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2006年2月15日 (水曜日)

実感のない名前

みんなの前で名前を呼ばれた。

しかし、自分が「さいとう」という名前の人だという実感がない。

前にも書いたが、結婚して名前が変わった。ちょうど年齢の半分を昔の名前で過ごし、半分を今の名前で生きている。

齋藤さんは、自分だとは感じない。かといって、昔の名前で呼ばれても自分だとは感じないだろう。つまり、自分を実感できる名前を持っていないことになる。

不思議な気持ちだ。自分を実感できる人がいない。

銀行に行って名前を呼ばれても、他人の顔をした人として「はい」と返事をしている。

結婚をして名前が変わって嬉しいなんていう、女性の声を聞いたが、(最近は聞かないが)本当だろうか。ボクはぜんぜん嬉しくない。

いつも自分を探している。

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