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2006年12月24日 (日曜日)

信じられないということ

クリスマスが近づくといつも、椎名麟三の本を読む。
椎名麟三はクリスチャンである。しかし、彼はキリスト教を信仰しながら「信じられない」と公言し、小説の中で「自分はクリスチャンではない。クリスチャンと呼ばれることを拒否する」と書く。
このへそ曲がりの頭の禿げたおじさんを僕は信じている。なぜなら、彼が「信じられない」ということを死ぬまで語っていたからだ。

クリスマスは、キリストの誕生を祝う日である。(日本ではそうでないのかも知れないが)
しかし、キリストは、「自らの死を知りながらあえて人間に生まれた」神である。
この辺がすでに信じられないが、救いの匂いがする。

キリストは十字架に掛けられ血を流しながら死んでいった。そう、僕にとってはクリスマスは、人間を救うために生まれたキリストが、人間によって殺されるという運命を知りながら生まれた日だと思っている。

もちろんそのことには意味があることも知っている。
しかし、何でそんなめんどくさいことをしないといけなかったのだろう。

椎名麟三は、様々なことをパラドックスとして語る。
よく、「ホントウ」について語る。

キリストは人間を救うために生まれてきたというが、ホントウか?と聞かれたとき、
「ホントウです」と答えた。
相手が、「ホントにほんとうですか?」と疑いの目をして聞き返してくると、
「ほんとうのホントウの本当です」と言った時、周りの人がドット笑ったという。

(椎名麟三も、自分が「本当には」救われていないと感じたのだろう)

クリスマスが、サンタの誕生日だとほんとうに信じることができれば楽しいだろう。
しかし、クリスマスは僕達人間の為に生まれ、そして死んでいった人の記念日だと思うと祝う気にはなれない。
それは、僕がほんとうには「信じられない」からだ。

しかし、椎名麟三がしたように、いつまでも「信じられない」ことを抱きかかえながら生きていかなければならない幸せを感じている。

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