2024年2月17日 (土曜日)

悲しい話

その人は自由人です。

羨ましくなるくらい。

時間だって、自分の時間感覚を持っています。ときどき、長くなったり、短くなったり、相対的に動くようです。

カバンも、ドラえもんのように、いろいろなものが出てきます。沢山ありすぎて、奥が深すぎて、人が一人入るくらい。ときどき、寝たくなるくらい、気持ちよく、広いです。

決めた事は、もちろん、変えます。変えた事は覚えてません。

そんなことより、もっと大切なことがあるからです。

それを問題だと偉い人は言いますが、偉い人は不自由です。

羨ましいから、レッテルを貼って安心してます。そんなことしてもちっとも自由になりません。

悲しくなくだけです。


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2024年2月 8日 (木曜日)

それは初めからわかっていた

zoomでの会話、一般的な対話も、話をする前から、受け入れられるか拒否的に受け取られるかは決まっている。

内容ではなく、私が受け入れられているかどうかという感覚である。

大丈夫。今日は大丈夫だいう時は、合意されることが多い。なんとなくアウェーだと感じる時には、場にそぐわない話をする。

そうする自由はあるのだから問題ない。

嫌われる選択をしたいのではない。むしろ好かれたい気持ちが多いにも関わらず、アウェーの発言をしてしまう。

そんなこと別の場で、注釈入れて言っても誤解されそうなことをzoomで言っても理解されない。

この余計感覚は、なんだろう。

ゲームなのだろうか?

ここから報酬を得ているのか?


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2024年2月 4日 (日曜日)

変わらないことを確認すること

クライエントを訪問する。

何か変わったことがあれば、その対応をする。

しかし、ほとんど変わらない。

だから、変わらないことを確認しに行く。

 

困ったことを解決すると感謝される。

困ったことがなければ、何もしない。

何もしなくていいことをしに行く。

今回も、何もしなくてよかったねといい、感謝されないことを喜ぶ。

 

笑顔で話ができると嬉しい。

でも、いつも笑顔でいる訳でもなく、普通の顔をしている。

普通の顔って、すこし怖い顔だったりする。

今月も、少し怖い顔ができるように普通でいるみたい。

 

またくるねという。

またきてねと言われる。

 

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2024年2月 3日 (土曜日)

本当という現実を見ないようにしている僕は、

障害を持っている人が、自分らしく、我儘でいることは問題なのか?

問題ではないはずだ。

しかし、支援(援助)を他者から受けないと生活できないのなら、支援者に感謝していると感じてもらう必要がある。

少なくとも、攻撃的ではいけない。

 

支援している人も、たとえ仕事であっても、感謝されることを期待する。

自分の期待値と違う反応をされた場合、嫌な気分になる。

それを、専門的に解釈できない場合、傷つく。

 

支援者が傷つきやすい感情(情動)を内包している場合には、ストレスは大きくなり

仕事を続けられなくなる。

 

それは、支援者の問題であっても、サービスを受ける側の問題だと認識される。

いわゆる「問題のクライエント」とレッテルが貼られる。

レッテルを貼ることで、援助者側は気持ちが軽くなる。

しかし、問題は無くならない。

 

だって、それは、あなたの問題であり、その問題は何ら解決していないのだから。

 

 初めの問いに戻る。

 

我儘でいることはいけないことか。

 

生活のほとんどを援助(支援)されることで成り立っている場合、プライベートな部分はすごく少ない。

「あーふじゃけんじゃない」 と言いたい気分のを抑えることができず、言葉にすることはイケナイことなのか。

そんなことはないってことは知っている。

 

それでも、いい人であることを、よい障がい者であることを期待される?

期待されると、反発したくなる。

 

しかし、「ふざけんじゃない」と言わるほうは、いい気分はしない。

 

その言葉は、対人関係ではあまり聞こえない言葉だからだ。

聞こえてくるとしたら、とっても怖い場所だ。

 

僕たちが普段対話している関係では、直接、相手を傷つけるような物言いをしない。

 

どんなに黒い気持ちがあっても、言葉は「ありがとう」に変わる。

つまり、嘘をついている。

 

それは、使い分けているからだ。

使い分けができない人の言葉は、僕の胸に刺さる。

 

それは、本当が入っているからだ。

本当は恐ろしい。

見えているのに見ないふりをしている僕にとっては、「本当」を見ないふりをしていることがバレてしまう。

 

見ないふりをしているとそれはナイのと同じだと思っている。しかし、それはある。

その、本当の言葉が、僕を襲ってくる。

その言葉に怯えるのは、その言葉の意味ではなく、「僕が嘘をついて生きている」ことを暴かれてしまうからである。

 

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2024年1月29日 (月曜日)

あれから15年

50を超えて大学院に入学した。

入学を祝うパーティで、学生から教授と間違われた。

年だけは同じだったから。

顔はもっと年季が入っている。

 

学生になることの楽しさを満喫した。

他の大学へも聴講に行った。

いろいろな学会へも参加した。

 

初めてという体験はいくつになっても楽しい。

 

2011年震災の前の日の卒業した。

2011年は4月から毎月、東北に行った。

 

2012年から、しばらくも登っていなかった信州の真木を尋ねるようになった。

 

2013年からネパールに行くようになった。

 

2013年から若い時世話になったデレクターを訪ね

妙高にスキーに行くようになった。

 

2016年から西表島に行くようになった。

 

2017年からデンマークに行くようになった。

 

そして、いまも続いている。

何かを探しているみたいだけど、何も見つからない。

見つからないから、また、出かける。

 

僕は毎日クライエントに会いに行く。

行くことで、何かが起きるかもしれない。

 

 

 

 

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2024年1月17日 (水曜日)

親離れできない

親離れできないというテーマの番組をテレビで流していた。

「そういう人がいるよね」と 独り言を言っていたら、少年が

お父さんは、親が死んでも 親離れできないよね

と言った。

 

僕は、父親や母親のことをしばしが語っている。

父親や母親の影響を、今も受けている

 

引きずっていることも多い。

 

少年には親離れしてほしいと、願っている。

少年の方は、それができないけれど、親離れしたいという気持ちを持っていることがわかった。

 

そんな風に感じているんだね。

 

 

 

 

 

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見られていないことの安心

相変わらずアクセスが少ない。

そもそも記事が少なく、書いている内容も一般的でないのだから、そうだろうと思う。

誰にも見られていないのにも関わらず書き続けていることの意味ってなんだろう。

 

見てほしいというより、今日も生きているということを自分で確認するために書いているような気もする。

 

その意味では、見られていないことの安心感がある。

 

それでも、仕事を一緒にする人が、僕のことをチェックするためにアクセスしたりしている。

事前に確認なんかしてほしくはないけど。

 

見られることがないと言えば、ビデオを撮影するようになった。

これも、誰にも見られることがない。

それでもビデオを撮ることは、僕いとっては大きな意味を持つ。

 

やはり、何かを確認するため。とくに、自分のどうしようもなさを確認することになる。

 

だから、誰にも見られないことで よかったと安心する。

 

一方、誰かに見られるビデオの作成に取り掛かっている。

これは、見られることを前提にしているので、フレームがしっかりしている。

事前チェックを何度も行う。

もはや、僕の作品ではない。

 

これは見られても安心だ。

僕が暗黒面が出ていないからね。

 

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2024年1月15日 (月曜日)

言葉が多くなることについて

話を聞く仕事をしている。

これは、仕事の話である。

仕事とは、それでお金をもらっているということ。

そこには、役割や責任が伴い、それなりのルールが存在する。

ルールの前提として、関係性のあり方、距離、システムがある。

 

そうした前提の中に、話す人と聞く人の関係がある。

聞くということは受け身ではない。むしろアクティブな行為である。

意識をそこに向けなくては、聞けない。

その点、僕の意識は内面の反応に向かっている。

 

君ちが先に反応する。

感情が動き出し、止まらない。

頭の中がぐるぐる回る。

 

黙っていられない。

もちろん適切な言葉掛けは存在するが、言いたくて仕方がないという気気持が優っている。

 

会話が終わってから、話の99%が、言わないほうが良かったという感情が襲ってくる。

 

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2024年1月 9日 (火曜日)

散歩

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散歩した。

大きな家の壁に、蔦がからまわっていた。

色々な形に見えるので、写真に撮ってみた。

じっくりと見ると、初めに見ていた所とは別の部分が気になる。

部分は全体になり、そこ以外の世界は見えない。

ぼーと歩いてた。

何日か経って、この前、どこどこ歩いていたでしょうと、言われた。

僕は、世界より、道の模様が気になり全く気がつかなかった。

すでに僕は地図のように地面に溶け込んでいたのでしょう。

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デンマークの福祉と教育、医療、社会のシステムを学ぶツアー

デンマークスタディツアーの参加者が集まらない。

主催者が言うのもなんだが。いいツアーである。

僕の所属する団体の各地の事務局に案内を送った。ただ、なんの反応もない。

これは、予想していたことだったが、かなりのショック。

名もない個人からの案内の取り扱いなので、無視された可能性が高いとは思うが、

でも。いい企画なんです。

と、ぶつぶつ頭の中でつぶやく。

ここだけのはなし、ほんとに、楽しいツアーなんです。

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普通について

し自分では普通に生活していると思っている。しかし、他人からは、さうではないと思われる事もおおい。

何が普通かは、みな違う。その事は分かっているのに、僕の普通に傷つく人がいるという。

僕の普通は、意識的な行動ではないから余計にややこしい。

そうだとしても、他人が傷つくとしたら、そうしない選択を選ぶ。

ほんとうと普通には手を焼く。

そんなものはどこにもないのに、無いからこそ、大きな影響を受けてしまう。

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2024年1月 5日 (金曜日)

歩いた

いいつも車で訪問する施設に歩いて行った。

48分かかった。

車でも20分はかかるから、意外に近いと感じた。

初めて見る公園があった。綺麗な赤い花が咲いていた。坂道を父親がベビーカーを押していた。

歩ける自分を発見した。

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2024年1月 4日 (木曜日)

職員が待っている辰さん

特養に入居している辰さん〔仮名〕の車椅子を押して初詣に、行った。

施設の屋上に特設の神社を拵え、おみくじをひいた。

中吉、待ち人来らず。

辰さんは誰を待っているのだろう。もう、100年も待っている。

鈴を鳴らし、辰さんの代わりに手を合わせると。やってきた人がいる。

この人を待っていたのか。

それを聞こうとすると、彼から、声が掛かる。辰さん 明けましておめでとう。今年もよろしく。と。

彼は、辰さんとは別のフロアの職員らしい。

彼の後ろから、別の女性が顔を出す。

彼女が待ち人か?

