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2007年3月 8日 (木曜日)

分からないということ

仏教とキリスト教の違いについて書かれた本を読んでいる。
面白かったのが、キリストは30代で処刑された戦いの若い宗教であり、仏陀は、80代で自然と動物に囲まれて亡くなった老人の宗教という件だ。
契約と戦いにより血を流して獲得する宗教と、曖昧の中で生き抜く宗教の違いを理解することは、福祉サービス利用者の心情を理解することに繋がると思われる。
戦後民主主義教育を受けている世代になっても、心の奥底では日本的仏教の世界が残っていると感じられる場面に出会うことが多い。
特に「困っている」という相談の殆どが、「困っている」部分を解決することでは何にも解決しない、否、「困っている」ことさえ解決したくないと考えているのではないだろうかと思わされることがある。
できないことがある自分を、「できる」ようにするために、サービスを使うことを希望しているのではない。
では、何がしたいのかと聞かれると、「分からない」になってしまう。
「分からないが、困っていることは事実」だから、困る。
夫を亡くした老女は、生活の全てに手が付かない。「いっそ、夫の後を追って死にたい」というが、そうすることもできない。
彼女は、福祉的サービスを拒否しているのではない。福祉的サービスでは自分のココロに空いた「穴」はふさがらないといっている。
こうした時、仏教的な教えは、
「そうしてもいいし、そうしなくてもいい」となるのか。
つまり、どうしようもないといっている。解決はできないが、解決しないことが悪いことでもないといっている。
じゃあ、どうしろというのかと聞けば、
「どうしてもいいし、どうしなくてもいい」といわれそうだ。
わかったような、分からないような。

それが生きるということだと仏陀は言うのか。

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