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2006年10月23日 (月曜日)

個人の死はいずれやってくる

あかりさんへ

(字をピンクにしました)

死について

死は、個人の死と周り(家族の死)があると思っています。

周辺死は社会的な「死」だと思います。

例えば、その人が死んだことで影響を受ける人も居ます。その人が亡くなったことでできることや、できなくなること(影響や意味)が生まれてきます。

ジョンレノンは、生きている時にも大きな影響を世界に与えていましたが、死ぬことによって象徴(シンボル)として、生きていた以上に大きな影響を与えています。

もっと大きな影響を与えている人は、キリストであり、仏陀であり、モハンムドしょう。

また、その人が亡くなると、それまでの行ってきたことが当然できなくなり周りに大きな影響を与えます。会社の社長であったり、政治家であったりすると会社がつぶれたり、政権が変わることににも成ります。

個人でも、銀行取引ができなくなったり、契約が終了し、遺産相続が開始します。

これらの周辺の影響とは別に、家族にとっては「喪」という期間が始まります。

喪は、亡くなった人の「死」を家族や近しい人が受け入れる、または受け止める期間だと感じています。

世界には、様々な喪の儀式があり、「死」の受け止め方があるようですが、中心的な考え方は大きくは違わないと感じます。

そして、個人の死があります。

僕の死は、僕個人の中で起こると思っています。頭の中で起こると感じます。

どのように死にたいかを話をすることは、家族や周りの人のためでありますが、個人の死には関係のないことだと思っています。

個人の死は、全く個人的な問題で、誰もそこには立ち入ることができないと信じています。

個人の死も一連のプロセスがあると考えられていますが、実際に死んでしまった人が、インタビューに答えられないので未知の世界です。

臨死体験でさえ、死に近いけれど、本当の「死」ではないでしょう。

そう考えると、僕がどのように死を迎え、死の世界を体験するのかは楽しみのようであり、怖いものです。

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コメント

死後が無でないとしたら私は、宇宙の始まりのビックバンと宇宙の果てを見にいきたいですね。

投稿: あかり | 2006年10月26日 (木曜日) 19:33

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