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2006年3月24日 (金曜日)

はっきりさせることは疲れる

あいまいではいけない。はっきりさせたい性格である。

しかし、はっきりさせることは、疲れる。労力がいる。

権利を守ることは、はっきりさせることだ。誰が権利を侵害しているか、どんな権利が侵されているか、どういう影響が出ているかなど、具体的に問題を明らかにする作業になる。

当然、権利を侵害している側の人と衝突する。訴訟を起こされることもあるだろう。その前に、言い争いになる。

権利を守るということの大変さがここにある。

例えば、親の財産を自由に使っている子どものことを考えよう。親の権利が守られていないといえる。しかし、こどもには、親の権利を侵害しているという意識はない。

その家のやり方で、外出をさせない、介護サービスを受けさせない、身体的に虐待している場合はどうだろう。

虐待は、相対的な状態であるとも言える。つまり、立場が違えば、見解が違う。それを明らかにするためには裁判しかないだろう。

「あなたは虐待をしています」、「あなたは権利を侵害しています」ということはできても、具体的に権利を守ることは難しい。

はっきりさせるだけでは問題はちっとも解決しない。

では、どうしたらいいのか。

介護保険の契約能力がない人でも、家族が代理契約を実施しているのが現状だ。では、家族が虐待をしている場合、家族の要望にそって介護サービスを使うことが、虐待(経済的、精神的)を維持してしまうことに繋がる場合にはどうしたらいいのか。

サービスは、本人の福祉のために行うべきだろう。

本人のためにプランを立てると、家族との間に摩擦が起きる。対立する構図が生まれる。そんなときに、一人のワーカーだけで関わることはできない。チームとして、システムとして支援する必要がでてくる。

声をあげよう。困っていると言おう。

そんなことを、ケアマネに話をした。

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