2023年3月30日 (木曜日)

友達として

支援関係が始まる時は、他人である。

何らかの関係性の認知を相互にしていても、社会的な認知がないと無視される。

 

他人が次第に知り合いとなり、10年もすれば友達になる。

お互いの交流の歴史ができ、それぞれの心の中に住むようになる。

しかし、社会的には、よく分からない人として認知されるだけである。

 

これが、親子やきょうだいなら違う。

関係がなくても、憎しみあっていても、疎遠であっても社会的な認知がある。

何かをするときに、意思を確認される。その人と繋がりある人として。

 

その人とは、契約を結ばずに、友達として付き合ってきた。

友達としてできることはしてきた。

支援者とは違う、隣人として。

 

しかし、社会はそれを認知していないから、支援者がいない人と認識される。

その人に、支援者がついた。その人が望まなくても。

どんどん関係が引き剥がされる気分である。

 

世間は他人の集まりである。

その他人の中で、役割を持った他人が、関係者としての顔をして関わる。

僕もそうした役割や機能が示された紙を持ち、仕事をしている。

 

しかし、紙のない関係は、他人のままである。

それがどんなに重要な関係であっても。

 

対人関係にとって想いや繋がりより、役割が重宝される。

それは、わかりやすいからである。

曖昧な関係にこそ意味があるのだが、曖昧な関係は社会には馴染まない。

 

認知機能が低下した人にとって社会は曖昧な存在となる。

そんな社会と付き合うなら、曖昧な人たちに囲まれたいと願う。

 

曖昧な世界では、紙の必要はなくなる。

神の存在さえ、霞んだ霧の中に浮かんで見える。

それは、見るというより感じるという、感覚のようなものになる。

 

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2023年3月29日 (水曜日)

匂い

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香りではない。

街にはそれぞれの匂いがある。

それが強い街と弱い街の違いだ。

僕の住む街の匂いは薄い。

それは、街の勢いや混沌さ、今流で言うと多様性が関係していると感じる。

 

昔訪れたバンコクも沖縄も匂いがきつかった。

攻撃的な匂いが突き刺さってくる勢いがあった。

それは、暮らしやすさとは違い、面白さだろう。

 

人にも匂いがある。

きつい匂いはその人の主張のようなものだ。

主張が強すぎると近寄りたくないが、その人生を除き見たくなる。

 

この辺の塩梅は難しい。

昨日、店に入ったとき店員のお兄さんもお姉さんもつるんとした顔で、無職無臭だった。

もちろん匂いはあるのだろうけど、それを見せない術に長けていた。

 

皆さんに迷惑はかめません、主張しませんという雰囲気を感じた。

 

チェンマイの街は、世田谷より主張が強かった。

タクシーに乗るときに値段の交渉をする必要があった。

料理を注文するとき、どんなふうに焼くか炒めるか、辛くするか、何を混ぜるかを指示しないといけない。

道を渡るとき、右からくる車を避け、左からくる車を止める必要があった。

トイレに行ったら、紙を使わず水を使う必要もあった。

 

でも、裸足で歩けた。

僕がスカートみたいなパンツを履いていても誰も気にされない。

手づかみで食べてもいい。

何もしないでボートしていてもゆっくりと時間が過ぎ、それでいて後ろめたくなかった。

 

いつの間にか僕にも独特の匂いがついていた。

 

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SHIMOKITA

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下北沢に行った。

久しぶりだった。

電車が地下を走っていた。

雑貨屋が減り、古着屋ばかりの街になった。

古着を買った。

芝居を見た。

小さな小屋が満員だった。

みんな楽しそうに笑っていた。

居酒屋で食事をした。

若い人が多かった。

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2023年3月28日 (火曜日)

交換ノート

これでも、若い時、10代の時はよく手紙を書いた。

それは、手紙をもらうと返事を書かなければという強迫観念のような衝動から手が動いた。

内容は全く覚えていない。

ただ、思い出すのは便箋や封筒のデザインみたいなものだ。

 

大学の授業や図書館で女の子の横に座り、黙ってノートの端に手紙を書いた。

その子も返事を書いた。

勉強より、本を読むより、手紙に夢中になった。

しかし、内容は全く覚えていない。

思い出すのは、楽しい気分だけである。

 

書くことが楽しいのか、黙って、書いていることが楽しいのか。

そう、いずれも、声に出さない関係である。

頭の中で何かを思い、作り上げ、言葉にして、文字にする。

一人で妄想する時間が楽しかったのだろう。

しかし、手紙を書いた女子と一度もデートをしたことがない。

100通以上手紙をやりとりしていると、会う必要がなかった。

いや、手紙の中の世界で満足していて、それ以上の世界を作ることができないと考えていた。

 

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2023年3月26日 (日曜日)

覚えていない

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場当たり的である。

買い物をすると、すぐに着る。

あるときは、履いているズボンが欲しくてそれを脱がせて僕のズボンと交換した。

 

この女性はガイドである。

通訳をしてくれるが云っていることはいい加減である。

それでも、大体のことは伝わる。

 

大体伝われば、それでいい。

関係性は悪くない証拠にこんな顔で自撮りに入ってくる。

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旅する目的

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三年ぶりの旅行から帰ってきた。

どちらに行かれたいたんですか?

仕事ですか、研修か何か?

と聞かれることが多い。

もちろん「そうです」と答える。

その答えを望んでいるだろうと考えるからである。

 

ただ、本当は、「なんとなく」である。

目的はなかったと云っていい。

自分がまだ、旅行できるのか。それに耐えられるのか。

それを確かめに行ったような気がするが、そんなめんどくさいことは言わない。

 

旅の目的とは、ここから そちらに 移動するだけの元気があるということである。

 

ドリアンを食べたいから、そこに行きました。

という旅もあっていい。

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告白する

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キリスト教の葬儀の中で友人代表者が個人の思い出を語る場面がある。

親族がそれを行うこともあり、映画などでよく出てくる。

 

これは、個人との関係の告白である。

これまでどんな付き合いをしてきたのか、どのようにその人と認識してきたかを言葉にする。

 

この、言葉にするという文化がキリスト教的である。

カソリックにおける告白、懺悔、告解という儀式は秘蹟の一つである。

 

語らないという文化の中であえて語るという行為は、自分を意識することになる。

 

若い頃、カソリック教会に通い受洗の準備をしていた私にとって、一番の関門は告白であった。

罪を語り出したらとめどないほど溢れてくるのではないかと恐怖であった。

 

たとえ許されると信じていても、その重みに自分は耐えられないような感覚を覚えた。

 

 

 

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2023年3月23日 (木曜日)

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鯨らしい。

そういえばクジラに見える。

海では泳げない。

 

潮を吹いている。

自分で吹いた潮は、目の前で固まり、自分の一部になっている。

 

自分から出た物も自分である。

 

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先生が死んだ

心を読んでいる。

僕の先生が亡くなった。

先生との交流は半年であった。

その半年でさまざまな事柄を教えてもらった。

 

先生の人柄はおおらかであり、それでいて芯が通っていた。

先生は、全てのことが許されていると信じていた。

それは、いつでもであり、今であると、毎回言っていた。

 

先生は最後にありがとうと言っていた。

そええは、人生に対して、自分の生きてきた人生に対しての言葉のように聞こえた。

先生の人生は、今も、この時もここにあると感じる。

 

それは、生きていると言うこと、今生きているということ。

そのつながりが、動き続けることが大切ですと

先生は言っていた。

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2023年3月14日 (火曜日)

若い人に頼む

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タイ人の学生さんにお願いして、Uberみたいな配車サービスを利用した。買い物も現金を使う若い人は殆どいない。タクシーは、通常の、半額。僕もアプリを利用しようとしたら、こちらの電波番号が必要みたいで、繋がらない。

車が来た。エアコンの効いた日本車だった。

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2023年3月13日 (月曜日)

それは生きているか

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ブッダは生きているか。

目を開いて寝ているように見えて、人々の内面には確実に生きている。

生きていることは息をしていることと共に、絶えず影響を与えているということだと思う。

 

つまり、記憶の中にあれば、それは生きている。確かに、僕の中で僕に語りかけている。

 

大いなる人、ブッダやキリストやムハンマドでなくても、身近で亡くなった人も僕が生きている限り僕の心に語りかける。

 

それは、突然に想い出と共に。

父は仏教徒ではないし、寺や寺院にお参りをしている姿を見たことはない。

手を合わせることさえ記憶にない。

 

それでも、お寺に来ると父を思い出す。

それは、日常のなんということもない、ささいな出来事として。

 

ブッダの顔のように、思い出の父は笑っている。

それでいて何を考えているのかわからないような表情である。

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2023年3月10日 (金曜日)

忘れられない日

忘れられない日というものがある。

その日に起きた事を忘れられないだけでなく、その日からの今日までの日々を忘れられないという場合もある。

そんな事を妻から言われた。

もちろん僕だってこれまでの日々を覚えている。

でも、その実感が違う。

それはどうしようもないことだけど、毎年、思い出すことで少しは許されるたい。

今日、入院した先生のために祈る。

それは、叶わないかもしれないけれと、それが僕にできる精一杯のことだから。

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待つことの難しさ

電話を待つ。

待ってましたと受話器を取る。

(受話器なんてもないけど)

電話に出ると、その気持ちが伝わる。

待っていないように構えていても、その構えが伝わる。

 

しかし、何時間も待っていると、考えなくてもいいことを考えるから複雑だ。

 

その人は、こちらの雰囲気を関係なく。

「それでね」、と、続きを話すように喋り始める。

 

こちらの問いかけに応えることはなく、どんどん話が森の中に迷い込む。

 

こんな会話が誰に対しても行われるのかと、先生との会話を聞いてみる。

先生には、僕の話を聞いている。

聞いているが、答えを求めるふうはなく、僕の顔色を伺うそぶり。

 

こちらが、聞きたいという姿勢を持たず、次の言葉を待っていると、自分の質問に自分で回答を出している。

そう、これは、言葉が漏れているんだ。

 

僕らは、言葉を飲み込んだり出したりしているが、その人は、言葉がどんどん漏れ出している。

 

道を歩いていると、見知らぬ高齢者の言葉も漏れている。

不満を感じている人は多い。

それを誰にも言えず、言葉が漏れてしまう人も多い。

 

その言葉の意味は、それを出している人にしかわからない。

そもそも意味があるのかも、分からない。

 

気がつくのは、自分の声が聞こえるくらい、静かな時だけだ。

 

 

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2023年3月 9日 (木曜日)

かかえる

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お母さんの話を聞いた。

なんとなく、そんな話になった。

お母さんは、数年前に天国に行った。

クリスチャンだったおばあさんの話も聞いた。

話の流れで、そんな話になった。

 

忘れたと言っていたのに、だんだん、細かい思い出が出てきた。

お母さんは綺麗だった。

おばあちゃんも綺麗だった。

そんなお母さんにだんだん似てきた。

 

それがうれしい。

 

断片的な思い出が少しくっついた。

 

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三年ぶりの再開

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三年ぶりにデンマークスタディツアーを開催する。

今年の参加者は12名。

参加者が集まらないと開催できないイベントなので、参加してくれるメンバーにお礼を言う。

 

例年と違うことがある。

東ヨーロッパで戦争をしていること。

それに伴い、物価が高騰していること。

人々の気分(思いや情動)が変化したこと。

 

日本にいても感じることが、デンマークで、途中立ち寄るドイツやフィンランドやフランスでどう感じるだろう。

どこに立っているか、実際にその土地に立ち 歩くことで、気分は変わる。

そうした、気持ちの変化が私たちをつくっている。

 

それは、僕だけでなく参加する全員に起き、また、相互作用として私たちにどんな変化を与えるか、楽しみである。

僕らはどこに行こうとしているのか、そんなことを毎日話し合う1週間になるだろう。

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コヒー飲んで待つ時間

Sさんを待っている。

病院に通う人たちが運営にあたるコーヒーショップで待っている。

もう、1時間待っている。

多分来ると思う。

そう言って、来ないこともあるから心配しながら待っている。

どこにいるのかは分かっている。

 

今日は厚手の本を持ってきた。

コーヒーは旨いから、ゆったりした時間になる。

天気も良く、花粉も飛んでいる。

 

天井からハートマークの紙がぶら下がっている。

店員が、ゆっくり動いてサービスするので、時間がバナナのように曲がって伸びている。

 

こんな時間をくれてありがとう。

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ズボン履いてます

朝日さん仮名が退院する。

時間前に迎えに行く。病室に入ると看護師さんと朝日さんがズボンを探している。

荷物の整理は終わっているし、どこに行ったんだろと、看護師さんがぼやく。

昨日までは、ここに置いてあったんですよ。僕ので方を向いて申し訳ない顔をする。

もう一回見てみますねと、病院のパジャマを脱いでもらう。

すると、やっぱり。

朝日さん早く帰りたかったんですね。と、看護師さんの優しい笑顔。

さあ、帰ろかね、朝日さんは、立ち上がる。

立ったらあかん、看護師さんが厳しい顔になる。


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2023年3月 8日 (水曜日)

トイレの話

トイレに入ると、感謝の言葉が溢れている。

ただ、トイレを使うだけなのに、ありがとうございますなんて言われて恥ずかしくなって、出るものもでない。

なかなか出ないと、もっと前に出てくださいと優しく言われる。

先日、そんな恥ずかしがり屋にイライラしたのか、前に出ないと後ろにひっくり返りそうなトイレ、男性向けがあった。

トイレに抱きつくような格好になり、出るものも出ない。

でも、いい考えだ、

踵が上がって前に思わず出てしまうトイレもいいかもしれない。


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2023年3月 7日 (火曜日)

左右差

左目では物の形が分からなくなった。

新聞の見出しもぼやけていて、読めない。

読めないとなると余計に読みたくなり、左目をぐるぐる回したり、目薬をさす。

目薬では回復しないと理解していても、もしかしたら奇跡が起こるかも知れないと口を開けて目薬をさす。

 

右目はと言うと、やはり、ぼやけている。

メガネで矯正できるぐらいだが、眼鏡をかけると、左目の見え方が気になり落ち着かないのですぐに外す。

仕方がないので両目で本を読む。

これがどうしたことか読める。

なんとなく、何が書いてあるのか理解できる。

読んでいると言うより、なんかこんな事が書いておると頭で理解している。

見えることと、分かることはちがうし、見えなくてもわかり合いたいと思う。

片目で見ないで両目で見ることの大切さをやっと気がつく。

 

 

 

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2023年3月 5日 (日曜日)

カーテン越しでは思い出せない

お婆さんに会いに行った。

僕のじゃないお婆さんに。

僕とお婆さんの間にはビニールのカーテンが大きく張られていた。

そんなに大きくなくてもいいのにと思うほど、縦にも横にも広く、首を上から出すこともできない。

きっと、首を出し人がいるから、その対策をしているのだろう。

 