それを聞こうと近寄ると、彼女から声がかかる。辰さんおめでとう。と。

彼女は、事務の人らしい。

辰さんがここにいると待ち人が、次から次にやってくる。

待ち人は、辰さんが待っていたのではなく、みんなが辰さんを待っていた。


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2023年12月31日 (日曜日)

映像から見えること

ここ毎年、映像を撮り編集をしている。

映像には、被写体との関係が表れ、編集は、何に価値を置いているかが分かる。

撮ることの何倍も編集が難しい。

どこを繋いでも作品はできるし、それぞれ趣は出ている。それでいて、これでいいと納得できる編集には届かない。

そもそも、納得できない。

それは、関係性が未完成のためだと気づいた。

映像になる前に、もっとやるべき事があるってことだろう。


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2023年12月10日 (日曜日)

喫茶店で

30代の男女が向かい合わせに座っている。 

女性が、突然「幸せ」と、男性に尋ねた。

男性は、何も言わない。

僕は、自分が幸せなのか考えてみた。

当然、隣の男性同様、何も思いつかない。

そんなに不幸じゃないような気分だった。

隣の男女は、何もなかったようにさっき見てきた洋服の話をしている。

僕は、これまでのいろいろな事を思い出していた。


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2023年10月 2日 (月曜日)

来年のスタディツアーの募集を始めました

幸福の国デンマークの福祉・医療・教育システムから自の実践を振り返る2024年第5回デンマーク・スタディー・ツアーのお誘い

2024年6月9日〜15

世界一幸福な国デンマークの暮らし方から学ぶ

日本の政治・経済・福祉・医療・教育などのシステムに疑問を持っている人は多くいると思います。では、世界一幸福な国デンマークではどのような法律を作り、福祉・医療・教育に取り組んでいるのだろうか。そこには、民主的・合理的・自主的な社会システムがあります。

 このスタディーツアーでは、様々な福祉・医療・教育現場の専門家のお話を聞くだけではなく、自らの実践や研究を深めること、対話すること、実践を発表すること、多様な文化・人との交流を促進することにも力を入れます。大人のためのワクワクするような一週間です。あなたの人生にとって大きな刺激になる体験が待っています。ヒュゲの国デンマークでサウナに入り、ロウソクの灯りを見つめ人生を語り合いませんか。

プログラム

施設見学及びホイスコーレの学生と交流

見学・講義はデンマーク第2の島、フェン島北部のボーゲンセのホイスコーレを近郊の学校・行政機関・施設を訪問します。また、見学先、講義内容、対話・交流は参加者の希望を受けてから調整します。特に、今回のツアーでは、講義研修よりも対話研修を取り入れることや、事前学習に力を入れることを予定しています。2023年までの実績は、ボランティアセンター、小学校、地域行政機関、市民宅訪問、福祉施設(高齢者・障がい者)、ガン協会、ジョブセンター、高齢者協会、エコビレッジ、LGBT協会、家庭医、牧師、行政ソーシャルワーカー、補助具センター、難民支援NGO、パーソナルヘルパー及び障がい者が暮らす自宅訪問、フリースクール、青少年進学・進路メンター、ソーシャルワーカー養成大学など多彩な施設(機関)訪問及び専門家と交流を持ってきました。

宿泊施設

宿泊は、デンマーク独特の成人学校「Folke Højskole(フォルケ・ホイスコーレ、通称「国民高等学校」N F H S)の宿泊施設で行います。フォルケ・ホイスコーレは政府の認可を受け、3カ月から6カ月を1タ-ムとして学生を受け入れている体験と相互交流・自己覚知を進める取り組みを行なっている大人のための学校です。そこには、デンマーク人、知的障がいを持つデンマーク人、ヨーロッパ、アジア、アフリカ諸国等、世界各国からの学生が生活を共にしながら学んでいます。NFHSでの生活は、デンマーク文化を肌で感じることはもちろんのこと、多様な文化に触れることができます。希望によっては、NFHSの授業にも参加できます。言語は、英語及びデンマーク語です。

  • 事前研修:スタディツアーでは、事前研修を行います。これまでの研修は、①デンマークの政治・行政制度を理解する。②デンマークの教育制度を学ぶ、③デンマークの障害者支援を学ぶ、④フォルケ・ホイスコーレの実践を知る(DVD)、⑤オープンダイアローグから対話支援を考える、⑥ペタゴーとは何か、⑦デンマークの成年後見制度はどうなっているのか、⑧バンク・ミケルセンから学ぶ、⑨デンマークの行政制度から、貧困と平等、合理性を考えるなどです。*参加費無料。講義形式ではなく、課題論文、書籍を事前に読み対話形式で行います。また、研修中に参加者の実践及び研究発表を行い、研修中にNFHSの学生との交流も実施しました。

 申込/問い合わせ先

   コーディネーター 齋藤弘昭(福まね代表)

   Eメール fukumane@gmail.com  携帯電話090−9326−4663

 

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2023年9月 2日 (土曜日)

それは言われたい言葉なのか

ターミナルの患者に医師が医療処置の確認の問いかけをする。

あなたの心臓が止まった時、それでも、心臓マッサージをして欲しいですか。

呼吸が止まり、息ができない時、喉に管を差し込んで欲しいですか。

 

患者は、目を見開き医師を見つめる。

 

正しいことが行われているかもしれないが、それは患者が聞きたい言葉ではない。

医師の言葉は、医療の言葉である。

医療の言葉は生活者の言葉ではない。

 

そんなことを、いま、聞きたくはない。

そんなことより、好きな音楽を聴きたい。

綺麗な花を見たい。

やまらかいまっサージをほしい。

 

それが叶わないところに医療が置かれている。

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2023年8月27日 (日曜日)

通帳は住民票があり、そこに住んでいないと作れない

M S B銀行で口座を開設しようと出かけた。

銀行の窓口は、予約をしてからこいと言う。

銀行には、来るなという姿勢である。

 

新規の通帳は、インタネットバンクのシステムに誘導する。

やはり、銀行には来るなという姿勢である。

 

手続きを進めると。

住民票のあるところに住んでいるのかと聞いてくる。

いいえと答える。

それでは、どこに住んでいるのかと聞いてくる。

病院に入院していると答える。

住民票の居住地に住んでいないと口座を開設できないと言う。

 

なぜかと問うと、そういうシステムだからだと答える。

全く意味がわからないと言う。

 

路上生活者が口座を開設する場合に、住民票を作る所から始める話を聞く。

 

しかし、住民票があった人が、入院したことで、口座が開設できないというシステムだという。

 

窓口に人は、事情はわかるがシステムがそうなっているからダメだと言う。

 

こうなると堂々巡りになる。

 

今後の展開は・・・

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黒くなったね

洋子さん(仮名)に会うと黒くなったねと言われる。

洋子さんは色白。

日焼けしたくないので、いつも長袖、重ね着。

35度を超える気温でもしっかりと身支度する。

 

デンマークは暑いの。日焼けするの。あたしも行きたいと言う。

 

どこで仕入れたか、デンマークの話を始める。

その話に入ろうとするが、入れてくれない。

飛行機に乗るのが怖い話が始まる。

飛行機は燃料を使って環境に良くないと言うは話になる。

それに入ろうとするが、やはり入れてくれない。

 

いつも入れてくれないので、黙る。

すると、顔をじっと見つめ、何かを待っている。

黙って待っている。

それではと、こちらから質問をする。

しかし、それには応えず、庭の木を切ったので、いい風が来なくなった話を始める。

 

もう、話に入ろうとはせず、黙って聞いている。

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つっかかることについて

転びやすくなった。

実際に転ぶことはない、今のところ。

しかし、平坦な地面、あるいは、フロアなのに靴が引っ掛かり、前のめりいなる。

おっととという感じ。

これが始まったのが5年くらい前。

特に、卓球をしているときに横移動する時に起きる。

自分の感覚と身体の感覚との違和感からくるものと思われる。

これは、どうしようもない。

対策として、スタンスを広く取り、踏ん張るスタイルで動く。

この姿勢では、転べない。

つまり、歳をとることは、自分を変えることはできないので、形を変えることだと思うようになった。

 

 

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2023年8月21日 (月曜日)

学んでいる時に味わうこと

七十を超えた人と話をしていた。

彼は、定年を迎えた後、大学に通った。

その時の思い出がとても楽しかったと、目を輝かせ話をしてくれた。

 

僕も、五十を超えて大学院に通った。

その時の時間の流れがとても楽しかったことを思い出した。

20代で通った学校も思い出もあるが、40代、60代で通う学舎の充実感は格別である。

 

デンマークのホイスコーレは成人学校と呼ばれることもあり、社会に出た後に入学する人も多い。

再び学ぶという体験は、学び直しとは違う。

その間に人生が加わる。それぞれの人生物語があり、その物語の続きとしての学校である。

 

景色が違うのは、人間が変わったからである。

人として、人生物語の意味づけが変わっている。

決して、20代の物語が面白くないというわけではない。

新しい出会いがあり、その出会いに対する意味づけが変わったのだ。

 

同じ景色を見ても、同じに見えないことの素晴らしさを感じる。

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2023年8月18日 (金曜日)

何に見えるかはこちらの問題

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この写真が顔に見える。

目があり、口から舌を出しているようにも見える。

こう見えるのは、二つの組み合わせから結びついたイメージである。

上半分を隠す、あるいは下半分を隠すと顔には見えない。

 

僕らは、何を見ているのか。

それは、正しいのか、わからない。

そのことを笑っているようにも感じる。

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2023年7月17日 (月曜日)

デンマークの教育

報告会が終了し、来年のスタディツアーの募集を始めた。

来年の参加者は例年通りの募集であるが、自分の関心領域を持っていることを原則としたい。

そうは言っても、参加者がいないとはじまらない。

 

報告会では、フリースクールのビデオを中心に、37分の作品を上映した。

フリースクールといっても、日本のフリースクールとは違う。

 

公的な学校である。

教育についての概念から始めないと理解しにくい。

義務教育ではなく、教育を受ける権利を子どもが有すると考える。

 

程度の違いがあれど、裁量は大きい。運営主体は色々あると思う。

 

今回訪問したスクールには、乳児から6年生ぐらい(中にはそれ以上の)の子どもが、学んでいた。

 

学校のカリキュラムはあるだろうが、中心理念は「楽しい場所である」ことらしい。

教室という場所にとらわれない教育に力を入れている。というより、自然が最大の教育者であると信じている。

 

とにかく、自然の中で過ごすこと、子ども同士の交流を促進することに時間を使っている。

 

目的が「楽しい」事に置かれているので、テストをする必要はない。しているのかもしれないけど。

教科も目的に縛られることではなく、教科や学習内容は手段であり、目的は「楽しさ」だ。

 

昆虫や植物の観察をする時間に、教材で遊ぶ子どもがいても、「それはそれで、暗黙の合意」があり、注意もしない。それを見て、観察に夢中になる子どももいる。そもそも、クラスが10人前後なので、一人ひとりが自分のやり方で学習に(遊びに)向き合える。

飽きたら、外で走ってからクラスに戻ることもある。し、そのまま外で授業をしたっていい。

また、森と学校の境がない。

森といっても、日本でいうところも雑木林のような場所。

森の中に学校施設があり、森は学校の中心的な存在である。

 

北海道家庭学校を建てた冨岡幸助も、森が子どもを育てると考えていた。

北海道家庭学校も、デンマークの学校と同様、森の中に家庭舎が立っている。森には熊もいる。その他の動物も季節の植物も咲いている。

自然の中で暮らす間に、だんだん、感情が森のスピードに同化していく。

 

森で遊ぶこどおを見ていると十分に遊ぶと、次のステップに進みたくなるだろうを感じた。

それは、森から離れるのではなく、森の暮らしから学んだことを自分の生活に近づけることだと思う。

 

そんな作品をイメージしてまとめたが、もうすこし編集をしたい。

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2023年6月28日 (水曜日)

スタディツアー報告会

7月15日土曜日 午後7時よりデンマークスタディツアーの報告会を開催します。

●内容は、ホイスコーレという教育システム、パーソナルヘルパーの活動と障がい者の自宅訪問、フリースクール、ソーシャルワーカー大学訪問

などです。

ビデオの上映と意見交換を行います。

今回のスタディーツアーは、新型コロナの影響により2019年以
来の訪問でした。この3年という期間で世界は大きく動き、日本の
停滞と相まって、その格差は広がっていることを実感しました。今
回、ツアーの雰囲気を知っていただこうとビデをを持ち込みました
。子どもたちの歌声も聴くことができる内容です。多くお方の、ご
参加をお持ちしております。

サイトウZoomミーティングに参加する
https://us02web.zoom.us/j/85885672036?pwd=OVR0ZzNBMVdXallwbkRDTTFZWGZjQT0
9
ミーティングID: 858 8567 2036
パスコード: 350858

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2023年6月20日 (火曜日)

草間彌生はどこにいても目立ちます

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研修終了後、コペンハーゲンからパリを訪問。美術館を5館見学。

特に、フェルメールとルソーの作品を楽しみにしていた。

山田五郎のYouTubeで学習した甲斐があり、どの作品もいつもとは違う関心を払うことができた。

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スタディツアー無事終了する

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今年のスタディツアーは3年ぶり。

6月3日から10日までデンマークのオーデンセにあるホイスコーレを中心に実施した。

分野の異なる男女11名が参加し、教育、福祉などの機関、施設、自宅を訪問した。特に今年は、一日フリースクール・幼稚園を訪れ、子どもたちと過ごす時間を持てたことが楽しい思い出となった。

来年も6月に実施する予定がありますので、興味ある方はお問い合わせください。

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2023年6月 7日 (水曜日)

フリースクールで体験見学

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朝の会が始まる。全員がホール(廊下の中央の広場)に集まり、音楽の先生がギターとピアノを弾き始め、子どもも、先生もリズムに乗って歌い出す。一体感があり、学校が始まる、今日は何をしようかと期待感が高まる。

