ありがたい質問
今日はお疲れさまでした。
講義は、講師と生徒で作るものだと感じております。
講師にとって一番うれしいのは、適切な質問を貰った時です。
ああ、そういうことを聞いてくっると、「もっとしゃべってしまうからね」となったり、「そこんところが分からなかったのか、ありがとう」となったり、自分の言葉の足りなさを反省します。
今日も、質問をしてもらったことで、大事なことを思い出しました。
ありがとうございます。
また、伺います。
今日はお疲れさまでした。
講義は、講師と生徒で作るものだと感じております。
講師にとって一番うれしいのは、適切な質問を貰った時です。
ああ、そういうことを聞いてくっると、「もっとしゃべってしまうからね」となったり、「そこんところが分からなかったのか、ありがとう」となったり、自分の言葉の足りなさを反省します。
今日も、質問をしてもらったことで、大事なことを思い出しました。
ありがとうございます。
また、伺います。
病院の個室は何のためにあるのか?
個室に入りたい人もいるだろうけど。あまりに高い個室に入れない人も多い。
今日、個室に入るなら入院できると言われた。
その額が、一日18,000円である。
そこに一か月いたら、差額だけで、月54万円になる。
ホテルだって、6000円で朝食が付くのに、これは部屋代だけ。医療費や食事代は含まれない。
救急で搬送された場合、個室に入れられていることもある。
この場合、もちろん拒否できる。病院の都合で個室に入れられた場合には、支払う義務はない。
と言っても、患者や家族で、そこまで主張できる人は少ない。
病院経営において、稼働率を上げるには個室の利用率を高めなければならない。それは、病院側の都合であり、病院本来の目的とは違うのではないか。
しかし、患者の多くはものを言うことができない。
病院に行くと面会簿に記名することを求められる。
これは何のためだろう?
誰が面会に来ているかを知りたいのか?
それなら、確認するだけでいいだろう。
記名することにどんな意味があるのか。また、記名したノートを活用しているのか?
たぶんしていないだろう。
それに、続き柄を記載し、それを他人が見えるようになっている方式には問題がある。
だって、その人に後見人が付いているとか、**さんはいつも息子が来ているとか、そんなこと他人に知られる必要はない。
しかし、病院の担当者は、「そういうことになっていますからご協力ください」と、なんか訳の分からない説明をする。
これって、どうなんだろうね。
映画を観ていて、ふと、懐かしい思いにしたることがある。
それは、道だ。
その道は、少し暗い。暗いといっても夜ではない。左右から木が茂り、すこし陽の光が射している。
そして、道は曲がっている。曲がっているから先が見えない。
見えない向こうのほうから何かがやってくる気配がある。あるいは、道を見ている僕の後ろから誰かが歩いてくるかもしれない。
そして僕は泣く。
とても悲しい気分だ。
悲しい気分を感じながらもその場から立ち去ることはできない。
なぜなら、その道が僕だからだ。
僕は道を歩けない、見ているだけ。
そして、とても懐かしい気分を感じている。
火曜日に6時間の講義をするので、その準備。
何をしようか考えているときが一番たのしい。
まあ、型にはまらないことが身上の僕だから、僕にしかできない講義にしたいと考えている。
始まりの空気が終わった時にはピンクになっているようにしたい。
だんだん、楽しそうになってきた。
レジュメが出来上がると、すでに終わったような気分になっていた。
それでは、後日結果を報告します。
団地の調査報告書を読みながら山田太一のドラマを見ていた。
それはある団地の話。そこには、人の世話になってチケット制の介護支援を受けるグループと、「そんなのいらない」と、人の世話にならずに死にたい人たちが登場していた。
世話になりたくないと思っている人たちだって、ホントウに世話にならずに死ねるなんて思っていない。
どうせなら思い切り世話になって死んでやりたいと思っているかもしれない。
ただ、世話になるだけの弱い人間として死にたくないと思っているんじゃないかと感じる。
そんなの一方的な生き方、いや、死に方でつまらない。
世話になるくらいなら、迷惑かけて死にたい。
いや、迷惑かけてありがとうと言って死にたいな。
調査した団地の話。
古い団地が抱えている問題が、その団地にもある。
つまり、入居した40~50年前は若い世代が中心だった。小さな子どもたちが公園にあふれ、歓声が団地のあちこちから聞こえていた。
しかし、40年たち50年が過ぎると、子どもたちは団地を去り、残ったのは、錆びついたブランコと70代以上の高齢者ばかり。
そんな団地の住民を支援しようとする。
そんなことができるのか?
援助の限界をそこに感じる。
団地は生き物である。
生き物は、その内臓によって生きている。そして、内臓が腐ることもある。
腐りかけた魚を生き返らせることはできない。
でも、団地は腐りかけながらも生き続ける。
だとしたら、その中で一緒に生きていくことしかできないのではないかと感じる。
それは、被災地と言われる土地でも。
外から支援するのは緊急時だけである。
援助物資やボランティアもその後の自立への繋ぎである。
団地の老人はみな個性的だ(ドラマの中では)。
実際の団地の住民だって、ドラマ以上に個性がある。
みな70年、80年生きてきた歴史とドラマを持っている。
そうしたドラマを生きてきた人たちは、いま、この瞬間、それぞれのドラマのクライマックスを迎えている。
その意味が分からないのは、本人の生き方を知らないからだろう。
社会から見れば「孤独死」したSさんも、そのドラマの結末がそうだっただけかもしれない。
三谷さんなら別な結末を書くかもしれないけど、もう一度やり直すわけにもいかないから、幕が閉まったら拍手をしたい。
そして、自分の人生の結末を書こう。
確定申告の季節である。
昨年の収支を、ざっと計算すると、前年より3割ダウンである。
原因ははっきりしているので、そんなものだろうと感じている。
長期的にみると、改善が必要だが、短期的にみると何とかなると思ってしまう。
この辺の「がんばりのなさ」が一番の問題である。
でも、小林聡美の映画を観ていると、こんなもんでいいかなと思ってしまう。
石巻で「そうなのね」を連発した。
しかし、地元の人の「そうなのね」には負ける。
そこで、自分らしい「そう」を探そうと練習している。
誰かに何かを言われて「そう」と答える。その「そう」である。
ただ、この「そう」が難しい。
「そう」と言っても、「そうじゃない」と聞こえるかもしれないし、「そんなの知らない」と聞こえたらもっと困るしね。
「そう」は奥が深い。
優しい声で「そう」というと、ゲイに間違われる。別に間違われてもいいのだけど。
大きな声で「そう」というと、ソーラン節になってしまう。
「そう」の「う」を上げるべきか、下げるべきかも難しい。
下げると、どこかタイ語に聞こえる。
そうなんです。
そしてふと気づいた。
僕の「そう」はどこか気のないことに。
あまり人の話を聞いてないような「そう」だということに。
やっぱり「そうなの」にしようかな。
でも、その場合の「なの」の「の」は伸ばした方がいいんだろうか?
一人で仕事をしていて大切なことは、たまに一人じゃないという環境を作ることだと思う。
それは、災害支援に行きチームで活動することでも、
第三者評価の評価者としてチームで活動することでも、
ボランティア活動のため、チームでプロジェクトを行うことでも、
共同研究者とインタビュー調査を行うことでもいい。
とにかく、たまには誰かと共同で仕事をする。
そうすると、ああ、チームで仕事をすることはいいもんだと感じ、また、一人で仕事をするのもいいもんだと思う。
そして、一人で仕事をしていて大切なことは、たまには誰かと食事をすることだ。
いつも、スキヤ→吉野家→カレー屋→ガスト→ラーメンというサイクルを繰り返し、一人で早めしを食べていると人生が空しくなる。
だから、若い子に冗談をいい、「まったくはおじさんは・・・」と思われても、誰かと食事をすることは大切だ。
今日も、お父さんがぼくより若い女性と食事をした。
なんて素敵な一日になったことだろう。

Important thing has not been working alone as a social worker, I think that sometimes provide an environment that not alone.