お婆さんの写真やお爺さんの写真や動画を見せた。

いつものように。

ビニール越しでは、自分が分からない。

お爺さんも知らないお爺さんになる。

 

自分だよと教えてあげる。

違うと譲らない。

私は、こんなに曲がっていないと言う。

ビニール越しの私は、揺れているように映る。

 

それではと、声を聞いてもらう。

こんな声じゃない。もっといい声だと言う。

それじゃあ、右手を口の前に持っていって、自分の声を聞いてごらんと誘う。

 

右手を動かして、お話をしている。

ほんとだ、私の声だと言う。

少し歳をとったねと言う。

 

いえいえ、まだまだ若いですよと、3年前のビデオを見てもらう。

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亀に思いを馳せる

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亀を見つめる。

海の中で。

動かないようにと言われた通り動かない。

雲に上に浮かぶようにそこにいる。

それを見ている僕も雲の中にいる。

雲の中は、まるで水の中のようにふわふわしていて、いい気持ちがする。

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どっちの世界

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今年は、2作品を作成した。

映像を作ると、客体との関係が変わる。

そんな意識をしていなかったが、その数ヶ月前と後では何かが違って見える。

大事なものを失い、もっと大切なものを貰った気がする。

二人の関係は変わっては見えない。目に見えるものは変わらないのだが。もっと中にある、中心的なものが動いたような気がする。

そんなに大袈裟に、と思うなら、一度映像を撮ってみるといい。

一番大切な人にレンズを向け、その人を見つめると。今まで見ていた世界じゃないもう一つの世界が見えるから。

僕らは、どっちの世界でも生きている。

 

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おじさんとは友達

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おじさんは、僕のことを友達だと紹介する。

僕は、おじさんを先生だと思っている。

おじさんからすると、お互いに歳おとり、師弟関係もない間柄なので、どういう呼称で呼ぶのかを迷っている、または、本当に友達だと思っている。のかも知れない。

ともかく、友達と言われると、恥ずかしい。

ともだちとは、お互いに刺激し合って、相手のために何かをなす人だと考えているから。

何もなしていない僕は、何かをしなければと考え、夜、寿司を奢ることにする。

こんなのとで、友達になれるのだろうか。

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自己紹介

Baa08136cf3842f4afecc67614eecbcb除雪機が横を向いたので、置き場所に入らないよう。と、言った。

道から、玄関まで除雪しないと生活できない。

スコップを動かす力はない。けれど、機会なら、自分で動いてくれる。

スマホだって悩みに応えてくれる。

どんな悩みかは、忘れたけど。

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じゅもん

携帯を使って病院からじゅもんが届いた。

何か発信できるほど元気になったらしい。

僕に伝えたいことがあるらしい。

へこへこって、なにかわからないけど、気持ちだけはたっぶり受け取った。

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2023年2月23日 (木曜日)

環境調整

家を離れ、知らない土地で過ごすためには身体と心の調整が必要だ。

慣れるまでの時間は、家からの距離に比例するよう感じる。

特に、寝る時のルーティンや起きてからのルーティンが大切。同じ事をしなくてはいけない訳ではないが、その土地の流れを感じながら、からだを慣らす作業があるように思う。

それは、人との関係でも同じように感じる。人の場合は、何に比例するのだろう?

思いかな。

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2023年2月21日 (火曜日)

お世話になります

人のお世話をすることより、世話になることの方が難しい。お世話をするされる関係は、対人交流から生まれる。

これまで知らなかった人とある日出会い、交流が始まる。

でも、なるべく世話にならないようにしなさいと教わってきた。他人に迷惑かけないように口酸っぱく言われてきた。

大人として、自律しなさいと。仕事ができる人とは、世話にならない人だと、そう振る舞うように。

先日もミスばかりする僕は叱られた。

ところが、彼は世話になる人を増やしたいと言う。もっともっと世話になることが幸せに繋がると言う。

かれは、来年100歳になる。

人生の中で今が一番楽しいと言う。その、楽しい人生には、人が必要で、たくさんの他人に世話になってありがたいと言う。

僕は彼に世話になっている。

人生の授業を受けている。無料である。それも個人授業だ。

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2023年2月11日 (土曜日)

今年の作品

3分間ビデをの講座を受講している。

講義は終わり、最終日に上映会を残すばかり。

今回は、早めに提出。締め切りの1週間前に作品を提出した。そこまではよかった。

すぐに先生、先生は映画監督、からメールが来た。編集のやり直しの連絡だった。

提出、やりなおしの繰り返すこと5回。編集ソフトを開いたり、チョット直しては保存の繰り返し。

全部、僕が悪いのだ。

満足ゆく作品にはならなくても、最低限のミスは修正しろという先生の指示である。ありがたい。こんなにつきあってくれて。

 

文章もそうだが、これでいいというぐあいに観念できない。映像の場合は、編集により雰囲気が変わる。雰囲気が変わると言いたいことが変わる。そもそも何が言いたいのか明確でないからブレる。

 

先日、去年の作品をもう一人の先生=映画監督に見てもらった。見る人にわかりやすくすることが大切だと指摘された。

 

そうか、知っている人が見ることを考えていたので、気が回っていなかった。

 

この文章もそうだが、前提となる対象を意識しないといけないということか。

意識しすぎるのもどうかと思うが、全く意識しないのも問題だよね。

前作より、わかりやすくなったように思うが。

説明しすぎのような気がする。

 

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2023年1月11日 (水曜日)

言わないことの方がいいことを我慢すること

それを言ってよかったと思えることは少ない。

ほとんどの場合、言わないでも良かったことが多い。

でも、何にも言わないで人生が終わってしまっては、それも残念だ。

 

余計なことには、それなりの意味がある。

 

クライエントの99歳のおじいちゃんは、余計なことは言わないがお喋りだ。

喋ることに意味がある人って素晴らしい。僕の言葉は、重さを失っている。

 

じいちゃんは言う。生きているだけで、生きていることが、それだけで楽しい。

それは、彼にしか言えない言葉である。

 

言葉の中にある存在が、色を香りを味を表現している。

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映画のタイトル

映画のタイトルは、テーマに則したものがいいかもしれないが、短くしたい。

ということで、今年も3分間ビデオを作成している。

3分間に言いたいことをまとめることは難しい。

それは、本当に、それって言いたいの?という問いが生まれるからだ。

カットした部分があっても、話の流れが途切れないこともあれば、

1秒のカットが物語の性質を変えることもある。

編集をしているうちに、何がテーマ出会ったのかわからなくなる。

こんな短い物語もできないと悲しくなる。

というわけで、今年のテーマは、生きていくということです。

 

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2022年9月16日 (金曜日)

ゴリラから考えること、人間の課題は

ゴリラと家族を考える。

家族は人間にしかない。えっそうなの。

猿の社会は母型だという。類人猿と人類だけが非母型。

メスは集団から離れて子供を産む。

人間は複数の人(家族)が一緒に住んでいる。

家族の論理は皆違う。両立できない。まとまらない。最近は人間もまとまらないけど。

人間は、直立歩行をはじめたことで、森林から草原に出て行った、その後、各地に広がり、新大陸に進出する。

どんどん侵略することが使命にようだね。

種としての人間の宿命のようだね。

 

類人猿が減り、猿が増えたのが歴史。類人猿は消化能力が低い。繁殖能力が低い。

類人猿は数が減ると元に戻ることに時間がかかる。

 

毎日食べなければならない。集団で誰と食べるか?それが問題。

一緒に食べるってすごいことだね。

類人猿は強いものが弱いものに分ける。

人間も、強いものが弱いものに食べ物で支配するよね。食べるものを持って帰る人が全てを支配する。

支配されないためには、自分で食べるものをとってこないといけない。

人間は大人になるもで時間がかかる、親が食べ物を分ける時間が長いね。

血縁関係もないのに食べ物を分ける人間が現れた。

 

類人猿は仲間と一緒に食べない。

人間だけが、食べ物を持ち帰り、分配までする。そこに待っている人が食べられることを期待する。

弱みを強みに変える社会が生まれた。

 

人間の赤ちゃんは1歳ぐらいで乳を吸うことをやめる。ゴリラは3年も吸うのに。本来なら5歳から6歳まで乳を吸っていていい。

生殖の期間を増やすため。

沢山子供を作るため、赤ちゃんを早期におっぱいから引き離すことを選んだ。かわいそうに。

100年前は12人子供を産む人も多かったですよね。結構多産だった。

赤ちゃんは、生後2年で脳が2倍位なる。12歳から16歳まで脳が発達する。だから、体の発達が遅れる。脳に栄養を取られるんだね。

成長の速さ勢は危険な状況である。10歳を超えると死亡率が上がる。心身の成長バランスが崩れるのが思春期だ。性自認、社会的適応など、ストレスが多い時期だね。

人間の赤ちゃんだけがナク?ゴリラの赤ちゃんはなかない。へー。人間の赤ちゃんは共同保育をしてもらおうとナク。泣くと笑顔を与え、価値を生む。

家族は、進化の結果できたもの。共同の社会性をつくった。元共同社会の経験から他の社会での適合を果たした。

人間の子供には、他者の中に自分をみる。教育が生まれた。教えることが好きな種ができた。特有な声が生まれた。赤ちゃんに投げかける声は共通の音やピッチを生んだ。それが、赤ちゃんを安心させる。それは、習わなくてもいい。

歌も、赤ちゃんに投げかけたものが普及した。それが高揚感や信頼感を醸成した。共感力で育児をはじめた。

脳が大きくなったのは、ことば? 200万年前から大きくなり始めた。40万年前に言葉を話し始めた。だから、脳が大きくなっtのは言葉ではない。大きな群れで暮らす種ほど脳が大きくなった。現代でも、原始的な生活をするグループは150人程度の集団で暮らしている。

スポーツの集団も言葉だけでは通じないから、10人から15人が限界。30人から50人は、学校のクラスの集団。辛うじてまとまっている集団。150人は、社会関係資本、共同体。身体を一緒にした記憶を持つ集団。信頼できる仲間の数の上限は150人程度だという。音楽的コミュニケーションもそんな集団。祭りやおどり。

ゴリラのコミュニケーションと違うのは、人間の取る距離。その距離の秘密は目にある。白目がある。白目があるので、相手の気持ちを読める。それは、教えられたものではない。気持ちを知ること、危険を知り、共感する。

その上で言葉を使う。

 

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2022年9月 1日 (木曜日)

暇と退屈

もう何十年も生きられない。ということは分かっているのに、暇だ。

もう残すところ時間がないと知っているのに退屈だ。

 

暇だから退屈なのか、退屈だから暇なのかそれさえもわからず、時間だけが過ぎていく。

そんな時間だけが過ぎていく生活なので、哲学書を読んでいる。

千葉、青山、国分、苫野、吉田、伊東、山口、近内、、、

どれも理解できない。ただただ眠くなる。

 

寝ている時間はないのに。

いつの間にか、本を握りしめて寝ている。

でも、その習慣は気分がいい。

ぐっすりと眠れる。

幸せだと感じる。

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2022年8月30日 (火曜日)

二項対立

千葉雅也の現代思想入門を読んでいる。

優しく描かれていると評判だが、やさしくということが理解に繋がるわけではない。

 

Yさんのいつも対立軸を作り、問題を複雑にする。

やさしい問題も、どんどん複雑にし、こんがらがる責任を他者に転嫁する。

 

二つの概念が対立する場合、そのどちらかに立っている。

Yさんは、その対立構造のどちらにも立たず、さりとて新しい価値観を産むわけでもない。

 

Yさんの立場は、私以外の人の立つ位置とは違う位置に立つという主張である。

主張は、一般論という概念を否定することから始まる。

 つまり、一般論や常識という概念に立ち向かうことで自分を確かめているようだ。

 

自分がないのではなく、何が自分であるかを考えるために他者が必要になる。

 

決定することが苦手である。

決定は、終結につながる。

終わってしまっては、対決することができない。

問題が消えてしまっては、自分が見えなくなる。

 

それでも、対立を解決するために努力するとすれば、時間を稼ぐことである。

いつも間にか、環境が変わっている。

いつの間にか、本質が変わってしまっている。

気が付かないうちに。

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2022年8月29日 (月曜日)

目的に向かって

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鉄道好きが集まる宿。

国鉄の宿舎だった建物を生かし、鉄道グッズ(いや宝もの)で溢れる室内でのんびりできる。

部屋の中からは、通り過ぎる列車を眺め、その振動さえも心地よい。

ここに来たいという人がたどり着く場所なんだろう。興味のない人には、古い民宿でしかないのに。

物の価値は、人によって決まる。

僕の部屋からは空が見えない。空ばかり見えるここでは、違うものが見たくなるのかもしれない。

天井が高い部屋に寝そべると、遠くで汽笛の音がする。

 

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家庭学校

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北海道の原野を開拓し、留岡幸助が最初に立てたのが礼拝堂だと言われている。

自然の中で「生活が陶治する」というペスタロッチの言葉を実践した。100年以上立ち続ける建物に入り、耳を澄ませると、歴代の教師や子どもたちの言葉が聴これてくる。

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落石

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40年ぶりの落石

1982年の秋だったか。

施設の先輩が仕事を辞め、落石の民宿に長期逗留していた。宿からハガキが届いた。家庭学校の藤田先生を慕い北海道に出かけたらしい。

その年の秋。1週間ばかり有給を取り、自転車に荷物を下げフェリーに乗った。

晴海から釧路にサンフラワーが出ていたと思う。

釧路から阿寒、中標津を周り、落石に。

40年が経ち、変わったこともあれば、変わらないこともある。

楽しいこともあれば、思い出したくないこともあった。

そんな色々を灯台を見上げて思い出していた。

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2022年8月12日 (金曜日)

対立することからは何も生まれない

ワクチンを打つか 打たないか。

中絶は合法か 違法か

それを買うか 買わないか

どんな対立的な概念も、双方が正義だと主張する場合には、何も生まれない。

さりとて、自分の主張と反対の主張を採択するのでは、もはや自分ではない。

ディベートで、どっちが勝つか負けるかの問題ではない。

そもそも、そこには問題がない。

 

問題にしていることが問題である。

しかし、どっちでもいいと言っているわけではない。

対立していると考えている自分が不自由になっている状態が生まれている。

「一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っている」(ドュルーズ)

というと、神の采配のようだが、見えない糸で縛られている状態が、問題を作っているとも言える。

といっても、立ち止まってばかりはいられない。

行き止まりの状態でも前に進まなければ、あるいは斜めに進まなければならない。

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2022年8月 8日 (月曜日)