その後、ぼくらは4つのグループに分かれ、0年生から5年生のクラスの授業を見学する。

それぞれのクラスの人数は8人から12人ぐらい。科目を教える先生と補助教員がついている。それは、科目によりわかるのだろうか。

国語、算数、理科、音楽、絵画の授業が行われていた。参加の仕方は子どもの関心により違う。顕微鏡で昆虫や花の観察をする授業では、採取したこん教材が小さなポットに入っており、自分の関心でポットから顕微鏡のプレートの出し、観察する。授業の展開は流れはあるが子どもの関心により臨機応変に展開する。ある男の子は、ポットをピラミッドのように重ねることに夢中である。もちろん授業の目的とは違っているが。教員はそれをそのままさせている。ピラミッドが完成に大よろおびするこども、そのあと、ピラミッドは壊れる。そんなことをお構いなしで、観察をする女の子など、楽しく学ぶことが第一である。

10時半ごろ、おやつタイム。ヌガーや果物、お菓子を食べラナが授業を受ける。お話を聞く、ビデオ教材をみる。1日5食ぐらい食べるらしい。

音楽の授業では、音楽専門教師がギターを弾き、ロック調の歌を歌う。教師はドラムを叩き、エレキをピアノを技巧を凝らして演奏してみせる。その後、デンマークでは有名なロックをギター、ドラム、ピアノ、パーカッション、ボーカルが演奏する。

アイポッドを使い、音を流し、録音する。教師の支援は、うまく演奏するよりどうしたら乗れるかや楽しいかに向いている。

絵画の教室では、教員が人形を持参する。それを、見て、顔の絵を描く。もちろん全く違う絵を描く生徒がいる。絵を描くことは、資源であるが、それをどう活用するかは生徒に任されている。

事業の休み時間は外で遊ぶ、サーカーをしたり、ドッチボールをしたり、おしゃべりしたり。30分ぐらいサッカーをしたらくたくた。

真冬、氷点下になっても、休み時間に外で遊ぶ。

教員室にはコーヒーやカウチはあるが、先生の机や書類はない。教員が集まる場所はくつろぎ、おしゃべりをする所。専門教師たちは、自分の部屋を持っているという。見てこなかったけど。

午後は、日本の保育園と幼稚園が合体したような就学前の子どものクラスにいく。室内にいる子どもは少なく、外で遊んでいる。園庭というより、森の中にいるような環境。歩いていると森に迷い込みそうになるけど、そんなのお構いなし。自然にあるものを使い遊んでいる。所々に、大きな遊具、大きなテントなどがある。危険な道具は先生が見ている前で遊ぶようだが、だいたいは、子どもたちだけで遊び、先生も遊んでいる。教師の数は多いが、積極的に遊びに介入はしない。

0から3年生は、午前中で学習は終わり、学童で遊ぶ。とにかく遊ぶことが学校の仕事のようである。

親が迎えに来る。多くは車で迎えに来て帰って行く。日本から持ってきた遊びの中で、ヨーヨーが人気になった。好きな風船を選び、遊んでいた。

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2023年6月 5日 (月曜日)

4年ぶりのデンマークは晴れ

国内旅行も制限される生活が続き、今年になってやっと、日本から出られるようになった。

デンマークスタディツアーも3年中止が続いたが、今年再開できたことは喜ばしい限りだ。

 

この3年間で一番変わったことは、世界が動き始めているのに、日本全体が停滞しているということだ。

円安の勢いは止まらず、ビックマックは2千円。

別にビックマックを食べなくていいけど、日本という国がどんどん安くなっている。

グランドデザインがないまま、穴だけ埋めるような手当てをしていても穴はどんどん大きくなっている。Tempimage9kktcq

政治に対してノーマルな世界を作ろうとする彼女は、ユーモアを交えてこれまでの実践を語る。

私たちが望む世界を作るのは私たちであり、そのためには連携、連帯が必要だ。

私が連帯する必要があるのは私の隣にいる人であるのに、そのことを忘れている。

 

そんな大切なことを、デンマークに来ないとわからない。

そう、移動すること、動くことでしか分からないことがある。

 

 

 

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2023年5月28日 (日曜日)

病院と寺院が繋がっている訳

仕事柄病院によく行く。

養老先生は、「病院からの出口は阿弥陀様か娑婆」だと言っている。

つまり、死の世界か、苦しみの現世かである。

どっちがいいか分からないのが仏教的な面白さだと思う。

 

多くの国では、病院的な機能がある場所の隣に寺や教会、寺院があった。

現世とあの世を繋ぐ役目をそうした宗教施設が担っていなのだろう。

 

ネパールの「死を待つ人の家」の横のバクマティ川には火葬台があり、いつも煙が上がっている。

病院の横に老人施設があり、死後の世界へ行くために待っている。

 

そこで暮らす人は、分かっている。

(日本では、分からないように隠している)

死後の世界に行くことを分かっている人たちと一緒に暮らすのと、分かっているのに、知らないフリをするのとどちらがいいか分からない。

 

歳をとるに従い、病院システムに巻き込まれたくないと感じるけど、痛いのね。

 

 

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甘いものを食べることは悪いことか

Aさんが元気である。

退院し施設リハビリを済ませ自宅に帰ってきた。

それまで我慢してきたタバコを吸い、ジャンクフードを食べ、甘い食べ物を注文する。

ストレスない生活は、楽しく、体重もどんどん増加する。

しかし、医療という鏡で見ると、これがいけない ということになる。

何がいけないかと言えば、不健康である という。

身体にとって悪いことを優先するか、気持ちに従うか。A、さんはもちろん気持ちに従う。

訪問看護師はいう。このままでは、心筋梗塞、動脈硬化、糖尿病、高血圧・・・の恐れがありますよ と。

実際、Aさんは、原因不明の意識障害を起こし、危なかった。

 

Aさん曰く、そんなことはもう起きない。という。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

Aさんは痛いのは嫌だ、病院にも行きたくない、入院もしたくない。

でも、目の前の欲望には負ける。

 

Aさんに指示したくなるのは、彼のためではなく、支援者の気持ちが収まらないからだと感じる。

まず、Aさんのためとはなにか?

 

健康に過ごしてほしい。

健康とは何か。

身も心も病気ではないこと。

 

僕自身のことで言えば、そんな時間はこれまでなかったし、そんな完全な状態はこれからも訪れないだろう。生まれた瞬間から死に向かって時間が経過し、最悪をなんとかやり過ごしているようなものだと思っている。

 

支援者の気持ちが収まるとは?

目の前で、揺らいでいる人を見たり、悪い状態に向かう人と見ていることが辛い。

辛いのは、Aさんではなく、僕らの方だ。

 

我慢するとストレスが溜まる。

だからと言って、なんでも食べて、もっと太ってくださいとは言えない。

 

そんな時には、甘いものを食べて、落ちつくようにしている。

 

 

 

 

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2023年5月11日 (木曜日)

どうして人に話したくなるのか

黙っていることに慣れると、何も言わなくなる。

それはいい状態では無い。

さりとて、人に話すことを覚えると(認知すると)、相談するようになる。

相談してもしなくても、状況に大きな変化はない。

変化が起きる時は、起きるし、起きないときにはそれなりだ。

 

そうだんして、共感してもらい、いい気分になる。

すると、また、相談したくなる。そうした繰り返しを、僕の周りの人たちは行ってる。

中心は、女性たち。

男性は、黙っているという体に悪い状態を維持するので、特に高齢になると悪化する。

悪いものが溜まり、病気になる。

 

話を続ける人たちも、話すという脅迫的な思いに縛られてしまう。

ちょうどいいという状態、ニュートラルでは車は動かない。

 

止まっていて病気になるより、動いて事故にあうことを選びたい。

 

 

 

 

 

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2023年4月20日 (木曜日)

救われる

横断歩道で止まった。

小学年生ぐらいの子供が手をあげて横断歩道を渡った。

女の子か男の子かわからない。

ゆっくりと前だけをみて渡っていく。

歩道に出ると、僕の方に振り返り、頭を下げた。

柔らかい身体を器用に曲げ、すっと起こした。

そのまま、黙って歩いて行った。

いつもやっていることをしただけですと、その仕草は言っているような気がした。

救われた気がした。

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2023年4月15日 (土曜日)

スーパービジョン

複雑で変化に富む社会で生きるためには案内役としてのソーシャワーカーが必要な人がいる。

ソーシャルワーカーが必要でないとしたら、それはそれで良いだろう。

しかし、家族システムや社会システムがうまく動かない時には、それを解すワーカーが側にいることはいいことだろう。

 

それは、友人ではなく、ワーカーである。

 

複雑で変化する社会は、大きなストレスを人に与える。それは、支援(サービス)を受ける側だけでなく、ソーシャルワーカーにとっても同様である。支援するされる関係においては、相互作用が生まれ、情報やスキル、能力や知識は絶えず交流する。

支援者としてのソーシャルワーカーは、定期的にメンテナンスを行う必要があり、それがスーパービジョンである。

 

スーパービジョンのスーパーは、天の視点である。

 

神の視点でもあるのか。

ソーシャルワークが人間の限界に対する、人の関わり(コミットメント)であるとしたら、人と人との関係を調整するためには神の視点が必要だと言っているように感じる。

スーパーバイズで問われる世界は、私たちが見えている世界だけでなく、この世界の上位概念としての理想の世界の話でもある。

理想の世界に近づくために、ワーカーは何ができれのか。

世界中の人が幸せになれるために、ワーカーは何をするのか。

そういう対話を行うのがスーパービジョンなのだとしたら、嬉しい。

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2023年4月13日 (木曜日)

とってもいい話

とってもいい話というものはない。

たぶん。

将来の心配に対応した、安心できるいい話というものもない。

きっと。

自分の将来は自分で「何とかする」以外にどうしようもない。

 

誰かが「うまく」やってはくれない。

それでも、「いいはなし」と謳う「話が」あちこちから聞かれる。

そして契約し、お金を払ってしまう。

 

どんなに素晴らしいことでも、私の人生を他人が生きることはできない。

こんな当たり前のことでも、不安から「信じて」しまう。

 

特に、「死」という事柄は、体験することができないので、何とかしようと考える。

しかし、「死」をコントロールすることはできないし、そのときは「私」は、もういない。

 

分からないことに関する事業(商売)は、人間の弱いところを擽る。

考えても分からないことだってある。

限界を知るということ、いい話というものは無いということを話しても

それを信じることも、また、難しいこと。

 

 

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2023年4月12日 (水曜日)

訪問することの意味

定期訪問をすることは奨励されている。

訪問しても変化がないことが分かっていることもある。

電話で状況が確認できることもある。

訪問することが負担にさえなる場合もある。

それでも訪問する、会うことが奨励されている。

 

訪問時間は10分程度であっても、その場所に尋ねるだけで往復何時間もかかっても、会うことに意味があると言われる。

 

会うことの意味は、会っている時間にあるのだろうか?

話を聞き、気持ちを確認することに意味があるのだろうか?

現場という環境の変化を確認することに意味があるのだろうか?

 

それを向こう側から見てみると違った景色が見える。

いつもの人じゃない人と会いたい。

思い出を共有できる人と話がしたい。

不満を聞いてくれる人に愚痴をいいたい。

なにか少しでも変化があればたのしい。

 

会うことは目的ではなく、プロセスだと考えると、長い年月の中の一場面である。

その一つ一つが繋がり、意味が生まれると考えることもできる。

 

先日、共働学舎の報告会に信州に行った。

ZOOMでも報告会は配信されていた。

僕は、配信の裏側からビデオを回した。

一緒に働いたことがあるメンバーの笑顔を見た。

 

僕に見せた彼の笑顔は、僕との関係から生まれたものであり、その場でしか見えないものだ。

それは、会うことでしか生まれないだろう。

 

そこに何の意味があるのか?

