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2006年12月 3日 (日曜日)

任意後見のパラドックス

任意後見とは、判断能力があるうちに、自分で判断ができなくなったときのことを想定して、予め自分らしい生活を支えてくれる人を決めておく制度だ。
これだけ読むとよく分からない。どうして分からないかというと。現時点では自分の生活を自分で決めることができる人が、そうでなくなったときのことを考えるからだ。
自分が判断能力がなくなった時のことは上手く考えられない。それは、自分が死んだときどうなるのかを考えるようなものだからだ。
だから、任意後見は難しい。
将来を考えると、自分がボケてしまったとき、誰かが支援してくれて、それまでの生活に近い自分らしい生活をすることができればいいと考える。
しかし、現実には、今は困っていない。今、困っていない人が「困ったとき」のことを考えるのはすごい想像力が必要になる。
それに、もしそうなったら、自分は今の自分が考えるようなことを望むのだろうか。そんな疑問が湧いてくる。
それに、本当に任意後見人は自分が望むことを実現できるのだろうかと考える。
そうなると先には進めない。
普通、私達は分かっていることを決める。それなのに、任意後見制度は将来の分からないことを決める。分からないことを決めるのは大変だ。
どうなるのか分からないことを、分かっているときに判断するのだから、考えると判断できなくなるというパラドックスに陥る。
契約を結ぶときに必要なことは、契約の内容ではなく、その人を信用できるかどうかだと感じる。信じるとは、目に見えないのもが見えることだからだ。

一人の人を信じられるようになるには時間が必要になる。

あるいは直感が。

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