2009年7月12日 (日曜日)

身体が軽い

少年が部活に行くので早起きする。

軽い食事(食欲がない)を済ませ、1Q84を読み出す。

すぐに止める予定が、つい2時間。

その後、実習の記録を纏める。

これも2時間かかる。

今日は、自転車に乗る予定がすっかりくるい、「サンデー・ソング・ブック」を聴いてから出かける。2時間=45キロ。

何故か身体が軽い。

空気圧を多めにしたこともあり、自転車がどんどん走る。

体重は、4月から5キロ減。

むしゃくしゃした気分がすっかり治る。空は高いし、風が背中を押してくれる。

すこしやさしい気持ちになり、母親に電話を掛ける。

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2009年7月11日 (土曜日)

実習はじまる

実習というものがはじまった。

はじまったというより、お願いし、お伺いしている。

大学のとき、卒業した中学校に実習に行き、その時、松田聖子「青いサンゴ礁」を放送室で歌った。

当時の中学生は、まだ素直だったので、楽しい実習だった。

大学院の実習は、研究の一環という位置づけであり、新しい自分を見つけるため、そして、実践力をつけるなど、様々な目的がある。

L大学の場合、現場で実践をしながら研究職を目指す院生が多く、それぞれ、研究目的に合わせ、また、違うフィールドでの実力を試すような実習を目指している。

それだけに、なんとなく分かっているようなことを実感できる機会となり、意味は大きい。

僕の場合、まずは、東京で、それから岩手、最後に、奈良、おまけに長野と伺う予定だ。

それでは、宜しくお願いします。

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2009年7月 7日 (火曜日)

バック

表参道ヒルズに行き、自由学園工芸研究所の作品(バックを2点、筆入れ2点)を購入。その後、北青山DSに寄り、法務局に向った。

お昼は法務局の地下一階の食堂で塩ラーメン(400円)を食べた。

天気もよく、皇居の周りはランナーで賑やかだった。

午後からは、色々電話をし、訪問1件。

そんな1日でした。

村上春樹の1Q84の前半が過ぎ、後半へ。

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2009年7月 5日 (日曜日)

懐かしの宿

懐かしの宿

高校3年の頃、一人で木曽路を歩いた。

宿に着くと倒れるように寝てしまい、起きたら布団がかかっていました。

窓から恵那の山をみて、うたを歌いました。

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夕空に裸電球

青空に裸電球

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妻籠にきてます

名古屋に仕事があり、木曽に前泊しました。

妻籠にきてます

妻籠にきてます

妻籠にきてます

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中に入れない

桐野夏生の「IN」が朝刊の書評に載っていた。

桐野さんの「メタボラ」ですっかり魅了されてしまった僕としては、名前を見るだけで、かなり興奮する。

ところで、この1週間近く、ブログにアクセスできなかった。中に入れなかった。

原因は、PW(パスワード)の記載を求められ、先日変更したPWを忘れてしまったことにある。変更したこと自体忘れていた。

そこにあるのに、塀の向こう側が見えているのに入れない(CAN NOT IN)ことはストレスとなる。

そういえば、先週からホスピスを探している。

多くの病院は、相談室や地域連携室という初期受け入れ(相談)体制を持っている。

そこでは、患者や家族の悩みや混乱した状況を整理し、次に繋げることをする。電話での相談があるので、受け入れや情報収集、課題の整理は難しい。

多くの病院のソーシャルワーカー(MSW)は、冷静に情報を整理し、次にすること、できることを提示する。

病院にはすぐに入れないのに、「この病院の玄関に入り、ソファーに腰を下ろしたような」楽な気持ちになれる。

しかし、「相談体制はありません」という病院があった。

その病院は、かなりの税金が投入され、経費の削減を進めている。医療体制は整っているといわれるが、玄関には無駄なソファーはない。

また、「・・・の人は受け入れが遅くなります」と、患者を限定する病院がある。

その病院にはソファーが置いてあるが、そこに辿りつくまでには、様々な条件をクリアしなければならない。

中に入れないことが困るのではない。

入れないという気落ちを何処に持っていっていいかわからないことが大きなストレスになっている。

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2009年6月29日 (月曜日)

月曜の夜11時。

雨が降っています。

ザーという音が聞こえます。

ザーは、そのうち消えてしまいます。

不思議です。音は消えないのに、耳は雨の音だけ消します。

窓の外の森は、真っ暗です。

もちろん、雨は見えません。

見えないけれど、外に手を伸ばせば、びっしょりです。

心臓の調子が悪いと、心音が気になります。ちゃんと動いているか意識します。すると、余計に大きな音がするような気分になります。

消えて欲しい訳ではありませんが、すこしおとなしくなって欲しいものです。

夜の雨のように、そっと、鼓動を刻んでいてください。

共働学舎から会報が届きました。

宮嶋先生がキリストに会いたいと書いています。

僕は、峠を越えて真木に行き、畑の真ん中に立つ、一本の木に会いに行きたい気分です。

その木は、毎日必要な分だけ水を吸い上げています。

ただ、黙って。

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2009年6月26日 (金曜日)

終結

始まりより終わりが大切と教わった。(勝手な解釈であるが)

専門家と呼ばれる為には、お互いに満足できる終結になりたい。

終わりは、始まりと共に開始する。何かをはじめようとするときは、どのように終わるかをしっかりと計画しておく。

援助関係が1年、あるいは、30回など、終結が予定されている場合と、始まりがあって、いつか終わるだろうという場合がある。

ああ、3分の1が経過した。そろそろ別れの準備に取り掛かろうと検討できる場合もあるが、突然に終結が訪れてばたばたしてしまうことがある。

マスターは、「そんなことではいけない」という。「専門家として、何が起きてもいいような準備、計画、見立てをしておきなさい」と。

そして、援助関係は、日常の関係と違い、必ず(殆どの場合)終結が来る。出会いがあり、仲良くなり、別れる恋人達のようなものだろう。

別れたあと、いい想い出になるかどうかは、付き合い方による。

別れた恋人には、つきあったことで「成長した」といってもらいたい。

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2009年6月24日 (水曜日)

それを知っているなんてマスター凄いね

「まずい面接」は面白いです。

読み始めたら止められないと書いてある通り。人のしくじりほど興味があるものはない。それが、超一流のマスターセラピストならなおさら。

それにしても自分の犯した「まずい面接」をちゃんと分析し、その後の人生の教訓にしているところが凄い。

そのなかでも一番は、「ボクには失敗の面接はありません」というセラピスト。「なぜなら、クライアントの問題だからです」と云ってしまう。

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2009年6月22日 (月曜日)

感想

「脳の中の幽霊」:V/S・ラマチャンドラン

「まずい面接」ジェフリー・A・コトラー、ジョン・カールソン

「構造主義とは何か」上野千鶴子

を読んでいる。

平行して読む。少しずつ進めるようにする。

感想は後ほど

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千葉が待っている

ツール・ド・千葉の案内が来た。

早く申し込みましょう土井さん。

今年は靴を忘れません。

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高音がE

パパの歌をうたっていたら少年が「はい」と、清志朗のレコード(今時はCDという)を前に差し出した。

ひねくれ者の父親は、「はいって何だよ」と下がったところ、体格のいい少年は、清志朗の特集が掲載されている雑誌も差し出した。

それから、雨の日曜日、森のような外の景色と雨音を聞きながら、清志朗の人生を振り返り涙を流した。

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記念日

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2009年6月18日 (木曜日)

甘い言葉

鳩山さんの理想論と麻生さんの現実論で終わった討論だった。

麻生さんの言葉が現実的とも思えないが、鳩山さんの言葉の甘さが際立った。

愛とか共生とか、甘い言葉には気をつけなさいと云う。言葉よりのお金や効率が大事だと云ってきた社会は破綻した。

だからといって、だれも愛とは云わない。

アメリカン・ドリームとは云うが、日本ドリームとは云わない。日本に夢がないように愛もない。

だからこそ、鳩山さんの言葉が浮き上がる。

しかし、言葉には大きな力が潜んでいる。

今読んでいる「語りと騙りの間=羅生門的現実と人間のレスポンシビリティー :ナカニシヤ出版 金井他」のなかで、金井はアメリカの3人のリーダーの語り(演説)を取り上げている。

なかでもゲヒスバーグで行ったリンカーンの演説がたった2分であったことには驚いた。(あの人民の人民による~)

だとしたら、45分もあれば日本の夢を語る時間は充分にあるはず。

人民(国民)の夢を語る責任を感じ、それを言葉にする力を持っている人をリーダーと呼ぶのであろう。

だから、是非とも日本の将来的な夢を語って欲しい。

さらに、金井はリーダーには、4つのレベルがあるという。

第一レベル:リーダーシップの進化が問われる瞬間(最大の壁に直面するとき)

第二レベル:リーダーシップを涵養する経験(プロジェクトなどをそのつど完遂したとき)

第三レベル:生涯をかけて身につく人間力(くぐってきた経験を語るとき)

第四レベル:つぎの世代に語り継がれる物語(広く語り継がれレジェンドになるとき)

だという。

リーダーとして一皮むける時間軸としてみると、今のリーダーは何処にいるのだろう?