身体のこと

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どもるについて、子どもの頃から悩んでいた。

最近、目が悪くなり、見えるということに関心が湧いた。

手首の骨を折ってから手に関心がある。

記録力が落ち、機能のことをほとんど覚えていない。

そんな時々に手にした本が全て伊東さんの本だった。

そんなこと考えていなかったのに、身体の部品に欠陥が出てくると、急に知りたくなるのです。

 

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2022年8月 7日 (日曜日)

あいまいさに耐える

ケース検討会に参加した。

ソーシャルワーカーが集まると「問題」が生まれる。

それは、どんな問題かを話し合い、アプローチの方法が検討される。

 

「問題」をそのままにすることはできない。だって、そのために私たちがいる訳だし、存在意味みたいなものでしょという顔をしている。

困ったものである。

 

とくに、困難というレッテルが貼られるような複層的な事柄が好きだ。好きというより、こんがらがっている糸を解すことに生きがいを感じる人が多い。

僕ならこんなふうに解釈しますとか、いや、私はこういう展開を予想しますとか、糸だけでこんがらがっているのに、そこに鉄の棒を差し込もうとする。

 

僕もそうだが、我慢できない。

あいまいな状態というのが我慢できない。

 

どんな問題も、10年すれば、1000年過ぎれば問題ではなくなる。

すべてのものは、消えて無くなる。

 

でも、生きている間に何かを残したい人たちはバタバタする。

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夏になると思い出す人

思い出と季節が関係する。

夏になると戦争の話をする芳雄さん(仮名)は、嬉しそうに思い出を語る。

芳雄さんにとって戦争は、戦争がもたらした苦い思い出と共に、戦争時代の個人的な体験が重なっている。

 

芳雄さんは、戦争の話をする時に必ず唄を歌う。

「私のラバさん酋長の娘・・・」というあの歌だ。

 

芳雄さんは、ラバウル島で戦後を過ごした。

凄まじい体験であったのは想像できるが、芳雄さんの話は、戦後ラバウルに留まった思い出が中心になる。

 

儲かったんだよと嬉しそうに語る。

なにか怪しい商売に手を出し、一時はかなりのお金を稼いだのだという。

家には、お手伝いがおり、優雅な暮らしぶりだったらしい。詳しい話を聞くと、「忘れた」という。

本当に忘れたのかは分からないが、都合の悪いことはすぐに忘れる。

 

その後、芳雄さんの物忘れが進み、ラバウル時代のことを語らなくなった。

ニコニコと看護師さんの言うことを聞くお爺さんになった。

もう、山師の風貌はない。

 

ある、夏の日。芳雄さんを訪問した。

ラバウルの有名な岬の写真を持参し、歌を唄ってみた。

「私のラバさーん」と言うと、芳雄さんがニッコリと先を続けて歌い出した。

その目は、まだボケてないぞ、と言いたげである。

 

歌い終わって、芳雄さんの表情を伺うと、目の輝きが落ち着き

いつもの笑顔になった。

 

 

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2022年8月 4日 (木曜日)

Uー子さんのおもてなし

Uー子さんを迎えに行く。

蚊の一杯いる庭で待つ。

 

U-子さんは気を遣う。

僕の洋服に合わせて、どんな色合いの洋服が一番いいか考える。

パンツとシャツのコーディネイトを考える。

脱いだ洋服をこっちに置き、新しい洋服を引っ張り出し(たぶん)、重ね着をする。

 

15分後、「これでどうだろう?」という顔で庭に出てくる。

「それでいいよ」と僕が言うと、部屋に戻る。

僕の言い方が悪かったのか、腕を何度も掻いていた様子が行けなかったのだろうかは分からない。

 

それから15分後に別の洋服に着替えて出てくる。

 

Uー子さんと病院に行く。

先生にも おもてなしの心で接する。

 

先生が心配しないように、質問される前に話を始める。

先生の様子も聞く。

「先生は、奥さんと幸せですか?」

その返事を聞く前に、次の話題を始める。

15分経つと一息つき、僕の方を振り返る。

僕がそこにいることを確認し、相槌を求める。

僕が考え、返事をしようとする前に、別の話を始めるている。

 

カウンセリングの間に、僕に気を遣って振り返ること3度。

先生が飽きないように暮らしぶりを聞くこと4回。

僕は、だいたい負ける。

 

1時間が過ぎ、終了のベルが鳴り(ほんとはなっていない)僕が最初に立ち上がり、外に出る。

もう少し話をしたい顔をしているが、先生が困っている顔を見て諦めて外に出る。

そして僕が歩き始めると、Uー子さんは部屋に片足を入れて続きを話していた。

先生が寂しがっていると思ったのだろう。

 

Uー子さんとご飯を食べる。

そこでもお店の人に気を遣う。

 

Uー子さんはお子様ランチを注文する。

お店の人が、「子どもだけですよ」と言うと、「残したくないから」とお店の心配をする。

食事が終わると、食器を厨房に返す。

食器も洗おうとする。

 

食後は、お茶を飲む。

Uー子さんが好きな店は、①自然食の店。②作業所の経営しているレストラン。③ジャングルのような緑の多い店。④子どもが走り回っても怒られない店だ。そういう店は、だいたいお茶が出る。

どこで仕入れてくるのか いろいろな店を知っている。

食事が終わると、「今日の店はどうだった?」としつこく聞いてくる。

もちろん「よかったよ」というが。

そういう返事は期待していないのか、不満そうな顔である。

 

 

 

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2022年7月30日 (土曜日)

見られていないよいうこと

このブログを書いていて一番の自慢は見られていないと言うことである。

負け惜しみではなく。

何でもそうだが、人気があったり、期待されると荷が重くなる。

そもそも、誰かに向かって書いているのではなく、30年後の少年に向けて書いている。

その時の僕がこれを読んでいるという妄想である。

 

書くことは、生きることの次の次のその次に大切な行為だと思っている。

だから、書けない時は疲れているか、思い悩んでいるか、落ち込んでいる。

 

くだらないことでも、いや、くだらないことを書くことが大切なんだと感じる。

まだ、それがくだらないと感じる感性があるのだから。

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2022年7月24日 (日曜日)

リーダーシップとは、関係性である

リーダーシップが男性のものであり、力の集中から生じると信じられていた時代は終わった。

そうした考えから起きたことは現在の世界の状況が示している。

前にすすもことを進歩と捉えてきたツケが回ってきた。

 

前進するために、置き去りにされる人やものが溢れ、歩くことさえできない。

それなのに、決めたことだから修正できない、後戻りできないと言い訳をする。

 

すでに、森が燃え上がっているにもかかわらず。

 

ケネス・ガーゲンとメアリー・ガーゲンは、「関係性の中で意味が創造される」ことを考慮し、「意味作りのプロセスの中に他者の関与がなければ、リーダーとしての役割を果たすことができない」という。

 

要は、成長や拡大のためという意味から、人と人の関係性や連携からうまれる意味を見出すのがリーダーの役割だと言っているように感んじる。

 

目的達成のためにリーダーがいるのではない。それでは、問題解決型のリーダーであり、問題は決してなくならない。無くならないどころか、問題のないところに新しい問題を生み出すことが起きてしまう。

 

ぼくらはどこに向かっているのかではなく、僕らは世界の仲間と生きている、そのことから生まれる意味を見つけたい。

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2022年7月23日 (土曜日)

リアルであるということ

オンラインばかりが多くなり、情報量ばかりがどんどん流れてくる。

情報で頭がいっぱいになることが進化なのだろうか。

生物としての人間にとって大切なことは別のところにあると感じながらZOOMの画面を見つめる。

 

研修であったTさんとかれこれ10年以上のお付き合いをしている、してもらっている。

一緒にネパールにベトナムにデンマークにバリに行った。

 

ネット研修ではこうはならなかっただろう。

大阪まで車を走らせ、大阪城の近くのルーテルホテルに泊まり、研修会場もで歩いて行き、机に座り、隣の人と名刺交換をしたことがお付き合いの始まりだ。

 

もちろん、コミットメントしたからこそ、何かが始まったのである。

はじめるためには、リアルな感覚がどうしても必要になる。

 

それは、思い出としての意味かな。

 

手紙を書き受け取るほうがメールより思い出になる。

 

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14歳の頃

ブレイビーみかこさんの小説両手にトカレフは14歳の少女の物語だ。

僕の14歳は、大阪万博と重なる。

ビートルズの「Let it Be」と藤圭子の「夢は夜ひらく」が重なって頭の中をぐるぐる回る。

和洋折衷。世界も日本もゴチャ混ぜの年である。

万博に行きたかった僕ら中学2年生は行けず、3年生が修学旅行に嬉しそうに出かけた。

テレビではアンディーウィリアムスが歌が流れ、アメリカ舘には月の石が置かれていた。

 

前年、アポロ11号が月に着陸した。

僕らは、宇宙飛行士がゆっくりと月に下りるところを、中継で見ていた。

 

そうした華やかな時代とは裏腹に、僕らの日常はつまらないものだった。

大きな事件も身の回りには起きず、失恋も経験しないまま、ゆっくりとした時間だけが流れていた。

 

それでも14歳の僕は社会への関心が強かった。

大学では、喧嘩をしていた。

大人が自分を主張していたし、人の言うことを聞かない人ばかりがいた。

ぼくも、そうした影響を受け、学校に反発していた。

社会の不公平と身近な格差に押し潰されそうだった。

 

すこしづつ思い出す。

なんだか、自分の中の14歳が僕に話しかけているような気分を感じる。

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2022年7月18日 (月曜日)

ソーシャルワーカー支援チーム

職能団体として社会福祉士会がある。

会員組織としての組織率は高くない。

それは、国のシステムとして利用価値はるが、その独自性を認める国民の意識の低さが原因だと感じている。

 

弁護士や医師は、それぞれ独立した組織を持っている。

専門教育やスキルを身につけると独立あるいは現場に出てさらにスキルを高める。個人で開業することも可能である。

社会的な認知があり、研究の盛んに行われている。

 

一方、福祉職として、社会福祉士やケアマネジャーはと言えば、やっと国家資格になったというところである。

独立して改行できる人もいるが、個人開業を前提とした教育や育成システムがない。

職能団体に入会することのメリットや職能団体の果たす機能が少ない。

 

また、本来ソーシャルワークは、社会システムの課題や弱点、あるいは、社会システムからこぼれ落ちた弱者に対する援助をする人であり、社会システムの補完的な役割を果たすことをしているような現在の仕組みは問題がある。

 

それでも、団体としての役割はある。

中でも、同じ価値観を持ち実践している仲間を支えることは重要である。

 

僕は、問題を抱え、SOSを出しているソーシャルワーカーの元に出向き、話を聞くチームが必要だと思う。

問題を解決しにいくのではなく、3人程度の専門教育を受けたソーシャルワーカーが、すぐに、そして必要なだけ話を聞きに行く。

 

そして、問題を語らなくても良くなるまで、その人の物語を聞くこと。

 

そんな組織になったら、ほとんどみんなが入会するだろう。

 

 

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ホイスコーレを体験する

ワークショップのご案内

日時 2022年9月2日 (金曜日) 19時00分から21時00

1830分より 2023年スタディーツアーの説明会

入室は18時20分より開始

定員50名(先着順)

ゲスト: ノーフェンス・ホイスコーレの教員を調整中

通訳・講師:  モモヨ ヤーンセン (ノーフェンスホイスコーレ短期研修部代表)

司会:  齋藤弘昭(社会福祉士事務所 「福まね」代表

問い合わせ: fukumane@gmail.com 携帯09093264663

ZOOMのアドレス: 最後のページに表示

招待アドレスは返信しませんので、参加の連絡のみお願いします。参加費無料

講師紹介

Momoyo Jørgensen 氏のプロフィール

1990:渡欧
1990〜91:デンマーク語語学学校
1991〜92:夜間の語学学校に通いながら、日中はオーデンセの特養で実習
1992:デンマーク国立介護士養成学校入学
1993:社会保健介護助士取得
1995:社会保健介護士取得
1995〜00:精神病を持つ高齢者(認知症含む)ならびに触法精神障害者の国立入所施設に勤務
1997〜00:看護実習生、ペタゴーを現場で指導する指導員として同入所施設で勤務
2000〜2005:日本人留学生を受け入れる日欧文化交流学院にて教員として勤務
仕事をしながら国立オーデンセ教育大学で、教育指導学、教育心理学、心理学、                       社会学を専攻し、教員免許を取得
2003:認知症介護ハンドブックを翻訳(ミネルヴァ書房)
2005~現在:ノーフュンスホイスコーレにて教員として勤務
2009:デンマーク、認知症コーディネーターの資格取得
2016: ノーフュンスホイスコーレ、短期研修部代表として就任
2020:ノーフュンスホイスコーレ職員代表理事デンマーク国の認可を受けたデンマーク独自の成人教育機関フォルケホイスコーレにて管理職ならびに教員を務める傍ら、年に2回程度で日本で講演活動、職員研修の提供、セミナーの開催を行っています。「人と出会う」をテーマにフォルケホイスコーレの教育価値観である多様性、サステナブルな人間と社会等、民主的な社会へ参加する「アクティブな住民」としての人づくりを仕事にしています!

