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2006年6月28日 (水曜日)

飲み込まれること

「永遠の少年ー星の王子様の真相ーM.Lフォン・フランツ」を電車の中で読んでいたら、三鷹まで乗り過ごした。

ある女性のことを考えていた。

彼女は、子ども時代に母親から虐待にあった。虐待というのは、精神的な傷であり、その人によって、同じ環境にあっても感じ方、傷つき方は違う。

大きく捕らえれば、大好きな母親から「自立しなさい」といわれることだって、子どもにとって「心の傷」になる。ウンチをしても、ご飯を上手にこぼしても叱られず、どんなことでも自由にできた乳児の時代が終わり、突然(子どもにとってはそう感じる)、おっぱいを外され、一人で歩けと云われた時は、天と地がひっくり返るほどのショックだろう。

星の王子様の中で、ウワバミに飲み込まれる像の話が出てくる。飲み込むものと、飲み込まれるものの関係だ。

飲み込むほうは飲み込んだものが見えない。当然だ。腹の中に入ったんだから目の前から消える。また、飲み込まれたほうも、飲み込んだ者の外側は見えず、飲み込んだヤツの内側ばかりを見ることになる。

母親から虐待されたといっても、母親はこれっぽちもそんなことを思っていない。むしろ、「私がぶったからまっすぐに育った」と感じていたりする。それに、ボーエンの理論で云えば、父親との葛藤を解消するためには、子どもが犠牲になる必要があったので、娘が虐待されたことで、家庭は安定した。

母親が、自分が悪かったと感じるには、時間が経ち、子どもから「逆襲」されることが必要になる。ある日、それは突然、娘は「お母さんから虐待されてどれ程傷ついたか」と訴えられる。

それでも、初めは何を言っているのか気づかない。むしろ、若さゆえどうしようもなかったと開き直る。私だって苦しかったと弁解する。

殆どの子どもたちは、母親に逆襲をしない。どうしてか。母親が悪いと感じるより、自分が悪いと感じているからだ。自分の能力のなさを責める。環境の悪さを恨む。運の悪さを諦める。そして、ただただ絶えて多感な少年・少女時代を生き抜く。

その時代に、子どもが何を見ているかといえば、飲み込まれた母親の胎内にあって、彼女の内側である。胎内は気持ちがいい。虐待をされていることでさえ、無視されるよりはましだ。なにも無いよりは、打たれても関心を持ってもらいたいと感じてひたすら耐え、母親の胎内でじっとしていた。

また、母親の腹の中にいると次第に彼女に同化してくる自分を感じる。そんな自分に対する嫌悪感さえ感じる。自分もまた、彼女と同じようにするのではないだろうかという恐怖感が起きる。

昔の話である。

しかし、時々、家族に事件が起きるとその関係は復活する。

危機的状況になると、三角形は強化され。なにも起こっていないのに、その時の感情があふれ出してくる。

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