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2007年1月28日 (日曜日)

周防待ち

周防監督が好きなので「それでも僕はやってない」を観にいった。
周防さんは、僕と同じ年。
同年輩として考える視点に同じものを感じている(勝手に)
周防さんは、「shall weダンス」を撮ってから、アメリカに行き「Shall weダンスアメリカを行く」、その後、インドに行った「インド待ち」。
この年代の人は何かと「迷う」。全共闘世代でもなく、「しらけ」世代でもない、中間の「あいまいさ」を何時も感じながら生きてきた。
その周防さんが取った映画が、裁判もの。
裁判こそ、白黒ハッキリしているかと思うととんでもない。筋書きがある小説のようだ。
痴漢をしたと女学生に訴えられた青年が「やっているか、やってないか」が問題ではなく。捕まった時点で(誤認逮捕であっても)「クロ」と決まったようなもの。何せ、99.9%が有罪になる日本の裁判制度。
これでは、「熱海殺人事件」のように、「立派な犯人とならなければ世間に申し訳がたたない」という義理と人情の物語。
警察は、事件を問題にするのではなく、犯人のストーリー作りに躍起になる。検察は、裁判制度の維持が大事。つまり個々の事件を見ない。
周防さんは、弁護側に立つようで、微妙なスタンスをとる。
周防監督は、裁判官に望みを掛けるが裏切られる。
裁判官の孤独という話を聞いたことがある。裁判官は、世間の常識に敏感でなければならない、しかし、その付き合いは狭く、知り合いと飲みに行くことさえ控えるという。つまり、公正中立であろうとすればするほど、一般人から遠い存在となってしまう。
世間が望むのは「まじめ」な裁判官だ。しかし、まじめな裁判官は融通が聞かない。世間の空気が読めない。一方、余りくだけた裁判官でも困る。この辺が裁判官のジレンマだろう。もし、僕が裁判を受けることがあれば、どっちがいいだろう。

 電車に乗るときには、女性に近寄らないようにしています。
追記)周防さん、もっと映画を撮ってください。

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