It also went to work in teams to assist disaster
You can also work as an evaluation team,
Even as volunteers to work in teams,
In doing research with colleagues,
Anyway, once in a while to work jointly with someone else.
Then, ah, that feels good to work in teams, and to working alone I think.
And important thing If you are working alone, but once in a while to eat with someone.
Always in vain and life would have been cheaper to eat at the cafeteria.
So I do a joke on a young woman, but was amazed that a meal with someone is important.
Today, I had lunch with a young woman.
Would be a nice day now.
DV2 Domestic Violence 2
2h40/2002/カラー/スタンダード/16mm
家庭内暴力が裁かれる法廷の現場を活写する、めくるめく裁判絵巻。別室に引き離され、テレビ画面を通じて争う加害者と被害者を、ベルトコンベアのように次々と裁いていく判事の胆力。男女の間の様々な事情と、アメリカ司法制度の現実が重層的に描かれていく。
【撮影地:フロリダ州タンパ、ヒルボロー郡裁判所 1998年春】
DVに対して州法は、コンタクトしているかどうか。また、その際にそれを認めているかどうかを問題にする。
つまり、それ以外の「情」や「状況」については考慮に入れない。
家庭内暴力、あるいは、恋人間の暴力は、そもそも情緒的な問題である。
それだけに、情著的な話を聞きだすと時間がかかり、争点が絞れない。そこのところは合理的な国である、オレンジの服を着た被告に対して同時に法的な指導を行い、保釈金を言い渡す。
それでも、当事者が口を開くと、「それは僕が(私が)こういうつもりで」と説明を始める。
その瞬間、判事は「それは事件には関係がない」と切り捨てる。
DVは暴力事件である。どのようにコンタクトしたかを問題にし、暴力が介在する関係にある当事者は接触させないこと以外には防げないと考える。
それだけ、DVの根が深い社会なのだろう。
話し合えばわかる世界ではない。
合意のないコンタクトが起きたのなら、それはDVである。
チチカット・フォーリーズ Titicut Follies
1h24/1967/白黒/スタンダード/16mm
刑務所内の精神障害者収容施設を記録した、ワイズマンのデビュー作。劣悪な状況下におかれた収容者たちと、その惨状に慣れ切ってしまった看守たちの日常を克明につづった衝撃作。上映禁止を求めるマサチューセッツ州と24年にわたる法廷闘争を繰り広げた。
【撮影地:マサチューセッツ州立ブリッジウォーター刑務所矯正院 1966年3~5月】
40年前のアメリカの人権意識を取り上げた作品だが、その後の、収容所での捕虜に対する暴行や、死体に対する虐待のニュースは続いている。
人間の持つ弱さと闇の側面なのだろうか。
それはよその国の話ではなく、日本の福祉施設も・・
看守と囚人はどこが違うのか?
それは、罪を犯した者と、それを管理する者の違いである。
しかし、社会に戻れば生活環境は似通っているかもしれない。
アメリカの兵士の多くは社会的マイノリティーだと言われることがある。
閉鎖された環境だから起こることと考えることもできるが、刑務所というマイノリティーの環境を改善することが先決だとも思える。
それは、日本の福祉施設でも同様だ。
利用者と呼び方を変えても、そこで働く人たちの境遇が改善しなくては、利用者の権利は守れない。
施設というものは必要悪だと言われた時代があった。
しかし、そんな言葉も聞かれなくなった。
時間の管理は重要だ。
だから、フェースブック(FB)とPCをリンクし、ほぼ日手帳を並行して使っている。
とくに、FBとPCがリンクできることで管理と記録がしやすくなってきた。
予定の管理と行動記録がすぐにできる。
負けない心を育てたい。
だから、努力して勝つことを褒めてきた。
かけっこも一番がいい。勉強だって人よりできる方がいい。
そんなに「がんばれ」とは言ってこなかったけど、それでも、どうして「がんばら」ないのかと、はっぱをかけることもある。
しかし、親の期待をよそに、マイペースな子どもができた。
そもそも、親がマイペースである。
好きなことをして生きている親の背中をみて、「こういう人」にはならないように誓っていたのに、気が付くと歩き方が似ている。
子どもは子どもなりに悩み苦しんでいる。
そこに親の期待がのしかかるとどうしていいか分からなくなる。
「こどもに期待しない親はいない」だろうし、「自分の子どもを褒めないで誰が褒めるのか」とヤスが言うように、「生きているだけでありがとう」と思っている。
思うようにはならない。
そもそも自分の人生だって思うようにはならないと分かっているのに、どうして子どもの人生なら思うようになるのだろうか。
恢復するには時間がかかる。
その時間が問われる。
いまこの時が、その過程であると分かれば、幸せな時間になる。
たとえ寝ていても。
なんてかわいい寝顔だろうと感じればいい。
I wish develop a competitive mind.
So, I recommend that you try to win the children.
I wish I could have studied more .
I said "Ganbare" that I did not say a lot, but I have more to say why Ganbaranai.
However, despite the expectations of parents, children could own pace.
First place, it's a parent's own pace.
Children of parents who look back to living like that, "such person" has been sworn to avoid but, like the next thing you know I walk.
Children are suffering troubles to be children.
Children suffer from parental expectations.
"Parents do not expect children do not" and would "do a praise Who in praise children tome," so says a man named Yas, "Thank you just live," I think.
I think life is not so.
I think my life is like that should know. Yet, why are children's lives will become as you wish.
The mind will take time to recover.
The time it we need.
Now this time, and knowing that the process becomes a happy time.
Even if he even sleeps.
I love a pretty sleeping face.

不思議なくらいまっすぐな建物が立っている。
自然に生える物はみな曲がっている。
当然、自然に近い人間も曲がっている。
どれくらい曲がっているかでその人の人間性が分かる。
まっすぐな人はロボットかもしれない。
しかし、まっすぐの方が自動車や飛行機や機関車には乗り込みやすい。そのほうが機能的で合理的である。
でも合理的で機能的な社会はどうしても疲れやすい。
だから、プールで泳ぐとき、僕はどうしても左に曲がってしまう。

震災の翌日からボランティアをはじめ、述べ先数百人のボランティアが泊まったという家。
ココも泥水が1メートル流れ込んだ。
自分のことは後回し。困っている人がいればなんでもあげてしまう船長。
顔が赤いのは酒やけですと。
高橋源一郎はいう「おそらく、『震災』はいたるところで起こっていたのだ。わたしたちは、そのことにずっと気づいていなかっただけ」だと。
これまで、避難所や仮設住宅で市民の話を聞いてきた。
その時は気づかなかった。
しかし、今回被災地区の住宅を回り、「被災者」の話を聞き、高橋の発言が理解できた。
いわゆる「震災」や「被災者」は、私たちの生活とは別の世界で起こっていると思っていたが、それは、私たちの世界の一部だった。
私たちは、漠然とした不安、経済問題、人間関係のストレス、ぶつけようのないイライラ・・・を感じている。
それは、東北の「被災者」以上だろう。
東北には、大きな自然がある。自然が人間を治癒すると留岡が言っているように、そこにいるだけで大きな癒しをかんじる。
そこに住んでいるということで強い力を得ている人たちなのだ。
私は「被災者」の話を聞いて何度も涙が出た。
そのとき、私の中の「被災したもの」とリンクし、共振が起こった。
それにしても、東北の人たちは見知らぬ者である私たちを受け入れ、温かい眼差しを注いでくれる。
そこには、地域の中に築かれてきた「深い結びつき」としての人間関係がある。そうした関係こそが、いま必要となっている。
だから東北に支援するのではなく、私たちの世界にある「震災」を考え、さらに、そのヒントを被災地から学ぶ必要があるのだろう。
Genichiro Takahashi says "probably,the Earthquake where he was going. We just did not realize that much to" that.
