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2006年6月19日 (月曜日)

写真を焼く父の姿

今、マイケル・ギルモアの「Shot in the Heart」を読んでいる。

マイケルは、自分の写真が少なく、兄たちとの間にある断絶に悩んでいるようである。

僕の父は、写真が好きで、几帳面(神経質)な性格もあり、分厚いアルバムに綺麗に整理した写真を飾っていた。たぶん気に入った写真だろう、4つ切りに引き伸ばしたものや、ネガをそのまま飾ったものがあった。

記憶では、ロマンスカーを見入っている僕や、オムツを履いたまま左足を前に出してポーズをとっている写真があった。

父は、物を集めることも好きで、旅行にいっては珍しいものを惜しげもなく買ってきては飾っていた。だから、たまに遊びに行く度に、部屋の様子が変わっていた。

その父が、亡くなる数年前から、荷物を捨て始めた。居間の襖を開けると、押入れの中がガラガラ。生活に必要なものもなくなっているのではなっかと感じるほど、何もない。

どうしたのと聞くと、「いらないものを整理した」と答えるだけ。

あるとき、写真の話になり、昔の写真を見ようと押入れを探すが見つからない。父に、「写真は」と聞くと、「捨てた」という。

まさかと思い母親に確認したら、庭で写真を燃やしてしまったという。

頭の方は大丈夫かと思ったが、至って普通、どこといって変わりはない。変わったのは、物に執着しなくなったことと、大事にしていた写真を焼いたことだけ。僕が気に入っていた写真がなくなりかなりショックを受けていると。

「まだ残っているのがあるよ」という。

燃やされる前に貰っていこうと思い、写真を貰おうとすると、驚いたことにアルバムを取り出し、僕が写っている4つ切りの写真をビリビリと切り取り、「はいよ」と渡す。

あっけに取られているうちに、あの綺麗なアルバムはズタズタになり、僕の手には、破かれた色あせた紙に、寂しそうにくっついた写真が残った。

その後半年余りで他界した父。

葬式の後に荷物を整理したら、ほんとうに何も残っていなかった。

僕が父の子どもであるという証拠は、彼が撮った1枚の破かれた写真しか残らなかった。

さびしい気もしたが、父にとっての想い出はすべて持っていたんだろうと思えるようにやっと最近なれた。

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