まずは一皮むける必要があるのか。

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問う力

長田弘の対談集「問う力」を読んでいたら、岡田監督との対談が面白かった。

コミュニケーションとしてのサッカーの話しをしていた。

タイの農村を回っていた時、よくサッカーをした。サッカーといっても、グラウンドでの試合ではない。

街の道路や、空き地でボールを蹴る遊びである。ボールもサッカーボールじゃない場合も多い。

その時のコミュニケーションの取り方には工夫がいる。

まず、子どもが遊んでいるところに割り込み、ボールを奪う。もちろん手を使わずに。

すると、奪われた子どもがボールを取り返しに来る。もちろん手を使わずに。

この手を使わないというルールがコミュニケーションを上手にする。

それからは逃げたり、ボールを取られたり、取り返したりの繰り返し。体の接触もあり、次第に笑い声がでる。

これは、何処にいっても通じる遊びとなり、子どもだけでなく大人もサッカーに入ってくる。

タイが他の国と違うところは、途中からセパタクローになるところだ。

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犬になりたかった少年

小学生の頃、犬になりたかった話を大学でした。

そしたら、ハムスターになりたかった人や犬に憧れるお父さんまで現れた。

人間より動物の方に魅力を感じるひとが増えたのだろうか?そういえば、人間より美味しいものを食べている犬や猫がいる。

しかし、ボクの場合、犬に憧れていたわけではない。

人間から犬に、犬から人間に変化する、その変化が楽しかった。

人間は2本足で歩くが、犬は4本で歩く。4本で歩くと2本では感じられない快感を味わうことができる。

また、ご飯を食べる時にも箸を使わないしね。

そうした、人間では味わえない感覚が面白かったのでパートタイム犬になった。

喋らないというのも面白い。どんな時でも「ワン」という。「ワン」には色々な「ワン」がある。「ワン」は奥が深い。

しかし、時間と共に、スローな生活は過ぎ去った。

しかし、老人に近づき、スローな生活を取り戻した時、再び犬になれるかも知れない。

そういえば、老人は杖をつき3本で歩き、その後、小さなタイヤと大きなタイヤの4本のタイヤのついた車椅子に座る。

言葉だって忘れ、「ワン」といっても誰からの怒られない。

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2009年6月16日 (火曜日)

しないようにの選択

お世話になるということは、人の言うことを聞くことに繋がる。

だから、人の世話にはなりたくないと思う。

人というのは、回りの人。つまり世間だ。世間は無言の力を持っている。それは恐ろしい。

栄さん(仮名84歳)は、普通に生活しているつもりである。このつもりが、世間からみると「普通」でないといわれる。人の言うことを聞いてお世話になれという圧力がかかる。

栄さんは困っていない。しかし、世間は「そんなことはない」という。危なくて見ていられないと言う。

それじゃ見なければいいじゃないかと栄さんは思うが、「そんな訳にはいかないでしょ」と言われてしまう。

病気は治したほうがいい、部屋はきれいな方がいい、ご飯は美味しい方がいい。そうかもしれないが、治し方や、掃除の仕方、ご飯の食べ方はみんな違う。しかし、正しさを押し付けられると参ってしまう。

正義なんていう言葉をつかう人は信じられない。それは、自分で云う言葉ではない。その人が去ってから民衆が言う言葉だと思う。

「~しないようにという選択」はこりごりだと栄さんはいう。

転びたくて転んでるのはない。転ばないようにと考えすぎると歩けなくなる。

人生の最後は死である。死は負けだろうか。

死なないように生きるのか、立派に死ぬために生きるのか。

栄さんの希望は一つだ。

いままで生きていたように明日も過ごしたい。

それだけである。

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2009年6月12日 (金曜日)

玉ねぎ

玉ねぎ
道端で玉ねぎを買った。
3こで100円だったので、2袋買った。
車のトランクに入れて運転をした。
今日は天気がよく、トランクの中の温度が上がる。
しばらくすると涙が出てきた。
それから、どんどん流れて止まらない。
教訓。
買った玉ねぎは早めに料理しましょう。

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2009年6月11日 (木曜日)

マニュアルは理念を実現するための手順

先日、施設にとってマニュアルはどういうものかという話をした。

マニュアルは手順であるが、それは、理念を達成するための手順だと思っている。

児童養護施設で生活する子どもたちにとって施設が与えられるものは安心できる「場」の提供と教育の機会である。

留岡幸助は、そのことを「家庭の愛と教育の機会の提供」という理念を掲げ、「家庭学校」を創設した。それが100年以上前の話である。

現在、多くの施設がグループ・ホームというグループケアを実践しているが、100年以上前に夫婦によるグループケアの実践が始まっていた。

それぞれの家庭では、家訓のような方針(理念)があり、教師であり、大人としての生き様を示すことを通じて子育てを実践してきた。

マニュアルは、同じような子どもを作るためでははく、願いを叶えるためのシステムである。

理念を実現するためには、その方法(専門性)が必要だ。

自分の子どもを育てるためにも、専門的ケアを行っている。気がつきにくいけどね。それが、様々な生きにくさやトラウマや課題を持って生きてゆく子どもを育てるには、それなりの、専門性がどうしても必要になる。

子どもの方からマニュアルを見るとどうなるだろう。

自分の生活を手順通りに関わられると思ったらうんざりするだろう。

しかし、大人の願いとして、何を大切にするかについてぶつかってくるとしたらどうだろう。子どもだってそれなりの力を出す準備をするだろう。

そうした相互交流が教育なのだろうか。

留岡幸助が、空知の教誨師をしていた時、密室教誨を一番大切にしていたという。監獄には、重罪を犯した罪人が収監されていた。

その監獄で唯一囚人と2人きりになる場所が密使教誨の場だったという。

そこで幸助は、「形式の隔たりは心の隔たりを誘起するから、君と僕とはこの部屋丈では同等同位置にする。それゆえ今から君と僕とは囚人でもなければ教誨師でもない。・・同じく同胞である、いわば兄弟だ。それゆえ何でも言いたまえ」と言ったという。

これはかなり計算された関りの手順だと感じる。(幸助が意識していたかどうかは別にして)

幸助は、囚人の問題を彼にのみ起因するとは考えず、その社会、環境、教育のシステムにあると考えた。

そして、このシステムを解決するには自分の力量不足を認識した。

その問題に深く関りたいと、その後アメリカに渡り、専門的知識とスキルを身につけて帰国する。

※参考資料 1987年 小林仁美 「留岡幸助の教育観の形成とその展開」奈良女子大学教育年報第5号 

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2009年6月 7日 (日曜日)

ゴール

富士山五合目に着く。

完走率98%の大会だけあった、ゆっくりでもマイペースで漕げばゴールにつける。

それにしてもしんどかった。

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まぶしいくらいの天気

まぶしいくらいの天気

前日の雨も上がり、5,000人のおじさん達が集まる会場に到着。

当日は、午前3時半に起床。サッカーの試合も見られず。

スタート地点は、標高1035メートル。ゴールの富士山五合目は標高2305メートル。標高差1270メートルをトップクラスの選手は1時間で登る。

スタートすると下りがない、ひたすら上り続ける、苦しい人生です。

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2009年6月 6日 (土曜日)

北原ミュージアム

フジヒルクライムの前日。

北原ミュージアムで。

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2009年6月 4日 (木曜日)

やっているのか?

ガマ君から質問が来た。

こんなふうに。

カエル君に質問があります。
①カエル君は、長いことずっと福祉の仕事をしていますが、どうしてですか。
②どうして、社会福祉士になったんですか。
③人のために役に立ってるという充足感ありますか。

①そうですね。長いこと生きてきました。生きている長さの半分以上はフクシというものを仕事にしています。しかし、それはたまたまです。偶然です。はじめは新聞を読んでこの世界に入りました。フクシをやっているのか?やってはいないでしょうね。ただそこに居るだけでしょう。

②これも、たまたまです。どうもいい加減な性格がわかってしまいますね。打算的な面がありましたが、それだけでは食べていけないのも現実です。

③人に役には立っているのか?いないでしょうね。何の役にも立たない人間になることが夢です。つまり、害がない人間というのか。仕事をしているということです。

充実しているか?役に立つという面では充実していないけれど、生活という面では楽しんでいます。

こんな答えでいいでしょうか。

結論。

カエルにとっての仕事は、池を泳いだり、飛び上がったりして人間を楽しませることではなく、カエルの人生(かえる生)を全うすることだと思います。

フクシは人のためになる仕事ではなく、人間とその環境に関する仕事です。結果として色々なことが起きますが、あくまで結果です。

人のためになっているかどうかは分かりませんが、自分のためにはなっています。それは、どんな仕事も同じでしょう。仕事じゃなくてもね。

そこに、自分なりの意味を見つけられる人の方が幸せですね。

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2009年6月 3日 (水曜日)

値切る

見積もりがでると、とりあえず値切る。

すると、相手が値段の必要性を説明する。

その説明を聞いて価値を認識する。

それから、別の所を探し、削れるか聞く。

すると、相手が、削った場合には後で余計に経費がかさむと説得にかかる。

その説得に負ける。

それならと、こうした場合はどうなるか質問する。

すると、その場合はこうなるといわれる。

最後に、それで、全体でどれだけまけられるか問う。

それなら、これだけにしましょうといわれ。

合点する。

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降りていく生き方

武田鉄也主演の「降りていく生き方」という映画の紹介する番組を見た。

「降りていく」とは、競争社会から、または、成功人生からだろう。

2003年には、横川和夫氏の「降りていく生き方」=べてるの家が歩む、もう一つの道:太郎次郎社がある。

降りるためには乗っていないといけない。乗っていた電車が大きければ大きいだけ、降りるインパクトがある。テレビでは、一流企業から降りた若者が紹介されていた。

べテルではどうだろう?