So far, I've been listening to the citizens in shelters and temporary housing. I was unaware at that time. However, I cycles through the affected residential area, "Victims" and listen to stories, I understood Takahashi remarks. So-called "earthquake" and "victims" is our life and thought that was going on in another world, it was part of our world. We are free-floating anxiety, economic issues, relationship stress, do not feel like a frustrated crush. It is, of the Northeast "victims" will at least. The northeast, there is a major natural. Tomeoka is "to heal the human nature" as saying that, you can feel just great healing to the northeast. People living in the Northeast, the force can be obtained from nature. I 'victims' tears came to hear the story many times. Of my "victims" and linked to, resonance occurs. Nevertheless, people in the Northeast we are accepting strangers, who poured a warm look. There, in the area had been built "deep ties" in human relations as a. Such relationships is what has now become necessary. So instead of supporting the northeast, in our world, "Earthquake" thinking, more will need to learn from their tips to the affected areas.Undo edits
夕方からは気のおけない友人たちと楽しい時間を持てそうです。仲の良い友人たちと食事に行ったり、カラオケやレジャーなどで同じ時間を過ごすことで充実した幸福感を味わえるはず。好きな服を着て出かけてみて。
という運勢らしいので、
夕方から出かける予定。
山形は宮城に近い。
だからと、車でやってきた。
どこか放浪者のような風貌をしている。そのくせ、繊細だ。
いつも妻と子どもたちの写真を持ち、「いやー、べつにそんなことないしょ」と自分を表には出さない。
今度は山形で飲みましょう。
蔵王で滑りましょう。

元学習塾に泊まっている。
ベッドの横にはでかい日本地図と世界地図が貼ってある。
地図を毎日、しかもこんなに近く見るのは久しぶりだ。
中学生のころは、地図や時刻表を見ることが好きだった。
それは、旅への憧れであり、自分の知らない世界を夢見てきた。
日本地図を俯瞰で見ると、今いる場所が分かる。意外にロシアが近い。
視野を広げて世界を見る。
気分は、南の島に行っている。
砂浜で寝転んで冷たいジュースを飲んで、横にきれいな・・・
マッシーの授業に、自分の体験した楽しい思い出を、その土地の風景と一緒に思い出し、疑似体験するというものがあった。
地図を見ながら、どこへでも行ける。
でも、船で行きたい。
もう、デッキに横になりビールを飲みながら夕日を見ている。
そこにいなければできないことではない。
それでもそこに立ち続けている。今のところ。
続けているといえば、新藤監督が100歳で映画を撮るという。
100歳でなければ撮れないものがある。それは、まだ誰も踏み込んでいない世界であり、誰もその世界を知らない。
新しし世界は皆と比較しなくてもある。
自分だけの戦いである。
誰も知らなくてもいい。
誰にも見られなくても新しい世界への挑戦は続く。
それにしても立っているのは辛い。
「わたしのラバさん酋長の娘」を車の中で歌った。
おじさんは酋長の娘と南方で知り合った。
それは、日本が戦争をしていた時代のことである。
その後おじさんは、身につけた英語を使って仕事をした。
それからいろいろなことがあった。
おじさんはいま眠っている。
だからおじさんの代わりに歌をうたった。
今日はおじさんの誕生日だから。
病院に入院し、しかも、意思表示が明確にできなくなると、本人の気持ちは軽くなる。
軽くなりだけでなく、ほとんど聞かれることはない。
だって、聞いても「分からない」じゃないと思われている。
ほんとうに理解できないかどうかとか、どこまで理解できるかなんて考える前に家族に意見を求める。
こうなると、人間としての尊厳は家族次第となる。
病院のスタッフは本人には聞かず家族になんでも相談する。相談するだけじゃなく、いろいろと要求する。
もはや入院するには家族がいることが前提だ。
でも、それっておかしいじゃない。
でも「おかしい」とは言わせない雰囲気が病院には充満している。
文句があるなら帰ってくださいと言っている(ように聞こえる)。
大リーグの球団と契約するように、入院するまえない細かい契約書を交わしたい。具体的に何をどこまで、誰がどのようにするか、いくらかかるかを確認してから入院したいと思うんだけどな。
そうなる日も近いといいけどね。
People in the hospital, and will not be able to clearly show, the person will be ignored.
And no longer will be heard in person was almost.
Hospital staff, the patient will have his say and believe.
However, whether the patient really can not understand, before we can understand how far the patient Nantes, medical staff will seek the opinion of the family.
When this happens, human dignity will hold a family.
Hospital staff will contact the person asking the family anything. Not only to consult, with many requests.
No longer to be admitted to the hospital, it is necessary to have a family.
But it is wrong.
But it is wrong and the atmosphere is not known at the hospital.
Likely have been told to complain to hospital if the hospital policy.
So, as a major contract with the team, fine 交Washitai agreement prior to admission. What exactly to where, how or who you want to check the cost of hospitalization.
Days will be so close.
この仕事をしていて楽しいのは、現場の人と話ができることだと思っている。
特に、小中学生や高校生と話をする機会は、この年になるとあまりない。
今日は、10歳から18歳までも子どもたちの話を聞いた。
子どもと言っても、10年前の子ども、20年前の子ども、30年前の子どもは違う。
僕が養護施設で働いていた時には、30年前の子どもと付き合っていた。その時の子どもはもうすでにおばさんやおじさんになり、20年前の子どもは、第一線で働き、10年前の子どもは青春の真っ最中だろう。
そして、いまどきの子どもはまじめだった。
今という時代が不確かだからかもしれないが、現実的な思考で物事をとらえているように見えた。
ニュースを見るたびに大人たちがしっかりしているようには見えず、憧れのスターがいない。憧れは身近な存在のアイドルたちである。
それでも、子どもたちは大人が大人として自分たちにぶつかってきてほしいと訴えていた。
40年前の世界に戻りたい冬子さん(仮名)は、30歳の頃も思い出にしたるのが好きだ。
つい、あの頃のことを考えてしまう。
でも、いつもそうなのではない。
買い物をしている時や好きな紅茶を飲んでいる時は、すべてのことを忘れてその時を満喫する。
30歳の頃は自由があった。一人で旅もできた。生活を自分でコーディネイトし、何にでもチャレンジできたし、だれも文句を言わなかった。
と、思える。
そんなことはないんだろうけど、ふと振り返ると苦労も楽しく思えてくる。
今は、みんながいろいろなことをいう。
みんなが私を助けようとする。
私は助けてほしいのではない。わたしは、ただ自分らしく、30の頃のように行きたいだけなのだ。
でも、そんなことはできないことは分かっている。
冬子さんは毎日鏡を見て、「ああ、あんて素敵なの」と声に出す。
そんなこと自分以外の誰も言わないから、自分に言い聞かせている。
昨日の続きが今日であり、いつの間にか70年が過ぎている。30歳の次が今であり、その間の40年はどこかに行った。
でも探そうとは思わない。
だって、あまりいいことが思い浮かばないから。
将来のことは考えたくない。
今はただ、30代の思い出のハッピーエンドになるストーリーを考えている。
「リフレーミング」を読んでいる。
物事の枠組みを変えることで新しい状況をつくり、心理的変換をもたらす理論である。
しかし、なんにでも使えるわけではなく、新しい見方がそれまでのものより「意味が分かりやすく妥当な場合」であり、一定のフレームに会っている場合だと言われる。
今の状況に満足できない場合が多い。
理不尽なことも多い。
そした状況を変えずに心理的な変換を行っても意味があるのだろうか。
私たちの世界は目の前にあるだけでなく、目をつぶっている時にも、昔の思い出の中にも、頭の中にもある。
それがあると思えるとき、そこに意味ができる。
それは全体の部分(パート)である。
部分がどんな状態や状況でも、それは一部であるという意識が重要である。
仕事がないのも一部であり、友達がいないのも自分の一部であり、障害があるのも私の一部である。
その一部にどのような意味を持たせるか。
その創造性こそリフレーミングなんじゃないかと思う。
I have read the "reframing" of the book.
