« 余計なことはしないでよ | トップページ | 飴 »

2007年2月24日 (土曜日)

下からの愛情

愛情は絶えず上から下へ降りてくるものだと北山はいう。
「小さなものが大きいものを愛すること、目下が目上を愛すること、弱者が強者を愛することは視野の外に置かれ」ているという。
愛情を援助に置き換えてもいい。援助についても、援助するものと援助される者の位置には上下関係がある。
援助されるものの言葉は「ありがとう」であり、「どういたしまして」にはならない。援助される者が援助するものに語る言葉は、たとえ、援助者への「愛情」であっても、「甘え」と捉えられるのは、その位置が決まっているからだろう。
だからこそ、タコ八郎が「迷惑かけてありがとう」と言うとき、援助を受けるものと、援助をするものの上下関係が崩れてしまう。(タコ八郎については過去の記事をお読みください)
タコに援助をしいると信じていた人たちは、その言葉により、相互の関係性が逆転していることに気づかされる。一体どっちが援助受けていたのか分からなくなる。
援助をする生活が長く続くと、自分の位置が当然と感じるようになる。役人が、仕事として「援助」を与えようとするとき、「援助を拒否する市民」に向かって「生意気」と感じるのは、関係性からすると当然の感情だろう。
母親が、子どもを可愛がることが当然のように、困っている人が援助を受けるのは当然と感じる。「可愛そうな」人を、可愛がるように、困っている人を救うことは当然なことだと信じている。
一方、援助する側の人間が、病気になり事故にあって、援助を受ける側に回るときに起こる気持ちの変化は面白い。援助を上手に受けようと、必要以上に「感謝」したり、相手の気持ちを尊重しようとする。病院でいい患者を演じようとする父親は、会社では部下の面倒見が良かったりする。(相手の気持ちが分かっているから逆に出る人もいるけどね)

大人社会でも、人に優しく、お世話好きのひとが、自分にも優しくして欲しいと他人に要求することは多い。
こうした関係を崩せる存在は、子ども(赤ん坊)である。彼ら(彼女ら)は、本能的に愛情を押し売りする力に長けている。そう、タコ八郎も子ども以上に、下から上へ愛情表現する言葉を持っていたんだろう。

|

« 余計なことはしないでよ | トップページ | 飴 »

あいまいの知」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/160222/14025240

この記事へのトラックバック一覧です: 下からの愛情:

« 余計なことはしないでよ | トップページ | 飴 »