大学で本を借りる。
できるだけ新刊を借りるようにしている。それは、世の中の関心がどっちに向っているかを知るためであり、知的好奇心から。
「みる」と「書く」との出合いーフィールド観察学入門 2009年 麻生武 新曜社
観察した事柄を伝える「書く」学問らしい。
しかし、観察する事柄は、電車の中であり、大学の学務課でり、通学路である。つまり、普段何気なく見過ごしている風景(目に飛び込んでいる景色)を観察し文章にする。
その大学が奈良女子大学。
あれ、どこかで見たような大学だと思ったら、奈良の高嶋社会福祉士事務所がその近くにあったこと、前の路地を進むと大学につながっていることを思い出した。
それこそ奈良女子大学だった。
学生に課されたテーマは、近鉄奈良駅から大学までの通学路を観察することだった。
本の中にはその観察記録が載っている。
その通りは「ひがしむきどおりきた」という。
東に向いているのか、北に向っているのかさっぱり分からないが、とにかく「ひがしむきどおりきた」には、沢山の商店があり、カトリック教会の横のビルに高嶋氏の事務所がある。
「ひがしむきどおりきた」を何度も往復したこともあり、学生の路上観察記録はとっても楽しく読ませてもらった。
鰹節の専門店があり、大仏プリンを出している店があることを知った。
今月22日23日に奈良、大阪を訪れるので、大仏プリンを食べたくなった。
観察する目は、フィルターがかかっていると著者はいう。
何かに注目し記録するとき、それを選んだ、認知したということになるのだろう。すると、それ以外のものは選ばれなかった、認知されなかったことになる。
だから、子どもが生まれた時には、街には赤ん坊が溢れて見えるし、気分が落ち込んでいる時には、具合の悪い人や顔色の悪い人ばかりに会うような気になる。
目が悪くなると音が気になり、指を切ったりすると、感触が鋭くなる。
好きな人が側にいれば、どんな町でも輝いて見える。
女子大の学生は何でも観察し記録する。
ちなみに、今僕が座っている空間を観察する。
事務スペースである空間は、幅1メートル、長さ2メートルだ。
しかし、この小さな空間は世界につながっている。
目の前には一枚の写真がかかっている。写真には、イタリアの教会見える。
教会に扉を開けると中世の時代に行くこともできる。
つまり、観察する人間の認知や経験、そして頭の中の物語が空間をいくらでも広げてくれる。
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