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2006年5月12日 (金曜日)

弁当は生きていますから

電話相談は深夜に及ぶので、ボックスに入る前に食事を取る。

昨日は駅にあるスーパーに行き、弁当を買った。炊き込みご飯に、おかずが沢山きれいに並んでいる。それをもってレジに行く。

すると、店員が僕の弁当を横にした。「あー、お豆が、魚が、海老が・・」と口を空けていると、バードコードを読ませようと、横にしたまま弁当を動かしている。

「はい。478円です」

当たり前のようにそういった。

「僕の弁当が、横になって、お豆があちこちに散らばっている」と、訳の分からないことを口走っていた。

「はっ」

店員は、変な親父をいぶかしげに覗く。

「せっかく、綺麗に並べてある弁当を、そんなふうに横にしたら、台無しだと思いませんか」という。

「すいません」と、相手の目もみず、ビニールに包もうとする店員。

僕が、黄色の髪をした三輪明宏なら、「弁当も生き物よ、生き物の気持ちがあなたにわかるの、オホホ」とでも言えたが。

悔しい気持ちだけ残してその場を離れた。

そういえば、昔、おばあちゃんが「食べ物を大事にしないとバチが当たるわよ」とよく言っていた。

そのときは、「そんなことないよ」と子ども心に思っていたが。今は、確かにバチが当たると思う。

食べ物は、生きている。生きて、僕の身体に入り、僕を生かせてくれる。米は、太陽のパワーを貰い、大きくなり、その小さな粒の中に太陽の力を内在している。その力が人間に伝わる。

食べ物は、命そのものだ。それを、大切にしないということは、自分を大切にできないということだと思う。

そうした罰(ばち)が当たるんだと思う。

「おい店員。もっと自分を大切にしろ」と、

遠くの方から、小さく吠えた。

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