今回の研修テーマは「ホイスコーレ」です。デンマークの福祉・教育・社会制度の基本はホイスコーレにあるとさえ言われます。「人生」について考える場であるホイスコーレを体験する時間を作ろうと企画しました。フォルケ・ホイスコーレ=国民高等学校は、19世紀グルントビーが農民解放運動の一環で始めました。農業や手工業を通じ、「生きた知識」を農民が学び、真の民主主義の実現を進めるために対話による教育を行ったものです。現在もデンマークには90校以上があるといいます。宿泊したノーフェンス(地名)・ホイスコーレもその一つです。ホイスコーレには、17、5歳以上の人が入学でき(外国人も)、数ヶ月から数年学びます。科目は学校により異なり、文化、創作科目などユニークな科目が多いのも特徴です。人生を対話で学ぶ学校であり、寮での共同生活を送ります。ノーフェンス・ホイスコーレでは、陶芸、銀細工、木工、デッサン、ガーディニング、スポーツ、ヨガ、乗馬、コーラス、ドラマ、デンマークの歴史、教育、医療、政治などの教室があります。今回のワークショップは、2023年のスタディーツアーのプレ体験になるでしょう。

  • Q &Aの時間も設定しました。質問を受け付けます。通訳の時間を少なくしたいので、事前に受け付けた方を優先しまので、メールで申し込みください。質問は簡潔にお願いします。

 

  • 「福まね」さいとう社会福祉士事務所では、毎年デンマークスアディーツアーを企画しております。次回は2023年6月4日から10日、デンマークの初夏を予定しています。このスタディー・ツアーは、「デンマークではどのような法律を作り、福祉・医療・教育に取り組んでいるのか。その社会システムは、国民に幸福を与えているのだろうか」という疑問から生まれました。

訪問先の学校、施設、家庭、専門機関などを訪問し、見学とインタビューを実施します。その際には、必ず「人生に対する考え方」「幸福のイメージ」を聞きました。また、事前研修を複数回開催し、デンマークの歴史、教育・行政・福祉に関する基礎知識を学びます。宿泊は、デンマーク第2の島フュン島のボーゲンセにあるフォルケホイスコーレに滞在します。関心ある方のご連絡お待ちしております。

 

 

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2022年7月 3日 (日曜日)

対話というフレームで最近の出来事を考える

先週、家を離れていた。

家族と、友人と、見知らぬ人と様々な出会いがある、交流があった。

 

家族は、相変わらずの関係であるが、時間と場所が違えば、それなりに変化ある事件が起きる。

日常では事件が起きないのは、隠されているからであり、表面化しないほうがめんどくさくないからである。

 

しかし、日常とは違う刺激により、隠されていた事柄が明らかになる。

そんなもの見たくなかったと感じても、出てきたものはしょうがない。

疲れる。

 

友人との出会いもある。

友人と認識するのは、離れていても、会いたいと感じる存在だからである。

 

関係の深さは、思いとは違い、その時の気分に左右される。

あらためて初めましてのような、負担を感じながらも、どこか心地よい気分んであった。

 

見知らぬ人は、見ず知らずの人であるが、それだけに楽しい。

見ず知らずの人が友人になり、連れ合いになる可能性がある。

 

旅先での出会いは、気軽である。

しかし、時々、ハラハラし、ドキドキすることも起きる。

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2022年6月30日 (木曜日)

ホームソーシャルワーカー

ホームhomeは、家、住まい、ふるさとなど、人間が安住する場所である。

そのhomeに、ソーシャルワークをする。

そして、個人に対するエンパワメントや解放の促進を行う。

 

人を社会や組織で捉えるのではなく、個人として捉え、相互に交流を図りながらエンパワメントと解放を促す。

 

友達のホームソーシャルワーカーは、クライエントと旅行をする。

 

それは、友達を旅行するのではない。

ソーシャルワーカーと旅行するのだ。

そこには、エンパワメントと解放が用意されている。

 

それって、どんなことをするの?

それは、ソーシャルワーカーの力量とクライエントとの相互交流により変わる。

何が待ち受けているのかお楽しみである。

しかし、そこには、一定の規範がありスキルがある。

 

僕は、クライエントとしてではなく、彼と旅行をする。

それは、新しい力を得るためであり発見をするために。

 

ソーシャルワーカーが行う実践も、緊張とバランスを伴いながら、エンパワメントと解放があるといい、

そこに、これからの可能性があるように感じる。

 

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問題の汚染

問題の汚染*インタビュー分析から

『問題』は、汚染する力を持っている。

定義:社会生活を送る上での「障害」及び「障害となる行動」やその環境を「問題」として認知する行為そのものが、問題からの汚染を生む。支援を求められた場合、それに反応することから生じることが多い。

ソーシャシャルワーカーがケースを受任する場合には、かならずと言っているように「問題」が内包されている。多くの場合、それを「障害」、「問題行動」、「課題」と呼ぶ。ソーシャルワーカーは、それらの「問題」及び「課題」を解決するために呼ばれる。ケースに関わるソーシャルワーカーも専門家として「問題」及び「課題」にコミットメントすることが自らの使命と自覚している。つまり、「問題」と「ソーシャルワーカー」は、相互に影響しており、関係の当初から「問題」に汚染されているといえる。問題に入ることが、解決への近道であり、問題に深く関わることこそが、ソーシャルワーカーの役割であると自覚している。

ソーシャルワーカーの語りからは、「問題のないケースはないと思います」と、ケースを受任することと問題がそこにあることは共時性があり、「クライエントや関係者が不安を感じたり、そういう環境にあるってことが問題だと思います」と自認している。ソーシャルワーカーは、「僕の中に解決したいという、そういう思い」があり、ソーシャルワーカーは、自分が呼ばれた時から、問題を解決する人としての「覚悟」を持っている。さらに、関係者からの期待も加わり、問題に「汚染」されることに自らも加担するようになる。

問題にチャレンジするようでいて、問題からは囲われる。主体的であるという姿勢こそが、問題の汚染を生む原因である。

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2022年6月28日 (火曜日)

友達に会う

友達とは、何かをあげた人であり、何かをもらった人だと思う。

それに、一緒に食事をした人。

一緒に山に登り、一緒に川を下った人。

みな、生死に関わることがある。

 

そんな人たちと何年かぶりで食事を共にする機会に恵まれた。

ありがたい。

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2022年6月26日 (日曜日)

どりらかしか選べない

プロライフか、プロチョイスか。

時代と共に大きな議論となり、政治的な課題となってきた。

それは、アメリカだけの話ではなく、日本においても。

中絶を認めるかどうかという話だけでなく、生命をどのように考えるか、神を信じるかまで関係する。

それは、どちらでもと言うわけにはいかない。

なぜなら生命を人間んが作ることができないからである。

むしろ、生命を作れるようになった場合には、もっと大きな問題が生まれるだろうけど。

 

中絶は「できるもの」として50年近く当たり前の権利としてあった。しかし、アメリカの連邦裁判所が、中絶を憲法で保障された権利とは認めないという判断を下した。

この言い回しは難しい。

アメリカは州政府で実態法を作っているので、州により中絶を禁止したり、認めたりするということが進むだろうと言われる。

 

中絶を決める判断を男性中心で行っていることも問題だが、生命に対する大きな判断により、社会を分断することが大きな問題だと思う。

 

それは、世界で起きている政治や経済同様、大きなグループが二つでき、主義主張をぶつけ合い。最後には、殺し合う社会である。

 

何かを信じるとは、それ以外のことを信じないということである。

 

宗教上の出来事に争いや戦争が伴った歴史を考えると、悲しい気分になる。

 

それでも、どちらかしか選べない。誰かを(何かを)選べば、それ以外を殺す(存在がなくなる)ことになるのは道理である。

 

生命は、絶えず崩壊しながら生まれ、これまでもつながり、これからも続いていくと思われるが、そこに人間という種が残るとは限らない。

 

 

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2022年6月23日 (木曜日)

熱い男は苦手だ

この季節

夏ではなく選挙の季節は苦手である。

全く知らない、一度も会ったことがない、近寄って欲しくない雰囲気の男が近寄ってくる。

それも、手を出して握手しようとしたり、気軽に話しかけてくる。

 

どこかでお会いしましたかと、相手を見ると、襷をかけている。

襷をかけている姿というものは格好良くはない。

鉢巻よりはましか。

 

差し出す手が、ぐいと僕の方に近寄ってくる。

その手を払う余裕はない。

隙を見せると、左手で僕の右手を持たれ、握らせそうになる。

 

こうしたうまさがあるのに、言っていることに中身はない。

 

右手を引っ込めるより、さっと空を切る動作がいい。

そのまま、空を指差し、

遠い目をする。

 

でも一度だけ、駅前に机を出し、話をしましょうという人がいた。

彼は、襷もかけず、鉢巻もしていなかった。

誰だか分からず、通り過ぎた。

あとで振り返り、あの人なら話をしてもよかったと思った。

けれど、何をしているのか分からなかったのだ。

 

 

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運転免許

高齢者の免許返納が話題になる。

この、返納という言葉はおかしい。

免許とは、運転できますという契約である。

免許を持っていることと、運転することは違う。

返納しないでも、運転しないということは当然できるのであるが、それができないのがこの国の国民性なのだろうか。

 

免許証を持っていたいと考えることが悪いわけではない。

運転しないで免許書を持っている人は多い。

それが、高齢者となると、事故を起こす恐れがあると考える。

 

恐れがあるのは、他にも沢山ある。

恐れがあるから、恐れがないようししたいと国が考える。

 

それは、精神障害者が在宅生活を送る際にも言われる。

暴れる恐れがあるから入院していてほしいと、はっきり言われる。

それが地域の総意だという。

 

高齢者が一人暮らしをしている場合にも、

在宅死の恐れがあるから施設に入所したほうがいい。

 

一時保護書を立てる際にも、

地価が下がる恐れがあるから建設に反対である。

 

最近、

この国がどんどん閉塞する恐れを感じる。

 

 

 

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2022年6月21日 (火曜日)

あなたがそれをどう説明しようと苦痛は苦痛だ

苦しんでいることは明らかであり、それを癒す言葉をぼくは持っていない。

 

しかし、その人は微笑んでいるような表情で僕を見つめる。

もはや焦点を合わせることはできないだろう目で、ぼくを見る。

 僕は、みられている。

ああ、みられてしまったと感じる。

そんなに、見せるものなんかないのに。

 

僕はみられる立場に立っていたし、いつまでも、それは続くと思っていた。

しかし、それをどう説明しようと、立場は変わる。

 

僕の瞳は濁り、もはや感知する物体を正確には見えない。

そこに何かがあると、誰かがいると信じて、焦点を合わせる。

 

 

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2022年6月19日 (日曜日)

ベランダに出る

コロナ生活の与えた影響は大きい。

 

家にいることの意味や機能を見直すことが多くなった。

それほど広くない間取りだが、いままで使っていなかったスペースを活用することが多くなった。

 

長い時間同じ場所にいることにあきるので、新しい場所を探す。

例えば、机に向かう位置を変える。

机を動かすこともできるが、すぐにできることは、机の反対側に椅子を持っていくこと。

 

わずか、60センチの移動であるが別の部屋のような変化を感じる。

使い勝手は悪いが気分は変わる。

 

ベランダで本を読んだり仕事をする。

洗濯物を間で、観葉植物に囲まれて、ほんの小さな隙間の中で、虫を追い払いながら椅子に座っているだけで気分が変わる。

ただ、コーヒーやビールを持ち込み、つまみを並べると仕事にならない。

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困った人とは誰か

困った人がいるという相談を受けることがある。

困った人は、非常識な行動を取り、周りに迷惑をかける。

困った人をどうにかしたいと、相談者は話す。

 

困った人は、常識的な人をどう認識しているか。

たぶん、なにも思っていないか、意識していないのだろう。

そこには、認識のずれが生まれている。

 

困った人とは、いっていのメジャーといわれる社会認識の中でうまれる。

メジャーは力を持っているので、メジャーでない(常識的でない)ものを排除しようとする。

 

もし、メジャーでない行動、言動に力が生まれてしまうとメジャーの力が危うくなり、メジャー社会のバランスが取れなくなる。

 

福祉の世界での「問題行動」も多くの場合、この常識が「壁」となっている。

社会構成主義から考えると、現実は、社会的に構成させたもの。つまり、社会が認知したものが現実となる。

別の認知をしたなら、メジャーの「問題」は、問題ではなくなる。

 

ゴミ屋敷という「問題」が報道されることがある。これは、映像的(絵になる)な影響もあると思うが。ごみ問題は、本人の問題ではなく、周辺住民の問題であり、社会的な「問題」と言われる。

 

まず、本人の問題でない「問題」を解決することはできない。

次に、周辺住民の問題としては、関係の問題である。多くの場合、ゴミがあることに意味があることから、これまた解決できない。

社会の問題としては、まちづくりに対して抜本的な政策を行ってこなかった政治のありかたが関わっているので、ここの課題は解決できない。

 

時代を戻してゴミを考える。

江戸時代には、ゴミは発生しなかったと言われている。

糞尿でさえ資源であった。長屋の糞尿は大家の財産として売られた。店子は自分の「もの」を奪われていた。

また、ものの売り買いに、もの以外の付属物がなかったこともあり、ごみが出ることはない。野菜の残りクズは、畑の肥料となる。

道に落ちている鉄屑は集めて売り払う。

ゴミは金になるのだ。

当然、ゴミ屋敷は、資源の山である。

 

どうしてゴミ屋敷が問題となったのかは、社会がそれを生んだからだと言える。

 

困った人の話に戻る。

困った人は、必要がないのか。

多分あるだろう、いや、困った人は、他人ではなく、私自信である。

困った人は資源である。メジャーな社会にとってマイナーは人は必要である。むしろ、重要な役割を持っている。

メジャーな人は沢山いるが、マイナーな人は少ない。

 

時代が変わり、希少的な存在、なくてはならない資源、社会を変えるキーパーソンになる可能性をもっている。

 

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2022年6月18日 (土曜日)

会話の温度

人の話にのめり込む傾向がある僕にとって、電話相談は難しい。

相談という体をとっているが、中心にあるものは、感情である。

感情を理屈で捕まえようとしても、逃げられる。場合によっては衝突する。

感情は、ふわふわした、そのものの、変化を見続ける。

ふわふわしたものは、いつもまでも同じ状態でいることはできない。

物事は絶えず形を変え、状態を変え、実態を変える。

少し前の感情は、次の瞬間には別物になっていることがよくある。

 

なんで急にあの人は怒り出したのか?