The book is creating a new situation by changing the scheme of things, have written a theory leads to psychological transformation.
However, the theory is not used but rather difficulties, a new perspective than the previous "intuitive sense if appropriate," which takes effect is effective if given in the frame.
Often not satisfied with the current situation.
Often unreasonable.
Will that mean even after changing the psychological transformation that its situation.
Our world is not only in front of me, even while turning a blind eye, even in the old memories, some in your head.
When it seems there could sense it.
It is part of the whole.
Under no circumstances is any part of the state and it is important that it is part of consciousness.
Is also part of the job is not, not even a part of his friends, a part of me is also faulty.
What I mean to have part of it.
Reframing what I think that creativity.
先週から朝起きたときと、夕食後に体重を量り記録している。
すると前日の夜より数百グラム体重が減っている。
つまり、毎日上がって下がって上がって下がることの繰り返しである。
この下がり方は、新陳代謝である。それ程大きな差はない。差が出るのは上がり方の方だ。
ちょっと余計に食べるとぐっと上がる。一度大きく上がっても、小さく下がるだけだから、体重が増えているということになる。
しかし、本当に難しいのはダイエットより、毎日記録を付けることの方だ。
家に宇宙人がいる人の話。
ある日、家人が宇宙人と分かった。
どうしてわかったのかと言えば、何となく。それはテレパシーみたいなものかもしれない。
宇宙人は地球人と違う。だから、地球人のような期待をしてはいけない。
それなのに、今まで地球人のように接してきた。
宇宙人は、うまく話ができない。
そもそも話をする必要がない。だって、地球人の考えていることは分かってしまう。それに自分の考えだって何となく伝えることができる。
でも、地球で住むには付き合いが悪いと言われる。
居酒屋に行っても酒を飲まない。しゃべらない、歌わない、踊らない。
ふざけるのが嫌いなのではない。本気になってふざけると居酒屋が壊れるからだ。もし、酒を飲んだら、その辺一帯に大きな穴が開いてしまう。
そんな宇宙人がいることの意味はなんだろう。宇宙人がいることの良い点はなんだろう?
それは、宇宙人がいることで宇宙人との付き合い方を毎日考えることができることだ。
それに、もしかしたら、他の星に連れて行ってくれるかもしれない。
冬子さんが猫を抱いていた。
膝の上に白い猫をのせ、何かしゃべっている。
猫はおとなしくしている。たまに、首を動かし、ゴロゴロいう。
冬子さんを訪問してもいつも寝ている。
それが、今日は目を開けてしかも話をしている。そして、口笛まで吹いている。
ヒューヒュー言っているが、確かに口笛だ。
ねこを呼んでいる。
すると猫もそれに応えるように啼いた。
猫はいつまでも冬子さんお膝から下りようとしない。
学校に寄り本を返し、カレーを食べて礼拝に出た。
説教を聞いているうちに、昔の人は本からではなく、テレビや新聞からでもなく、もちろんインターネットからでもなく、人の話を聞いて物事を考えたんだと思った。
その時、誰が語っているのかが重要となる。
カリスマ的な指導者が出てきた場合、話の内容より、その人の存在に影響されてしまう。
だから感動的な話には気をつけろということが言いたいのではないが。
話を信じるということは、その人を信じるということである。
黙って話を聞いている時間は自分との対話の時間である。
日常生活の中ではとても大切な時間となった。
I went to school, return the book, eating curry and then went to pray.
Listening to the preaching within, not from this old man, neither from TV or newspapers, neither from the Internet, of course, considering the things I thought I heard people the story.
At that time, it is important what anyone says that.
If you come across a charismatic leader, from the gist of the story, they have been affected by the presence of that person.
The inspiring story of a say so in it is not called Beware.
Believe that the story is that people believe in it.
Time silently listening to the story is the time for dialogue with myself.
In everyday life has become very important time.
金融機関で怒るおじさんと粘るおばさんを見た。
双方とも、システムの不備を問題にしているのだが、それぞれの気持ちの発散の仕方が違って面白かった。
おじさんは、とにかく直線的に気持ちをぶつける。
次第に声が大きくなる。怒鳴る、不貞腐れる、食ってかかる、すねる・・・会社で身に付けたノウハウを活用している。しかし、そんな方法はもう通じない。
この辺がおじさんの不憫なところ。
上下関係しか経験がないおじさんが、社会に飛び出ると、真っ暗闇を歩くようなもの。パソコンの操作方法を電話で聞いても、そもそも言葉が理解できない。それに、操作方法より、若い担当者の口のきき方が気になってしょうがない。
その点、おばさんは違う。
担当者との会話でも、どこか視点が違っているのに、構わず自分のペースに持っていく。
そのうち、「家のね」と息子の自慢話になる。そうかと思うと、隣の家の話に移り、ついでに自分の昔の学校の話になる。
もう、何を言っているのか分からない。
それでいて、自分の主張を曲げない。「そこんとこなんとかならない」と粘る。
窓口の人もだんだんなんとかしないと「これでは仕事にならない」と思う。「ええ、なんとかしましょう」的な表情を浮かべ、横にいる支店長を見つめる。
すると、支店長も加わり、その部下も参加し、3人でおばさんの話を聞くことになる。
この巻き込み術は対してものである。
そして、どうなったかというと。
おじさんは怒鳴ったことを後悔し、しょぼしょぼ帰って行き、おばさんは話を聞いてもらったことで満足して、帰って行った。
病院でカンファレンスを行う。
会議の主題は在宅復帰である。
つまり、家に戻るということ。
これがなかなか大変である。
なにが大変かといって、日本のシステムが在宅指向にないことからくる支援システムの不十分さである。
