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2006年1月15日 (日曜日)

高い穴

今、ソーシャルワーク研修という名前の研修に参加している。

先日、事実を切り取るというテーマで演習をした。

いま、ここでの事実を切り取り、何が起こっているかを明らかにする。ともすると、すぐに解釈を加え人を見てしまいがちな私にとって、事実を確認することの大切さを実感し、事実をそのまま伝える時の方が、相手に伝わりやすいことは感じていた。

しかし、事実は切り取れるのであろうか。

大好きな絵本に、「あな」(谷川俊太郎作、和田誠画、福音館書店)という作品がある。

ひろしが、ある日、穴を掘る。ひろしは、「ふかい」あなを掘りつづける。そして、穴の底に座り、空を見ると、そには「たかい」あながあった。

事実は、どこから見るか、誰が見るかによっても、全く違って見えるだろう。

それは、心の動きでも同じことが言えるのではないだろうか。悲しんでいる心のすぐ横に、全く違う気持ちが隠れていることがある。

見る、ということは、見ているところ以外は見ていないということである。聞くこともそうだ。すべての音を同じように聞いていたのでは、うるさくて何も聞こえない。意識せずに音を選んでいる。匂いも、皮膚感覚も選択という作業をした結果、感じることだろう。

私は、夕日を見ることが好きだ。特に、山の夕日は美しい。同じ夕日であっても、皆、違っている。それぞれに意味があり、それぞれに何かを私に訴えかけてくる。

そう、その時、事実それ自体が訴えてくるサインを受け取っている。それの声を感じ、自分の感覚で掴みとっている。

「夜と霧」で有名なフランクルは、「人生に何かを求めるのではなく、人生があなたに求めているものがある」と云う。

私たちが、クライエントと出会い、そのときの二人の間に生じる事実を把握することは大事だ。しかし、それ以上に、なぜいま、その人と出会ったのか、その意味は何なのか。その人は私に何を訴えようとしているのかを感じることもまた、大事なことだと思う。

追記。

こう書いている自分と、もう一人の「なに偉そうに云っているんだ」と言っている自分がいる。

どちらも自分であり、どちらも大切にしたい。

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