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2006年8月30日 (水曜日)

ココロのしくみ

どうして感情を押し殺して生活するんだろう。

悲しい、苦しい、楽しい、気持ちいい、嬉しい。

感情の言葉は、快か不快かがはっきりしている。

そんな言葉を発すると、子どもっぽいと言われる。大人とは、感情を曖昧にする生き物であるらしい。

そんな生活を長年送っていると、自分に感情があることを忘れてしまい、たまたま見た韓国ドラマにはまり「あたしってこんなに純だったんだ」と涙を流す自分に惚れぼれしたりする。

泣いたり笑ったりできるのは、特別の時だけになり、普段は、どんなことがあっても、感情的にならないことを心がけ、「クール」な自分がカッコイイと思っていませんか。

僕の家の少年(中学1年)は、感情的な言葉を発しない。感情は言葉でなく、態度で伝えようとする。すごおく嫌な顔をする。引きずるような歩き方をする。不味そうにご飯を食べる。

それでも、理解しない鈍感な親だと気づくと、「キモ」、「ダル」、「ウザ」と不快のサインを送ってくる。

誰がこんな平坦な感情の子どもにしたのか、朝子どもを起こしながら考えた。

なかなか起きない子どもを上から眺めつつ、だんだん感情的になってくる。しまいに、怒鳴るように「いい加減に起きろ」と言っていた。

「おお、感情的にならずに冷静に」と思いつつ、これでは、感情的になることを押さえようとするのも分かると感じた。

感情的に、快、不快を感じると、人はとても不安になる。

それが、とても心地よい感情でも同じだ。「こんなに幸せでいいのかしら」と余計に不安になる。(そんな幸せには今まで一度もなったことがないが)

そうした感情の起伏を経験する中で、次第に感情を押さえることを学ぶ。

葬儀の間、少年は涙を見せることも少なく、耐えていた。そうして、感情を抑えることは、そのときの不安には対処できるが、ココロに大きなストレスとして溜まる。

それをどこかで開放させてあげないと、爆発する。

小さな爆発は甘えとして出てくる。

人間のココロはよくできたもので、どんなに大きな心でも、一杯になったときには、どこかから零れ落ちる仕組みになっている。

それが、感情となって出てくるのだろう。

だから、普段から、泣いたり笑ったり、怒ったり蹴飛ばしたりしていると、ココロの大きな人になれるかもしれない。

そんな人間のために芸術は生まれたのかも知れないと思う。

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コメント

自分の自立について考えていたら、8月31日の午後8時になって読書感想文の本を娘が読んでいても、割合冷静にみていられた。ずっと考えていたら、何もいわないでも、夕食の茶碗の片づけを娘がしていた。面倒を見過ぎないほうが子供は自立していくのかなと思いました。

投稿: あかり | 2006年9月 1日 (金曜日) 20:39

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