と感じることがある。

しかし、彼にとってそれは急でもなく、何時間、何週間、何年も溜まっていた感情が爆発しただけのことで、そこに至るまで変化を続けてきた。

これは、僕のことですけど。

爆発すると萎む。

つまり、萎むためには爆発が必要だということ。

 

相談者は、解りたいのではなく、時に爆発したい、時に泣きたい、時に笑いたいのだと思う。

それが、起きるまで、次の変化は起きない。

変化が起きると、それまでの感情を忘れる。

 

隣の少年のマグマが煮えている。

その熱を冷まそうとしても、すぐには冷めない。

しかし、いつまでも熱い訳ではない。

そのうちに冷えるだろう。

冷えるまでは、火口を覗くのはやめよう。

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2022年6月11日 (土曜日)

砂の女

100分で・・・が好きだ。

今月は、砂の女

どこかにあったと、本棚を探す。

昭和56年発行、57年8刷の文庫本を見つける。

中程まで読み進む。こんな話だったの。びっくりする。

 

昔読んだ本を読むと大体びっくりする。それは、自分が思っていた本とあまりに違っているからだ。

それに、再読すると、その深さを感じることが大きい。

 

また、年を重ね、今の課題とリンクしていることに驚く。

 

これって、シンクロニシテーなのか。

僕がそれを求めているのか、それが僕を求めているのか、多分、両方だろう。

 

砂の穴に降りていく(自分の意志で)男が出会う現実は、僕の現実とどのようにつながるのか。

穴はどこかに繋がっている。僕のほっている穴にも。

 

僕は、誰と、穴を掘っているのだろうか。

目的ではなく、家に住む女が気になる。

 

映画(1964年)では岸田今日子が女を演じていた。

 

昭和55年当時、別役実が好きで演劇集団円に何度か足を運んだ。

岸田今日子が演じる「雰囲気のある死体」は、読売ホールだったか。

 

その時感じた気分を、この本を再読して味わうことができた。

あの匂いや、ザラザラした感覚を。

 

 

 

 

 

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現場で考える

ますますインターネットでつながるようになり、現場に行くことの意味がさらに重要になってくる。

 

相談電話が、ネット相談になり、声に加え会っている気分にもなれる。

見えるという点では、実際に会うより、よく見える。

見えすぎる。

 

会うために、洋服を選びを楽しむUさん。

今日は何を着て行こうか、商店街をどんなふうに歩こうか、靴はどうしようかと考えて、あまりに考えて遅刻するUさん。

 

そんな時間を楽しめるのは、現実がそこにあるからだろう。

 

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2022年6月10日 (金曜日)

何か価値あるものをクライエントに与える

援助関係においてコミュニケーションバランスを取る方法として、価値あるものをクライエントに与える。という方法がある。

ものをあげることの意味は、東洋のみならず西洋でも同じらしい。

 

それも価値あるもの、価値あるとクライエントが感じるものであることが重要である。つまり、金銭的価値だけではないということだ。

 

この辺が難しい。

さて、どんなものが欲しいか?考えてみた。

 

だんだん欲しいものが無くなってくる。

大きなものより小さなもの、すぐに消費できるものに価値を置くようになった。

 

その意味で、ポケットに飴を忍ばせて、黙って「はい」と渡すのが最高だろう。

 

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正解を求めない

いい答えというものはない。

誰にとっても正しいと言える答えがないように、援助関係における正しさを見つけることはできない。

それは関係であるという性質上、関係は常に変化するものであるから仕方がない。

 

正しさは、時に、支援者側の問題となる。

それは倫理的にであり、効率的にである。

正しさが確認できれば次に進める。できなければ、留まるしかない。

この停滞が支援者にとっての大きなストレスとなる。

 

そんな時、どうしているか?

黙っている。

答えを出さないことをしている。

あえて留まることを選んだほうが先に進みやすいことがある。

関係において、こちらが止まれる、あちらは動き出さざるをえない状況が生まれる。

 

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2022年6月 9日 (木曜日)

砂の女

この小説の主人公は、女なのか、男なのか。それとも砂なのだろうか。

だんだん分からなくなる。

なんだか分からなくなる気分を感じることができるのが、この小説の醍醐味だろう。

生活の中の、境界がテーマになっているようにも読める。

すぐに思いつくのが、今日一緒に病院にきたクライエントである。

もちろん詳しくは書けないし、その人のことを話す訳でもないが。

彼女は、日々エッジに立っているように生きている。たぶん。

どんな気分か、どんなことを考えているかなんてもちろん分からない。

わかっているのは、そうじゃないかと感じる僕の気分である。

漠然としている。

なぜ、彼女はエッジ(境界)に立っていると感じるかといえば。あちらと、こちらに行ったり戻ったりしているようでいて、自分の世界の中から抜け出すようでいて、けっしてその世界から出られないというジレンマの中にいるように見えるからだ。

困っているといいながら、ひとを困らせている。

寂しいといい、人とは交わらない。

体が痒いといい、風呂には入らない。

これは例えである。

 

男は、砂の底にある家に降りていく。

すぐに登れると思っているかもしれないが、上がれなくてもいいと感じているようにも見える。

だって、縄梯子一つで砂の穴に降りていくということは、二度とこの世界には戻れないということだってわかるだけの知識を男は持ってる。

にも関わらずである。

 

そう、こうなるだろうと思っていて、やっぱりそうなるということばかり起こる。

ユングはシンクロニシティーのなかで、偶然性が起きる時には、それなりの力が生じていると言っていた?

男は、穴に降りていく必然性を持っていた。

男は女に合う必然性があった。

それを取り次いだのが砂だっただけだ。

 

そう考えると、彼女がエッジに立ち、そこから出ないように取り次いでいるもの=人は何・誰だろう。

それは、僕かもしれないと感じる。

 

影響力はなくてもその役割を担っているのだろうか。

そうだとすると、僕にとってもそれはエッジなのか。

ぼくが抜け出せないものはなんだろう。

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2022年5月22日 (日曜日)

それを選んでいるのか

自由な意志はないという仮説があるらしい。

今、何を書くかを判断し言葉にしている、指が動き文字に変換する。

それさえも、行動に移す前に、すでに決まっているとしたら。

 

毎日、自分で決めて生きていると思っていたら、それは、あなたが決めているのではないと言われても困る。

生きるという行為が、自分の意思とは違うところで決められているような気分になる。

 

確かに、心臓は、私の意志で動いているわけではない。

では、脳は?

 

脳で考えるとき、何かを考えようと脳に命令しているのかと聞かれると、そうではないように思う。

 

これは、「ほんとう」ということに近いものだと感じる。

「ほんとう」を、本当に「本当」かと問い始めると、それは、本当ではないらしくなる。

 

生命というものの持つ宿命のようなものなのかもしれない。

生命が、意志を持つということは、常に破壊されると同時に生産されるという循環だと動的平衡では考えられる。

 

意志を持つことは、それも感じた瞬間に、判断し行為に移った瞬間に、すでに意思決定が行われている。それを決めているのは神である。

 

この場合の神は、世界を管理する存在という概念である。

この決定について、人間という個ではなく、地球という星で考えた場合。

 

地球は意志を持つのか?

 

宇宙が存在し、法則を持つということからも意志はあるのだろう。

 

その意志は、誰かが決定しているのではなく、動いているという事実がそこにある。多分拡大しているということ。

普段、その動きを意識できないが、ものすごいスピードで動いている。

 

私の場合はどうだろうか。

 

先日、右手を骨折した。

これは、僕の意思だったのか。

それは、右手を上げるように、僕の意志として必要だったのだろう。

痛い思いをしたが。

 

ギターを弾くとき、右手の指が細かく動く、同時に左手も細かく動く。それが、自分の意志ではなく、すでに決められたことだとすると、頭の中に住む小人たちの働きは大変なものである。

そうした細かい動きが宇宙の動きにつながっていると考えると、すごい。

 

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2022年5月12日 (木曜日)

老いを考える

60代、70代、80代の人たちと老いについて語り合った。

身体的な衰えはそれぞれに感じるところであるが。

気持ち(心理面)の持ち方に違いがあるように感じた。

二十歳の時には、70代の自分が想像できないように、70代になってしまうと

そんなにも老人ではないと認識している。

 

そう、ダメになるまでは、大丈夫なのだ。

この辺の塩梅が難しい。

とくに、社会的責任と老いは、自覚という壁にぶつかる。

 

たとえば、免許の返納という制度自体があるが、そういう制度を作らないと車の運転を止められない。

自分で運転しないと決めれば、免許を持っていてもいいものだが、そうはいかない。

 

運転できていると思っているうちは、だいじょうぶだという自信がある。車をぶつけても、大した傷じゃないと感じる。

大きな事故を起こす前に、止めればいいじゃないと思うだろうが、本人は事故なんか起きる想定ができない。

 

仕事も同様である。

もう辞めようと思って、5年が過ぎる。ああ、もうだめだと感じて10年が過ぎる。

まわりから責められて、喧嘩して、やっと辞める。

はじめるより、やめる方が難しい。

 

そんな話をしながら、誰も「あした辞める」とは言わない。

そう、人の話だと思って聞いているから。

 

 

 

 

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2022年3月31日 (木曜日)

カヌーの思い出

野田さんを知ったのは、30代の時の入院しているベッドの上だった。

安静していなくてはいけない病気ではないので退屈していた。

差し入れの本の中に、椎名誠とその少年とカヌーの物語が入っていた。

退院後、秩父の荒川でカヌーに乗り、川下りをした。

脇の下に流れる川のスリルと転覆した時の恐怖は忘れられない。

 

その後、北海道の河、ブリスベンの川、西表島の川でカヌーを漕いだ。

 

大きな自然の中で、一人でいるのに寂しくないのがカヌーだと感じる。

オールを動かしていないとバランスを失うため、無心で時間が過ぎる。

野田さんのご冥福を祈る。

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2022年3月30日 (水曜日)

ありがとう

私は「ありがとう」なんて言っていない。

私は「こんちきしょう」と言っている。

 

それは、あなたたちに、そして、私自身に向かって。

 

お世話になんかなりたくない。

私を「理解してます」と言うあなたたちの顔が大嫌いだ。

 

嫌いでしょうがないから「ありがとう」と言う。

 

どしようもないから「お世話になります」と言う。

そんなこと当たり前じゃないか。

そんなこと、わかっているはずじゃないか。

歳をとるっていうことは、そう言うことだろう。

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2022年3月29日 (火曜日)

困難ケース

困難ケースという呼び方がある。

嫌な、ネーミングである。

困難なのは、支援者の問題であるのに、被援助者の問題のように関係者で話し合う。

つまり、私の力不足で課題解決が進まないケースである。

また、言うことを聞かないケースと説明する人がいる。

それは、支援者の言う通りにしない、自律性の高い人ということである。

支援者は、「正しい」方向性を信じており、その道にクライエントが従わないのでイライラしている。

つまり、クライエントは支援者とは違う歩き方をするのとに、私がイラついているケースである。

こうしたクライエントのとの関係性は、ソーシャルワークでは起きやすい。

それは、援助関係という相互関係が大きく影響していると感じる。

 

困難な状態のままではいけない、理解して前進することが援助と理解する。

援助とは、助ける関係と考えた場合、問題がそのままでは、言うことを聞かず前進しないのでは、援助者の価値がなくなると考える。

 

また、援助者は問題を見つけ出すことに長けている。

専門性が高い程、問題を発見する能力が備わっている。

ここにも、援助関係のジレンマがある。

援助したい人は、問題を引き寄せ、問題に対して依存的になりやすいのかもしれない。

 

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2022年3月20日 (日曜日)

この11年

クライエントが突然亡くなった。

こういう連絡は突然にくる。

インテークから11年。2011年から11年が過ぎた。

あの震災からのお付き合いである。

ここ国にいろいろなことがあったように、彼女にも色々なことがあった。

それを振り返るのは僕だけになった。

大変な時期には、大勢の関係者が関わり、賑やかであった。

安定するに従い、関係者はどんどん少なくなった。

笑顔で語りかけてくる大きな写真が最後に残った。

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2022年3月13日 (日曜日)

左手で考える

右手を骨折した。

そのことで、色々な思いが浮かんでくる。

3日過ぎた。

一本指でキーボードが叩けるようになった。

右手で考えていたことを、左手でも考えるようになった。

 

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2022年2月28日 (月曜日)

参加の御礼

24日デンマークの障害福祉 意思決定の実際を聞く研修が無事終了しました。

新しい参加者もあり、貴重な話が聞けたとメールもありました。

参加したいただいた方に御礼申し上げます。

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2022年2月23日 (水曜日)

世界の中の一人の人の意思を考える時間

デンマークにおける意思決定支援を考えるワークショップが24日迫りました。

まだ、参加者募集中です。

今ほど世界と日本が、私たちが繋がっていると感じられる時代はないと思います。

デンマークに行く際に、フィンランド航空を使い、ヘルシンキに立ち寄りました。

そのフィンランドは、ロシアの支配下にあり、独立したのが1904年です。いま、NATOに加盟していないフィンランドは、今回のウクライナを巡る事態に、NATO加盟を進めようとしています。

ヘルシンキから船で2時間のエストニアにスタディーツアーで2度ほど立ち寄りました。タリンという中世の美しい街並みが印象に残っています。

エストニアを含むバルト3国は、第二次世界大戦中ソ連の支配下にありました。独立後、NATOに加盟しましたが、国境がどうなるか将来のことはわかりません。

デンマークも、第二次大戦中にドイツの侵攻を受けました。

世界で起きていることは、地球という共同体の一部で起きていることです。私たちの体の一部で起きていることです。

デンマークの福祉は、日本の福祉と違うのでしょうか。もし、違うのであれば、どこが違うのでしょうか。

デンマークでは、障害者は自らの意志により生活できているのでしょうあ。

もしそうなら、どうして日本ではそれができないのでしょうか。

デンマークの空を見ながら、私たちの意志が尊重されていると言われる社会のことを考えてみませんか。

最も弱い体の一部を思う時間になると思います。

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2022年1月21日 (金曜日)