病気を抱え、その病気から降りることはできない。それなら、病気を「個性」として認知してしまおうと企業した。売り物は、病気を抱えた自分自身。

つまり、彼らは降りてはいないんだと思う。自分たちが乗れる電車に乗っているだけじゃないだろうか。しかし、世間から見ると、それは電車ではなく、乗り物にも見えないかもしれない。

つまり「降りる」とは、世の中の趨勢からみた乗り物=常識から外れ、自分の人生を見つけるように言われる。

そんなことはずっと昔から人びとはやっていた。

明治時代の社会事業家中には、世間が見向きもしなかった「慈善事業」に人生をかけた人が何人もいる。

彼ら、彼女らは、人生から降りたわけではない。

むしろ、たくさん尾人が歩ける道を作り、乗り物を走れせようとした。

もちろん成功した者もいた、失敗した者もいた。

それが、成功かどうかが問題ではなかった。

自分の願いが叶う道を自分の力で歩くことができれば幸せだった。そういう思い出読み直してみると、昔の人の物語は面白い。

僕自身は、はじめから電車に乗り遅れ、途中で追い出され、最後は電車を遠く見ながら歩き出した。

降りる前に、乗れなかった生き方というべきだろうか。

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ソリスト

映画館を出てきた女性が、「感動しなかったね」と友達と話していた。

一流の音楽院でクラッシックを勉強していた学生が退学し、その後、幻聴などで自分を見失いホームレスとなる。偶然に彼の弦が2本しかないバイオリンの音を聞いたコラムニストが、彼を記事にしたことから物語りは始まる。

空の視点から見ると大したことのない人生であり、地についた眼差しで見ると大きな出来事が起こっていることがわかる。

現実は、それほど感動的ではなく、一方で、感動的だ。

その差は見る者の視点にある。

映画は、空撮が何度も現れる。その点も面白い。

空から見るハイウェーは、幾何学模様にしか見えない。車に乗っている運転手の人生は見えない。しかし、実際には、様々な人生がその下には存在する。

感動は、それを想像できるかどうかにかかっている。

想像力とは、まだ知らないことを知りたいという願いのなかにある。

主人公の一つの眼差しでさえ、多くのことが語られている。

彼は家に住めないのか?住まないのか?それとも、家という概念がないのか?または、トンネルが家なのか?

感動するためには、それなりの準備が必要なのだ。

ソーシャルワーカーが言う、彼には病気である準備ができていない。診断をしても薬を無理やり飲ませることはできないと。

コラムニストは、彼の気持ちになかなか気づかない。それは、彼がアメリカ人だからかもしれない。人道的な白人だからかも知れない。

彼自信も、ソリストを理解する準備ができていなかった。

簡単に感動できるのは長島くらいであり、その何にでも感動する長島に感動するのが僕たちだ。

僕たちは、長島に感動する準備はいつでもできていた。

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2009年5月29日 (金曜日)

開業SW訪問記その2

久保田社会福祉士事務所を訪問する。

あいにくの雨であったが、快く迎え入れていただき、たっぷり話をすることができた。

何度も話をしているが、久保田さんの事務所で話をすると気持ちが引き締まる。色々と示唆に富む話を聞けた。

久保田さんの事務所には看板がある。

僕の家では、小さなこいのぼりを立てるくらいだ。

さすがである。

しかし、看板だけでお客が来るわけではないという。

そうだろう。

                    
事務所の風景。

部屋の中をうろうろ歩けるくらい広い。

それに整理整頓している。

これは性格だろう。僕家はこうはいかない。 

    

お昼になったので、近くのイオンモールに案内していただく。

こちらも久保田家に負けずに広い。

お昼はお寿司を食べた。

久保田さんの所には、7月にも伺います。

本日はありがとうございます。

本人を写すのを忘れました。次回をお楽しみに。

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2009年5月28日 (木曜日)

本箱から落ちた20冊の絵本

2002年夏と書かれた冊子が本箱から落ちてきた。

東京都児童観が推薦した「おとうさんが選ぶ絵本20冊」と書かれている。

東京都児童観が選んだお父さんに読んで欲しい20冊の本らしい。たぶんね。

20冊は、

「アンガスとあひる」 マージョリー・フラック 福音館書店

「おかあさん」 シャーロット・ゾロトウ 童話屋

「おやすみなさいのほん」 マーガレット・ワイズ・ブラウン 福音館書店

「おやすみなさいフランシス」 ラッセル・ホーバン 福音館書店

「カポックの木」 リン・チェリー 童話屋

「カンピーさんのふなあそび」 ジョン・バーニンガム ほるぷ出版

「くんちゃんのだいりょこう」 ドロシー・マリノ 岩波書店

「くんちゃんのはじめてのがっこう」 ドロシー・マリノ ペンギン社

「スガンさんのやぎ」 ドーデー 偕成社

「てぶくろ」 ウクライナ民話 福音館書店

「けんか」 シャロット・ゾロトウ 童話屋

「なかよし」 シャロット・ゾロトウ 童話屋

「はなのすきなうし」 マンロー・リーフ 岩波書店

「はなをくんくん」 ルース・クラウス 福音館書店

「ひとまねこざるときいろいぼうし」 H/A・レイ 岩波書店

「ペレのあたらしいふく」 エルサ・プスコフ 福音館書店

「ベンジャミン バニーのおはなし」 ビアトリクス・ポター 福音館書店

「もりのなか」 マリー・ホール・エッツ 福音館書店

「ラチとらいおん」 マレーク・ベロニカ 福音館書店

「わたしと あそんで」 マリー・ホール・エッツ 福音館書店

一番好きな本は「もりのなか」かな。

「ぼくは かみの ぼうしをかぶり、あたらしい らっぱを もって、もりへ さんぽに でかけました」と、はじまります。

ぼくも まいにち ぼうしを かぶり、あたらしい ほんを もって もりに でかけます。

そして、妄想の世界に溶け込み、目が覚めると、夕方になっています。

そして、夕方の匂いをかぎながら 家路を急ぎます。apple

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2009年5月27日 (水曜日)

思うようにならない自分

Aさんが思うようにならないと感じているBさん自身の気持ちも思うようにならない。

かといって、AさんがBさんの思うような行動をとったとしても、それはそれで気分のいいものでないことをBさんは知っている。

思うようにしたい訳ではなく、思うようにならない自分に対してイライラする。

毎週土曜日に丸くなった集団ができる。

その集団は順番に自由に話をする。自由に話をするとはなんて不自由なんだろうと2週目くらいに感じてきた。3週目になると辛くなり、4週目になると諦めの気持ち。

それでも休まず土曜日の朝を迎え、会場に足を向けるのは、その不自由さが気持ちいいからだ。

自分の話をすることくらい面白くないことはない。

誰かが聞いてくれるから話をするのであって、聞かれていないのに話をするとホントウのことをつい言ってしまい後悔する。

そう、毎週後悔ばかりして終末を迎える。

後悔は引きずる。

それでも生きてゆけるのは、だれも他人の話を聞いてはいないからだ。

みんな自分の話の後悔で精一杯になっている。

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2009年5月25日 (月曜日)

マニュアルを考える

養護施設サービスマニュアルというテーマで話をする。

資料を探していたら、ディズニーランドのマニュアル=サービス・コンセプトを取り上げている論文を見つけた。

どんな分野も関連している所があり、共通の原理がある。

話の導入としては面白いので、活用することにしてレジメを作った。

なかなか良いものができたと思う。

では、お楽しみに。

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2009年5月24日 (日曜日)

開業SW訪問その①

研究テーマを探しに、開業ソーシャルワーカー事務所を訪問した。

ソーシャルワーカーは、対人援助を職業にする職人である。

そんな職人がどんな顔をしているのか?

