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2006年2月20日 (月曜日)

自分の感性ぐらい

自分の感受性くらい

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木 のり子

茨木さんは、玉音放送を動員先の寮で聞いた。
「世田谷区上馬にあった、海軍のための薬品製造工場で、クラスで10人くらいもいましたかしら、敗戦の前の日ぐらいにひどいもの食べさせられちゃって、おなかを全員こわしちゃったわけですよ(笑)。それで苦しくてですね、寝込んでふらふらしてたんです。」という。
女は経済的に自立するべきだという父親の薦めもあり、薬学部に入学する。しかし、全くの落ちこぼれで、授業にはついて行けず、本ばかり読んでいた。
「あれは十九歳ぐらいのときだったと思うんですけど、もう嫌んなっちゃって、いいや、ここで死んでもいいから、みんなと一緒になんか防空壕に入るまいと思ってね、寝てたことあります(笑)。そうすると上級生が、みんな避難しましたかあ、なんて部屋の戸開けて点検に来るんですけど、ずっと布団にもぐっていました。
 そのときつくづく思ったのは、ああ、これで爆弾が落ちてこっぱみじんに死んだとしても、これは自分の死ではないな、と。虫けらみたいなもんで、自分の死を死ぬってことじゃないなって思ったことおぼえてますね。
そんな時に書いたのが、「わたしが一番きれいだったとき」だ。
わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった 

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね
その後、戯曲を書き、結婚をし、金子光晴に出会う。
そして、晩年、二十歳の人に。
「日本でいいから、もっと平和な時代、今だったら楽しいだろうなと思います。だから、それをうまく上手に享受していない人見ると、もったいないなと思っちゃうわね。勉強のことでも。
 戦争中っていうのは自分一人一人の目的を持つのはむつかしかった。今は、勉強したい人っていうのは心ゆくまで勉強できる環境でしょ。それも男にも女にも開かれてるわけでしょ。そんな時代って今までなかったわけですから。




やっぱり自分をつかむというのはむつかしい、と思います。まだつかんでないかもしれないわね。だから死ぬまで続くんじゃないでしょうか。これが自分だと思ったのが、そうじゃなかったりもするわけですから。
 私は夫をなくして、もう二十年たちまして、今はひとりぐらしなんですね。だからもうどうでもいいやっていうところがだいぶあって、いつでも時期が来たら死にますよっていうか、死を受け入れたい気持ちなんです。でも、いざとなったらどうなるかっていうことはわかんないわけですよ。変にじたばたして、あれ、これが自分かっていうことになるかもしれないでしょう? 
 自分に出会うっていうことは、ほんとにむつかしいことですね。
自分の感性を大切にしていた茨木さんが逝ってしまった朝に。

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