デンマークの福祉を語る第3回ワークショップ開催決定

第3回目のワークショップ開催決定。
2月24日 木曜日 の夜7時からです。
みなさま、お待ちしております。
当日お手伝いボランティアも募集中
*今回は、アドレスを事前にお知らせしますので、参加の連絡だけお願いします。返信はできないと思います。
お友達もお誘いください。
ワークショップのご案内
日時 2022年2月24日 (木曜日) 19時00分から21時00分
Z00M開催 入室は18時30分より 定員50名(先着順)
ゲスト: Charlotte Kremmer Larsen
講師: Charlotte Kremmer Larsen     
プロフィール:慢性的な精神的・肉体的低機能障害をもった18歳~75歳を対象とした住居施設の施設長を2009年開所当時から務めています。ここには40人の方たちが生活してます。1993年にソーシャルペタゴー有資格となってから常に障がい者分野に勤務。2003年からはリーダー格となる。2015年~2018年にかけてリーダーマネージメント教育を受け、可能な限り当事者の自立、自己決定、尊厳をいかに実践において保証していくかを専門として特にフォーカスしています。
通訳:  モモヨ ヤーンセン (ノーフェンスホイスコーレ短期研修部代表)
司会:  齋藤弘昭(社会福祉士事務所「福まね」代表
問い合わせ: fukumane@gmail.com 携帯090−9326−4663
ZOOMのアドレス: 最後のページに表示
招待アドレスは返信しませんので、参加の連絡のみお願いします。参加費無料
プログラム 講演及びQ &A
研修テーマは「意思決定」です。今回の研修に依頼をする際、『「意思決定」ってデンマークでは当たり前です』と返事が来ました。その当たり前を、じっくりと、一緒にかんがえましょう。ゲストは、コミューンが運営している住居施設の施設長です。
●コミューンが運営する施設ってどんな場所なの?
●利用する人は、どんな生活を送っているの?
●どのように当事者の意思をアセスメントしているの?
●金銭管理は、さまざまな契約は、地域との繋がり方など、聞きたいことは沢山あります。
●また、日本にはないペタゴーという専門資格についても・・・
 今回も、講演というよりデンマークの福祉について語り合う場となるように企画しました。デンマークの福祉に、意思決定支援に関心ある方のご参加をお待ちしております。
具体的なデンマークの現場の話が展開します。おたのしみに❗️ コロナ対応も聞けるかな。
●また、Q &Aの時間が十分ありますので、質問を受け付けます。通訳の時間を少なくしたいので、事前に受け付けた方を優先しまので、メールで申し込みください。質問か簡潔に、先着5名
●さいとう社会福祉士事務所では、毎年デンマークスアディーツアーを企画しております。次回は202?年初夏を予定しています。このスタディー・ツアーは、「デンマークではどのような法律を作り、福祉・医療・教育に取り組んでいるのか。その社会システムは、国民に幸福を与えているのだろうか」という疑問から生まれました。
訪問先の学校、施設、ホーム。専門機関を訪問し、見学とインタビューを実施します。その際には、必ず「人生に対する考え方」「幸福のイメージ」を聞きました。また、事前研修を複数回開催し、デンマークの歴史、教育・行政・福祉に関する基礎知識を学びます。宿泊は、デンマーク第2の島フュン島のボーゲンセにあるフォルケホイスコーレに滞在します。関心ある方のご連絡お待ちしております。
デンマークってどんな国
デンマークは、北欧諸国の中で最も南に位置し、ヨーロッパ大陸と陸続きのユトランド半島と500以上の島々からなるデンマーク王国は、自治領であるグリーンランドとフェロー諸島を除けば4ヵ国のなかで最も小さい。「デンマーク」とは英語名で、デンマーク語の正式名称はダンマルク王国 Kongeriget Danmark。
 国土はなだらかな地形が続き、パンケーキのような形と表現される。高い山や大河はないが、美しい海岸や複雑な海岸線を成すフィヨルド、丘陵や森などの景色は変化に富んでいる。
国名の原意が「デーン族の境界地帯」に由来という説があるように、ヨーロッパ大陸に対する位置関係が、歴史上宿命的に大きな意味をもった国である。北欧最初のキリスト教化、封建制領土の一部導入(スリースウィ公爵領)、北欧最初の宗教改革、19世紀のドイツとの民族抗争などといった歴史的事件。またナチス・ドイツによる中立侵犯・占領、第二次世界大戦後のNATO(北大西洋条約機構)加盟、EC(ヨーロッパ共同体、EUの前身)への北欧唯一の加盟という社会の変化にいち早く対応したという現代的状況も、北欧の最南に位置する国という決定的要因が大きく影響した結果であった。19世紀後半からはヨーロッパ屈指の酪農国として経済的にも発展し、農産物加工、造船、機械工業を基礎とした近代的工業国となっている。
 現在、ひとりあたりのGNPが世界でもトップレベルに位置し、先進的な社会保障制度をもつ福祉国家として知られている。また、童話作家アンデルセンをはじめ、哲学者キルケゴール、彫刻家トーヴァルセンなど個性的な芸術家を産み、1940~60年頃のいわゆるミッドセンチュリー時代には、ヤコブセンやウェグナー、パントンなど北欧モダンデザインを世界に広げた優れたデザイナーを次々と産み出した。
 世界中の人々がデンマークを「おとぎの国」と絶賛するように、森の緑と草花、紺碧に輝き湖沼が多く、どこへ行っても公園のような美しい景観を見せてくれる。カヌーやクロスカントリースキー、フィッシングをはじめ、四季折々のアクティビティが楽しめ、年間を通して多くの観光客が訪れる。
なお、デンマーク人がよく口にする言葉に「ヒュッゲ Hygge」があるが、これは心あたたまる、親密という意味をもつ。「世界一幸せな国」と言われるほど国民幸福度が高い、デンマークの国民性にふさわしい言葉といえる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
齋藤 弘昭さんがあなたを予約されたZoomミーティングに招待しています。
トピック: デンマークの福祉を語る テーマ「意思決定」
時間: 2022年2月24日 06:30 PM 大阪、札幌、東京
Zoomミーティングに参加する
ミーティングID: 825 5146 7348
パスコード: 229793
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2022年1月16日 (日曜日)

試みとしての発表原稿

統合と別れだけでは語れない彼のライフストーリー

パラレルチャートを通して彼の物語を理解する試み

 

 

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2021年12月 4日 (土曜日)

穴の底から見上げる

僕から見える景色は青空だ

彼女から見える景色は崖にしがみついている僕

それは苦しそうな表情をしているように見える

 

でも、僕には眩しい青空と希望のように輝く彼女の顔しか見えない

 

僕が今座っている椅子から外の景色は季節に合わせて変わるが

その味わいはいつも同じだ

桜の葉が落ち、銀杏の葉がしがみついている

そこは公園のような緑地帯になっている

 

ある日、散歩のついでに緑地沿いの遊歩道から自分の家を覗いた

確か、この辺だと思う家の暖かいオレンジ色のカーテンが見える

ここで僕は仕事をしているのだと頷こうとする

しかし、僕の仕事場とは違う。不思議な気分を感じる

そのカーテンの後ろに座っているのは、僕ではない

誰だろう。

窓の外から覗くその世界には、もう一つの別の世界が存在している

 

谷川俊太郎の絵本に「あな」がある

少年が穴を掘る

少年は穴に入る

穴の底から丸い外の世界を見上げる

外の世界は暗くなり、丸い月がのぼる

穴の底から見る月は、もはや、いつもの月ではない

 

そう。いつも見ている、僕らが信じている世界は突然変わる

それは、少しの時間と、ちょっと角度が変わるだけでいい

 

僕が僕でいることは、きっと大変なことなのだろう

たまに、僕がぼくを後ろから見ないと、僕でないぼくがそこにいるかもしれない

 

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2021年11月22日 (月曜日)

1983年

Image

1983年から1994年まで、杉並と世田谷の周辺に住んでいた。

大学を卒業して、児童養護施設に就職。施設の近くのアパートを借りた。

そのアパートがあった辺りに行ってみる。確かにこの辺だと思うが、どこにあったのかはわからない。

1年後、結婚して引っ越すが、またまた、施設の近く。

よく子供が遊びに来る。

日曜日になると「あそぼー」と声がする。

そのアパートに行ってみる。お世話になったOさんの家はすぐに見つかったが、僕たちが住んでいたアパートは見当たらず。

このアパートにA子が遊びに来る。

アパートの階段をA子と登っていると「あっ、家庭の匂いがする」とA子がいう。

その日はカレーだった。

そのアパートに5年ぐらい住み、またまた、近所に引っ越す。

高井戸から浜田山、浜田山から成田東、住所は変わるがどれも1キロ以内。

そのアパートに行ってみた。

アパートは見つからないが、そこには洒落たアパートが立っていた。

それから、世田谷区内に引っ越す。

今度は、車庫がついた一軒家の2階。

一階に大家さんが住んでいる。

ここで、少年が生まれる。

 

僕らが住んでいた家は無くなっているが、思い出は残っている。

僕はクライエントに「どんな人生でしかた」と聞く。

「なんてこともないものさ」と応えが返ってくる。

 

なんてこともない生活だけど、そこには沢山の物語が詰まっている。

そのことに気づかなかった。

この道も、ただの道ではない。

そこには少年が初めて寄りかかった狛犬が立っている。

 

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2021年11月 8日 (月曜日)

ウーバーお兄さん

エレベーターに乗ったら、ウーバーカバンを背負った大きな背中のお兄さんが体を小さくして立っていた。

隣には、お腹が減っている子供と母親、おじいさんとおばあさん、ベビーカーのバーを硬く握る母親が立っている。

その隙間にこっそり入り、エレベーターは上がっていった。

「3階です」

その声は、エレベーたーからではなく、ウーバーのカバンの向こうから聞こえた。

カバンと一緒にウーバーお兄さんがエレベータを降り、道を開けた。

おじいさんとおばあさんが、ウーバーさんにお辞儀をして出ていく。

ウーバー兄さんはアメリカ人である、たぶん。

たぶん太い声で、「どういたしまして」という顔をおばあさんに送る。

続いて、5階に到着する。

「5階、食堂だよ」と子供に向かって話しかける。

子供は母親の顔を見る、母親は子どもを促し、足早に出ていく。

ベビーカーを後ろ向き引きながら若いお姉さんが降りていく。

赤ちゃんが、こちらを向いて笑顔を振りまく。

僕とウーバー兄さんが顔を見合わせる。

「かわいいね」とウーバー兄さんがいう。

「かわいいね」とぼくがいう。

ウーバー兄さんは、そのまま最後に、エレベーターを降りた。

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パラレルワールド

往復書簡をする。

手紙の返事ではないが、書かれている内容や描かれたスリーリーやテキストからインスパイヤーされたことを、言葉にする。

そんな世界を体験している。

3回目は、なぜか、母親の思い出になった。

 

母の思い出を

最初の記憶は雨が降っている。

小学校の帰り道、母と手を繋いでいる。

僕が学校でお漏らしをして、母親に連れられ家に向かっている。

そんな妄想の世界である。

母親は、大きく、とても綺麗に見えた。

実際の母は、小さく、下町の活発な女性だ。

僕は手を離さなかった。

 

次の場面は、僕が一人家にいる。

火遊びをしている。

籐でできたゴミ箱に紙を入れ、火をつけた。

思いのほか、火が高く上がり、庭に蹴飛ばした。

ゴミ箱は、燃えた跡がつき、母にバレたら叱られると考え、庭に埋めた。

母親は、疲れた顔をして部屋に入り僕を見たが、なにも言わなかった。

僕は、バレたと感じたが、黙っていた。

 

最後の場面は、母の日だ。

親戚のおばさんの家に泊まった次の日、小遣いをつかみ

エプロンを買いに行った。

母の日は、エプロンだと決めていた。

その日まで数日あったので、押し入れの布団の間に隠した。

しかし、すぐに見つかった。

母は、「どうしたのこれ」と言った。

たぶん、わかっていたのに、聞いたのだろう。

僕は、大きな声で泣いた。

 

おまけ

最後に母に会ったのは病院だった。

思いのほか元気だった。

看護婦が来て処置をしますので席を外してくださいと言った。

みんなは部屋から出たが、僕は一人残りカーテンを開けた。

母親の乳房が見えた。

懐かしく可愛いかった。

これが最後の母の思い出である。

 

わたしの思い出

 

最初の記憶は家の玄関のたたきで私が鼻をすすりあげながら立っている。

泥んこになるまで遊びまわっていたら、門限の5時なんかすぐ忘れてしまう。

その頃の絵日記には、腰に手をあて真っ赤な顔をして私を見下ろす母と、

隣の部屋から姉が弾く「ポロ~ン」というピアノの音が描かれている。

何度こっぴどく叱られても懲りない、

そんな私を母はほっぽりだしもせず、同じことを繰り返し言い続けた。

 

次の場面は家の食卓テーブルの脇だ。

塾の宿題をまたまたさぼった私の横面を、母は平手ではたいた。

椅子から転げ落ちて、涙をぬぐおうとしたら、手に血が付いた。

こんな難しい問題が一体何の役に立つんだ。

悔しくて悔しくて、それでも

泣きながら庭にビリビリに散らばったテキストを拾い集めた。

そんな私を見ても母は微動だにしなかった。

 

最後の場面は、中学生の頃だ。

校則がとびきり厳しい、女子校に入れられた。

髪を超ショートにして、わざと乱暴な言葉遣いをして、

努めて男っぽくふるまった。

母が家庭科部に入りなさい、と言うのに、陸上部に入った。

そんな私を母は毎朝5時に起きて車で駅まで送ってくれた。

 

 

母の死に目にはとうとう会えなかった。

 

母が何にも分からなくなってから、施設の部屋に行くのが辛くなった。

腕に爪のあとが残るくらいに強く私の腕をにぎるし、

母がどんな世界に生きているのか分からなくなって怖くなった。

 

最後に会話らしいものがあったとすれば、

「私のこと、誰だか分かる?」という問いに、

大きな声で一言「のりすけ!」と応えた。

帰りの電車で涙があふれてきたけれど、あれは何の涙だったんだろう。

今はあの時の真剣な母の眼差しがいとおしいと思う。

 

 

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2021年9月14日 (火曜日)

問題が問題になる その2

援助関係では、援助者と被援助者の関係は非対称性を持つ。

つまり、立場が違えば認識が違うということである。

一方で、構築主義の考えでは、全ての関係はつながり互いに影響し合っている。

つまり、援助関係における双方は何らかの影響を与え合っているということだ。

 

回りくどい話をしたが、今行われている、僕とクライエントとの関係を言っている。

 

僕の方からすれば、支援者、援助者という意識を持っている。

しかし、彼の認識は、そうではない。

かといって、無関係の他人、第三者、対人認知レベル0ではない。

 

相互作用は、ある。

刺激を与えあう人物という認知はある。

刺激人物としての関与は低い。

認知目標は、状況による。

という対人認知である、多分。

 

この辺の塩梅が難しい。

 

彼のサイドから見える景色は、遠い存在にしておくこと。利用できる資源があれば利用したい。

しかし、なるべくなら、利用しないでいいような環境に保持したい。

そこには恐れがある。相互作用に関するジレンマがある。

関係を持つということに責任を感じる。

接近に対する影響を感じる。

これは、彼の人生に対する哲学である。

 

僕の見え方やアプローチについて

アプローチをしているように見えて、アポローチしていない印象を与えている。

そもそも、関係者であるという認知が彼にはあると感じているので、それ以上の

関与は必要がないと判断している。

決定するのは、僕ではなく彼である。アプローチする方法は知っているので、そこに

関与する必要はない。

 

それに、彼の人生哲学にアクセスするには、時間が足りない、共通体験が少ない

共有する空間を持っていない。

 

では、存在の意味はどこにあるのか。

それは、僕の存在を彼が認知しているという事実かな。

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2021年9月 4日 (土曜日)

僕にとっての戦争 2

戦後生まれである。

もはや戦後ではないというわた時代に生まれた。

戦後とは、戦争が終わってから色々なものを引きずってきたが、それが終わり、新しい時代に入ったという宣言だろう。

焼け跡に家が立ち、ベビーブームとなり、そして戦後終わった。

僕たちは戦後の時代を生きてきたが、親世代は、戦争を拗らせていた。

たぶん。

幼少時、居候していた本家の居間には戦争で死んだおじさんの写真が並んでいた。

つまり、戦争は終わっても、死んだおじさんは戻ってこなかったということである。

祖母は健在だった。

自分の子どもが何人も戦争で死んでいるのに、そこことを一度も聞いた事がない。

話を聞けなかった事が残念である。

父親は、外地には行くことはなかった。

大正の終わりに生まれていることを考えれば、共に学んだ友達が戦争で亡くなっているのだろう。

戦争の話は聞いた事がない。でも、軍歌ばかり歌っていた。

 