なんの意味のないかもしれないが、僕の中の何かが動いたような気がする。

そうした小さな動きが僕を作っている。

会うことは、僕たちが少しずつ変化し、元の姿から次の姿に変わる触媒になっている。

 

その変化は小さいが、確実に僕の細胞に働きかけている。

 

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2023年4月 8日 (土曜日)

必然的一致

夢を見た。その夢は本の世界と同じだった。その本は先日の出来事を意味していた。

何だかみんな繋がっている。

繋がりだけじゃなく、その意味する方向が同じだった。

不思議な気分だが、ほっとした。

私はなくならないと感じた。

あの人と再会できると信じられる。

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2023年4月 6日 (木曜日)

猫はどこに行ったのだろう

中込昭子さん

お久しぶりです。

 

どうにもならない今生であり旅人の私に犬がついてくる

 

先生のことをチェンマイで思い出しました。

それというのも、野良犬がたくさんいて 僕についてくるのです。

もちろん首輪なんてありません。痩せています。機嫌悪いと吠えます。

 

それでいて、悲しそうな顔です。優しくしてほしいと言ってます。飯をくれと言ってます。

たぶん。

 

巨大な猫が道をふさいで自分のからだを舐めている

 

そういえば、猫を見たのは1回です。

暑いからどこかで寝ているのでしょうか。

その時間、僕も寝ていたので会わなかったのかもしれません。

 

そんな話をしたかったです。

 

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桜が散り始めた姿を見るだけ

月4回ほど電話相談の担当をしている。

新型コロナウィルスの影響もあり、在宅で電話を受けている。

部屋の片隅にスペースを作り、庭に面した窓に向かっている。視界には桜の木が2本。その向こうに小さな森が広がっている。

チェンマイから戻り桜が開き、満開になり、桜吹雪になった。

緑の新芽が開き、風に揺れる。

 

みているだけ

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2023年3月30日 (木曜日)

友達として

支援関係が始まる時は、他人である。

何らかの関係性の認知を相互にしていても、社会的な認知がないと無視される。

 

他人が次第に知り合いとなり、10年もすれば友達になる。

お互いの交流の歴史ができ、それぞれの心の中に住むようになる。

しかし、社会的には、よく分からない人として認知されるだけである。

 

これが、親子やきょうだいなら違う。

関係がなくても、憎しみあっていても、疎遠であっても社会的な認知がある。

何かをするときに、意思を確認される。その人と繋がりある人として。

 

その人とは、契約を結ばずに、友達として付き合ってきた。

友達としてできることはしてきた。

支援者とは違う、隣人として。

 

しかし、社会はそれを認知していないから、支援者がいない人と認識される。

その人に、支援者がついた。その人が望まなくても。

どんどん関係が引き剥がされる気分である。

 

世間は他人の集まりである。

その他人の中で、役割を持った他人が、関係者としての顔をして関わる。

僕もそうした役割や機能が示された紙を持ち、仕事をしている。

 

しかし、紙のない関係は、他人のままである。

それがどんなに重要な関係であっても。

 

対人関係にとって想いや繋がりより、役割が重宝される。

それは、わかりやすいからである。

曖昧な関係にこそ意味があるのだが、曖昧な関係は社会には馴染まない。

 

認知機能が低下した人にとって社会は曖昧な存在となる。

そんな社会と付き合うなら、曖昧な人たちに囲まれたいと願う。

 

曖昧な世界では、紙の必要はなくなる。

神の存在さえ、霞んだ霧の中に浮かんで見える。

それは、見るというより感じるという、感覚のようなものになる。

 

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2023年3月29日 (水曜日)

匂い

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香りではない。

街にはそれぞれの匂いがある。

それが強い街と弱い街の違いだ。

僕の住む街の匂いは薄い。

それは、街の勢いや混沌さ、今流で言うと多様性が関係していると感じる。

 

昔訪れたバンコクも沖縄も匂いがきつかった。

攻撃的な匂いが突き刺さってくる勢いがあった。

それは、暮らしやすさとは違い、面白さだろう。

 

人にも匂いがある。

きつい匂いはその人の主張のようなものだ。

主張が強すぎると近寄りたくないが、その人生を除き見たくなる。

 

この辺の塩梅は難しい。

昨日、店に入ったとき店員のお兄さんもお姉さんもつるんとした顔で、無職無臭だった。

もちろん匂いはあるのだろうけど、それを見せない術に長けていた。

 

皆さんに迷惑はかめません、主張しませんという雰囲気を感じた。

 

チェンマイの街は、世田谷より主張が強かった。

タクシーに乗るときに値段の交渉をする必要があった。

料理を注文するとき、どんなふうに焼くか炒めるか、辛くするか、何を混ぜるかを指示しないといけない。

道を渡るとき、右からくる車を避け、左からくる車を止める必要があった。

トイレに行ったら、紙を使わず水を使う必要もあった。

 

でも、裸足で歩けた。

僕がスカートみたいなパンツを履いていても誰も気にされない。

手づかみで食べてもいい。

何もしないでボートしていてもゆっくりと時間が過ぎ、それでいて後ろめたくなかった。

 

いつの間にか僕にも独特の匂いがついていた。

 

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SHIMOKITA

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下北沢に行った。

久しぶりだった。

電車が地下を走っていた。

雑貨屋が減り、古着屋ばかりの街になった。

古着を買った。

芝居を見た。

小さな小屋が満員だった。

みんな楽しそうに笑っていた。

居酒屋で食事をした。

若い人が多かった。

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2023年3月28日 (火曜日)

交換ノート

これでも、若い時、10代の時はよく手紙を書いた。

それは、手紙をもらうと返事を書かなければという強迫観念のような衝動から手が動いた。

内容は全く覚えていない。

ただ、思い出すのは便箋や封筒のデザインみたいなものだ。

 

大学の授業や図書館で女の子の横に座り、黙ってノートの端に手紙を書いた。

その子も返事を書いた。

勉強より、本を読むより、手紙に夢中になった。

しかし、内容は全く覚えていない。

思い出すのは、楽しい気分だけである。

 

書くことが楽しいのか、黙って、書いていることが楽しいのか。

そう、いずれも、声に出さない関係である。

頭の中で何かを思い、作り上げ、言葉にして、文字にする。

一人で妄想する時間が楽しかったのだろう。

しかし、手紙を書いた女子と一度もデートをしたことがない。

100通以上手紙をやりとりしていると、会う必要がなかった。

いや、手紙の中の世界で満足していて、それ以上の世界を作ることができないと考えていた。

 

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2023年3月26日 (日曜日)

覚えていない

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場当たり的である。

買い物をすると、すぐに着る。

あるときは、履いているズボンが欲しくてそれを脱がせて僕のズボンと交換した。

 

この女性はガイドである。

通訳をしてくれるが云っていることはいい加減である。

それでも、大体のことは伝わる。

 

大体伝われば、それでいい。

関係性は悪くない証拠にこんな顔で自撮りに入ってくる。

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旅する目的

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三年ぶりの旅行から帰ってきた。

どちらに行かれたいたんですか?

仕事ですか、研修か何か?

と聞かれることが多い。

もちろん「そうです」と答える。

その答えを望んでいるだろうと考えるからである。

 

ただ、本当は、「なんとなく」である。

目的はなかったと云っていい。

自分がまだ、旅行できるのか。それに耐えられるのか。

それを確かめに行ったような気がするが、そんなめんどくさいことは言わない。

 

旅の目的とは、ここから そちらに 移動するだけの元気があるということである。

 

ドリアンを食べたいから、そこに行きました。

という旅もあっていい。

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告白する

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キリスト教の葬儀の中で友人代表者が個人の思い出を語る場面がある。

親族がそれを行うこともあり、映画などでよく出てくる。

 

これは、個人との関係の告白である。

これまでどんな付き合いをしてきたのか、どのようにその人と認識してきたかを言葉にする。

 

この、言葉にするという文化がキリスト教的である。

カソリックにおける告白、懺悔、告解という儀式は秘蹟の一つである。

 

語らないという文化の中であえて語るという行為は、自分を意識することになる。

 

若い頃、カソリック教会に通い受洗の準備をしていた私にとって、一番の関門は告白であった。

罪を語り出したらとめどないほど溢れてくるのではないかと恐怖であった。

 

たとえ許されると信じていても、その重みに自分は耐えられないような感覚を覚えた。

 

 

 

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2023年3月23日 (木曜日)

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鯨らしい。

そういえばクジラに見える。

海では泳げない。

 

潮を吹いている。

自分で吹いた潮は、目の前で固まり、自分の一部になっている。

 

自分から出た物も自分である。

 

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先生が死んだ

心を読んでいる。

僕の先生が亡くなった。

先生との交流は半年であった。

その半年でさまざまな事柄を教えてもらった。

 

先生の人柄はおおらかであり、それでいて芯が通っていた。

先生は、全てのことが許されていると信じていた。

それは、いつでもであり、今であると、毎回言っていた。

 

先生は最後にありがとうと言っていた。

そええは、人生に対して、自分の生きてきた人生に対しての言葉のように聞こえた。

先生の人生は、今も、この時もここにあると感じる。

 

それは、生きていると言うこと、今生きているということ。

そのつながりが、動き続けることが大切ですと

先生は言っていた。

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2023年3月14日 (火曜日)

若い人に頼む

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タイ人の学生さんにお願いして、Uberみたいな配車サービスを利用した。買い物も現金を使う若い人は殆どいない。タクシーは、通常の、半額。僕もアプリを利用しようとしたら、こちらの電波番号が必要みたいで、繋がらない。

車が来た。エアコンの効いた日本車だった。

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2023年3月13日 (月曜日)

それは生きているか

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ブッダは生きているか。

目を開いて寝ているように見えて、人々の内面には確実に生きている。

生きていることは息をしていることと共に、絶えず影響を与えているということだと思う。

 

つまり、記憶の中にあれば、それは生きている。確かに、僕の中で僕に語りかけている。

 

大いなる人、ブッダやキリストやムハンマドでなくても、身近で亡くなった人も僕が生きている限り僕の心に語りかける。

 

それは、突然に想い出と共に。

父は仏教徒ではないし、寺や寺院にお参りをしている姿を見たことはない。

手を合わせることさえ記憶にない。

 

それでも、お寺に来ると父を思い出す。

それは、日常のなんということもない、ささいな出来事として。

 

ブッダの顔のように、思い出の父は笑っている。

それでいて何を考えているのかわからないような表情である。

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2023年3月10日 (金曜日)

忘れられない日

忘れられない日というものがある。

その日に起きた事を忘れられないだけでなく、その日からの今日までの日々を忘れられないという場合もある。

そんな事を妻から言われた。

もちろん僕だってこれまでの日々を覚えている。

でも、その実感が違う。

それはどうしようもないことだけど、毎年、思い出すことで少しは許されるたい。

今日、入院した先生のために祈る。

それは、叶わないかもしれないけれと、それが僕にできる精一杯のことだから。

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待つことの難しさ

電話を待つ。

待ってましたと受話器を取る。

(受話器なんてもないけど)

電話に出ると、その気持ちが伝わる。

待っていないように構えていても、その構えが伝わる。

 

しかし、何時間も待っていると、考えなくてもいいことを考えるから複雑だ。

 

その人は、こちらの雰囲気を関係なく。

「それでね」、と、続きを話すように喋り始める。

 

こちらの問いかけに応えることはなく、どんどん話が森の中に迷い込む。

 

こんな会話が誰に対しても行われるのかと、先生との会話を聞いてみる。

先生には、僕の話を聞いている。

聞いているが、答えを求めるふうはなく、僕の顔色を伺うそぶり。

 

こちらが、聞きたいという姿勢を持たず、次の言葉を待っていると、自分の質問に自分で回答を出している。

そう、これは、言葉が漏れているんだ。

 

僕らは、言葉を飲み込んだり出したりしているが、その人は、言葉がどんどん漏れ出している。

 

道を歩いていると、見知らぬ高齢者の言葉も漏れている。

不満を感じている人は多い。

それを誰にも言えず、言葉が漏れてしまう人も多い。

 

その言葉の意味は、それを出している人にしかわからない。

そもそも意味があるのかも、分からない。

 

気がつくのは、自分の声が聞こえるくらい、静かな時だけだ。

 

 

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2023年3月 9日 (木曜日)

かかえる

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お母さんの話を聞いた。

なんとなく、そんな話になった。

お母さんは、数年前に天国に行った。

クリスチャンだったおばあさんの話も聞いた。

話の流れで、そんな話になった。

 

忘れたと言っていたのに、だんだん、細かい思い出が出てきた。

お母さんは綺麗だった。

おばあちゃんも綺麗だった。

そんなお母さんにだんだん似てきた。

 

それがうれしい。

 

断片的な思い出が少しくっついた。

 

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三年ぶりの再開

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三年ぶりにデンマークスタディツアーを開催する。

今年の参加者は12名。

参加者が集まらないと開催できないイベントなので、参加してくれるメンバーにお礼を言う。

 

