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2006年11月18日 (土曜日)

仲間は大切に

いじめ報道を読んでいて今日(18日朝日新聞オピニオン)の高橋さんの意見が一番「なるほど」と感心させられた。
高橋さん(精神科医・大学教授)が、マスコミからコメントを求められると、逆に質問するそうだ。
「日本の年間自殺者は何人ですか?そのうち未成年者の割合は?」と。
正解は、年間3万人以上の自殺者がおり、未成年者の自殺者は2%。
本田勝一氏によれば、海で遭難しても記事にはならないが、山で遭難すると一面に載ることがある。それは、海は生活の場であり、山はそうではないからだ。
小学生の自殺は大きな問題であることは誰も疑わないだろう、しかし、それを報道する側のセンスや役割がいま問われている。
自殺報道においては、テレビ朝日とTBSがその報道の違いを出している。特にTBSのニュース23は、世界保健機関のスケールを守り、自殺の連鎖を予防しようとする姿勢を感じる。
知る権利を守ることも大事だが、死なせないことを考えた報道姿勢も大切だ。

 

いじめといえば。こう見えてもぼくはいじめられっ子だった。
小学校の時、東京から埼玉の学校に転校。なかなか友達に馴染めず、一人で遊ぶことが多かった。特に、小学校時代はドモリが酷かったので、うまく関係が取れないこともあった。また、黙っているほうが格好いいと思っていたところがあるから、かなりの生意気である。喧嘩をしても、無言で相手の髪の毛を掴んだら離さないという戦法なので、かなり気味が悪い。
中学に入ると、更に生意気さは増大した。
ズックの学生カバンと詰襟のガクランを着ているのに、何を考えたのか、父親がピンクの革の肩下げカバンを買ってきた。
そのセンスの無さにはあきれるが、それを学校に持っていく僕の神経にもあきれる。当然目を付けられる。しかし、東京から転倒してきた奴ということで、すぐに苛められることは無かった。
さらに、先生の言うことは絶対の時代である。校内を竹刀を持った先生が歩き回るような時代にあって、先生の言うことに立てつく生徒であった僕は目立つ。体育祭の行進で皆が校長先生に右手を掲げて行進するとき、一人ヒットラーのようだからと支持に従わない生徒であった。
硬派な学校にあって、家からギターを持って来て、隣のクラスの女の子に歌をうたった。
これには、悪がきドモも頭に来たのだろう。翌日、田んぼに呼び出されて殴られた。どうして殴るのかは言わないが、「とにかく殴らせろ」といわれた。黙って殴られた。
それからは、なぜか一度も殴られず、僕の目立ちがり屋の行動は変わらなかった。
どうして友達をいじめなかったのかといえば、他人には余り興味がなく、自分と女の子に興味が集中していたからだろう。

また、仲間はずれに対する集団としての規制が働いていた時代だった。クラスの仲間を守ろうとする意識が強かった。どんあに変わった奴でもクラスの仲間として見ていてくれていたんだろう。

その後、成人してから、番長に「お前は生意気でいつも殴ろうかと思っていたんだぜ」と言われたことがある。

その時に言われなくて本当によかった。番長はすごく怖い奴だった。

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