どんな価値観を持っているのか、そこのところが知りたくて全国を訪問しようと思っている。その第1回として土井さんの事務所を訪ねる。

土井さんは、千葉県習志野市の駅前に事務所を構えている。事務所は、事務的機能と共に、自転車置き場となっていた。
                  

対人援助と共に、自分の身体の援助も大切にしている。

その土井さんに誘われ、来月自転車で富士山に昇りに行く。そのため、仕事の話より自転車の話しが楽しくなってしまった。

本日の収穫は、開業すると自転車に乗る時間はたっぷり確保できるということになった。

土井さん、お話ありがとうございました。

続きを読む "開業SW訪問その①"

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2009年5月22日 (金曜日)

小さな大学

4月から通い始めた大学は小さな大学だ。

どれくらい小さいかというと、廊下で会う人には必ず挨拶するぐらい小さい。

だから、はじめは戸惑った。

若い女性に「こんにちは」と言われ、あれ、「どこかでお会いしましたか」と思わず聞いてしまおうかと思ったくらいだ。

首をひねているうちに、どこかに行ってしまったので助かった。

また、学食はお昼だけ開いている。そして、定食はすぐに売り切れる。いったい何食作っているのか分からないが、ちょっと出遅れると売り切れで、ラーメンとなる。

図書館の机も小さい。どれくらい小さいかというと、肘を広げるとぶつかるくらい小さい。しかし、その小ささが心地よくなる。

そして、生徒より鳥の方が多い。

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2009年5月20日 (水曜日)

ストレス耐性

分化レベルが高いとストレスに対する耐性も高いという。

ストレスを原因→結果という流れで考えると、何処かに問題(ストレッサー)があり、その結果としてストレスが生まれると考える。

しかし、ストレスは生じるというより、自ら生み出していると考えることができる。

そこには自らの感情と感情をコントロールしようとする知性の葛藤が生まれている。

今僕に襲いかかっているストレスは、僕の人生における葛藤そのものであり、テーマと呼べる。

テーマは、反芻される。繰り返しやってくる。時には叩きつぶされ、時には克服したかのように思われるが、やがて復活する。

生きている以上仕方がないことだ。

そのストレスからの回復が早いか遅いかが問題である。

道は沢山あり、どこも同じところに通じている。行き止まりの道をあえて選んでしまうところにストレスの困った機能がある。

どうしていいかわからないときは止まっていることができる。

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2009年5月19日 (火曜日)

本を汚す

リン・ホフマンの「家族療法学」その実践と形成史のリーディング・テキストを読んでいる。

物忘れが激しく、読んだ先から忘れるので、忘れてもいいように本にメモ、感想、コメント、注を書き込み、分からない単語については、インターネットで調べてメモしている。

すると、だんだん本が汚れてくる。

少し読み進み、振り返ると内容がつかめるようになる。理解できるとか、わかったとかではなく、つかめる。

自分にとって大切なものがどこにあるのかを知ることができるようになる。

しかし、スピードは遅い。

そのうち必要なものと、捨てるべきものが分かってくるだろう。

太平洋を浮き輪で泳ぐような感じだろうか。

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2009年5月16日 (土曜日)

本を読む前にすること

本を読む為には、内容を理解しないといけないと思っていた。

しかし、理解するとはどういう事だろう?

なぜそのような問いを立てるのかといえば、理解したつもりでも、すぐに忘れている事実にぶつかっているからだ。

今では、読んでいる先から忘れてしまっている。まるで、忘れるために読んでいるような気さえする。

例えば、500頁の本を読み、面白かったと感じても、その「面白かった」という感想は、全体のストリーから感じるものであったり、著者の言い回しであったり、イメージの多様性であったり、とにかく、様々な要因がそこには含まれている。

そこに書かれているものの中から勝手に選び取り、勝手に解釈する作業をつうじて面白いと感じる。

それは、理解とは程遠い作業をしているのだろう。

今日、普段絶対に手に取らない本を手に取り、ある目的を持って読んでみると、目的に応じた内容が書いてあることにびっくりした。

つまり、本には読者を満足させる多面的な要素が含まれているのに、その中の一部しか活用していない。解釈やこじつけをおこなえば、どんな本にも関連する内容や意味は存在する。

本を読む目的が大切で、それを読む前に意識することが必要だ。そんな漠然とした思いをもって再び本を手に取ったら、同様の意見が書いてあった。

私たちは、自分が感じたいように物事を見ている。

自然が美しく思えるときは、自然を美しく見たいという気持ちがある。人を好きになるときも同じような事がおこる。

きれいだと思うから綺麗なのであり、その思いが伝われば、実際に以前より輝く。

そこに主体的に物事を取り込む作業が生まれる。

まあ、主体的な作業は疲れるから、寝る前はボーと難しい本を読み、前日何をしたかわからないほどぐっすり眠れることが幸せだと思うけどね。

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2009年5月13日 (水曜日)

もしもの時

「もしもの時はどうするんですか?」と聞かれた。

もしもの時とは、どんな時だろう。

一般に瀕死の状態などをさしているんだろうが、それがもしもかどうかは人によるだろう。

他人の危機的状態に際して援助者は戸惑いをそこに感じる。

瀕死の本人にとって、その時は「もしも」ではなく、「来るものがきた」ということだろう。

実際は、そんなことも考えられないけどね。

「もしもがないようにしたいんです」という。

それは、本人の希望というより、援助者の願望である。

どうして他人の生活や命にそんなに関心を持つのだろうか。

それは関っているという事実により、あなた=私という関係を築いているからだと思われる。

あなたと私は他人であると同時に、あなたは既に私になってしまっている。

共感と呼ばれるものの厄介なところは、共振的なブレを生むところだ。

特に感情が大きく揺れる被援助者に関るソーシャルワーカーは、自分の揺れが誰の影響なのかを精査する必要がある。自分で揺れているうちはそれを押さえることもできるが、他人の揺れに共振してしまうと、振幅は倍増する恐れがある。

そんなときこそ、もしもを含めた現状認識をする必要が生まれる。

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2009年5月12日 (火曜日)

おいしい

右手に漆のフォーク、左手に匙を持ち、はじめは寒天をつついていた。

しかし、まどろっこしくなったのか、匙ですくいはじめた。

鶴さん(仮名)とおしるこ屋に入ってクリームあんみつを注文した。

鶴さんは、さっきから嬉しそうに喋りっぱなしである。

「こんな美味しいものは生まれて初めて食べた」と何度も繰り返す。

そして、「あんたも食べなさい」というが、アイスクリームとあずきを混ぜるのに集中しているので、顔は下を向いたままだ。

こんなに幸せな人はいないんじゃないかという顔をして食べることに集中し、それでも喋ることをやめない。

しまいには、器を持ち上げ、最後の一滴まですくいあげた。

鶴さんが美味しそうに食べるのを見ていた。

ずっと、一言も喋らず見ていた。

見ていて全く飽きなかった。

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2009年5月11日 (月曜日)

クライエントとの距離

ロジャーズの自伝を読んでいる。

クライエントという言葉を遣い、その力を信じていたロジャーズだったが、一番信じて欲しかったのは自分の可能性だったようだ。

厳格な家庭で育ったことが彼の人生に与えた影響は大きかった。

家庭や親の影響により人との距離の取り方が違ってくると思う。

特に、困難な関係であった人と和解したり、その人が近寄ってきたりすると、距離感を掴めず揺らいでしまう。

今日も、クライエントから依頼の電話があった。

電話を掛けること自体勇気のいる仕事だということを知っているので驚いた。依頼内容は大きなことではない。すぐにでもできることであり、誰がしてもいいようなことだった。

クライエントは云う、「すぐに来て欲しい」と。

さてどうしよう?

厳格でない家庭で育った僕にとって親との距離の取り方はそれはそれで結構難しい。

それに期待を受けて育ってこなかった子どもの特性として、深い関係を結ぶことができない。用がなければ親にも会いにいかない。

先日、クライエントの関係者に電話をした。

他人だから冷静に話せることもあり、家庭内の関係調整をすることがある。

何年、何十年という時間が流れていたりする。

大きな溝があり、近づくことさえできない場合もある。

それでも、距離がどんなに遠くてもたどり着けないことはない。また、どんなに近づいても0より近づくことはできない。

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2009年5月10日 (日曜日)

母の日

少年が朝、「ありがとう」と母親に言っていた。

夕方、プレゼントだとケーキを買ってきた。

母親は喜び、少年は父親に請求書をまわす。

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サドルを取り替える

1週間ぶりのツーリング。

パンツを3枚はき、サドルを変えた(写真)。

クッション性にすぐれたサドルに変えたことで乗り心地はいい。

秋川の温泉まで往復90キロ。

行きは順調だが、70キロを過ぎた辺りで案の定足がつりだした。

運動不足と年齢が影響していることは明らか。自転車から降りて歩き、下りがくると再び乗る、の繰り返し。

やっと帰宅。

ちなみに、パンツ、猿股、ブリーフと重ねてはいたわけではありません。

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2009年5月 9日 (土曜日)

独り言

今日は独り言を沢山聞いた。

駅前でティーシューを配っていた。

目の前を歩く同年代の女性が、差し出されたティシューを右手で掴んだ。次の瞬間。

「右手で持ったら、左手に持ち替え。左のポケットが空いているからこっちに入れますよ」

と独り言。

えっ。それは、誰かに話しかけているようで不思議な気分がした。

車を駐車場に入れ、カードを取ろうと機械の前に進んだ時。

機会には紙が貼られていた。

同年輩の女性が紙を見ずに、サービス券を入れようとするが入らない。

紙には「現在故障中」と書かれている。

僕が、「機会が壊れているようですよ。現金で払わないといけないかもしれませんね」と教えてあげるが。

次の瞬間。

「えっ。困るじゃない。あの人が大丈夫だって言ったんだから」と怒っている。

僕に話しているのかと思ったら。機会に向って一人で喋って、再びカードを入れようとしている。

時間が掛かりそうだったので、その場を離れる。

お昼。

スーパーで弁当を選んでいた。安く美味しそうなお弁当が並んでいる。

そこに、同年輩の女性がやってきた。

次の瞬間。

「どれにする?」と。

僕に聞いているのかと思い顔を見るが、そうじゃない様子。

続いて、「500円が魅力なのよね」という。

やっぱり、僕に言っているのかと思い顔を見るが、また、違う。

「迷っちゃうから、後で選ぼうっと」と、左手を頬に当てて行ってしまう。

みんな僕をからかおうとしているのかと思うほど、独り言がうまい。

こういう人が長生きするんだろうと思う。

僕も早く、ティシューや機会や弁当に話しかけられるようになりたい。

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2009年5月 8日 (金曜日)