例年と違うことがある。

東ヨーロッパで戦争をしていること。

それに伴い、物価が高騰していること。

人々の気分(思いや情動)が変化したこと。

 

日本にいても感じることが、デンマークで、途中立ち寄るドイツやフィンランドやフランスでどう感じるだろう。

どこに立っているか、実際にその土地に立ち 歩くことで、気分は変わる。

そうした、気持ちの変化が私たちをつくっている。

 

それは、僕だけでなく参加する全員に起き、また、相互作用として私たちにどんな変化を与えるか、楽しみである。

僕らはどこに行こうとしているのか、そんなことを毎日話し合う1週間になるだろう。

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コヒー飲んで待つ時間

Sさんを待っている。

病院に通う人たちが運営にあたるコーヒーショップで待っている。

もう、1時間待っている。

多分来ると思う。

そう言って、来ないこともあるから心配しながら待っている。

どこにいるのかは分かっている。

 

今日は厚手の本を持ってきた。

コーヒーは旨いから、ゆったりした時間になる。

天気も良く、花粉も飛んでいる。

 

天井からハートマークの紙がぶら下がっている。

店員が、ゆっくり動いてサービスするので、時間がバナナのように曲がって伸びている。

 

こんな時間をくれてありがとう。

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ズボン履いてます

朝日さん仮名が退院する。

時間前に迎えに行く。病室に入ると看護師さんと朝日さんがズボンを探している。

荷物の整理は終わっているし、どこに行ったんだろと、看護師さんがぼやく。

昨日までは、ここに置いてあったんですよ。僕ので方を向いて申し訳ない顔をする。

もう一回見てみますねと、病院のパジャマを脱いでもらう。

すると、やっぱり。

朝日さん早く帰りたかったんですね。と、看護師さんの優しい笑顔。

さあ、帰ろかね、朝日さんは、立ち上がる。

立ったらあかん、看護師さんが厳しい顔になる。


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2023年3月 8日 (水曜日)

トイレの話

トイレに入ると、感謝の言葉が溢れている。

ただ、トイレを使うだけなのに、ありがとうございますなんて言われて恥ずかしくなって、出るものもでない。

なかなか出ないと、もっと前に出てくださいと優しく言われる。

先日、そんな恥ずかしがり屋にイライラしたのか、前に出ないと後ろにひっくり返りそうなトイレ、男性向けがあった。

トイレに抱きつくような格好になり、出るものも出ない。

でも、いい考えだ、

踵が上がって前に思わず出てしまうトイレもいいかもしれない。


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2023年3月 7日 (火曜日)

左右差

左目では物の形が分からなくなった。

新聞の見出しもぼやけていて、読めない。

読めないとなると余計に読みたくなり、左目をぐるぐる回したり、目薬をさす。

目薬では回復しないと理解していても、もしかしたら奇跡が起こるかも知れないと口を開けて目薬をさす。

 

右目はと言うと、やはり、ぼやけている。

メガネで矯正できるぐらいだが、眼鏡をかけると、左目の見え方が気になり落ち着かないのですぐに外す。

仕方がないので両目で本を読む。

これがどうしたことか読める。

なんとなく、何が書いてあるのか理解できる。

読んでいると言うより、なんかこんな事が書いておると頭で理解している。

見えることと、分かることはちがうし、見えなくてもわかり合いたいと思う。

片目で見ないで両目で見ることの大切さをやっと気がつく。

 

 

 

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2023年3月 5日 (日曜日)

カーテン越しでは思い出せない

お婆さんに会いに行った。

僕のじゃないお婆さんに。

僕とお婆さんの間にはビニールのカーテンが大きく張られていた。

そんなに大きくなくてもいいのにと思うほど、縦にも横にも広く、首を上から出すこともできない。

きっと、首を出し人がいるから、その対策をしているのだろう。

 

お婆さんの写真やお爺さんの写真や動画を見せた。

いつものように。

ビニール越しでは、自分が分からない。

お爺さんも知らないお爺さんになる。

 

自分だよと教えてあげる。

違うと譲らない。

私は、こんなに曲がっていないと言う。

ビニール越しの私は、揺れているように映る。

 

それではと、声を聞いてもらう。

こんな声じゃない。もっといい声だと言う。

それじゃあ、右手を口の前に持っていって、自分の声を聞いてごらんと誘う。

 

右手を動かして、お話をしている。

ほんとだ、私の声だと言う。

少し歳をとったねと言う。

 

いえいえ、まだまだ若いですよと、3年前のビデオを見てもらう。

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亀に思いを馳せる

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亀を見つめる。

海の中で。

動かないようにと言われた通り動かない。

雲に上に浮かぶようにそこにいる。

それを見ている僕も雲の中にいる。

雲の中は、まるで水の中のようにふわふわしていて、いい気持ちがする。

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どっちの世界

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今年は、2作品を作成した。

映像を作ると、客体との関係が変わる。

そんな意識をしていなかったが、その数ヶ月前と後では何かが違って見える。

大事なものを失い、もっと大切なものを貰った気がする。

二人の関係は変わっては見えない。目に見えるものは変わらないのだが。もっと中にある、中心的なものが動いたような気がする。

そんなに大袈裟に、と思うなら、一度映像を撮ってみるといい。

一番大切な人にレンズを向け、その人を見つめると。今まで見ていた世界じゃないもう一つの世界が見えるから。

僕らは、どっちの世界でも生きている。

 

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おじさんとは友達

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おじさんは、僕のことを友達だと紹介する。

僕は、おじさんを先生だと思っている。

おじさんからすると、お互いに歳おとり、師弟関係もない間柄なので、どういう呼称で呼ぶのかを迷っている、または、本当に友達だと思っている。のかも知れない。

ともかく、友達と言われると、恥ずかしい。

ともだちとは、お互いに刺激し合って、相手のために何かをなす人だと考えているから。

何もなしていない僕は、何かをしなければと考え、夜、寿司を奢ることにする。

こんなのとで、友達になれるのだろうか。

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自己紹介

Baa08136cf3842f4afecc67614eecbcb除雪機が横を向いたので、置き場所に入らないよう。と、言った。

道から、玄関まで除雪しないと生活できない。

スコップを動かす力はない。けれど、機会なら、自分で動いてくれる。

スマホだって悩みに応えてくれる。

どんな悩みかは、忘れたけど。

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じゅもん

携帯を使って病院からじゅもんが届いた。

何か発信できるほど元気になったらしい。

僕に伝えたいことがあるらしい。

へこへこって、なにかわからないけど、気持ちだけはたっぶり受け取った。

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2023年2月23日 (木曜日)

環境調整

家を離れ、知らない土地で過ごすためには身体と心の調整が必要だ。

慣れるまでの時間は、家からの距離に比例するよう感じる。

特に、寝る時のルーティンや起きてからのルーティンが大切。同じ事をしなくてはいけない訳ではないが、その土地の流れを感じながら、からだを慣らす作業があるように思う。

それは、人との関係でも同じように感じる。人の場合は、何に比例するのだろう?

思いかな。

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2023年2月21日 (火曜日)

お世話になります

人のお世話をすることより、世話になることの方が難しい。お世話をするされる関係は、対人交流から生まれる。

これまで知らなかった人とある日出会い、交流が始まる。

でも、なるべく世話にならないようにしなさいと教わってきた。他人に迷惑かけないように口酸っぱく言われてきた。

大人として、自律しなさいと。仕事ができる人とは、世話にならない人だと、そう振る舞うように。

先日もミスばかりする僕は叱られた。

ところが、彼は世話になる人を増やしたいと言う。もっともっと世話になることが幸せに繋がると言う。

かれは、来年100歳になる。

人生の中で今が一番楽しいと言う。その、楽しい人生には、人が必要で、たくさんの他人に世話になってありがたいと言う。

僕は彼に世話になっている。

人生の授業を受けている。無料である。それも個人授業だ。

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2023年2月11日 (土曜日)

今年の作品

3分間ビデをの講座を受講している。

講義は終わり、最終日に上映会を残すばかり。

今回は、早めに提出。締め切りの1週間前に作品を提出した。そこまではよかった。

すぐに先生、先生は映画監督、からメールが来た。編集のやり直しの連絡だった。

提出、やりなおしの繰り返すこと5回。編集ソフトを開いたり、チョット直しては保存の繰り返し。

全部、僕が悪いのだ。

満足ゆく作品にはならなくても、最低限のミスは修正しろという先生の指示である。ありがたい。こんなにつきあってくれて。

 

文章もそうだが、これでいいというぐあいに観念できない。映像の場合は、編集により雰囲気が変わる。雰囲気が変わると言いたいことが変わる。そもそも何が言いたいのか明確でないからブレる。

 

先日、去年の作品をもう一人の先生=映画監督に見てもらった。見る人にわかりやすくすることが大切だと指摘された。

 

そうか、知っている人が見ることを考えていたので、気が回っていなかった。

 

この文章もそうだが、前提となる対象を意識しないといけないということか。

意識しすぎるのもどうかと思うが、全く意識しないのも問題だよね。

前作より、わかりやすくなったように思うが。

説明しすぎのような気がする。

 

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2023年1月11日 (水曜日)

言わないことの方がいいことを我慢すること

それを言ってよかったと思えることは少ない。

ほとんどの場合、言わないでも良かったことが多い。

でも、何にも言わないで人生が終わってしまっては、それも残念だ。

 

余計なことには、それなりの意味がある。

 

クライエントの99歳のおじいちゃんは、余計なことは言わないがお喋りだ。

喋ることに意味がある人って素晴らしい。僕の言葉は、重さを失っている。

 

じいちゃんは言う。生きているだけで、生きていることが、それだけで楽しい。

それは、彼にしか言えない言葉である。

 

言葉の中にある存在が、色を香りを味を表現している。

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映画のタイトル

映画のタイトルは、テーマに則したものがいいかもしれないが、短くしたい。

ということで、今年も3分間ビデオを作成している。

3分間に言いたいことをまとめることは難しい。

それは、本当に、それって言いたいの?という問いが生まれるからだ。

カットした部分があっても、話の流れが途切れないこともあれば、

1秒のカットが物語の性質を変えることもある。

編集をしているうちに、何がテーマ出会ったのかわからなくなる。

こんな短い物語もできないと悲しくなる。

というわけで、今年のテーマは、生きていくということです。

 

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2022年9月16日 (金曜日)

ゴリラから考えること、人間の課題は

ゴリラと家族を考える。

家族は人間にしかない。えっそうなの。

猿の社会は母型だという。類人猿と人類だけが非母型。

メスは集団から離れて子供を産む。

人間は複数の人(家族)が一緒に住んでいる。

家族の論理は皆違う。両立できない。まとまらない。最近は人間もまとまらないけど。

人間は、直立歩行をはじめたことで、森林から草原に出て行った、その後、各地に広がり、新大陸に進出する。

どんどん侵略することが使命にようだね。

種としての人間の宿命のようだね。

 

類人猿が減り、猿が増えたのが歴史。類人猿は消化能力が低い。繁殖能力が低い。

類人猿は数が減ると元に戻ることに時間がかかる。

 

毎日食べなければならない。集団で誰と食べるか?それが問題。

一緒に食べるってすごいことだね。

類人猿は強いものが弱いものに分ける。

人間も、強いものが弱いものに食べ物で支配するよね。食べるものを持って帰る人が全てを支配する。

支配されないためには、自分で食べるものをとってこないといけない。

人間は大人になるもで時間がかかる、親が食べ物を分ける時間が長いね。

血縁関係もないのに食べ物を分ける人間が現れた。

 

類人猿は仲間と一緒に食べない。

人間だけが、食べ物を持ち帰り、分配までする。そこに待っている人が食べられることを期待する。

弱みを強みに変える社会が生まれた。

 