こうして、いろいろな事が終わり、新しい事が始まる。

 

2011年に東北沿岸で大きな地震が起き、大きな津波が日本を襲った。

津波で流された街や村は、復興という名により、新しく再興されつつある。

 

しかし、昔の姿はどこにもない。

 

東京も76年前の姿はどこにもない。

東京駅を降りても、昔の姿を想像できない

 

すべてなかったことのようにしていても、それはあった事である。

 

ローマの街を歩いていると、二千年前の遺跡があちこちに立っている。

パリのアパルトマン100年以上経っている。

 

歴史の積み重ねで今がある。

モノリスがどこかに埋まっているかもしれない。

その声が聞こえているのは、猿だけだろうか。

 

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2021年9月 3日 (金曜日)

一人になるのと、一人でいることの違いについて

昨日から一人で行動している。

こんな時代だからいつも一人みたいな気分だけど、自ら進んで知っている人がいない土地で、時間を過ごすと寂しい。

知っている人がいるのに感じる孤独とは別のものがある。

でも、今日になって一人でいることに慣れてきた。

これは、不思議だね。

 

ぼくの憧れる一人暮らしの老人がいる。

それはそれは、老人と呼ぶに相応しい人だ。

お年寄りではない、老人である。ヘミングウェイが書いた老人である。糸井重里がイメージする老人である。

彼の本当の歳は分からない。

しかし、その風貌は絵に描いたような老人であり、実際、老人モデルとしてデパートの壁に飾られた事がある。特大のポスターだった。

それも、後藤久美子と一緒に。

僕が、デパートのエスカレーターで下っていくと、目の前に彼が現れた。突然。

イヤー、素敵な髭、素敵な洋服、素敵な靴を履いていた。

それは、衣装さんが用意したものであるかも知れないが、実際の彼のセンスはもっと素敵だ。

 

かれの部屋に招かれた事がある。

青山の都営住宅のその部屋は、家具が少なく、それでいて必要なものと、たくさんの思い出が並べられていた。

その部屋からは、桜と銀杏の木が見えた。外から見ると手入れが行き届かない緑も、その部屋から見ると、小さな窓枠にちゃんと収まっている。

不思議な雰囲気を楽しみながらコーヒーを頂いた。

口数の少ない彼は人の話を聞くのが上手だった。

僕がいろいろ説明する人なのに、僕の悩みを聞いてくれた。

 

ある日、彼に聞いた。

一人でいて、寂しくないですか。

 

毎日、同じようなことを、一つひとつやっていると、その日が終わる

そのようなことを云っていたと思う。

 

そうそう、思い出した。

彼に、書を習ったんだ。

 

僕は、まいにちまいにち、「雲」を書いていた。

何枚も「雲」ばかり。

そのうち、いい雲が描けるようになった。

そう、書くんじゃなく、描けるようにね。

 

先生(彼)に見てもらった。

「いい雲だね」と、

からは髭を触って褒めてくれた。

 

 

 

 

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2021年9月 2日 (木曜日)

夕方にパラレルチャートを書く

夕方の匂いを嗅ぎながら、パラレルチャートを書く。

夕方の光がどんどんん長くなり、黒い影が森の向こうからやってくる。

冷たい空気が足元に忍び寄り、足の裏にまとわりつく。

年を取ったので冷え症になったのと、遠くが霞んで見えないことでおきる現象だ。

 

子どもの頃の一人遊びを思い出していた。

僕は犬になるのが好きだった。

 

首に紐をつけて、その紐を机の足に縛る。

犬になる前には、色々な準備が要る。

紐を解くには口しか使えないから、犬になる前に準備をしなくてはならない。

それがルール。

遊びにはルールが必要。

 

まず、大きな皿に牛乳をいれる。

それに、ビスケットを3枚用意する。

ヒヨコでもいいが、それは、特別の日だけ。

 

牛乳とビスケットは少し離れたところに置く。

これもルール。

近いと、すぐに飲めるのでつまらない。

 

犬になって飲む牛乳はすこぶる美味しい。

これは、犬になってみないと分からない。

 

さいごは、

前足と口で紐を解く。

 

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2021年8月29日 (日曜日)

バンコクで喜納昌吉を聞く

ブリラムからバンコクに戻ってきた。

埃まみれのシャツに汗が混じり、シャワーを浴びたかったが、夕食を招待されていたので後回しにした。

3人乗りしているバイクタクシーが脇をすり抜けていく。

道端に座ったおじさんたちが美味しそうにメコンを飲んでいる。

空気の中にバンコクの匂いが混じり、鼻で息をしないようにしてでこぼこ道を進んでいく。

絶対ひとりでは帰れないだろうと心配になったころ、その家に着いた。

 

2階に上がるとすでに食事が用意され、裸電球の下で食事が始まっている。

挨拶もしないまま、すぐに食卓につき、まずはビールを飲む。

ビールは高級品だということは知っている。しかも、冷えている。

 

招待してくれたのば、ボランティアの友達の友達だ。

ここにいるのは、知り合いの知り合いばかりだが、すぐに打ち解けた雰囲気になる。

皆の言っていることも分からず、僕の言っていることも伝わっていないだろうが、気にならない。

ギターを弾き、歌が始まる。

突然、俺はミュージシャンだという男性が、有名な日本の歌を唄うから聞けという。

 

大きな木をくり抜いたギターの音色は深く重い。

初めて聞く歌だった。

悲しい曲だった。

日本の歌をタイ語で歌っていると思っていたら、

「泣きなさい、笑いなさい・・・」という日本語が聞こえていいた。

 

その時、日焼けしたお兄さんが喜納昌吉に見えた。

ぼくは、大声で歌っていた。

1978年が終わろうとしていた。

 

 

 

 

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変なおじさん

ラジオから「ハイサイおじさん」が聞こえてきたら、志村けんを思い出した。

もちろん「へんなおじさん」を。

僕が小さい頃、近所には「へんなおじさん」がたくさんいた。

近所にいた「へんなおじさん」のどこが変なのかといえば、仕事をしないでぶらぶらしていることだった。

もちろん、仕事はしていたのかもしれないが、僕たちにはそう見えなかった。

まず、「へんなおじさんは」、朝子どもたちが学校に行く時、犬と遊んでいた。

僕らが学校から帰ってくると、「おい、ぼうず、ちゃんと勉強してきたか?」と近寄ってきて話しかけてくる。

犬に悪戯をすると叱られた。

 

僕たちは、「へんなおじさん」が自分たちの親と少し違っていると感じた。

それは、姿形ではなく、社会に対する姿勢のようなものだ。

なにか分からないけれど、「どこかすごい人だ」と感じるオーラがあった。

そして、ぼくらは「へんなおじさん」が好きだった。

あのおじさんは、「ほんとのこと」を知っているのかもしれない、

あのおじさんは、「世界の秘密を知っているのかもしれない」と僕らは話し合っていた。

 

僕は今、本当の変なおじさんになったが、世界の秘密を知らない。

それに、子どもたちも寄ってこない。

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2021年8月28日 (土曜日)

愛について語ること

「お兄さん、いま、何してる?」

久美さん(仮名)からの電話はいつもこんな調子で始まる。

彼女は僕の妹ではない。

彼女との付き合いは8年になる。彼女は僕が何をしているのかを知りたい訳ではない。ただの挨拶だ。留守番電話に自作の歌を入れ、「こないだの歌、どうだった?」と始まることもある。

そして、返事もしないうちに「**(姉の後見人の名前)がついてから、私は不幸になったよ」と不幸自慢が始まる。

「あの人はね、子供がいない。だから、人の気持ちがわからないんだよね。」

「よく知ってるね」情報通であることを褒めると、「まあね」と、嬉しそうな声をあげる。

「私も結婚したいよ。式に出てよね」

「結婚したいの?」と聞くが、僕の話は聞いていない。

久美さんの話は3つのパターンに分かれる。その1「自分に友達がいない」ことに対する不満。その2「母親が亡くなってから自分の役割がなくなった」ことへの不満。その3「人間らしい暮らしをしていない」ことへの不満である。そこに、4番目の不満が最近加わり、ループする。

このままでは60分コースになると感じた僕は、先日、病院の隣のデイケアで一緒に食べたケーキの話をふる。

「あのチーズケーキおいしかったね」

「ご馳走してくれたんだっけ。でも、あいつ、雑談ができないんだよ、困ったね、常識がなくて」。話が戻る。

「野菜を売っていたね。久美さん、大きなキュウリと小さなキュウリで迷っていたけど、小さいキュウリで正解だったね」

「そうそう、大きいのじゃ持って帰るのが大変だったよ」。おっ、少し乗ってきたかと思ったら、 「この前電話したら、あいつすぐ電話切りやがった」と、しぶとい。

「どうして、お昼にお子様ランチ注文したの?」

「あたしゃ、まだ大人の階段を登れないからね」

「今日も冴えてるね」。

「でもね。あたしの欲しいのはね、愛と自由と同意権なんだよ。わかる?」

それから二人で愛について語り合うことになった。

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2021年8月21日 (土曜日)

どうも出てこないんです

彼は、いつも体の不調を訴える。

それは10年続いている。

そうですかと僕は聞いている。

今日も、どうも具合が、思うようにならないと訴える。

僕も、身体の不調を感じるようになり、

そうですかと応える。

その、そうですかは、彼にではなく、僕自身に向立っていた。

どうも思うようにならず、それでいて絶望しているわけでもない。

希望とは、絶望しないことかもしれない。

彼は、続ける、何かが出てくるような気配があるんですが、出ないんです。

そういえば、僕の体からもスーと出てくるはずのものが出てこない。

彼は、僕のことを知っているのだろうか。

どこで、その情報を仕入れたのだろうか。

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2021年8月20日 (金曜日)

問題のある意味

問題の大きさより、どうしてそんな問題がそこに(ここに)あるのかという、「問題」の存在に私たちは関心がある。

という事が今回の調査で浮かんできた。

コロナのことを考えても、どうして今なのか、どうして私に、どうしてこんな時期になど、いろいろなどうしてが浮かんでくる。

それは、クライエントとの援助関係でも同様だ。

援助者が専門性を発揮しようとすればするほど、専門性の高い援助者ほど、クライエントの「問題」がクローズアップされる。

それは、援助関係の非対称性が関わるのだろうけれど、それ以上に、問題というモノの本質がそこにあるからだとも感じる。

「問題」の存在は、援助者とクライエントを生む。クライエントがいるから「問題」が生まれるのではない。もちろん、「問題」のないところには援助者は存在しない。

それは、新型コロナウィルスのことを考えても同様だと思う。この「問題」が出てきてから、沢山の専門家が出てきた。もちろん、以前からその人たちは研究し、研究の発表もしてきたのだろうけれど。世間に認知され、意味を持つ存在となった。

援助関係のおける「問題」の意味するところは、その「困った」を感じているのが、クライエントではなく援助者の場合が多いという事である。

もちろん、解決したい「問題」を持ち込み、援助者と契約を結び、解決を図るために情報を得る人もいるだろう。

しかし、多くの場合、より専門性の高い援助者がクライエントとクライエントの環境に「問題」を発見する。

しかも、クライエントが援助者の従う場合は、大きな問題とはならず、「いいクライエント」と呼ばれ、クライエントが援助を拒否する場合には、「問題のあるクライエント」あるいは「問題のあるケース」と呼ばれる。

援助者の専門性を否定している訳ではない。

しかし、専門性とはより細かいところまでアセスメントできる能力であることも事実だ。

僕の、身体をより細かく分解し、さまざまな検査をすれば、たくさんの「問題」が見つかる。

しかし、大雑把なぼくが、定期検診もしなければ、寿命と同時に死を向かれるだろう。たぶん。

この辺が難しいところである。

多くの人が40歳から80際ぐらいには大体死を迎えるという統計があったとして、何もしないでそれを待つには、それなりの精神力が必要であるように、人生の「問題」を「まあ生きているんだから、このまま何もしないで、なるようにほっといておこう」とすることは難しい。

そもそも、社会とは、必要性だけで回っている訳でもない。

この研究のゆくさきはどこになるのだろう。それを決めるのは、僕の問題だ。

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2021年8月18日 (水曜日)

僕にとっての戦争

それは、僕が高校2年生の時。

平和な晴海埠頭から沖縄へ向かう船に揺られていた。

那覇まで二日。海は静かだったが、かなり船酔いをした記憶がある。

那覇港には、アメリカの軍艦らしきものが停泊していた。

船を降りると、色黒で、眉の太いおじさんがたくさんいた。外国に来たような気分で緊張した。

その日のうちに再び船に乗り、石垣島へ渡る。

翌日、島陰と深く青い海と、甘酸っぱい風が吹いていた。

遠くに来たなー。

リックサックには、テントが入っていた。

石垣島から小さな島に渡り、そこで野宿をしようとテント出していたら、小さな少年がやってきた。

拳法のような格好を見せ、「*******」。何か不機嫌な顔で喋っているが理解できない。どうも歓迎されていない様子だけはわかる。

少年の後ろにおじいが立っていた。

おじいは、たぶん、「ハブがいるから野宿はできない」と、言っているらしい。

深い皺のおじいの目の中に、戦争がいた。

内地の人間に対する複雑な感情がその皺の中にいた。

 

それは、僕が中学1年生の時。

体育の時間は運動会の練習だった。

僕らは入場行進の練習をしていた。

僕らは2列に整列し、先生が校舎の前に置かれた台に上がり、生徒がその前を行進した。

先生の前を通る時、右手を上げて敬礼をするように指示された。

僕は、手を挙げなかった。

僕は怒られた。それは、みんなと同じ行動を取らなかったからだ。

先生の目の中に戦争を見た。

40代の先生は昭和一桁生まれだった。

 

それは僕が21歳の時。

タイのバンコクの街を歩いていた。

暑く埃っぽい道を歩いていると、タイ人が近づいてきた。

僕を日本人だと思っているのか、「こんにちは、ありがとう」と話しかけてくる。

僕は黙って歩き続けると、彼の表情が変わった。

親指を自分の首に当て、左から右に切るような動作をして歩き去った。

彼の中に戦争を見た。

彼は右足を引きずっていた。

 

 

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2021年8月12日 (木曜日)

あはっきり聴こえてくる その声が

久しぶりに、中込先生のエッセイを読んでいる。

養護施設の日常を綴ったものだ。

僕のその大きな家の中で毎日子供たちと格闘していた。

そう、小さな家族が暮らす大きな家だった。

小さいと言っても、子どもたちが溢れ、先生と呼ばれる大人が走り回る。

僕の家は、「天使寮」と呼ばれていた。

そこに暮らす子供達は時に天使のような寝顔で、悪魔のような悪さをする。

よくもあるくも子どもと大人の距離が近かった。

 

行間から中込先生の声が聞こえてくる。

宏枝の声が聞こえてくる。

アキラの声も、明子の声も。

はっきりつ僕に突き刺さる。その鋭さを思い出す。

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2021年7月29日 (木曜日)

問題好きの人たち

何か困ったことはありませんか?

