎児診断や胎児治療にまで及びはじめた。
生まれるまで待てないと考え始めると、子宮に居る時間も無駄になると考え始めるかもしれない。効率的に、自分の遺伝子を受け継ぐ人間をすばやく創造するような社会が来るのか。
一方、待つことは、予定にないことが含まれると鷲田は言う。
人間の力ではどうしようもないから待つ。時間が過ぎないと解決しないから待つ。来ないかも知れないが、ただ待つ。
待つ作業には祈りが似合う。
かなわないかも知れないが、希望はもっている。
待つことが似合うのが恋人たちだが、最近の恋愛は待たない。プロセスがなく、結果がすぐに訪れる。
それでは、結果が分かってしまうと恋愛をしない、自分が傷つくような恋愛をしない者も増えるだろう。恋愛においても、プランを立て、達成目標を決めてから動く。成果の予想が80%の場合にはメールをするとか、そういう風になるのだろうか。
十代の終わりに好きな人に会いたくて、待ちきれずに自転車で横浜まで走り出したことがあった。住所を知っているわけでもなく、電話番号もしらない、何も分からないがとにかく走り出した。
走っていると、「もし会えたらどうしよう」と妄想ばかりが浮かんだ。
横浜に向かって走っているうちに、着いたところが川崎だった。それでよかったような気がした。
待つことの苦手な僕は、目的もないまま、今も横浜方面に向かって走っている。

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