人間の赤ちゃんは1歳ぐらいで乳を吸うことをやめる。ゴリラは3年も吸うのに。本来なら5歳から6歳まで乳を吸っていていい。

生殖の期間を増やすため。

沢山子供を作るため、赤ちゃんを早期におっぱいから引き離すことを選んだ。かわいそうに。

100年前は12人子供を産む人も多かったですよね。結構多産だった。

赤ちゃんは、生後2年で脳が2倍位なる。12歳から16歳まで脳が発達する。だから、体の発達が遅れる。脳に栄養を取られるんだね。

成長の速さ勢は危険な状況である。10歳を超えると死亡率が上がる。心身の成長バランスが崩れるのが思春期だ。性自認、社会的適応など、ストレスが多い時期だね。

人間の赤ちゃんだけがナク?ゴリラの赤ちゃんはなかない。へー。人間の赤ちゃんは共同保育をしてもらおうとナク。泣くと笑顔を与え、価値を生む。

家族は、進化の結果できたもの。共同の社会性をつくった。元共同社会の経験から他の社会での適合を果たした。

人間の子供には、他者の中に自分をみる。教育が生まれた。教えることが好きな種ができた。特有な声が生まれた。赤ちゃんに投げかける声は共通の音やピッチを生んだ。それが、赤ちゃんを安心させる。それは、習わなくてもいい。

歌も、赤ちゃんに投げかけたものが普及した。それが高揚感や信頼感を醸成した。共感力で育児をはじめた。

脳が大きくなったのは、ことば? 200万年前から大きくなり始めた。40万年前に言葉を話し始めた。だから、脳が大きくなっtのは言葉ではない。大きな群れで暮らす種ほど脳が大きくなった。現代でも、原始的な生活をするグループは150人程度の集団で暮らしている。

スポーツの集団も言葉だけでは通じないから、10人から15人が限界。30人から50人は、学校のクラスの集団。辛うじてまとまっている集団。150人は、社会関係資本、共同体。身体を一緒にした記憶を持つ集団。信頼できる仲間の数の上限は150人程度だという。音楽的コミュニケーションもそんな集団。祭りやおどり。

ゴリラのコミュニケーションと違うのは、人間の取る距離。その距離の秘密は目にある。白目がある。白目があるので、相手の気持ちを読める。それは、教えられたものではない。気持ちを知ること、危険を知り、共感する。

その上で言葉を使う。

 

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2022年9月 1日 (木曜日)

暇と退屈

もう何十年も生きられない。ということは分かっているのに、暇だ。

もう残すところ時間がないと知っているのに退屈だ。

 

暇だから退屈なのか、退屈だから暇なのかそれさえもわからず、時間だけが過ぎていく。

そんな時間だけが過ぎていく生活なので、哲学書を読んでいる。

千葉、青山、国分、苫野、吉田、伊東、山口、近内、、、

どれも理解できない。ただただ眠くなる。

 

寝ている時間はないのに。

いつの間にか、本を握りしめて寝ている。

でも、その習慣は気分がいい。

ぐっすりと眠れる。

幸せだと感じる。

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2022年8月30日 (火曜日)

二項対立

千葉雅也の現代思想入門を読んでいる。

優しく描かれていると評判だが、やさしくということが理解に繋がるわけではない。

 

Yさんのいつも対立軸を作り、問題を複雑にする。

やさしい問題も、どんどん複雑にし、こんがらがる責任を他者に転嫁する。

 

二つの概念が対立する場合、そのどちらかに立っている。

Yさんは、その対立構造のどちらにも立たず、さりとて新しい価値観を産むわけでもない。

 

Yさんの立場は、私以外の人の立つ位置とは違う位置に立つという主張である。

主張は、一般論という概念を否定することから始まる。

 つまり、一般論や常識という概念に立ち向かうことで自分を確かめているようだ。

 

自分がないのではなく、何が自分であるかを考えるために他者が必要になる。

 

決定することが苦手である。

決定は、終結につながる。

終わってしまっては、対決することができない。

問題が消えてしまっては、自分が見えなくなる。

 

それでも、対立を解決するために努力するとすれば、時間を稼ぐことである。

いつも間にか、環境が変わっている。

いつの間にか、本質が変わってしまっている。

気が付かないうちに。

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2022年8月29日 (月曜日)

目的に向かって

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鉄道好きが集まる宿。

国鉄の宿舎だった建物を生かし、鉄道グッズ(いや宝もの)で溢れる室内でのんびりできる。

部屋の中からは、通り過ぎる列車を眺め、その振動さえも心地よい。

ここに来たいという人がたどり着く場所なんだろう。興味のない人には、古い民宿でしかないのに。

物の価値は、人によって決まる。

僕の部屋からは空が見えない。空ばかり見えるここでは、違うものが見たくなるのかもしれない。

天井が高い部屋に寝そべると、遠くで汽笛の音がする。

 

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家庭学校

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北海道の原野を開拓し、留岡幸助が最初に立てたのが礼拝堂だと言われている。

自然の中で「生活が陶治する」というペスタロッチの言葉を実践した。100年以上立ち続ける建物に入り、耳を澄ませると、歴代の教師や子どもたちの言葉が聴これてくる。

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落石

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40年ぶりの落石

1982年の秋だったか。

施設の先輩が仕事を辞め、落石の民宿に長期逗留していた。宿からハガキが届いた。家庭学校の藤田先生を慕い北海道に出かけたらしい。

その年の秋。1週間ばかり有給を取り、自転車に荷物を下げフェリーに乗った。

晴海から釧路にサンフラワーが出ていたと思う。

釧路から阿寒、中標津を周り、落石に。

40年が経ち、変わったこともあれば、変わらないこともある。

楽しいこともあれば、思い出したくないこともあった。

そんな色々を灯台を見上げて思い出していた。

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2022年8月12日 (金曜日)

対立することからは何も生まれない

ワクチンを打つか 打たないか。

中絶は合法か 違法か

それを買うか 買わないか

どんな対立的な概念も、双方が正義だと主張する場合には、何も生まれない。

さりとて、自分の主張と反対の主張を採択するのでは、もはや自分ではない。

ディベートで、どっちが勝つか負けるかの問題ではない。

そもそも、そこには問題がない。

 

問題にしていることが問題である。

しかし、どっちでもいいと言っているわけではない。

対立していると考えている自分が不自由になっている状態が生まれている。

「一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っている」(ドュルーズ)

というと、神の采配のようだが、見えない糸で縛られている状態が、問題を作っているとも言える。

といっても、立ち止まってばかりはいられない。

行き止まりの状態でも前に進まなければ、あるいは斜めに進まなければならない。

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2022年8月 8日 (月曜日)

身体のこと

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どもるについて、子どもの頃から悩んでいた。

最近、目が悪くなり、見えるということに関心が湧いた。

手首の骨を折ってから手に関心がある。

記録力が落ち、機能のことをほとんど覚えていない。

そんな時々に手にした本が全て伊東さんの本だった。

そんなこと考えていなかったのに、身体の部品に欠陥が出てくると、急に知りたくなるのです。

 

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2022年8月 7日 (日曜日)

あいまいさに耐える

ケース検討会に参加した。

ソーシャルワーカーが集まると「問題」が生まれる。

それは、どんな問題かを話し合い、アプローチの方法が検討される。

 

「問題」をそのままにすることはできない。だって、そのために私たちがいる訳だし、存在意味みたいなものでしょという顔をしている。

困ったものである。

 

とくに、困難というレッテルが貼られるような複層的な事柄が好きだ。好きというより、こんがらがっている糸を解すことに生きがいを感じる人が多い。

僕ならこんなふうに解釈しますとか、いや、私はこういう展開を予想しますとか、糸だけでこんがらがっているのに、そこに鉄の棒を差し込もうとする。

 

僕もそうだが、我慢できない。

あいまいな状態というのが我慢できない。

 

どんな問題も、10年すれば、1000年過ぎれば問題ではなくなる。

すべてのものは、消えて無くなる。

 

でも、生きている間に何かを残したい人たちはバタバタする。

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夏になると思い出す人

思い出と季節が関係する。

夏になると戦争の話をする芳雄さん(仮名)は、嬉しそうに思い出を語る。

芳雄さんにとって戦争は、戦争がもたらした苦い思い出と共に、戦争時代の個人的な体験が重なっている。

 

芳雄さんは、戦争の話をする時に必ず唄を歌う。

「私のラバさん酋長の娘・・・」というあの歌だ。

 

芳雄さんは、ラバウル島で戦後を過ごした。

凄まじい体験であったのは想像できるが、芳雄さんの話は、戦後ラバウルに留まった思い出が中心になる。

 

儲かったんだよと嬉しそうに語る。

なにか怪しい商売に手を出し、一時はかなりのお金を稼いだのだという。

家には、お手伝いがおり、優雅な暮らしぶりだったらしい。詳しい話を聞くと、「忘れた」という。

本当に忘れたのかは分からないが、都合の悪いことはすぐに忘れる。

 

その後、芳雄さんの物忘れが進み、ラバウル時代のことを語らなくなった。

ニコニコと看護師さんの言うことを聞くお爺さんになった。

もう、山師の風貌はない。

 

ある、夏の日。芳雄さんを訪問した。

ラバウルの有名な岬の写真を持参し、歌を唄ってみた。

「私のラバさーん」と言うと、芳雄さんがニッコリと先を続けて歌い出した。

その目は、まだボケてないぞ、と言いたげである。

 

歌い終わって、芳雄さんの表情を伺うと、目の輝きが落ち着き

いつもの笑顔になった。

 

 

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2022年8月 4日 (木曜日)

Uー子さんのおもてなし

Uー子さんを迎えに行く。

蚊の一杯いる庭で待つ。

 

U-子さんは気を遣う。

僕の洋服に合わせて、どんな色合いの洋服が一番いいか考える。

パンツとシャツのコーディネイトを考える。

脱いだ洋服をこっちに置き、新しい洋服を引っ張り出し(たぶん)、重ね着をする。

 

15分後、「これでどうだろう?」という顔で庭に出てくる。

「それでいいよ」と僕が言うと、部屋に戻る。

僕の言い方が悪かったのか、腕を何度も掻いていた様子が行けなかったのだろうかは分からない。

 

それから15分後に別の洋服に着替えて出てくる。

 

Uー子さんと病院に行く。

先生にも おもてなしの心で接する。

 

先生が心配しないように、質問される前に話を始める。

先生の様子も聞く。

「先生は、奥さんと幸せですか?」

その返事を聞く前に、次の話題を始める。

15分経つと一息つき、僕の方を振り返る。

僕がそこにいることを確認し、相槌を求める。

僕が考え、返事をしようとする前に、別の話を始めるている。

 

カウンセリングの間に、僕に気を遣って振り返ること3度。

先生が飽きないように暮らしぶりを聞くこと4回。

僕は、だいたい負ける。

 

1時間が過ぎ、終了のベルが鳴り(ほんとはなっていない)僕が最初に立ち上がり、外に出る。

もう少し話をしたい顔をしているが、先生が困っている顔を見て諦めて外に出る。

そして僕が歩き始めると、Uー子さんは部屋に片足を入れて続きを話していた。

先生が寂しがっていると思ったのだろう。

 

Uー子さんとご飯を食べる。

そこでもお店の人に気を遣う。

 

Uー子さんはお子様ランチを注文する。

お店の人が、「子どもだけですよ」と言うと、「残したくないから」とお店の心配をする。

食事が終わると、食器を厨房に返す。

食器も洗おうとする。

 

食後は、お茶を飲む。

Uー子さんが好きな店は、①自然食の店。②作業所の経営しているレストラン。③ジャングルのような緑の多い店。④子どもが走り回っても怒られない店だ。そういう店は、だいたいお茶が出る。

どこで仕入れてくるのか いろいろな店を知っている。

食事が終わると、「今日の店はどうだった?」としつこく聞いてくる。

もちろん「よかったよ」というが。

そういう返事は期待していないのか、不満そうな顔である。

 

 

 

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2022年7月30日 (土曜日)

見られていないよいうこと

このブログを書いていて一番の自慢は見られていないと言うことである。

負け惜しみではなく。

何でもそうだが、人気があったり、期待されると荷が重くなる。

そもそも、誰かに向かって書いているのではなく、30年後の少年に向けて書いている。

その時の僕がこれを読んでいるという妄想である。

 

書くことは、生きることの次の次のその次に大切な行為だと思っている。

だから、書けない時は疲れているか、思い悩んでいるか、落ち込んでいる。

 

くだらないことでも、いや、くだらないことを書くことが大切なんだと感じる。

まだ、それがくだらないと感じる感性があるのだから。

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2022年7月24日 (日曜日)

リーダーシップとは、関係性である

リーダーシップが男性のものであり、力の集中から生じると信じられていた時代は終わった。

そうした考えから起きたことは現在の世界の状況が示している。

前にすすもことを進歩と捉えてきたツケが回ってきた。

 