高度な医療は病院でというシステムは効率的ではあるが、人々のニードには叶っていない。
誰だって、今まで暮らしていたように死にたい。
でもそれがかなわない医療、福祉、保健システムを持っている日本という国は幸せな国なのだろうか。
そんな気持ちで立川談志が最後の落語を自宅でさらっている映像を見た。
これがいい。
なにがいいって、もうすぐ死ぬだろう男がね、力を絞ってしゃべっている。
語りは長屋のおかみさんとおとっつあんの話である。
落語は人間の業の肯定だという。だとすれば、死ぬことだって肯定してしまう所に談志のすごさがある。
今日の会議で一番印象に残った言葉は、「**さんは施設から脱走した経験がある」という話を聞いたドクターが「そりゃいいね」と言ったときの顔。
70ぐらいの先生のその顔が生き生きしていた。
まあ、みんな死ぬんだから、その時は、「いい顔していたね」と言われたい。
武士道を海外に伝える番組を6時間見た。
面白かった。
生きることと死が近かった時代には、どうしたら死なないでいられるかを考え、身体を、そして精神を鍛えた。
身体ばかりを鍛えても精神が弱くては生きることができない。
そして、それ以前に礼という基本的なパターンが重要だと番組では何度も繰り返していた。
時代が求める身体があり、動きがあったことは古武道の教えからも紹介されている。歩くことやしゃがむことには、それなりの意味があり、動きがあった。
そうした動きを鍛錬することが生活であった。
鍛錬は痛みを伴う。その痛みは、相手が感じる痛みを自分の身体でもって体感することだ。自らの血を流さなければ、平和が訪れることはない。
戦わないための鍛錬を繰りかえり、戦わなくてもいい身体をつくる。
武士道は、生きかたというより、理想の死に方のように見えてくる。
愛する人のために死ぬことが理想の愛だと説いている宗教性にも通じるものを感じた。
そして、力の使い方。
人間の動きに合わせた力のコントロールは、武道だけに通じる訳ではない。日常生活における対人関係においても、相手の力をうまく使うことはとても大切である。
家庭のおける力の使い方として勉強になった。
日常的な生活の中で、死に近いものを感じる体験は、死の準備教育でもある。
もう死にそうと思うことを何度も、何ども体験することが、命を大切にすること、命への尊厳になるのかもしれない。
心臓がもうだめになりそうな時には、生きていたいと本当に思う。
番組の最後に型の大切さを言っていた。
型とはスタイルではない。生き方だ。
どう生きるかを繰り返し習うことで、自分が考える理想に近い生き方ができるのかもしれない。
ことしもよろしくお願いいたします。
上原さん。お世話になりました。
古屋さん、吉浦さん、池田さん、田中さん、守田さん、若城さん、上前さん、谷さん、三反田さん、小林さん、齋さん、粕谷さん、大沼さん、和久井さん、金井さんお世話になりました、お蔭様で皆様元気です。
山本さんご無沙汰しております。
森さん、生きてます。
田原さん、土井さん今年も一緒に走ってください。
中村さん、福本さん、今川さん、久保田さん、岡野さん、中村一さん、阿藤さん、高塚さん、福元さん、木村さん、岡田さん、論文を書き上げます。
渡邉さん、湯呑み使ってます。
石巻の須田さん、平塚さん、井上さん、須藤さん、江藤さんお世話になりました。
東松島の石森さん、真籠さん元気ですか。
南三陸の竹内さんドジョウすくいはうまくなりましたか。
京都の西浦さん、富士の後藤さん、太田の猪之良さん、広島の北山さん、静岡の渡邉さん、東京の板垣さん、倉谷さん、秋田の清水さん、静岡の園田さん、大阪の原田さん、山口の岡田さん、大阪の比名さん、山形の高橋さん、厚木の小澤さん、静岡の市川さん、三重の市野さん、福岡の上釜さん、岐阜の三川さん、長野の若林さん、廿日市の中村さん、石川の平野さん、大阪の前川さん、三重の辻原さん、袋井の甚沢さん、大阪の仲野さん、つばめの立川さん、富山の志鷹さん、楽しかったね。
牧野さん,阿南さん、ご苦労様です。まだまだお世話になります。
神尾さん、伊藤さん、染谷さん、呉さん、杉田さん、市原さん、齋藤さん、江川さん、上原さん、大橋さん、梶山さん、高木さん、大島さん、浜崎さん、小川さん、吉崎さん、小室さんお世話になりました、ことしもよろしくお願いいたします。
ブログを立ち上げと事務所の立ち上げが同じなので、来月で7年目を迎える。
今年は、南三陸、東松島、石巻の包括支援に行かせてもらい、充実した年となった。
みんなができることをしたいと行動をした年だった。
アラブでも、アメリカでも、日本でも、誰かではなく「わたし」が行動することの重要性がクローズアップされた。
日本は閉塞した社会だと言われるが、それでも現場に立っていると、いろいろな動きを感じた。
現場にいることの意味は、そこには生活があり、人生があり、人々の物語があることだと思う。
それは、被災地に行かなくても、日々の仕事でも同じだろう。
でも、家族の大切さは家族の危機で感じるように、仕事の大切さは仕事を失ったときに感じるように、電気も空気も水も、それが無くなりそうなときにありがたみを感じる。
東北の空気は冷たく、人と人のぬくもりが温かい。
来年のことを考えるまえに、今日まで生かされてきたことを感謝する。
みなさまどうもありがとう。
おせち料理を食べようと、お昼も軽めにとり、午後から自転車に乗り40キロ走る。
久しぶりのサイクリングで、坂道になるとスピードもダウン。
身体が重いのでなかなか登れない。
家に戻り、風呂に入り、体重計に乗ると-200gであった。
ああ、これでは何を食べればいいのか。
ショックが大きかったので、その後ごろ寝する。
電話相談をしている。
電話では相手が見えない。声しか聞こえない、声しか届かない。
しかし、声以上に大切なものを感じる。
雰囲気。
それは、あなたと私の間の空気のようなもの。
キーンと尖がっているときもあれば、ドロンと横になっているときもある。
その雰囲気は、話の内容の数倍大切に思える。
「わかりました」、「いい考えが浮かびました」と思っても、次の日には、再び「どうしたらいいんでしょう」と悩みは残る。
それより、楽しい雰囲気で終わることが大切。
なにも変わらず、なにも解決できなかったけれど、一緒に話ができて良かったと感じあえることが一番だと思う。
そこでは笑いが重要なの要素となる。
笑うことが出来るのは、笑うことができる雰囲気の時だけ。笑うときには、二人は、同じ方向を向いている。同じ絵を見ている気がする。そこに現れた場面を見て楽しみ、感じて、笑っているときには、何か、共有できる感覚がつかんでいる。
そう、将来への可能性を感じられる。
話をしても何も解決しないと分かっているのに声に出して一緒に笑ってみると、何か救われるかもしれないと、そのときだけは信じられる。
今日も、おかしくもないのに笑ったね。
何でだろう。まっ、しょうがないね。
(2005年12月30日再掲)
支援チームは、2人のペアで組む。
前任者から引き継ぎ、それまで築いてきたノウハウを覚え、被災地の地図を覚え、旨い食堂を覚える。
そして、次のペアに申し送りをする。
来た当初は、何もわからずただ呆然とするだけだが、3日もすれば、「ここを曲がればあれがあってね」と地元の人のようになる。
それに、石巻弁もうまくなり、冗談も言えるようになる。
そして、二人はいつも一緒にいる。
夫婦でもこんなに一緒にいることはない。朝起きれば、一緒に掃除をし、一緒に朝食を作り、一緒にトイレに行き、別々の個室に入る。一緒に車に乗り、運転手に気を使って1時間半話をする。ネタが尽きるので、つい個人的な話になる。「もう、きみのことなら何でも知ってるかんね」という恋人初期のような気分になる。
活動も一緒。凍える仮設周りで、カイロを分けないながら暖をとる。
お昼は一緒に石巻やきそばを食べ、イカの天ぷらを分け合う。
一緒に今日の反省をし、一緒にコーヒーを飲み記録をする。
帰り道には、疲れていても冗談を言いながら労をねぎらう。
温泉に入り、出てくる時間を合わせる。そして、飯を食い、車で宿舎に戻る。
そうした生活が5日も続くと中年夫婦の風格が出る。
どうですこの写真、いい夫婦でしょう?
