良雄さんは、玄関横の郵便受けにある小さな蓋をなんどもバタバタさせる。
バタバタバタバタ。少し休んで、また、バタバタバタバタ。
部屋の中には、娘がじっとその音を聞いている。
良雄さんさんが帰ってきたという音である。
娘はもう、10年近く外に出ていない。
家にヘルパーがくるようになり、ドンドンと扉を叩く音と区別するための合図である。
しかし、この作業を良雄さんは楽しんでいた。
鍵を持っているので、静かに扉を開けて、いつものように部屋に入ることもできるのに、パタパタパタは自分が帰ってきたサインである。
良雄さんと知り合ったのは、社協の紹介だ。
末期癌の良雄さんの心情面と経済的な支援が必要になった。
良雄さんは、しっかりしていたが、動くのが辛くなっていた。
社協での顔合わせの日、良雄さんの家まで迎えに行った。
外出用の洋服に着替え、歩きやすい靴を履き、近くの集会所まで歩いた。
僕は、後ろからついていく。
一歩一歩、良雄さんの確かな歩みは、彼の人生のように感じられた。
「どんなことをしてもらいたいですか」
社協の職員が聞く。
「それは決まっています。できないことをお願いします。でも、今はそんなに多くはありません」
僕は、「はい」と答えた。
それから1週間後、良雄さんの家を訪ねた。
玄関横の郵便受けの小さな扉を小さな音で2回鳴らしてから、声をかける。
良雄さんは、玄関の横で座って待っていた。
その場所が、良雄さんの定位置だ。
1週間前とは違い、積極的に自分の話をする良雄さん。
自分がもうすぐ死を迎えること。
自分には信じるものがあるから怖くはない。
一人娘が家に閉じこもり社会に出られない。そのことだけが心配。
娘の応援隊を結成しているので、その隊員になってほしい。
良雄さんは、真剣に語り、僕は黙って聞いていた。
2週間後、良雄さんの玄関横の郵便受けの蓋を小さくパタパタパタ。
良雄さんの調子は良いことを確認して話を始める。
今日は、僕の話をする。
父親が良雄さんと同じ大正生まれであること。母親が面白い人であること。妻と子どものこと。
YMCA時代に教会にいっていたことなど。
良雄さんが一番関心を寄せたのは、信仰のことだった。
良雄さんは、娘の話をはじめた。
娘に何か残してあげたい。しかし、何を残することができるかわからない。
と言った。
それから、3週間が過ぎた。
僕は、玄関横の郵便受けの蓋を2回バタバタさせた。
良雄さんはいつもの場所でいつもに格好で座っていた。
「良雄さん。ビデをはどうでしょう?」
僕は、映像制作を習っていたので、ビデオを撮り、それを残すことを提案した。
良雄さんは、「それでお願いします」と言った。
そんな提案が出てくることを知っていたように。
「あの子に、見せてください。『元気に生きていきなさい』と言っていたと、
そう言ってください」と良雄さんは言った。
1週間後、僕は小さなビデオカメラを持ち良雄さんの家に向かった。
それから、良雄さんとの人生教室が始まった。
良雄さんが語り、僕が聴く。
良雄さんは、回を重ねるに従い、過去の想い出を鮮明に語る。
僕は、父親の話を聞くように、良雄さんの話に耳を傾けた。
ある時、良雄さんにこう聞いてみた。
「良雄さん。これまでの人生で、いつが一番思い出に残り、いつが一番楽しかったですか」
僕は、よく話に登場する奥様との思い出や、娘との会話などを想像して待っていた。
良雄さんは、「今です、今が一番大切です。今です」と、キッパリ言った。
ある時、いつもの場所に座っている良雄さんの足元にお菓子の缶が置かれていた。
「これ缶には、何が入っているんですか」と僕が聞くと、
良雄さんは、「開けてごらん」と、笑顔で言う。
年季の入った缶の蓋を開けると、写真が沢山出てきた。
学生時代の坊主頭の良雄さん。軍服姿の良雄さん。新婚時代の良雄さん。会社の同僚と記念写真におさまる良雄さん。
写っている場所や表情は違っているが、みんな今の良雄さんと同じ雰囲気がある。
良雄さんは、まったく変わっていない。
どこにいても、何をしていても良雄さんの中心にあるものは動いていない。
そのことを聞いてみた。
良雄さんは、毎日毎日「一生懸命生きてきたからね。ただ、夢中だった」と云い、
奥様と知り合った頃の話をー続けた。
ある日、良雄さんから、病院に一緒に行ってほしいと頼まれた。
これから、痛みが強くなる。その場合に入院する病院を探すことになる。
今日は、その話があるから一緒に聞いてほしい。
と言われた。
主治医の話をじいっと聴き、自分の意見を言う良雄さん。
ときどき、僕の顔をチラッと覗き込む。
「これでいいよね」、と言っているような気がする。
病院からの帰り、
「今日はよかった」と良雄さんはほっとした様子だった。
入院する予定の病院の入院前面談に付き添う。
緩和病院。
病院の相談員から、病院の特徴と入院中の生活、治療に関する話を聞く。
「主治医からの指示があったときに入院できますが、すぐに入院できるわけではありません。
変化があれば、相談してください」と言われた。
「いつ、入院するかは、自分でわかります」と答えていた。
病院からの帰り、甘いものが食べたいとファミレスによる。
コーヒーとケーキを一緒に食べる。
20年前に亡くなった父親といるような気分になる。
良雄さんも楽しそうに話をしている。
娘へのメッセージビデオをだいぶできた。
良雄さんの人生授業は、だんだん哲学的な命題になっていた。
最初に聞いた質問をもう一度してみる。
「良雄さん。人生で一番充実していた時はいつですか」
「今です。あなたと出会って、こうして話をしている瞬間が一番充実しています」
と即答。
そして、「ありがとう」
と、良雄さんは言った。
8日後、その日が来た。
ケアマネから連絡があり、「かなり苦しそうなのでどうしますか」と聞かれる
病院に電話する。
まだ、頑張れるとは思いますが、介護する人もいないので入院をお願いしたいと伝える。
二日後、病院を訪れる。
良雄さんはベッドで落ち着いている。
楽になった様子があり、このまま退院できそうな状態にみえる。
僕は、来週から1週間ほど旅行する予定があった。
良雄さんに「10日ほど留守にしますが、また来ますから、その時に話の続きを聞かせてください」
とお願いする。
「わかりました、がんばります」と良雄さんは応える。
10日後。病院に行く。
僕を見て良雄さんは、
「待っていました。よく来てくれましたね。生きてましたよ」と僕の目を見て言った。
僕が恥ずかしくなるくらいの笑顔だった。
葬儀は教会で行った。
牧師は、病院まで来てくれ、祈祷してくれた。
教会の長老であり、教会の建設にも大きく関わった良雄さんを慕う教会員と葬儀の打ち合わせをしていた。
良雄さんとの想い出を語る教会員の話は、良雄さんの別の人生物語だった。
讃美歌285番を歌い、良雄さんを見送った。
教会からの帰り、良雄さんの家に立ち寄った。
玄関脇の郵便受けの小さな蓋を何回もパタパタと鳴らした。
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