自信のなさと年齢

少年は自信をもてないで悩んでいる。

10代というのは不安定な時代だと思う。

自信がないと云う反面、過信している部分も多い。

何にもできないように感じ、一方で何でもできるように思える。

万国博覧会でわき返る頃が中学生だった僕にとって、もう一方は学生運動だった。

破壊と建設、夢と絶望が入り混じった空気を感じながら自分の小さな世界に閉じこもることが好きな少年だった。

世界の広がりを感じ始める頃でもある。

街を出る時代でもある。

一人で、旅に出たのもこの時代だ。

そうした非日常の積み重ねによって、「できている」自分を感じた。「できない」と思っているのは自分だが、外に出た瞬間、自分の足で歩いている「事実」が大きくなる。

そうした行為は現在も続いている。

4月から大学院に通い始め、毎日本ばかり読んでいる。

理解できない頭も使ううちに動き始める。

そこには一定の量が必要だ。一定量以上のモノが頭に入った時、脳は動き出す。それは、考えることではなく、繋がる感覚。

それでも人の名前は全く覚えられない。

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2009年5月 6日 (水曜日)

「ノ」を云う自由

「人は問題を解決する〈回答〉を必要としていない。人が必要としているのは、症状に焦点を当てるのではなく、個として自分のために明確に方向性を定めることに焦点をおくことである」:家族評価;マイケル・E・カー

映画「やればできるさ」のなかで、精神病の専門でないロッソは、自分がいいと思うことを患者もいいだろうと思い実践する。

ロッソのアプローチは、それ以前の薬付けの患者の可能性を広げ、新たな世界を生み出した。

そして、仕事が順調に進み始めたとき、彼は、より大きな課題に取り組もうとする。つまり、より大きな仕事をこなし、より大きな収入を得るための試みを始める。

それは彼の課題であり、彼の人生において達成できなかった葛藤だと感じる。

ロッソは、新しい仕事がいかに重要か、そして、患者たちの生活をいかに変えるかを熱弁する。

それまで「スイ」と言ってきた者たちは、はじめて「ノ」と手を挙げる。

ロッソにとって重要な課題は、多くの患者を社会に出すことであり、そのことを通じて自分の未完成の課題を満足させることだったように見える。

しかし、患者にとっての問題は、目の前のバカンスであり、食べるものであり、女性との交際であった。

患者の方が自分のための方向性がはっきりしていたということだろう。

初めて意見を否定されたロッソにドクターが掛けた言葉が洒落ている。

「今までやってきたことの一番の成果だったね」

迎合することより否定すること、人生にフォーカスすることが如何に難しいかが分かっているからこそ、「ノ」という言葉を待っていた。

どうしても解決する「回答」ばかりを探してしまう僕にとって、一番いい場面であった。

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イタリア映画際2009

「私を撮って」

プレカリアート(非正規雇用)をテーマにした映画。

しかし、日本で派遣労働が「貧困」をテーマにして語られる一方、イタリアでは、非正規雇用が恋愛にどのように影響するかをテーマとしている。

雇用の不安定な俳優とフィルムの編集をしているカップルのドキュメンタリーを撮る2人の映像作家をさらにカメラが追いかけるという手法をとっている。

夫婦の生活に24時間密着し、カメラを回す二人。その中で、夫婦の危機が訪れ、言い争い、浮気、葛藤、育児、仕事と、生活を追い続けながらカメラが回る。

非正規雇用のテーマは次第に何処かに行ってしまい、恋愛映画としての色が濃くなるが、そんなのお構いなしにカメラは回る。

演じる俳優はドキュメンタリーカメラの前での演技をしながら、映画の物語を演じる。その表情が微妙に変わり、突然輝きだす。

食べること、愛すること、ママを大切にすることがイアリア人にとって大切なことなのだとしたら、日本人にとって大切なことは何だろう。

全てのベクトルが愛へ向う人間関係というのも難しいようでいて、なかなか楽しいと感じる。とにかく人生を謳歌しようとする力は凄い。

妻を演じるアルバ・カテリーナ・ロルヴァケルは魅力的だ。

表情だけで、そんな目で見ないでとふらっとする。

と思いながらパンフレットを見ていたら、イタリア人のどの役者、監督も恋する目でこちらを見ていた。

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やればできるさ

イタリア映画際「やればできるさ」

精神病院から出された組合員の組合長になったロッソは、「やればできるさ」と、組合員の収入を増やすために奮闘する。

映画の背景となっているイタリアでは、1978年、精神病院の閉鎖と地域医療の実現を目指す180号法(精神科医の名前をとってバザリア法という)が制定された。

バザリアは、1961年、ゴリツイアの精神科病院の院長に就任し、病院の現実を目にし、その悲惨な現状に驚く。身体拘束、電気ショック療法は当たり前であり、病人のためではなく社会のために病人を隔離する政策を取っていた。

1971年にトリエステの病院の院長になったバザリアは、開放病棟の中でのレクリエーション、行動療法に力を入れる。さらに、患者を社会に解放し、治療は地域社会の精神衛生センターで行うことを実践する。さらに、1977年には病院を閉鎖する。

その翌年、バザリア法が制定された。

この映画は、1983年のミラノが背景となり、バザリア法により病院から出された患者が就労のための組合を作っているところからはじまる。

組合は、市から仕事を貰っているものの、患者は薬づけにされているため、補助的な仕事しか回ってこない。

そこにやってきたのが組合長のロッソ。組合員会議で、補助的仕事でつまらない仕事を続けるのがいいか、市場の仕事をとり収入を増やすのがいいかを問う。

そしてはじまったのがフローリングの寄せ木貼りの仕事。廃材をパズルのような作品に仕上げることで人気が出て、仕事がどんどん舞い込んでくる。

しかし、

生きにくい人たちを扱った映画でありながら、笑って見られる(差別感を感じないというよりも製作者たちの人間観が明確である)。その笑いが課題を解決する鍵である。

そこには、マイナスをプラスにしながら生きてゆくイタリア人の人生観が垣間見られる。

閉鎖社会の中に押し込めることがいかに人間の可能性を小さくしているかを問うていると同時に、精神病院を閉鎖するという荒療治を生かすためには、常識では考えられない療法をする人(ロッソのような人)が必要なのだろう。

理念ばかりが先行する常識的な社会ではこうはいかない。

個人的には、性に対する明るさが感動的だった。

イタリアではこうした患者の組合が何百とあるという。それぞれの組合が独特の方法で稼いでいるんだろう。

100年に一度の不景気を解決する方法は、ここにあるのかもしれないね。

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2009年5月 4日 (月曜日)

お粥

お粥

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ずっと夢を見させてくれてありがとう

清志朗のイマジンを聞いている。

中学生の時、「僕の好きな先生」を歌っていた。

美術の先生が好きで、よく美術室に行った。

美術室は、勉強が嫌いな生徒のたまり場だった。何もせずに油絵の具の匂いをかいでボーとしていた。

美術の先生はいつも汚れた洋服を着て、やる気のない顔で煙草を吸っていた。

先生の家にも遊びに行った。

押入れに入っているキャンバスには裸婦が描かれ、先生が席を外したときにそっと覗いた。

ジュースを飲みながら裸婦を見ることはいけないことのような気がしたので、先生に見せて欲しいとは云えず、黙っていると、先生も黙っていた。

2人で黙ってジュースを飲んで、しばらくして、とつぜん「さよなら」を云って帰ってきた。

デイドリーム・ビリバーを聞いている。

30を過ぎて、タイの農村に行った。

言葉が通じず、仕事もなく、熱く、滅入っていた。

高床式の床に寝そべり、木の冷たさを肌に感じ、この歌を歌った。

歌っていても、いいことは何もおこらないことは分かっていた。それでも心のバランスを保つには薬になった。

2008年2月10日武道館に行った。

会場のモニターに映し出される清志朗の優しいまなざし。

闘病生活から復活したことを歌で伝えようとしているが、彼の優しいまなざしだけで胸が一杯になる。

それから、僕の心は君の歌で満たされている。

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2009年5月 3日 (日曜日)


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誇り高い人生

わけもなく 涙ぐむのは

君のこと想っているから

悲しい涙じゃない あったかい気持ち

ありがとう

清志郎

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2009年5月 1日 (金曜日)

福祉はビジネスか?

福祉ビジネスは儲かるのか?という検索があったので、そのテーマで書いてみたい。

福祉はビジネスだろうか?

