« わからないことだってあるさ | トップページ | こだわり »

2006年7月 3日 (月曜日)

施設で生活する

在宅生活が難しくなると福祉関係者は福祉施設や、病院を紹介する。

ネットワークが沢山あり、施設に顔が利くソーシャルワーカーは「できる」ワーカーと言われる。できるワーカーが、そのネットワークを駆使して施設入所に持って行く。すると、家族や関係者から「ありがとう」と言われる。

さて、在宅生活が難しくなった高齢者等が施設利用になったことが「めでたい」事なのであろうか。

ここで難しい状況は、被後見人の場合、自らの判断ができないということ、それに伴い、生活面でのさまざまな問題が生じていることである。

近所の住民も役所の担当も、自立した生活を送れないのでは、在宅生活はできないと「当然」のように考える。そして、後見人を立て、後見人が施設契約を結ぶ。

これでは、勝手には施設に入れられないから、成年後見制度を使っているようなものだ。

実際は、いろいろな状況があり、様々な事情がある。ここで書けないことも沢山あることは重々周知している。それでも、僕自身の被後見人のことを考えても、施設生活がいいのかどうか分からない。分からなくても、最善でないかも知れなくても、考えられるだけ考えて判断した。

ただ、在宅生活ができないから施設と、=で結ばないようにしたい。

理想ばかり言ってもしょうがないじゃないかと言われるかもしれない。それでも、在宅で生活できる人が一人でも多くなることが理想ではないかと感じている。

話は変わるが、児童養護施設で働いていた時、施設は必要悪かという問題があった。施設があるから子どもが入所する。施設を無くして地域で受け入れられないかという理想が話し合われた。

西欧では数十年前から脱施設化が進み、人を収容することが人権侵害だという思想があった。

まず、思想があり、そこに法律ができる社会である。

良し悪しはあるにしろ、施設をつぶした。虐待の問題も日本の数倍、数十倍である。しかし、施設を作らないという思想があるから施設に入所させない。たとえ緊急に保護するにしても数日、または、1週間あまり。それ以上だと、法律違反になるという法律がある。

地域に帰して地域社会で解決させる。多くは教会がその面倒をみる、様々なヘルプグループが面倒を見る。親と引き離す場合がある。その時は、決定権を子どもに預けている。または、法律で基準を決めている。家族ごと監視して親業をしっかりやっているかを評価したり、指導するシステムを持っている国もある。

そこまでして、人権を守ろうとする思想がある。

地域に帰して問題が再発したらどうするんですかと質問したことがあった。

その時、「問題があっても、施設に収容するよりはましです。地域の問題は地域が解決する義務がありますから」と言われた。

価値観が全く違っていることも事実である。どちらがいいなんていえない。

地域に帰したって問題は解決しない場合が多い、ステップマザーやステップファザーから虐待される問題もある。そんなに上手くはいっていないとも聞く。上手くいかないかも知れないが、それでも人権の方を優先する。

日本人も、本心では施設を否定している。

調査をすると、どうしても施設に入って暮らしたいと考えているひとは殆どいない。この場合にの聞き方は、「施設で生活してもいいですか」と聞くべききではなく、「あなたは施設で生活することを希望しますか」と聞くべきだと思う。そうすると、殆どゼロに近いだろうと想像できる。

そんなことはないという人は、今すぐに家庭を捨てて施設に入るべきである。希望というのは、それを自らの意思で選択する自由である。

それでも施設は存在し、そこで生活している人が何十万人いる。

いいか悪いかではなく存在するということだ。

養護施設で働いていた時、「どうしようもない家庭でも、施設よりはいい」という、子どもから聞いた言葉が頭から離れない。

|

« わからないことだってあるさ | トップページ | こだわり »

成年後見」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/160222/10774086

この記事へのトラックバック一覧です: 施設で生活する:

« わからないことだってあるさ | トップページ | こだわり »