夕べキノコの和え物を食べていたら涙が出てきた。
突然、涙が出るようになったのは、年のせいか、それとも今年という特別な状況のせいだろうか。
今回、雪に備えスノータイヤを履いた。
車で500キロ走ると見えてくるものがある。
それは、僕が住んでいる場所との距離を実感できるという意味であり、石巻までの道のりの風景の変化である。
距離のことは、今回の原発事故があって、その重要性を感じる。
福島は、東京のすぐそばにある。それは、地図を見ても分からない。テレビの天気予報をみても分からない。実際に走ってみて、そこに泊まってみてわかることがある。
身体で距離を感じるということだろう。
新聞を信じるより、自分の身体が感じるものを信じたい。
放射能は目では見えないが、それが、どんなふうに飛んできたか。どこの山を越えてきたのか、風向きはどうだったのだろうか、そんなことはそこに住んでいる人にはすぐわかる。
そして風景が変わる。
風景は季節でも変わるが、移動することでも変わる。雪の重さがちがい、風の匂いも違う。
悲しみは、移動することで薄まる訳ではない。
それでも、同じ気持ちを分け合うことは難しい。
人と共感するためには、その人と出会う必要がある。出会うことで、知り合いになり。話をすることで思い出ができ。笑いあうことで親しみを感じる。
10月に会った酒好きのおじさんと再会した。
2か月前と同じ匂いがした。
おじさんは、歯を見せて笑ってくれた。
僕は、何枚も厚着をしておじさんの話しを聞いていた。
昨日(22日)から石巻に入った。
今日は夕方から本格的な雪。
雪を見ている分にはいいが、都会者が運転するのはちと怖い。
そんな雪も地元の人はスピードを上げて走る。
今日は、何枚も厚着をして仮設の前に立つ。
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、主演:ハビエル・バルデム、映画「biutiful」は、beautifulだった。
物語はバルセロナで起こる。これは、ヨーロッパが抱えている、移民問題や経済格差が根底にある。
そこで生活するには、とにかく食べなければならない。そして、食べるためには金を稼ぐ必要がある。
稼ぎ方は様々であり、それが正しいかどうかより、稼げるかどうかがのこ世界では問題となる。
しかし、移民からピンハネしている父親は、子どもに正しい食べ方をしつける。
この辺が面白い。
彼の人生はもうすぐ終わる。
死の宣告をする医師。その乾いた告知は、人生に向き合う力を持っている人種特有の空気感を感じる。
それでも、死を受け入れることはできない。
彼は、恐怖を感じ、怒りを露わにする。そして、愛を求め、家族にすがる。
しかし、うまく生きることも、きれいに死ぬこともできぬまま、バルセロナの街を歩く。
ハビエル・バルデムがいい。
その悲しい眼差しと、子どもを見るときの寂しい表情がたまらない。
独立社会福祉士、あるいは、開業社会福祉士とは、組織に所属しないソーシャルワーカーのことだと定義して話を進める。
でも、一人で開業していても、それも組織であるんだけど、とりあえずそのことには深入りしない。
組織に所属しない人は、例えば「八百屋」さんとか「魚屋」さんとか、家庭的工場のような自由業をイメージしてください。
ただ、小売業とは大きく違う。
それは、物を売るのではなく、サービスを売る仕事だということ。
サービスとは、仕える=奉仕するということで、普通では売り物にならない。それだけではなく、無料=ボランティアというイメージを持たれている。
それを売るわけだから、なかなかうまくいかない。
そんな売り物にならないものを売りながら生活するわけだから、当然「給料」はない。
自由業として、自由はあるが収入はないという状態である。
そんなことをやりたい人は変わっている。
その変わっているという特徴を上手に売ると売れるかもしれない。
まあ、そこのところは置いておいて。
では、どうやって生活するか。
それは、「ソーシャルワーカー的な専門性」を生かした分野で給料をもらう。
こうなると、社会システムの一部に組み込まれることになり、組織の一員である。
だから、最初に言ったように、一人で開業していても組織に所属している。
では、「ソーシャルワーカー的」でない、「ソーシャルワーカー」としてサービスを売る仕事はいつするのか?
それは、できるだけ「ソーシャルワーカ的な専門的仕事」を少なくすれば、自分にしかできないサービスをすることができる。
つまり、サービスを仕事にしてしまうことになる。
または、「ソーシャルワーカー的な専門的業務」の中に、サービス的な部分を多くするというやり方もある。
これがいいのは、仕事をしているのかサービスをしているのかがあいまいになるところである。
この「あいまい性」はなかなかの醍醐味だ。
ということで、社会福祉士の年収はいくらかを知りたかった人はがっかりするだろう。
けどね、一度開業すると辞められない世界がそこにある。
うそだと思ったらやってごらん。
「病い」には意味がある。
それは、身体症状という意味、または、文化的、経験的な、あるいは個人的な意味である。
病気を治す立場にある者は、その症状に注目する。
病巣を取り去ることから、症状を軽くすることや、小さくすることを試みる。
しかし、それが人生の中でも意味としてとらえた場合、「病い」をプロセスとしてとらえることができる。
「今」起きている状況に納得できない場合、それが病気であっても、なぜ今、なぜ私に、どうしてこんなことにと自問する。
しかし、それでは何も解決しない。
冬子さんは、子どもの頃の話をはじめた。
話は何時間でも続きそうである。それに、話をしているうちに分かってくることがどんどん生まれてくる。
そこには、物語を聞く者が存在している。
つまり、聞かれる物語を語り出すうちに、その形が次第に見え始めてきた。
ああ、あの時の父親の視線はどこに向かっていたのか、どうして彼は靴を履いていたのか、お母さんは私を試そうとしていたのね、今そこにいるように感じる・・・
冬子さんの物語は、聞きている者の物語でもある。そこにいる者として、その世界に参加し、積極的に介入する。一緒にこれからどこに向かっていくかを探している。
そうした作業を何度も繰り返す。
すると、前回には明らかにならなかった場面が構成される。「ああ、そこはもう少し右側の方がいいわ」という具合にね。
女の子は次第に成長する。
そして、いつしか、大人の女性になり、年を重ねる。
でも、いつまでも現在には追い付かない。
それは、物語の限界である。
プロセスは、過去のものであり、これからの人生を生きるための素材としてある。
物語の意味をいくら探っても「病い」は治ることはない。
それでも、今を生きる力にはなる。
立ち上がると、急に気を失いそうになった。
すぐにしゃがみこみ、じっと呼吸をする。
頭の中が白い霧のような風が吹く。
いつもなら、しばらくすると去っていくのに、今日は留まっている。
何とか家まで帰ろうとタクシーに乗り、変な汗をたっぷり流しながら、じっとしていた。
タクシーの運転手も、この寒いのにずいぶん汗をかく人だなあと思っているだろう。と、余計なことばかり考える。
玄関を開け、倒れこようにホットカーペットのうえに横になり、そのまま寝てしまう。
ケアマネジャーのためのグリーフケア研修に参加した。
ケアマネジャーがクライエントと出会ったときは、すでにグリーフの渦中にある。
しかし、そんなこととは知らず、クライエントはいつまでも生きているように接している。
いま、ターミナルケア、緩和ケア、グリーフケアという言葉が聞かれ、それぞれのアプローチがあるように語られている。
そうだろうか?