福祉がビジネスといわれたり、介護業界と言われるようになったのは、介護保険という制度が大きく影響している。

つまり、福祉(介護)産業としての裾野が広がり、資産を持つ高齢者の増加、福祉を産業とする(民営化)政策が進んだ。

それは閉鎖的な業界に光を当てることになり、評価という視点でサービスをみる仕組みができるなど一定の効果を生んでいる。

その一方で、社会の責任であった福祉を個人の責任(能力)に置き換えた結果、格差が生まれた。

国としての方向が決まらないままにして、一方で、「民間にできることは民間に」というあの人の甘い言葉に騙され、民営化は進んだ。

行政の措置制度で運営させている福祉施設はもはや少数となり、殆どの福祉は表面的には民間(のような)になった。

のようになっても、全く民間になっていないところが日本的であり、税金が使われている。

税金を投入することでコントロールしようとするので、ますます、自由度がなくなり、細々とした福祉が行われている。

そうしたビジネスを福祉ビジネスとするなら、儲からないとしか云えないし、儲からないような制度、しくみを作ることで税金が使われている。

もし、儲かる福祉を行おうとするのであれば、行政から独立した、また、福祉システムから独立した、新しいモデルをつくる必要がある。

しかし、福祉は儲かるだろうか?と云っているようでは未来はないだろう。

儲からないからこそ、そこに楽しさがあり、やりがいがあるという発想の転換こそが、新しいビジネスモデルになると思う。

※ソーシャルワーカーは生活できるか?

というテーマであると、結論は違う。

充分に生活できる。それは、僕の周りの独立ソーシャルワーカーは皆何とか生活していることで証明できる。

また、このテーマについては、今年調査をしたいと考えているので、また、報告したい。

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パ・ラ・ダ

イタリア映画際に行く。

「パ・ラ・ダ」

パラダとは、ストリートチルドレンのサーカス団の名前。

作品の紹介には「心がすさんだ子どもたちが、一人の外国人との出会いによって人間性を取り戻す、実話に基づいた感動作」とあった。

チャウチェスク政権が崩壊し、ルーアマニアの政情が不安定になり、経済の沈滞、政情不安が広がり、貧困が子どもに覆いかぶさっている状況が見える。

そうした社会にあって、「心がすさん」でいるのは子どもではなく、社会の状態が一番弱い子どもに現れているだけだろう。

映画では、施設から逃げ出してきた子どもたちが、生活の糧を得るために都市に出てきた。住処としてマンホールの中を選んだ。

施設では「殴られる」と子どもが言う。大人が子どもを収容する施設でさえ、充分な職員を確保できず、子どもが脱走するままになり、脱走した女の子が暴行され殺される。

子どもたちは生活のために身体を売り、お金を盗み、路上で生活する。苦しい生活を紛らわすためにシンナーを吸う。

そんな劣悪な環境の中かに飛び込んだ青年はNGOの職員と共に子どもの自立を支援する。

まさに、ソーシャルワーカーとして働く。

彼のアプローチはユニークだ。

ピエロとして子どもに接近する。アコーディオンを操り、子どもの内面を揺さぶる。さらに、悪臭が漂うマンホール生活を共にしようとする。

しかし、殆ど巻き込まれてしまい、事件が起きる。この辺の距離の取り方は非常に難しいものがある。

また、ソーシャルワーカー実践としても興味深い。

彼自身がどうしてストリートチルドレンに興味を持っているかを映画では詳しく語っていないが、彼を動かす動機には興味をもった。

そして、彼は、自立のためにサーカス団を結成する。

たしか、スペインにもベンポスタ子ども共和国といものがあり、子どもが中心となりサーカス団を結成して活動をしていた。

30年ほど前にバンコクのNGOの職員と一緒に行動したことがある。そのNGOは、農村から出てきたストリートチルドレンを保護する活動を行っていた。

農村の貧困により児童売買、児童労働、児童買春が行われていた。

特に、子どもの労働環境は劣悪であった。

その子どもたちが再教育できる施設にも足を運び一緒に生活をした。

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2009年4月29日 (水曜日)

似てる?

左は、今日買ってきた急須。

右は、10年前に作った器。

同じような釉薬をつかい、デザインも似ている。

考えることが同じ人がいることが嬉しいね。

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2009年4月28日 (火曜日)

グラン・トリノ

この映画のテーマは「死」だと思った。

それは、「生きる」ための。

それに、黒沢明の「生きる」に通じるものを多く感じた。

「生きる」の中で、志村喬は、市役所の市民課長として、「何もしないこと以外には」することがないような「ミイラ」として生きてきた。

誰にも尊敬されることもなく、誰からも振り返られることがない人生を送ってきた。

グラントリノのクリント・イーストウッドも、憎まれ口を利き、自分の背負っている憎しみを他人にぶつけるだけの人生を送ってきた。

隣に住むモン族の祈祷師から、「誰からも尊敬されず、誰からも愛されない」人生を送ってきたといわれる。

志村は、癌を宣告され、自分の人生を振り返る。

そこに登場するのは、若い事務員の女性だ。

彼女の若さに憧れ、どうしたらそんなに生き生きと「生きる」ことができるのかと問う。

その言葉は、恐ろしいほど真に迫っている。

「君は、どうしてそんなに活気があるのか。全く活気がある。それが私は羨ましい。私は死ぬまで、一日でもいいからそんなふうに生きたい。そうでなければとても死ねない。何かをしたいが、それが分からない。教えてくれ。どうしたら君のようになれるのか」

そんなことを云われて困った若い女は、「だって、私、だた働いて、食べて」と答え、毎日毎日作っている小さな兎の玩具を動かす。

「課長さんも何か作ってみたら」と思わず云ってしまう。

そこから物語りは動き始める。

つまり、志村喬は「死」に向って生きはじめる。

この映画では、若いモン族の青年が登場する。

彼は、若さゆえの生きる力を持っている。それに、クリントイーストウッドは、彼を助ける力(知恵)を持っている。

しかし、彼を大人の男にしようとする自分の姿は、自分の過去を死に追いやり、今を生きる力になっていることに気づく。

そして、どのように死を迎えるか、どうしたら死を生きる力に変えることができるかを考え行動する。

「死と生」に関して、宗教観も違う日本とアメリカにあって、こんなにも共通するものがあることに驚くと共に、深く感動した。

ちなみに、隣のモンの家の壁に掛かるタペストリーは、家の壁に掛かっているタペストリーをそっくりです。

興味のある人は見に来てください。

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2009年4月27日 (月曜日)

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初対面

被後見の関係者と電話で、あるいは面接をすることがある。

当然、初対面の相手である。

面接や電話がうまく進むかどうかは、初めから予想がつく場合と、全く予想できない場合がある。

悪いほうの予想はつきやすい。

本人とのそれまでの関係や人生歴から大体の成り行きは想像できる。

しかし、本人が長年連絡を取っていない場合は、相手の気持ちがつかめない。

そのため、電話などは、連絡をした要件を初めに伝える。

突然の電話を詫び、本人との関係を伝え、要旨を伝える。

何のために電話し、電話をしなければならなかった目的をまず伝える。

それからは、相手の話を受け止める。

あまり長い説明をせず、相手の出かたを確認する。

関りたくない場合には、終了する。

しかし、できれば、A又はBを選択する可能性はないかを確認する。

この、A又はBについては、電話する前に選択可能な点を探しておく。

そう事前の準備が大切であり、準備しだいで可能性も広がったり狭まったりする。

それに、相手にいい印象を持て貰うために、電話をしっかり持ちお辞儀を丁寧にする。

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2009年4月26日 (日曜日)

ミネストローネ

ミネストローネを作る。

色は悪いが味はいい。

野菜が沢山入り3時間火に掛ける。

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独立社会福祉士の年収

ブログのアクセスを見ていると、独立社会福祉士の年収を知りたい方が多くいる。

以下はあくまで個人的な見立て。(たぶんそんなもんだと思う)

まず、収入の幅が広いということと、経験差が大きいだろうと思われる。

独立といっても大きく分かれるのは、事業を経営している人とそうでない人。

ここで、人といったのは、その人をソーシャルワーカーと呼べるのかという問題。

事業経営者は、比較的収入は安定している。

ここで問題は、収入は安定しているが、支出が多いということだろう。

事業収入は、介護保険、障害、評価事業、福祉サービスなどなど。事業が軌道に乗れば一定の収入を確保することは難しくない。

それが、500万だろうと5千万だろうと、一定の収入は確保できる。

しかし、人件費等の支出は一定とはならず、経営を圧迫する。

収入が5千万の事業所の場合。(あくまで例です)

20人のスタッフを雇っている。

一人平均年間150万円の人件費。事務所の賃貸、維持費に年600万、その他の経費が年360万かかるとする。

これで、経営者の売上が1千万ある。

しかし、支出は思わぬところで生じる。

車が壊れた。事務所を移転する必要が生じた。職員の退職金を積み立てる必要になった、スタッフが交通事故をおこした・・・。

すると、経営者の収入は200万から1,000万といったところではないかと想像する。

また、最悪の年は、赤字という場合もありえる。

では、一人ケアマネなど、個人事業所の場合はどうだろう。

この場合は計算が簡単。

介護保険法で定められた数のプランを立て、自宅で開業するという経費削減を図ったとする。

それでも、利益は300万から400万といったところ。ここから経費を引くと手取りの学は雇われていたほうが高かったということになる。

では、個人開業のソーシャルワーカーは、(続く)

続きを読む "独立社会福祉士の年収"

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タイヤを替える

もう20年乗っているMTB(プジョー)のタイヤを交換した。

フレームサイズに合う最小のタイヤ(細い)に交換した。その結果、がたがたいわない、走りがスムーズになった。

前回、太ももがつったこともあり、今日は40キロほどのアップダウンを走った。

天気もいいし、新緑に吹く風が心地いい。

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2009年4月24日 (金曜日)

