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2006年10月25日 (水曜日)

伝わる

言葉だけでは気持ちは伝わらない。

電車の中で恋人に誕生日を祝うメールを送っている青年がいた。

「誕生日おめでとう」と打ち、手が止まった。絵文字を探している。自分の気持ちを伝えるための絵文字を探すが中々見つからない。

きっと、自分の気持ちにぴったりするようなものがないのであろう。

言葉は気持ちを裏切ることがある。

昨日も、自分の気持ちを伝えようと言葉を重ねるが、どんどん気持ちと言葉が乖離していき、「そうじゃない」、「そんなことを言いたい訳じゃない」と感じながらも、言葉だけが上滑りしていった。そして、その後に、むなしい空気が流れた。

僕が中学2年生の時。

大好きな女の子がいた。

世の中は、70年安保であり、中学校もそれなりに先生と生徒が対立した雰囲気だった。大人は、「いまどきの若者は分からない」といい、若者は「大人に子どもの気持ちなんか分からない」という空気があった。

女の子と二人の時、彼女がいった。

「私たちだって、お互いの本当の気持ちは分からないのよね」

子どもの僕は、「まあ、そうだろう」と思った。

しばらくして、彼女は何かひらめいたようにこういった。

「そうだ、言葉は人を裏切るから、言葉以外のもので、私たちの気持ちを伝えられないかしら」

なんてすばらしいことをいう子なんだろうと感心していると。

「ねえ、下駄箱に上履きを入れるでしょ。」

「うん」

「朝来た時に、上履きを見るでしょ」

「うん」

「だから、上履きに何かしるしをすればいいのよ」

「しるし」

「その日に会いたい時には、かかとを踏むとか。すごく会いたいなら両方踏むとか」

「うん」

「じゃあ、あした」

と、新発見した彼女は吉田拓郎のうたを歌いながら自分の教室に入っていった。

次ぎの日、僕は当然のように上履きのかかとを、両方、しっかりと踏んでおいた。しかし、彼女の上履きは、何の変化もない。

その次の日も、僕は、昨日より分かりやすくかかとを踏んでおいた。それは、かかとが踏まれた上履きとしては日本一立派に見えた。すこし、離れてもみてもかかとがきちんと踏まれているのが分かるようにした。

しかし、彼女の上履きに変化はなかった。

もちろん、次の日も、その次も彼女の上履きに変化はなかった。

変化があったのは、僕が上履きを踏んで廊下を歩いている所を2回先生に見つかり、頭を叩かれたことだけだ。

それから、1ヶ月後、彼女は別の男の子と楽しそうに話しをしながら歩いていた。

彼女の気持ちは、しっかりと僕に伝わった。

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