前進するために、置き去りにされる人やものが溢れ、歩くことさえできない。

それなのに、決めたことだから修正できない、後戻りできないと言い訳をする。

 

すでに、森が燃え上がっているにもかかわらず。

 

ケネス・ガーゲンとメアリー・ガーゲンは、「関係性の中で意味が創造される」ことを考慮し、「意味作りのプロセスの中に他者の関与がなければ、リーダーとしての役割を果たすことができない」という。

 

要は、成長や拡大のためという意味から、人と人の関係性や連携からうまれる意味を見出すのがリーダーの役割だと言っているように感んじる。

 

目的達成のためにリーダーがいるのではない。それでは、問題解決型のリーダーであり、問題は決してなくならない。無くならないどころか、問題のないところに新しい問題を生み出すことが起きてしまう。

 

ぼくらはどこに向かっているのかではなく、僕らは世界の仲間と生きている、そのことから生まれる意味を見つけたい。

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2022年7月23日 (土曜日)

リアルであるということ

オンラインばかりが多くなり、情報量ばかりがどんどん流れてくる。

情報で頭がいっぱいになることが進化なのだろうか。

生物としての人間にとって大切なことは別のところにあると感じながらZOOMの画面を見つめる。

 

研修であったTさんとかれこれ10年以上のお付き合いをしている、してもらっている。

一緒にネパールにベトナムにデンマークにバリに行った。

 

ネット研修ではこうはならなかっただろう。

大阪まで車を走らせ、大阪城の近くのルーテルホテルに泊まり、研修会場もで歩いて行き、机に座り、隣の人と名刺交換をしたことがお付き合いの始まりだ。

 

もちろん、コミットメントしたからこそ、何かが始まったのである。

はじめるためには、リアルな感覚がどうしても必要になる。

 

それは、思い出としての意味かな。

 

手紙を書き受け取るほうがメールより思い出になる。

 

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14歳の頃

ブレイビーみかこさんの小説両手にトカレフは14歳の少女の物語だ。

僕の14歳は、大阪万博と重なる。

ビートルズの「Let it Be」と藤圭子の「夢は夜ひらく」が重なって頭の中をぐるぐる回る。

和洋折衷。世界も日本もゴチャ混ぜの年である。

万博に行きたかった僕ら中学2年生は行けず、3年生が修学旅行に嬉しそうに出かけた。

テレビではアンディーウィリアムスが歌が流れ、アメリカ舘には月の石が置かれていた。

 

前年、アポロ11号が月に着陸した。

僕らは、宇宙飛行士がゆっくりと月に下りるところを、中継で見ていた。

 

そうした華やかな時代とは裏腹に、僕らの日常はつまらないものだった。

大きな事件も身の回りには起きず、失恋も経験しないまま、ゆっくりとした時間だけが流れていた。

 

それでも14歳の僕は社会への関心が強かった。

大学では、喧嘩をしていた。

大人が自分を主張していたし、人の言うことを聞かない人ばかりがいた。

ぼくも、そうした影響を受け、学校に反発していた。

社会の不公平と身近な格差に押し潰されそうだった。

 

すこしづつ思い出す。

なんだか、自分の中の14歳が僕に話しかけているような気分を感じる。

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2022年7月18日 (月曜日)

ソーシャルワーカー支援チーム

職能団体として社会福祉士会がある。

会員組織としての組織率は高くない。

それは、国のシステムとして利用価値はるが、その独自性を認める国民の意識の低さが原因だと感じている。

 

弁護士や医師は、それぞれ独立した組織を持っている。

専門教育やスキルを身につけると独立あるいは現場に出てさらにスキルを高める。個人で開業することも可能である。

社会的な認知があり、研究の盛んに行われている。

 

一方、福祉職として、社会福祉士やケアマネジャーはと言えば、やっと国家資格になったというところである。

独立して改行できる人もいるが、個人開業を前提とした教育や育成システムがない。

職能団体に入会することのメリットや職能団体の果たす機能が少ない。

 

また、本来ソーシャルワークは、社会システムの課題や弱点、あるいは、社会システムからこぼれ落ちた弱者に対する援助をする人であり、社会システムの補完的な役割を果たすことをしているような現在の仕組みは問題がある。

 

それでも、団体としての役割はある。

中でも、同じ価値観を持ち実践している仲間を支えることは重要である。

 

僕は、問題を抱え、SOSを出しているソーシャルワーカーの元に出向き、話を聞くチームが必要だと思う。

問題を解決しにいくのではなく、3人程度の専門教育を受けたソーシャルワーカーが、すぐに、そして必要なだけ話を聞きに行く。

 

そして、問題を語らなくても良くなるまで、その人の物語を聞くこと。

 

そんな組織になったら、ほとんどみんなが入会するだろう。

 

 

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ホイスコーレを体験する

ワークショップのご案内

日時 2022年9月2日 (金曜日) 19時00分から21時00

1830分より 2023年スタディーツアーの説明会

入室は18時20分より開始

定員50名(先着順)

ゲスト: ノーフェンス・ホイスコーレの教員を調整中

通訳・講師:  モモヨ ヤーンセン (ノーフェンスホイスコーレ短期研修部代表)

司会:  齋藤弘昭(社会福祉士事務所 「福まね」代表

問い合わせ: fukumane@gmail.com 携帯09093264663

ZOOMのアドレス: 最後のページに表示

招待アドレスは返信しませんので、参加の連絡のみお願いします。参加費無料

講師紹介

Momoyo Jørgensen 氏のプロフィール

1990:渡欧
1990〜91:デンマーク語語学学校
1991〜92:夜間の語学学校に通いながら、日中はオーデンセの特養で実習
1992:デンマーク国立介護士養成学校入学
1993:社会保健介護助士取得
1995:社会保健介護士取得
1995〜00:精神病を持つ高齢者(認知症含む)ならびに触法精神障害者の国立入所施設に勤務
1997〜00:看護実習生、ペタゴーを現場で指導する指導員として同入所施設で勤務
2000〜2005:日本人留学生を受け入れる日欧文化交流学院にて教員として勤務
仕事をしながら国立オーデンセ教育大学で、教育指導学、教育心理学、心理学、                       社会学を専攻し、教員免許を取得
2003:認知症介護ハンドブックを翻訳(ミネルヴァ書房)
2005~現在:ノーフュンスホイスコーレにて教員として勤務
2009:デンマーク、認知症コーディネーターの資格取得
2016: ノーフュンスホイスコーレ、短期研修部代表として就任
2020:ノーフュンスホイスコーレ職員代表理事デンマーク国の認可を受けたデンマーク独自の成人教育機関フォルケホイスコーレにて管理職ならびに教員を務める傍ら、年に2回程度で日本で講演活動、職員研修の提供、セミナーの開催を行っています。「人と出会う」をテーマにフォルケホイスコーレの教育価値観である多様性、サステナブルな人間と社会等、民主的な社会へ参加する「アクティブな住民」としての人づくりを仕事にしています!

今回の研修テーマは「ホイスコーレ」です。デンマークの福祉・教育・社会制度の基本はホイスコーレにあるとさえ言われます。「人生」について考える場であるホイスコーレを体験する時間を作ろうと企画しました。フォルケ・ホイスコーレ=国民高等学校は、19世紀グルントビーが農民解放運動の一環で始めました。農業や手工業を通じ、「生きた知識」を農民が学び、真の民主主義の実現を進めるために対話による教育を行ったものです。現在もデンマークには90校以上があるといいます。宿泊したノーフェンス(地名)・ホイスコーレもその一つです。ホイスコーレには、17、5歳以上の人が入学でき(外国人も)、数ヶ月から数年学びます。科目は学校により異なり、文化、創作科目などユニークな科目が多いのも特徴です。人生を対話で学ぶ学校であり、寮での共同生活を送ります。ノーフェンス・ホイスコーレでは、陶芸、銀細工、木工、デッサン、ガーディニング、スポーツ、ヨガ、乗馬、コーラス、ドラマ、デンマークの歴史、教育、医療、政治などの教室があります。今回のワークショップは、2023年のスタディーツアーのプレ体験になるでしょう。

  • Q &Aの時間も設定しました。質問を受け付けます。通訳の時間を少なくしたいので、事前に受け付けた方を優先しまので、メールで申し込みください。質問は簡潔にお願いします。

 

  • 「福まね」さいとう社会福祉士事務所では、毎年デンマークスアディーツアーを企画しております。次回は2023年6月4日から10日、デンマークの初夏を予定しています。このスタディー・ツアーは、「デンマークではどのような法律を作り、福祉・医療・教育に取り組んでいるのか。その社会システムは、国民に幸福を与えているのだろうか」という疑問から生まれました。

訪問先の学校、施設、家庭、専門機関などを訪問し、見学とインタビューを実施します。その際には、必ず「人生に対する考え方」「幸福のイメージ」を聞きました。また、事前研修を複数回開催し、デンマークの歴史、教育・行政・福祉に関する基礎知識を学びます。宿泊は、デンマーク第2の島フュン島のボーゲンセにあるフォルケホイスコーレに滞在します。関心ある方のご連絡お待ちしております。

 

 

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2022年7月 3日 (日曜日)

対話というフレームで最近の出来事を考える

先週、家を離れていた。

家族と、友人と、見知らぬ人と様々な出会いがある、交流があった。

 

家族は、相変わらずの関係であるが、時間と場所が違えば、それなりに変化ある事件が起きる。

日常では事件が起きないのは、隠されているからであり、表面化しないほうがめんどくさくないからである。

 

しかし、日常とは違う刺激により、隠されていた事柄が明らかになる。

そんなもの見たくなかったと感じても、出てきたものはしょうがない。

疲れる。

 

友人との出会いもある。

友人と認識するのは、離れていても、会いたいと感じる存在だからである。

 

関係の深さは、思いとは違い、その時の気分に左右される。

あらためて初めましてのような、負担を感じながらも、どこか心地よい気分んであった。

 

見知らぬ人は、見ず知らずの人であるが、それだけに楽しい。

見ず知らずの人が友人になり、連れ合いになる可能性がある。

 

旅先での出会いは、気軽である。

しかし、時々、ハラハラし、ドキドキすることも起きる。

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2022年6月30日 (木曜日)

ホームソーシャルワーカー

ホームhomeは、家、住まい、ふるさとなど、人間が安住する場所である。

そのhomeに、ソーシャルワークをする。

そして、個人に対するエンパワメントや解放の促進を行う。

 

人を社会や組織で捉えるのではなく、個人として捉え、相互に交流を図りながらエンパワメントと解放を促す。

 

友達のホームソーシャルワーカーは、クライエントと旅行をする。

 

それは、友達を旅行するのではない。

ソーシャルワーカーと旅行するのだ。

そこには、エンパワメントと解放が用意されている。

 

それって、どんなことをするの?

