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2007年2月25日 (日曜日)

演技者としての私

私は私を演じているという感覚がある。
私と私は同一であるが、自分らしい私を演じることで、私と私のバランスをとっている。
私は私のことが嫌いだと感じている。
その一方で、私のことが大好きで、鏡を見たり自分を傷つけたりしては私を確認する。
人前では、好かれる私を演じる。
利用者の前では援助者の私を演じる。
子どもの前では、優しい母親を演じる。
それでいて、どれ一つ本当の私じゃないと感じる私がいる。
じゃあどこにいるんだろと、私は考えるとき、そこに私はいる。確かにいる。
その私は、とても醜い顔をしているのに大好きな私だ。
大嫌いなのに大好き。
誰にも渡したくない。
誰にも見せたくない。
もったいなくて息をするもの苦しいくらいだ。
ああ、もうイヤになったと、放り投げたいけれど。
重たいので空には飛んでいかない。
地べたを這うように生きていくしかない。
食べたくなくても食らいつくしかない。
気がつくと、演技をしている私がいるだけ。
演技をしているうちに、それが私となる。

(大好きなKさんへ)

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コメント

重たくて空は飛べない躰でも、電車に乗れば結構動ける。線路が続いているならば、他人の力でどこへも行ける。
電車は乗るものだ。電車に向かって飛んではいけない。昔、オレンジ色の電車に幻惑されて飛びそうになった人がいる。その人は今、新しい電車に乗りたくて中央線沿線移住をもくろんでいる。
流れ者には流転する力がある。どこにいっても「私」は私。住めば都、演技だって恋にもなる。やってるうちに何か変わるかも、でも何も変わらないかもしれない。それでいい、それでいいのだ。

投稿: てつこ | 2007年2月26日 (月曜日) 00:29

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