通勤の効用
自宅から事務所まで1時間通勤をしている。
自宅で開業すれば通勤時間と交通費を削減でき経済的である。
それはそうなのであるが、通勤という時間の大事さを痛感する。
朝起きて仕事をして、食事をして、寝るということの中に、「通勤」という無駄が入る。この無駄が毎日定期的に入り込むことでどれだけ精神の安定に役立っているかと思う。
駅まで20分歩く、電車に30分乗っている、殆ど満員か立っている。本を読んだり音楽を聴いたりするが、何もしないときも多い。何もしない日は、何もしたくないということをしたいんだと思う。
この、何もしなくてボーとすることを家でやった場合、その日一日をボーとしてしまう。どうしてか。たとえば、少し寝ようと椅子に座ってウトウトする、または電車でウトウトする場合は5分ぐらいでもホッとする。しかし、ベッドに入り、布団を掛けて少し寝ようとすると、2時間、3時間寝てしまい。「ああ、こんなに寝てしまった」と思い、しかも、変な気持ちが残る。
この変な気持ちを整理してくれるのが「通勤」という無駄なんだろう。
しかし、よく考えると通勤以外にも「無駄」なことばかりやっている。
そういえば、子どもの時に、小田急のロマンスカーが好きで、親父に肩車されて連れて行って貰ったことを突然想いだした。
子ども時代というのは、無駄なことを沢山やって成長するのだろう。子どもと同じような精神状態の僕はいまだに無駄なことばかりやっている。
| 固定リンク
「あいまいの知」カテゴリの記事
- エアギターはしんどい(2018.02.22)
- 歳を取っても苦労がなくならない人生って(2018.01.20)
- 移民がいない街(2017.12.28)
- 見つめるようで 見られている(2017.12.26)
- 忘れること(2017.10.14)
コメント