人間は、生まれた瞬間から死に向かっていきるというグリーフを抱えている。
それが、高齢になり、病気になり、障害を抱えたとき、あるいは、死期が近づいたときがターミナルなのだと思われている。
私たちは生まれた瞬間の喜びと、生きていくことの苦しみを忘れて生きている。
それは、生きることがとても苦しくて、永遠に生きているように振る舞うことでしか生きられないと考える脳の作用かもしれない。
上手に死ぬ方法はない。
あるとすれば、今をどのように生きているかを自覚しながら、その時まで、生き続けることだろう。
とにかく、今日一日を、何とか過ごすことができれば、明日も、なんとか過ごすことができるかもしれない。

二つの輪をコネコネといじっていると、輪が外れた。
しかし、なぜ外れたのか考えてみても分からない。
理論的に考え、計画を立てて取り組んでもなかなか外れないのに、ボーといじっていると、突然、ぽとんと一つが床に落ちる。
その金属的な音が、僕を笑っているように聞こえる。
ああ、考えてもダメなときはダメであり、できるときはできる、ということを。
来年のカレンダーを持って家庭訪問。
手ぶらで行くより、お土産があった方が話が弾む。それに、きれいな風景ならなおさらである。
いつも怒っている秋子さんも、何かとケチをつける冬子さんも、「きれいだね」と褒めてくれる。
僕が褒められた訳ではないけどうれしい。
このカレンダーを選ぶのに1時間かけた費用対効果はあった。
久しぶりに飲み会に参加した。
銀座で映画を観て、ジョージの映画だった。
ジョージのことはよく知らなかった。
インド音楽にはまった人、マイ・スイートロード、サムシング、バングラディッシュコンサートぐらいかな。
それが、とても素敵な人だった。友達が多く、冗談が好きで、それでいて、いたずらもしてね。
一人の男の人生としては楽しそうに見える。女性からみたら違うのかもしれないけどね。
映画館を出ると夜の街だった。ネオンがきれいで空気が冷たかったので、歩いて早稲田まで行くことにした。
噴水を写真に撮ろうと被写体に近づくと、右足が水の中に。でも、いい写真が撮れた。
皇居の交番で道を聞きながら、北上。早稲田大学の大隈さんに挨拶をする。
会議が終了し、親睦会へ。
ひとり事務所だと、忘年会もない。仕事が終わると家に帰る。より道をしない。そもそも、一日の大半が寄り道みたいなものなのだ。
話をして盛り上がることも、上司の悪口も言えない。つまり、つまらない。だから、たまに飲み会があるとうれしくなる。
ということで、だれか誘ってください。
イ) 南三陸の話でしたね?
さ) そうでしたね。南三陸では、チームケアを考えましたね。福祉士会も含めて、さまざまなチームが参加してました。チームは、一人ではないという意味と、継続という意味を持っています。南三陸には、ユニークなチームがたくさん参加してましたよ。
イ) 一人ではないとは、二人で動くということですよね。
さ) そうです。車の運転も、避難所の訪問も、面接も・・・二人で行うことが多かったです。1週間いつも一緒にいるということは、心強いという面と負担を感じる場面と両方ですね。それは、それまでの仕事の仕方や人間関係でも距離の取り方で感じ方は違ってきますね。
そして、1クールが終わると次のクルーに引き継ぎ、3か月、半年と支援を継続していくわけです。それは、どのチームも同じです。
イ) でも、どうしても仕事が終わらないとか、もっと深く関わりたいとか思ったりしないのですか?
さ) 基本的には、その日にできることをすることが中心になります。そして、思い込みを深くしないことが大切ですね。あくまで側面的な支援ですから。現場のことは現場の人間が決めるのであって、応援隊は黙ってついていくことが大切だと感じました。それは、仕事に対するスタンスであり、チームで動くのが下手な開業社会福祉士にとっては大きな課題ですね。
イ) 南三陸の次に、東松島に行ったんですよね?
さ) 東松島では、仮設住宅の訪問が中心で、福祉ニーズ調査と台帳作成を担当しました。奥松島の仮設住宅まで、市内の仮設は殆ど回りました。家に上げてもらい1時間も2時間も話を聞きました。
イ) 調査が目的ではなかったんですか?
さ) そうですけど、とにかく話を聞いてくださいと。遠くから支援に来てくれた人だからこそ語ってくれる話があるんですと、支援センターの人から言われました。それに、支援センターの担当者も被災者であり、まだ、十分に受け止めることができない現実を抱えながら仕事をしている様子がありました。実際、どこから来たのねって、名札を覗き込む人が多くいました。そして、「ああ、そこなら昔行ったことがあるわ」って話が始まります。
イ) 話を聞くことって難しいですよね?
さ) 難しいですね。僕は、だんだん言葉が訛ってきました。語尾が長くなってくるんです。いつも使っている言葉ではアプローチができません。そこには、その土地特有の空気感があり、言葉の持つイントネーションがあります。それに、土地の人は、話を聞くのが上手でね、とても参考になりました。その聞き方「そうよねー」とかね、それをまねしていると、だんだん話が聞けるようになりました。
イ) 4月から始まった東北行きも12月になりましたけど、季節が変わって、状況が変わって、どんなことを感じました?
さ) 春先は寒かったです。それが、田んぼが青くなり、夏になりました。街の様子は変化はありますけど、その変化より自然の変化の方が大きかったと感じます。どんなことがあっても、花が咲き、葉が茂り、草の色が変わります。そうした景色はいつも頭の中に仕舞い込むことができました。だから、いつでも、目をつぶれば広い田んぼと青い空の景色が出てきます。
イ) そのほかに印象に残っていることは?
さ) 人との出会いでは、現地の人との出会いと同時に、仲間との出会いも大きかったですね。全国からやってきた人と、3日、5日と一緒に生活する、それも、かなり濃い付き合いですから、いろいろな話ができましたね。まだ、これから、12月も1月も参加するので、それが一番楽しみですね。人間が一番面白いですよね。
イ) 今年を振り返ると云っても、被災地支援の話が中心になりましたね?
さ) まあ、今年はしょうがないでしょう。それに、それ以外の仕事も沢山してきましたけど、それは話せない内容が多いからね。
イ) そうですね。それではこの辺で終わりにしましょう。
インタビュー子(イ):今回の企画は、今年を振り返るということですが、まだ、12月に入ったばかりですがいいんでしょうかね。
さいとう(以下(さ)):いいんじゃないですか。今年は、大きな仕事は殆ど終わっているし、そもそも大きな仕事なんてなかったからね。
(イ):そんなことはないでしょう。忙しかったんじゃないんですか。東北にも何度も行っていたようですし。
(さ):忙しくないから行けたんですよ。
(イ):では、どの辺から伺いましょうか。昨年と比べて、今年はどんな年でした?
(さ):うーん。3月11日前と後では大きく変わりましたね。みんなそうだと思いますが。3月は動けなかったです。何をしていいのか分からなくなりました。そんな状態が変わったのは、4月に岩手に行ってからですかね。宮古の木村さんを訪ねて、前日に北上に入ってね、翌日、釜石から海岸線を宮古まで北上しました。
(イ):どうして宮古に行こうと思ったんですか。
(さ):どうしてというより、行きたいと思ったんですね。神戸の地震の時は、何かしたいと思いながらも、身動き取れない仕事をしてましたから。いまは、その点、時間だけは自由になりますから。
(イ):車で行ったんですよね。
(さ):ええ。当初、ガソリンがないとか言われてましたけど、だんだん落ち着いてきた様子だし、情報も入るようになったので、車で行きました。でも、東北道は凸凹でしたね。釜石市内に入ると自衛隊の車と、災害支援の工事車両がたくさん走ってましたね。
当時は、がれきがそのままの状態で、その中に学生服を着た中学生がバスを待っていたり、自分の家の前に立ち尽くす人がいたり、荷物を片付ける人がいたり、親戚の人が避難所に訪ねてきたりね、やっと、動き出したじょうな状態でしたね。
(イ):その時は木村さんの所に泊まったんですか?
(さ):木村さんの家は高台にあったので難を避けられましたけど、親戚の人が非難してましたね。そこに泊めて貰い、木村さんに市内を案内して貰いました。木村さんのところには前年に実習でお世話になり、宮古から釜石まで、ずいぶん施設などを訪問させてもらいました。そのとき、田老地区の民宿にも泊めてもらったので、田老のことが気になってました。
(イ):翌日田老に行ったんですか?
(さ):ええ。山を超えて田老に入ると見えないはずの海が見えてきました。民宿は堤防の外側にあり、泊まった部屋が2階だったので、窓を開けると堤防が見えました。その堤防を夕方、端のほうまで散歩しました。その堤防だけが残って、あとのものは何もなくなってました。堤防に登ると、何もない街の真ん中の道路を車が通り、がれきを片づける重機の音と土埃だけが俟っていました。海は前と同じように静かでした。
(イ):その日はどこに泊まったんですか?