利用者の交えない担当者会議

利用者の交えない担当者会議の出席を断りました。

後見人は利用者本人だと云われます。

実際は本人にはなれないので、本人のように振舞うだけですが。

それでも、本人に代わって担当者会議に出席したりします。

でも、参加しないこともあります。

担当者会議の目的がどこにあるのかを確認し、会議の開催が必要かどうかによります。

しかし、参加しないことの後ろめたさは感じます。

会議というのは、目的が明確である場合でも、次第に、会議をすることが目的になります。

情報の共有をするためということもあり、とりあえず集まって確認することもあります。

それらを否定するつもりはありませんが、会議の中心議題が自分ということになると話は別です。

自分のことを話し合うために人びとが集まるというのなら、その目的が明らかでないと不安です。

ほっといて欲しいと思うこともあります。

また、プランを決める会議を開いて、その後、「こうなりましたので宜しく」といわれましても、「そうですか」とは云いたくありません。

そんなの自分のプランじゃないと思います。

そう思うほうが当然です。

反対したり、否定したり、自己主張したりすることが難しい日本です。

主張する中に、その人の本音があります。

それを汲み取って欲しいのです。

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2009年4月23日 (木曜日)

主人公が変わる

カエル君へ

社会学者高橋氏のものの考え方は面白い。

彼にとっては当然の道なのかも知れないが、主人公と思われている人以外の人生を見つめる視点がさわやかだ。

ハガルの帰還の場合、アブラムが主人公としてみた場合と、サライを中心の物語を立てる場合と、ハガルから歴史を見た場合では、同じ物語(歴史)でも全く意味が違ってしまう。

(登場する人物名は大きな意味を持たないので、気にしないでください)

善きサマリヤ人では、サマリヤ人にではなく、立法学者に視点を据え、5千人のパンの話では、パンから物語を見ている。

パンは割かれたとは書かれていない。

みんなが満腹したと書かれている。

そのパンはみんなを満腹にする力があったと解釈することもできる。(私見)

そう考えると、人間の生活を猫から見る作家もいるくらいだから、もっと大きな高い視点で見ると全く違って見えるだろう。

その点、宇宙飛行士は凄い。

窓から見える世界の中に、何十億人の人生が展開されている。

あまり多いと何も見えないかもしれないという危惧もあるけど、地球というまあるい星を見てみたい。

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ハガル生き返る

木曜日は大学に行く。

天気がいい。

図書館で本を返し、また、借りてきた。

社会学者、聖書を読む/高橋由典/教文館/2009

その時何があったのか?

数千年前に起きたことを様々なこじつけを交えながら、それでいて、逆転する社会学者の視点が楽しい本です。

クリスチャンのささげもの/V・Sアザライア安部志郎訳/日本キリスト教団/1957

昭和32年発行、120円。安部先生がアメリカから帰ってきて教え始めた頃だろうと思い、借りる。

フランクルを学ぶ人のために/山田邦夫/世界思想社/2002

なんとなく借りる

スーパービジョンを考える/たたら幹八郎・滝口俊子偏著/誠信書房/2001

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2009年4月22日 (水曜日)

在宅で暮らす

一人暮らしの人が人生の終末期、家で暮らすことは難しい。

それは、本人にとってではなく、回りの大人にとって難しい。

本人の意志とは別の常識が働き、「施設へ」又は「病院へ」という話になってしまう。

在宅を支えるためにケアや医療制度がある。しかし、ケアや医療は、在宅向きの人には厚い支援を行うが、在宅に向いていない人には限界があるという。

その「向いている」とは一体どんのことかといえば、ケアや医療の「持分」をさしているようだ。

ケアや医療の専門性が高まるに従い、持分が細分化された。ここまでは在宅で、ここからは専門的施設でということになる。

それは、そのほうが専門的な治療、養護、関りができるからだと云われている。

そういわれる場に、本人はいない。

何しろ、本人は判断能力が衰えている場合が多い。

選択肢が家以外になかった時代にはどうしていたかといえば、どんな状態になっても見守ることを続けてきた。

ひたすら祈ることしかできなかったのかもしれない。

それが、専門性が高まり選択肢が増えた現在。黙って見ている事は悪いことでもしているように見られる。

何がいいのかは分からない。

ただ、そのままにしていて欲しいという選択もあるように思う。

ここまできたら、旨いものをたらふく食べてみたいというような人もいれば、節制して1分でも長く生きていたいと思う人もいるだろう。

それは、その時にならなければ分からない。

ただ、分かるのは本人以外にいないことだけは確かだ。

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今読んでいる本

「身体値と言語」/奥川幸子/中央法規/2007

先日紀伊国屋(新宿)で購入。

”対人援助技術を鍛える”と副題にある。奥川節が感じられる本です。

ケアの絆/マーさ・A.・ファインマン/岩波書店/2009

相談援助ー自らの問い可能性を感じ取る/山下英三郎/学苑社/2006

リトル・トリー/フォレスト・カーター/めるくまーる/1991

奥川さんの本を読んで、再読中

自立と共生の場としての教会/北村慈郎/新教出版社

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バクタイ

彼女が子守をし、妹を寝かしつけるシーンが好きだ。

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こいのぼりが揺れる

会話に脈略がなく、意味がつかめない一郎さん(仮名)を訪問した。

時間があったので、黙って一郎さんの後につき、話を聞いていた。

そしたら、話しには一定のパターンがあり、飛び飛びの話しにはそれぞれ意味があることに気がついた。

すると、一郎さんとの関係が変わってきた。

ボクの気持ちが変わっただけなのに、一郎さんが積極的話をするようになった。

それならと、とことん付いていきますという態度をとった。

すると、あれほど長い話が短くなった。

なるほど。話をしたかったというより、関係性の中で会話の時間は変わるものなのだろう。

それから、一緒に外に出て、道行く子どもに声を掛ける一郎さん。

紙のこいのぼりを振りながら手を振る子ども。

その子どもに「元気でいろよ」と、声を掛ける一郎さん。

自分の子どもを思い出しているのか、目が潤んでいるように見える。

もう帰っていいよという顔になったので失礼することにする。

「また、遊びに来ます」というと。

「ご苦労様」と、一郎さん。

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子供の情景

バクタイはアフガニスタンのバーミヤンに住んでいる。

妹の子守をしながらも学校へ行く夢を見る。学校に行くには、ノートと鉛筆が必要だと隣の男の子が教えてくれた。

バクタイはお金を持っていない。

持っていないけれど、ノートと鉛筆は欲しい。

卵を市場で売ってノートを買おう。

卵を4つ持って市場に向う。

岩波ホールで掛かっているアフガニスタンを舞台にした映画「子供の情景」は、単純なストリーをバクタイを演じる少女の目を通じて多くを訴えてくる。

戦争は子どもにとっても戦いの場であることは明らかである。現実は否応なしに日常生活に入り込み、子どもの世界を飲み込んでしまう。

子どもの情景は大人の世界を縮小したのもではない。むしろ、世界の現実を引き伸ばし、明らかにしているように感じる。

タリバンごっこをする男の子たちの目は、戦士の目であり、私たちに行動を促すように訴えている。

「自由が欲しければ、死ななければならない」という、現実を。

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2曲目

山下達郎のコンサートに行った。

一人で。

2曲目のジャングル・スイングのイントロが流れたら涙が止まらない。なぜか分からないけれど、気持ちが大きく揺れている。

チケットは妻に貰った。

達郎ファンの妻と結婚前からコンサートに行っていたから、もう30年近く聞いていることになる。

それでも、熱心なファンが多い達郎マニアの中では、おとなしく応援している人の一人と自負している。

回りを見れば、頭が白い人と光っている人が多い。

五十を越えたミュージシャンが大きなホールを満員にする時代が来るとは思わなかった。それに、その中に自分が座っていると想像することもなかったけれどね。

音楽で時代を変えることはできないけれど、人を楽しませることや慰めることはできると達郎は云う。

もう充分に力を貰いました。

長生きしてください。

チケットをくれた妻は、千秋楽に中野サンプラザに行く。

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2009年4月21日 (火曜日)

風のセ-ルスマン

セールスマンは、大きな鞄を持っているのに売るための商品を何も持っていない。

何も売るものを持っていないのにセールスマンは、自分をセールスマンだという。彼が、そう云うのだからセールスマンなんだろう。

セールスマンは、電信柱のある風景の中で生きている。そこが彼の活躍の場であり、そこからは一歩も離れられない。

そこに登場したときがセールスマンとなり、悲劇のヒロインとなる。

彼が語る物語は、それがどんな物語でもホントウのことだ。

彼は、実存としての私を作るために物語る。

彼の語りは、出来事を忘れることからはじまっているように、するするとでてこない。でてこないことでよりリアルな世界を感じる。

彼自身が老人としての世界をさまよっているようである。

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2009年4月20日 (月曜日)

対人援助に於ける「待つ」を考える

対人援助に於いて「待つ」ことは、基本であり、中心的課題となる。

待つことを考える場合、すぐに浮かんでくるのは、「ゴトーを待ちながら」だ。(あくまで個人的な興味です)

ゴトーとは、ゴッド(神)だと云われている。

神を待つとは、希望を待つことに繋がる。何に対する希望というのではなく、人生に対する希望というような命題だろう。

そこには、既に待っている人が居る。

その存在が大きい。

「もしもし。誰を待っているのですか」とは聞かない。何かを待っていることは明らかであり、その待つという行為自体がその人の人生であるからだ。

しかし、既に待っている人は、一体いつから待っているのだろうか?