それは、ソーシャルワーカーの力量とクライエントとの相互交流により変わる。

何が待ち受けているのかお楽しみである。

しかし、そこには、一定の規範がありスキルがある。

 

僕は、クライエントとしてではなく、彼と旅行をする。

それは、新しい力を得るためであり発見をするために。

 

ソーシャルワーカーが行う実践も、緊張とバランスを伴いながら、エンパワメントと解放があるといい、

そこに、これからの可能性があるように感じる。

 

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問題の汚染

問題の汚染*インタビュー分析から

『問題』は、汚染する力を持っている。

定義:社会生活を送る上での「障害」及び「障害となる行動」やその環境を「問題」として認知する行為そのものが、問題からの汚染を生む。支援を求められた場合、それに反応することから生じることが多い。

ソーシャシャルワーカーがケースを受任する場合には、かならずと言っているように「問題」が内包されている。多くの場合、それを「障害」、「問題行動」、「課題」と呼ぶ。ソーシャルワーカーは、それらの「問題」及び「課題」を解決するために呼ばれる。ケースに関わるソーシャルワーカーも専門家として「問題」及び「課題」にコミットメントすることが自らの使命と自覚している。つまり、「問題」と「ソーシャルワーカー」は、相互に影響しており、関係の当初から「問題」に汚染されているといえる。問題に入ることが、解決への近道であり、問題に深く関わることこそが、ソーシャルワーカーの役割であると自覚している。

ソーシャルワーカーの語りからは、「問題のないケースはないと思います」と、ケースを受任することと問題がそこにあることは共時性があり、「クライエントや関係者が不安を感じたり、そういう環境にあるってことが問題だと思います」と自認している。ソーシャルワーカーは、「僕の中に解決したいという、そういう思い」があり、ソーシャルワーカーは、自分が呼ばれた時から、問題を解決する人としての「覚悟」を持っている。さらに、関係者からの期待も加わり、問題に「汚染」されることに自らも加担するようになる。

問題にチャレンジするようでいて、問題からは囲われる。主体的であるという姿勢こそが、問題の汚染を生む原因である。

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2022年6月28日 (火曜日)

友達に会う

友達とは、何かをあげた人であり、何かをもらった人だと思う。

それに、一緒に食事をした人。

一緒に山に登り、一緒に川を下った人。

みな、生死に関わることがある。

 

そんな人たちと何年かぶりで食事を共にする機会に恵まれた。

ありがたい。

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2022年6月26日 (日曜日)

どりらかしか選べない

プロライフか、プロチョイスか。

時代と共に大きな議論となり、政治的な課題となってきた。

それは、アメリカだけの話ではなく、日本においても。

中絶を認めるかどうかという話だけでなく、生命をどのように考えるか、神を信じるかまで関係する。

それは、どちらでもと言うわけにはいかない。

なぜなら生命を人間んが作ることができないからである。

むしろ、生命を作れるようになった場合には、もっと大きな問題が生まれるだろうけど。

 

中絶は「できるもの」として50年近く当たり前の権利としてあった。しかし、アメリカの連邦裁判所が、中絶を憲法で保障された権利とは認めないという判断を下した。

この言い回しは難しい。

アメリカは州政府で実態法を作っているので、州により中絶を禁止したり、認めたりするということが進むだろうと言われる。

 

中絶を決める判断を男性中心で行っていることも問題だが、生命に対する大きな判断により、社会を分断することが大きな問題だと思う。

 

それは、世界で起きている政治や経済同様、大きなグループが二つでき、主義主張をぶつけ合い。最後には、殺し合う社会である。

 

何かを信じるとは、それ以外のことを信じないということである。

 

宗教上の出来事に争いや戦争が伴った歴史を考えると、悲しい気分になる。

 

それでも、どちらかしか選べない。誰かを(何かを)選べば、それ以外を殺す(存在がなくなる)ことになるのは道理である。

 

生命は、絶えず崩壊しながら生まれ、これまでもつながり、これからも続いていくと思われるが、そこに人間という種が残るとは限らない。

 

 

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2022年6月23日 (木曜日)

熱い男は苦手だ

この季節

夏ではなく選挙の季節は苦手である。

全く知らない、一度も会ったことがない、近寄って欲しくない雰囲気の男が近寄ってくる。

それも、手を出して握手しようとしたり、気軽に話しかけてくる。

 

どこかでお会いしましたかと、相手を見ると、襷をかけている。

襷をかけている姿というものは格好良くはない。

鉢巻よりはましか。

 

差し出す手が、ぐいと僕の方に近寄ってくる。

その手を払う余裕はない。

隙を見せると、左手で僕の右手を持たれ、握らせそうになる。

 

こうしたうまさがあるのに、言っていることに中身はない。

 

右手を引っ込めるより、さっと空を切る動作がいい。

そのまま、空を指差し、

遠い目をする。

 

でも一度だけ、駅前に机を出し、話をしましょうという人がいた。

彼は、襷もかけず、鉢巻もしていなかった。

誰だか分からず、通り過ぎた。

あとで振り返り、あの人なら話をしてもよかったと思った。

けれど、何をしているのか分からなかったのだ。

 

 

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運転免許

高齢者の免許返納が話題になる。

この、返納という言葉はおかしい。

免許とは、運転できますという契約である。

免許を持っていることと、運転することは違う。

返納しないでも、運転しないということは当然できるのであるが、それができないのがこの国の国民性なのだろうか。

 

免許証を持っていたいと考えることが悪いわけではない。

運転しないで免許書を持っている人は多い。

それが、高齢者となると、事故を起こす恐れがあると考える。

 

恐れがあるのは、他にも沢山ある。

恐れがあるから、恐れがないようししたいと国が考える。

 

それは、精神障害者が在宅生活を送る際にも言われる。

暴れる恐れがあるから入院していてほしいと、はっきり言われる。

それが地域の総意だという。

 

高齢者が一人暮らしをしている場合にも、

在宅死の恐れがあるから施設に入所したほうがいい。

 

一時保護書を立てる際にも、

地価が下がる恐れがあるから建設に反対である。

 

最近、

この国がどんどん閉塞する恐れを感じる。

 

 

 

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2022年6月21日 (火曜日)

あなたがそれをどう説明しようと苦痛は苦痛だ

苦しんでいることは明らかであり、それを癒す言葉をぼくは持っていない。

 

しかし、その人は微笑んでいるような表情で僕を見つめる。

もはや焦点を合わせることはできないだろう目で、ぼくを見る。

 僕は、みられている。

ああ、みられてしまったと感じる。

そんなに、見せるものなんかないのに。

 

僕はみられる立場に立っていたし、いつまでも、それは続くと思っていた。

しかし、それをどう説明しようと、立場は変わる。

 

僕の瞳は濁り、もはや感知する物体を正確には見えない。

そこに何かがあると、誰かがいると信じて、焦点を合わせる。

 

 

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2022年6月19日 (日曜日)

ベランダに出る

コロナ生活の与えた影響は大きい。

 

家にいることの意味や機能を見直すことが多くなった。

それほど広くない間取りだが、いままで使っていなかったスペースを活用することが多くなった。

 

長い時間同じ場所にいることにあきるので、新しい場所を探す。

例えば、机に向かう位置を変える。

机を動かすこともできるが、すぐにできることは、机の反対側に椅子を持っていくこと。

 

わずか、60センチの移動であるが別の部屋のような変化を感じる。

使い勝手は悪いが気分は変わる。

 

ベランダで本を読んだり仕事をする。

洗濯物を間で、観葉植物に囲まれて、ほんの小さな隙間の中で、虫を追い払いながら椅子に座っているだけで気分が変わる。

ただ、コーヒーやビールを持ち込み、つまみを並べると仕事にならない。

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困った人とは誰か

困った人がいるという相談を受けることがある。

困った人は、非常識な行動を取り、周りに迷惑をかける。

困った人をどうにかしたいと、相談者は話す。

 

困った人は、常識的な人をどう認識しているか。

たぶん、なにも思っていないか、意識していないのだろう。

そこには、認識のずれが生まれている。

 

困った人とは、いっていのメジャーといわれる社会認識の中でうまれる。

メジャーは力を持っているので、メジャーでない(常識的でない)ものを排除しようとする。

 

もし、メジャーでない行動、言動に力が生まれてしまうとメジャーの力が危うくなり、メジャー社会のバランスが取れなくなる。

 

福祉の世界での「問題行動」も多くの場合、この常識が「壁」となっている。

社会構成主義から考えると、現実は、社会的に構成させたもの。つまり、社会が認知したものが現実となる。

別の認知をしたなら、メジャーの「問題」は、問題ではなくなる。

 

ゴミ屋敷という「問題」が報道されることがある。これは、映像的(絵になる)な影響もあると思うが。ごみ問題は、本人の問題ではなく、周辺住民の問題であり、社会的な「問題」と言われる。

 

まず、本人の問題でない「問題」を解決することはできない。

次に、周辺住民の問題としては、関係の問題である。多くの場合、ゴミがあることに意味があることから、これまた解決できない。

社会の問題としては、まちづくりに対して抜本的な政策を行ってこなかった政治のありかたが関わっているので、ここの課題は解決できない。

 

時代を戻してゴミを考える。

江戸時代には、ゴミは発生しなかったと言われている。

糞尿でさえ資源であった。長屋の糞尿は大家の財産として売られた。店子は自分の「もの」を奪われていた。

また、ものの売り買いに、もの以外の付属物がなかったこともあり、ごみが出ることはない。野菜の残りクズは、畑の肥料となる。

道に落ちている鉄屑は集めて売り払う。

ゴミは金になるのだ。

当然、ゴミ屋敷は、資源の山である。

 

どうしてゴミ屋敷が問題となったのかは、社会がそれを生んだからだと言える。

 

困った人の話に戻る。

困った人は、必要がないのか。

多分あるだろう、いや、困った人は、他人ではなく、私自信である。

困った人は資源である。メジャーな社会にとってマイナーは人は必要である。むしろ、重要な役割を持っている。

メジャーな人は沢山いるが、マイナーな人は少ない。

 

時代が変わり、希少的な存在、なくてはならない資源、社会を変えるキーパーソンになる可能性をもっている。

 

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2022年6月18日 (土曜日)

会話の温度

人の話にのめり込む傾向がある僕にとって、電話相談は難しい。

相談という体をとっているが、中心にあるものは、感情である。

感情を理屈で捕まえようとしても、逃げられる。場合によっては衝突する。

感情は、ふわふわした、そのものの、変化を見続ける。

ふわふわしたものは、いつもまでも同じ状態でいることはできない。

物事は絶えず形を変え、状態を変え、実態を変える。

少し前の感情は、次の瞬間には別物になっていることがよくある。

 

なんで急にあの人は怒り出したのか?

と感じることがある。

しかし、彼にとってそれは急でもなく、何時間、何週間、何年も溜まっていた感情が爆発しただけのことで、そこに至るまで変化を続けてきた。

これは、僕のことですけど。

爆発すると萎む。

つまり、萎むためには爆発が必要だということ。

 

相談者は、解りたいのではなく、時に爆発したい、時に泣きたい、時に笑いたいのだと思う。

それが、起きるまで、次の変化は起きない。

変化が起きると、それまでの感情を忘れる。

 

隣の少年のマグマが煮えている。

その熱を冷まそうとしても、すぐには冷めない。

しかし、いつまでも熱い訳ではない。

そのうちに冷えるだろう。

冷えるまでは、火口を覗くのはやめよう。

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2022年6月11日 (土曜日)

砂の女

100分で・・・が好きだ。

今月は、砂の女

どこかにあったと、本棚を探す。

昭和56年発行、57年8刷の文庫本を見つける。

中程まで読み進む。こんな話だったの。びっくりする。

 

昔読んだ本を読むと大体びっくりする。それは、自分が思っていた本とあまりに違っているからだ。

それに、再読すると、その深さを感じることが大きい。

 

また、年を重ね、今の課題とリンクしていることに驚く。

 

これって、シンクロニシテーなのか。

僕がそれを求めているのか、それが僕を求めているのか、多分、両方だろう。

 

砂の穴に降りていく(自分の意志で)男が出会う現実は、僕の現実とどのようにつながるのか。

穴はどこかに繋がっている。僕のほっている穴にも。

 

僕は、誰と、穴を掘っているのだろうか。

目的ではなく、家に住む女が気になる。

 

映画(1964年)では岸田今日子が女を演じていた。

 

昭和55年当時、別役実が好きで演劇集団円に何度か足を運んだ。

岸田今日子が演じる「雰囲気のある死体」は、読売ホールだったか。

 

その時感じた気分を、この本を再読して味わうことができた。

あの匂いや、ザラザラした感覚を。

 

 

 

 

 

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現場で考える

ますますインターネットでつながるようになり、現場に行くことの意味がさらに重要になってくる。

 

相談電話が、ネット相談になり、声に加え会っている気分にもなれる。

見えるという点では、実際に会うより、よく見える。

見えすぎる。

 

会うために、洋服を選びを楽しむUさん。

今日は何を着て行こうか、商店街をどんなふうに歩こうか、靴はどうしようかと考えて、あまりに考えて遅刻するUさん。

 

そんな時間を楽しめるのは、現実がそこにあるからだろう。

 

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2022年6月10日 (金曜日)

何か価値あるものをクライエントに与える

援助関係においてコミュニケーションバランスを取る方法として、価値あるものをクライエントに与える。という方法がある。

ものをあげることの意味は、東洋のみならず西洋でも同じらしい。

 

それも価値あるもの、価値あるとクライエントが感じるものであることが重要である。つまり、金銭的価値だけではないということだ。

 

この辺が難しい。

さて、どんなものが欲しいか?考えてみた。

 

だんだん欲しいものが無くなってくる。

大きなものより小さなもの、すぐに消費できるものに価値を置くようになった。

 

その意味で、ポケットに飴を忍ばせて、黙って「はい」と渡すのが最高だろう。

 

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