司会者が聞く。

発言はない。

困ったことがないなんて困りましたね、と司会者がいう。

問題があることが前提となっている社会である。問題好きの国民なのだろうか。

一方で、重要な問題を後回しにする国家だとも思う。

問題は、生きていくための食べ物であり、話題の中心にある。

うちの**がね、女性たちが長話をする。最近**がねちょいうし悪くてとおじさんが気を引こうとする。

問題があればあるほど、不幸であることが安全のための武器になっている。

毎日平凡に暮らしています、何の問題もありませんなんて言えない雰囲気である。

しかし、何もないことの方がよほど幸せなのに。

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援助関係における問題に関するインタビュー

社会福祉士後見人の援助関係における「問題」に関するインタビューをしている。

10名を超え、だいぶ概念が出来上がってきた。

分析はM -GTAを使用している。

インアビューの目的は、カテゴリー化及び概念化である。まずは、できるだけプロパティー作る作業を行う。

その際問題となったのが「問題」という言葉の使い方である。

援助関係における「問題」とは、援助目標に対して、現状と目標に間に存在する障害(ギャップ)を指すと定義している。しかし、インタビューを受ける人にとって、普段使っている言葉だけに、そのイメージが大きく分かれる。

しかし、課題、障害と言い換えることはできない。

イメージが曖昧な言葉であり、それでいて普段頻繁に使っている言葉であるということが大事だと考えている。

それだけに、プロパティーの整理には苦労する。

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2021年6月26日 (土曜日)

遠くへ行くこと

永六輔も寺山修司も遠くへの憧れがあった。

それは、どこへもいけない時代であったからだろう。

どこへでも行けるのに、新型ウィルスのための出掛けられない時代になった。そうでなくても若者は、新しい世界には旅立たない。

知っている人と、知っている場所に行き、ちょっと可愛い写真を撮る、内側の世界に「旅」を求める時代になった。

子どもは、三輪車にのり、自転車に乗り換え、バイク、車、列車、飛行機とどんどん遠くに出かけた。旅に出ることで考えを巡らせ、家に戻っては生活を始めた。この繰り返しが、人生だと信じルことができた。

年を取るに従い、活動範囲が狭くなる。近所に行くのも億劫になり、スーパーまで行くことがやっと。旅は、テレビやYouTubeで見れば満足。そのうちに家から出られなくなり、ついに、施設に閉じ込められる。

野垂れ死ができた時代には、最後まで歩き、歩き疲れ、木陰で休憩し、そのまま横になり死んでいく。

この二つの風景に違いがあるとすれば、最後に見えるものだろう。

天井を見て死ぬのか、空の雲を見ながら死ぬのかである。

多くの他人=自分以外の人たちにとっては、天井を見ながら逝く人の方が面倒が少ない。

そう、面倒をかけることが申し訳ない時代になった。

道端で、老人が横になって息をしていない風景はシュールである。

僕にうちに出没する狸も死に場所を見せない。

つまり、野垂れ死するための作法としては、姿を消すということである。

これは社会的な意味合いを含めると、そろそろ足の方から消えるように消しゴムを使う必要がある。

または、失踪というてもある。

隣のお父さん、3日前に出掛けてそのまま帰ってこないんだってと言われるような消え方も素晴らしい。

コロナの時代にあっては、すでに、あちこちで老人がいつの間にか消えている。

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2021年6月20日 (日曜日)

宇宙人に出会ったら

クララとお日様を読んでいる。

クララは、人工頭脳を持つAIである。

AIが身近になり、SFの世界から身近な存在になりつつある。想像できることは実現するということなのか。

この本の面白さは、クララから見た世界の捉え方が独特であり、訳がかからないところがあるということだ。

そもそも、僕らは世界との繋がりについて理解しているようで、そうでもないことが多い。

僕のクライアントが世界とのつながりで困っている場面は、認知の仕方の違いが大きい。

共通のことがらを学習し、共通の感覚を理解して生活していると思っているが、本当には理解できないことを誤魔化しているのかもしれない。

わからないということや、わかりたくないことや、みんなと違う感覚を感じることを正直に表現すると、異質になる。

それは、共通の感覚ではないよ、とか、それを感じない方が生きやすいよと、言われる。

しかし、上手に生きることができない人にとっては、自分の感覚の方が正しいと感じる。

もし、感じ方の全く違う世界、どこかの星に行ったとしたら、自分の感覚を変えないといけない。言葉もそうだろう。その星の概念を学び言葉を学んでコミュニケションを取る。

つまり、自分以外の理解できない宇宙人と思っている人がいるのではなく、僕たちが宇宙人なのかもしれない。

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2021年6月 1日 (火曜日)

時間を潰すこと

時間を潰すことはもったいないことか、それとも優雅なことだろうか。

今まさに時間を潰している。

潰しているが、聞こえる音は鳥の声と水のささやきだ。

どこほどつぶせばいいか予定はない。しかし、そんなにつぶせないものだ。

本も読んでいる、しかし、昔会った人のことを思い出しては、ページを閉じる。

湖が見える、像が目の前をあるいている、滝つぼに大量の水が落ちていく姿も。

あの時の気持ちを振り返っては、後悔なんかしたり、あの時、あの人の言葉を聞いては、顔を赤くする。

時間はなかなか潰れない。

これが、8月末の海岸であれば、夕日をみながらビールを飲んで、「ああいい夏だった」と言えるのに、コロナでマスクをしているので、ビールも上手く飲めない。

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2021年5月25日 (火曜日)

そこの人は誰

zoomでインタビュウをし、録画を見る。

これまでICレコーダーで記録を取り、築語録を記録化していたが、今回からは映像を見ながら文字起こしをする。

映像が残っているので、動画による大量の情報が確認できる。

これは良し悪しがあり、自分のまずい対応や仕草、動作、表情がリアルに確認できる。

あまり人に見せたくない。

対面で話していないが、ある意味対面以上に自由に考えている様子がわかる。

特に僕の場合には、考える際に視線を上にあげ、イメージを映像化し、それを言語化しているプロセスがわかる。

それに、相手の言葉にどのように感じているかが表情として出ている。

こうしたインタビューを繰り返し、その映像を見ることはとっても勉強になる。

しかし、毎回自分の顔を1時間見続けるのは辛い。

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2021年5月24日 (月曜日)

左目の役目

左目の視力が悪くなった。

実際は、霞んで文字が読めない。

それでも、本を読んでいる。

つまり右目で補正しているということだろう。

一日中本を読んでいると肩が凝るのはこのせいである。右目の頑張りを褒めてやりたい。

 

脳の凄さはこの見えていないものを経験で補正する力である。

V.S.ラマチャンドランの「脳の中の幽霊」という本では、切断された手足をまだそこにあると感じるスポーツ選手の話が紹介されている。

幽霊の存在も多くは脳が作り出したという話もある。

 

認知症になっても、使われていない脳細胞(シナプス)をつなぎ合わせ、あるいは、配線を変更して、記憶を補完する人の話を聞いたことがある。

 

僕らが見ているこの世界は、脳が作り上げた世界かもしれない。

 

ソーシャルワーカーという人が見る世界はどんなものだろうか?

ソーシャルワーカーが見る「問題」を知りたいと思い、インタビューを始めることにした。

それは、問題の「本質」ではなく、職業として「問題」を見ている人の物語があると想像している。

多様な人たちの問題は、ほんとうにその人の「問題」であるのか。あるいは、虚像を見ているのだろうか。

僕たちが見ている世界は、僕たちが作っている世界である。

見えなくなった、左目で見ている世界も確かにそこにある。

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2021年5月23日 (日曜日)

思い出がなくなってしまった

思い出せる自分に関するエピソードは3歳くらいからだと言われている。

誰が言っているのかわからないけれど。

僕には、3歳ぐらいの思い出はない。4歳の思い出も、小学生の入学の時の思い出もない。

思い出せないのはなはく、思いだがないのだと感じている。

思い出は、あったのだろうが、賞味期限と共に消えてしまった。

今、マンションの前の森を見ながら昔の思い出を探しているが緑の葉が揺れるように、ぼんやりしている。

 

僕のクライエント、認知症と呼ばれる人の多くは、物忘れが激しいと言われる。

しかし、昔のことを詳細の覚えている。

50年も60年も前のことを、その時の空の色や、食べ物の匂いや、母親の表情や、涙の味を覚えている。その時の気分を何度の何度の僕に話す。

「まだ、言ってなかったことがあったんだけど、その時ね・・・」と物語はどんどん膨らんでくる。

多くの場合、話しての瞳は輝き、一点に集中している。

 

僕も、目薬をつけ、瞳に潤いを与え、できるだけ遠くを憧れの気持ちで見つめるが、全く思い出が浮かばない。

浮かんでくるのは、自分が失敗を侵した時の嫌な気持ちだけだ。

この、気持ちは何度の再現され、嫌さは毎年倍増している。

 

この気持ちを忘れるためには、寝ることが一番いいのであるが、最近はよく眠れない。

夜中に目がさね、嫌な気持ちになる。

楽しい僕の思い出はどこに行ったのだろうか。

枕の下に、昔の笑顔の写真を置いて、眠ることにした。

その時何があったのか忘れてしまったが、笑顔でいるんだから、いいことがあったのだろう。

隣に、会いたい人の写真も添えておく。

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2021年5月14日 (金曜日)

どんなものが出来上がるのかを楽しみにしよう

社会福祉士の仕事はブリコラージュ(寄せ集めて自分でつくるもの)だと感じている。
ブリコラージュはフランスの文化人類学者レヴィストロースが、世界の民族に残る思想的なパターンを「野生の思想」に記した。
相互関係に焦点をあて、新しい関係を作り上げる、あるいは、関係の中の位置づけを確認する仕事をしているSWの仕事の中心にある思想は、ブリコラージュそのものだと思う。
中沢氏によれば、精神=心と物質は、別々の存在としてあるだけではなく、入れ替わることもある。敵対関係にある人たちも、共通の敵が現れると一体となるように、もの事は構造は強固なものではない。
プラスとマイナスの間に隔たりがあるように見えて、中心にあるゼロが大きな意味を持っていると中沢氏はいう。
何かを覚えるためには、絶えず忘れる作業をしている。常に破壊と創造を繰り返す細胞は、動的平衡にある。
そんなことを考えていたら、クライエントから電話があった。
彼女は、拒否する言葉を連発しながら関係を求める。
友達がいないことを嘆き、他者への悪口が止まらない。
会話には意味があるようでいて、繋がりが見えない。
これは、部分と全体の整合性を問題としている僕の問題であり、原因と結果ばかりを気にする性質にある。
何かを壊しながら新しいものを作り上げる作業をしていると認識すれば、立派にブリコラージュしている。その作品に意味を見出すことをやめ、58分の時間を楽しむ事ができるかが重要である。
理解することや意味を知ることをやめ、何かがいま生まれている感覚を楽しむ事ができれば、最後に「今日はいっぱい話して楽しかった」という感想を聞く事ができる。

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2021年5月12日 (水曜日)

科学的であるということ

科学的である、あるいは、エビデンスがあることが正しいと言われるようになったが、果たしてそうだろうか?

今「野の医者は笑う」誠信書房・東畑開人が書いた、沖縄の在野の医者?が行っている治療?の本を読んでいる。

医者?治療?にクエッションがついているのは、今日的には、それって医者なの?それを治療と言えるの?と思われるからである。

しかし、その怪しい医者があるいは、ヒーラーが行う、怪しい治療もどきで、患者が「治っている」のである。

 

またまた、難しい概念が登場した。「治る」である。

西欧医療以外にも、東洋医療というのもがある。漢方や気功、ヨガやアーユルベーダーなどなどである。

これらの土着の治療により、症状が「治る」「軽くなる」ことがある。

漢方まではついていけた僕が、気功ができるという女性に「やってもらった」ことがある。気功を。そしたら肩のだるさが「治った」。それは実感として「治った」と感じるものであるり、その後数ヶ月その感覚は続いた。

また、あるワークショップで、頭の重さと対峙するワークを行い、指導者の言う通りにセッションすると、首が回らない状態がすっかり回るように「治った」ことがある。この経験は、その後、自分でも痛みのコントロールができるようになった。

しかし、どうして「治る」のかは解らない。多分。

西洋医学が行っている医療だって分からない部分が沢山ある。それでも、目に見える統計的な傾向をエビデンスだと言っている。

東洋医学が土着の医療を凌駕したのには理由があるのではないかと思う。

それは、人々の生き方が変わったのではないか、人生に対する向き合い方が変わったのでないか、あるいは、経済が人間の生き方に口をはなむようになったのではないか。

特に、資本主義的な成長の思想が大きく関わっているように思う。

成長、進歩、変革ということが求められ、人生を少しでも長く豊かにするためには、効率的に長く生きる人間を作ろうとしてきた。

それは、医療だけでなく、経済も組織も同様である。

 

これは流れは精神世界、心の世界にも浸透してきた。

しかし、沖縄という島には、外地の力が及ばない世界が残っていた。沖縄が経済的に恵まれなかったという歴史が影響しているとも感じる。

精神世界、または、その人の心の内側の世界に「正しさ」はない。エビデンスも成果もない。あるのは、ぼんやりとした雲のようなものだと思う。これは、僕のイメージだけどね。

それだけに、「治った」と思えば、「治った」のである。

 

この辺から、ソーシャルワークが取り扱う問題を考えてみよう。

ソーシャルワークが取り扱う問題は、社会の問題とその社会と向き合う個人の問題である。

まず、社会の問題から。

社会は、個人の集合として存在している。

つまり、個人も社会であるということになる。

そして、ソーシャルワーカーが関わることができるのは、個人だけである。その個人から社会を捉え、その個人と社会の関係を構築することが行われる。

アプローチは一つではない。ソーシャルワーカーが違えば、アプローチは違う。また、クライエントのありようが変わればアプローチが変わる。

つまり、社会に向き合う方法はどれでもいいし、なんでもいい。向き合わない生き方もある。

では、ソーシャルワーカーは何をしているのか。「ソーシャルワークすること」をしている。

科学的である場合も、非科学的である場合も、グループの力動を活用するときも、個人の内面にアプローチするときも、組織のシステムへ働きかける時も、スピリチアルである場合も、「ソーシャルワーク」することをしている。

ソーシャルワークするってなに。

それを科学的に説明することは僕には難しいので、また次回。

 

 

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