それは、以前からであり、待ち続けるうちに時間を超越してしまっている。

神の約束は、歴史の中にあり、それは人類に対する契約として記されている。

待つことに意味はあるのか?

意味とは何だろう。待つことは行為であり、時間という人生に関る。

待つこと自体が意味を持つ。

他人から見ると暇つぶしのように見える。無意味に見える。何もしていないように見えるかもしれない。

しかし、それでも待つことを続ける。

「私には関らないで」と強い拒否を示していた女性から援助を希望する電話を貰った。

3年間待った結果の電話だった。

何が変わった訳ではない。待っていたらそうなっただけである。

そして、その希望さえも変化するかもしれない。

それでも待っていたからこそ、その変化に立ち会うことだできたことは確かだと感じている。

芝居の中でゴトーは現れない。それでも観客としての自分の中に確かな変化が起こっていることを感じることができる。

その感じは、感じる人にだけ訪れる救いのようなものだと思う。

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2009年4月19日 (日曜日)

豚ときのこのバルサミコ煮

豚ときのこのバルサミコ酢煮を作った。

日曜日に料理をすることしにて3週間目。

食材にはお金がかかるが、気分転換にはなっている。

写真の色は悪いが味は良かった。家人も満足の様子で安心する。

来週は豆料理の予定です。

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中谷さん

通っている大学には、神学部がある。

神学部がある大学はそれほどない。

哲学や神学という、生活費の直結しない学問を学ぶ学生には興味がある。

養護施設にいたとき、夜警という人がいた。

その施設の場合、学生が住み込みで夜警をしていた。昼間は、大学に通い、夜は夜警をする。

当時、東京神学大の学生が夜警だった。

学生といっても、髭をはやしたおじさんだった。

日本各地を放浪し、かなりの年で神学部に入ったという経験を持つ彼の部屋には、学校や施設に不満を持った少年がたむろするようになった。

また、大学や社会に不満をもった神学生もよく遊びに来た。

そして、泊り込み勤務の時、子どもが寝静まってからボクもよく遊びにいった。

部屋は、4畳半ぐらいだったか、それ以上に狭い。その狭い部屋に金魚が1匹、それも太った金魚だった。

彼の金魚は餌をもらっても、それを消費できるだけのスペースがない金魚鉢に浮かんでいた。あまりに太ってしまい、泳ぐことを忘れ、ただ浮かんでいた。そして、最後には、腹を上に向けていた。

金魚と同じように、子どもたちも、狭い施設や学校に飽き飽きしていた。することがないので悪いことをする。

それでも、何かをする子はいいほうだ。

何もすることがなく、金魚のように浮かんで時間をつぶす子どももいた。

そんな子どもがやってきても、彼は、何も言わない。

何も言わなくても、彼の生き方は大きな影響を与えた。

彼がバイクに乗っていると、バイク好きの子どもが集まる。

トランペットを吹いていると、楽器好きの子どもが寄って来る。

ラーメンと食べていると、腹の空いた子どもが食わせろという。

賛美歌を歌っていると、下手だから止めろと、横に寝ている子どもが声を掛ける。

先生でも職員でもないので、親や大人の不満や批判をしてはストレスを発散している。

その時、既に40は越えていたであろうから、立派な大人だ。しかし、子ども達のとって、彼は大人ではなかった。

自分の姿を映す池のような存在だった。

どんなに大きな石を投げ入れても、水が溢れることがなく、全てを飲み込んでくれるような存在だった。

「自立と共生の場としての教会」北村慈朗を読んでいて、急に中谷さんを想いだした。

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集まる

大学院に行き授業を受けていて思うことは、若い人は集団で行動する傾向にあるということ。

大学院生といっても、若い。

どのぐらいが若いかというと、経験的に、35歳が分かれ目だと感じている。

この年齢前後で人間としての大きな変化があると信じている(勝手に)

個人的には、人間力がつき始めるのもこの35歳くらいからだと思っている。

この年齢は、人生のほぼ半分くらいである。つまり、人生を半分生きたということであり、もう半分の死に向う人生が始まったということだ。

また、親の老後が始まる時期である。

つまり、人生まだまだと思っていた青春時代も終わり、気がついたら、先がそれほどないと感じ始める年代といえる。

このアンダー35.の世代は、何かと楽しそうにくっついている。のこ「たのしそう」というのが怪しい。つまり、「たのしそう」にしなければいけないというプレッシャーを感じながら、仲間とつるんでいる。

それが、オーバー50になると、そんなもめんどくさいと思うのか、一人でいいじゃんと思う。家族からも離れ、たまには「一人になりたい」し、気を使うのも疲れる。

どうせもうすぐ死んでいるんだから、人のこともまで考えていられない。自由に生きましょう。と、そんな感じである。

そう思って、クラスを見回すと、若い人のグループとおじさん、おばさんの孤独な姿が目に付く。

しかし、孤独なのはどちらかは分からない。

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2009年4月16日 (木曜日)

将来

S先生から、「将来は」と聞かれたとき、思考が止まった。

その時、「いきる」で志村崇が部下の女性から「課長さんだって将来のこと考えるでしょ」と云われたときの顔になっていた。

将来とは何だろう。

若いときには、漠然とした将来に対する不安があった。

将来に対する希望があると信じるのは夢の世界である。

では、将来を考えていないかというと、若いときより現実的な将来を考えている。それは、明日のことである。

明日も生きていたいと願う。それも強く願っている。

学ぶことに対する渇望がある。

今、覚えたいと思うのは、忘れる量が多いからかも知れない。

それだけに真剣さだけは若い人には負けない。

「いま・ここ」の世界、現実の積み重ねが将来の自分を作っている。

過去から見ていた将来を生きるようになったとき、これでよかったといえるかどうかが問題だとしたら、これから先は、生きていることが目標だ。

生きていることで、自分の人生だけは作れるように思う。

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授業はじまる

今日から大学院の授業が始まる。

大学には、卒業後、養護施設に勤めながらゼミに出たことがあるが、それ以来の授業となった。

小さな大学が森の中にあり、鶯の囀りを聞きながらの授業というものもいいものだ。鶯の声が昨日聞いた、江戸屋小猫の声に聞こえてきておかしかった。

本日は、F先生のスーパービジョンとSの交流分析の授業。

授業前には、拒否的な反応が多かったクライアントから電話がある。

実際動いているケースと、理論がどう結びつくか楽しみだ。僕自身の内面の変化がケースに与える影響が大きい。様々なものがシンクロしていると感じる。

お昼は学食でランチを食べる。

午後の授業が終わってから、利用者宅を回る。

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2009年4月15日 (水曜日)

遠藤周作

昭和50年5月20日発行の遠藤周作文学全集第7巻を読んでいる。

本箱の奥にしまわれていたものを取り出した。

昭和50年といえば、まだ10代だった。それなのに、どうして遠藤周作なのか、また、「死海のほとり」なのか分からない。

ただ、本を買った記憶は残っている。

この頃、金子光晴全集を買っている。この全集も、読まれることもなく、出番を待っている。

それが、読み始めたら面白い。

遠藤周作は、30年経って味が出てくるのか。

当時、ネスカフェのコマーシャルが流れる前であり、硬派なカトリック作家だった。

それが、嬉しいほど自信のない、自己否定的なクリスチャンとして登場する。

彼は、その男が何もしなかったことの意味を探し始める。その生涯を追うが、何も新しいことは出てこない。それどころか、自分が信じていた姿とはかけ離れた人生が浮かび上がってくる。

それは、「彼」が否定いる自分の人生と重なる。

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寄席

春休みの最後の日(と勝手に決めて)

浅草演芸ホールに出かけた。

おりしも、二代目林家三平襲名披露興行だった。

もちろん学割で入場する

寄席に来るのはしばらくぶり。

楽しい勉強をさせてもらいました。
                              

客席から、「がんばって」と声がかかりましたが、「噺家は頑張れないんです」と受け答えていた。まったく、頑張らないようにしながらプロとして笑わせるところがみそ。

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2009年4月12日 (日曜日)

報告会4

報告会後、作品の紹介と販売会。

今年もチーズとクッキーを購入。

その他の作品は今も使っている。

上は、木工作品

織物。

配色がきれいだ。

報告会で、会員の言葉は印象的であり、力強い。

TAKE IT EASY YOUR LIFE

というTシャツを着ていた青年がいた。病気を抱えながら目標を持ち、生活に取り組んでいると報告をした。

成果を報告するのではなく、生活しているそのことを報告するところに、聞いている者は心を動かすのだろう。

足りないものがあるから責任者を引き受けたという理事長の言葉は意味が深く、考えさせられた。

できることからではなく、できないものを持つことで、何かが始まることもあるのだろう。

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報告会3

イースターでもあり、復活劇。

キリスト登場(右後ろ)

キリストは生き生きした声を出していて嬉しくなる

賛美歌を歌う会員

中央は、宮嶋眞一郎氏

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