(さ):その日は、遠野に泊まりました。遠野は、宮古や釜石、気仙沼などの基地になっていて、人や物資の中継地点になっていました。遠野の民宿はいっぱいで、電話で連絡して3件目がやっととれました。そこには、銀行関係の人や、工事関係者などが連泊していました。宿のご主人の親戚が被災され、そんな話やいろんな情報を聞きました。
(イ):それから、福祉士会の災害支援に参加するようになりますが、それは、どんな気持ちの変化なんですか?
(さ):そうね。気持ちの変化というより、実施に宮古の町を歩き、田老の街に立ってみて、そこにいることができると感じたことが大きかったですね。東京にいてテレビを見ても感じられないものを感じることができたことが大きかったですね。
それに、学生時代に海外ボランティアに行った時のことを思い出しましたね。そのときは戦争や飢餓という状況でしたが、その場所に立つまで自分とのつながりのイメージが持てなかったけれど、一度生活をすると自分のものになるような感じがしました。帰るときには、自分の故郷を去るような気分でしたけど、今回、何度も岩手、宮城に行くようになり、自分との確かなつながりを感じるようになっています。
それは、たとえば子どもができると、他の子どもが気になるように、岩手や宮城、それも、宮古や田老、南三陸や東松島、そして、石巻と聞くと耳が動くようになりました。
あそこの横を曲がるとこんな風景が広がってきて、目のグリグリしたおっちゃンが座っていると言う風に、絵が出てきます。
(イ):最初に入ったのは南三陸ですよね?
(さ):ええそうです。そのときも車でいきました。南三陸チームは4月に立ち上がり、最初避難所、それからベイサイドアリーナを中心に活動をしてました。今回の支援は、あくまで、現地地域包括支援センターの側面的支援が目的でありました。だから、自分たちの派遣期間でできることをすることが求められました。
それは、他の行政支援、医療支援、心理支援などの支援チームも同様です。ほとんどのチームは1週間から10日程で交代します。そのため、チームとしての引き継ぎとその場で求められていることに対応することが中心です。
そのとき感じたことは、神戸の震災の体験がずいぶん生かされていると云うことです。こんなことが起きるから、こういう風に対応するといい、というようなノウハウが生かされている様子は感じました。
(イ):支援の中でどんなことが難しいですか?
(さ):報道されている困難さより、僕が感じたことは、人の気持ちの強さと弱さですね。特に支援する側の、援助者の多くが被災者であるという現実です。自分の問題も解決できない状況にいながら仕事をこなし、人の気持ちに沿いながら働いている人たちの強さと弱さです。
つづく
アルツハイマー型認知症の資料を取り寄せ読んでいる。
認知症にはついて分けっていることは少ないが、それでも、以前に比べ認知症に対する認知は増している。
私たちは、どこに向かっているのかは、月を眺めるように不安になる。
ある想い。
私は、自分の存在を信じ、自分の言葉を信じ、自分が投げかける言葉がどのように伝わるかを信じて疑わない。
そんな生活を何十年も送ってきたのに、ある日、それも突然、私の言葉が死んでしまう。そんなことってあるだろうか。
自分の言葉が口から出ているのに、それが全然伝わらない。
この口から出るものは言葉なのだろうか。
あの人は、私に何かを伝えようと怒っている。
その怒りは分かっても、その意味を解釈できない。
もうすでに、私は私ではないのか。
私が私であるということはどうしたら証明できるのか。
したいことはあるのにそれができない。
できないのに悔しくない。
できないことがいやなのではなく、そばにいてくれて優しく見つめてくれる人がいないことがさびしい。
でも、そんなことは言えない。
一昨日の講演で疲れたと思っていたら、翌日から節々が痛くなり、夜半に熱が出た。
熱にはめっぽう弱く、煮た菜っ葉のようになってしまう。
熱が出て、汗が出ると楽になるのだが、今回は汗も出ず、カサカサの椎茸のようだった。
夕食後(食欲はある)布団に入るが、2時間の起きにトイレに起きる。水分をとり、汗を出そうとしても、汗が出ずトイレに走るの繰り返し。
翌日、10時ごろ起き上がると、熱は下がっていた。
やっと重い腰をあげ、仕事に出かける。
一人で仕事をしていて、病気らしい病気をしていない。やはり身体が資本であり、代わりがいない仕事であることを実感する。
ということで、ワインを少し飲む。
市民後見人に対する演習講師を引き受けた。
市民後見とは、親族以外の後見人で、専門家でない市民を指す言葉のようである。
このシステムについては様々な意見があるが、ここではそれは置いておく。
僕が関心を持ったことは、中高年を中心にした、社会貢献活動・ボランティア活動への関心の高さだ。
彼ら(彼女ら)の多くは、子育てを終えている。会社から独立している(年金生活者も多い)、家族の縛りも少ない(家庭的な役割から解放されている)という環境にある。
すると、どんなことが起きるのか?
それは、「私の人生はなんだったんだろう?」という問いかけである。
でも、
後見人をしたからといって、人生の目的は見つかる訳ではない。もちろん、被災地にボランティアに行っても同様である。
しかし、そうせざるを得ない内側からの要求が何かを変える。
そう、ソレをすることは、仕事や役割、環境や地位ではなく、自分の内側から動かされるきっかけになる。
対人援助という人との関わりは、人のためにするのではなく、「自らに働きかける力」になる。
そのことを伝えようと思っていたが、語らずに演習は終わってしまった。
それでは、どこかで会いましょう。
その時までに、もう少しネタを仕込んでおきます。
今年の6月に東京郊外の団地調査に参加した。
その、データ集計が終わり、中間報告を聞きに出かけた。
団地には、団地の悩みがあり、団地の楽しさがある。
そして、ふと、僕の住んでいる所も団地のような機能を持っていることに気づいた。
日本の団地は、住宅問題の解決策として昭和30年代頃から作られた。
僕が、小学校の頃、学校の近くに団地があり、友達が家の鍵を自慢そうに持っていた。小さな子どもが、カギを持っているなんて、それは羨ましいことだった。鍵を持っている子どもを「かぎっ子」といった。
それだけでなく、団地には風呂があった。
銭湯に行く家庭が多かった時代、テーブルに座って食事をし、ユニットバスがある家は凄いことだった。
話を戻して。
そう、ココ(今住んでいるマンション群)も30年前は、子どもが多く、街の中に小学校と中学校ができた。スーパーと病院も用意されていた。
それが、時代とともに子どもが減り、世代が代わった。
その結果、小中学校が閉校され、跡地に大学や福祉施設が作られ、スーパーマーケットが閉じた。
そうした団地の再生が今回のテーマである。
団地を一つの生き物と考えれば、成長期もあれば中年期もある、そして、老年期、最後に死が待っている。
しかし、団地の場合、外見は同じでも中身が変わることがある。
世代が上手く変わることで、その身体の血液もきれいになり、再び流れ始める。
そうした世代の変化やニーズの変化に、身体としての地域や建物が対応しているだろうかと考える。
団地の再生は、地域の再生である。
このテーマは、東北の街の再生であり、日本の再生である。つまり、今のままでは、血液が滞ってしまい、朽ち果てるのを待つだけである。
でも、団地には様々な資源もあり、人という力を内包している。
それは、仕事も沢山あるということでもある。
それも、SWができる仕事が山のように待っている。
ナビの設定の方法を変えました。
A地点から、B地点へ、そしてC地点を入れ、さらに、D地点を入れて、自宅へ戻るコースを設定します。
すると、その場所でどんなことをするのかが想像できます。
A:建物を管理している物件の評価を依頼。業者と現地で待ち合わせ、調査結果を聞く。
A-B移動中に、ハンズフリーで電話相談。移動に1時間かかるので、ゆったりと話ができる。こちらが落ち着いているので、話はスムーズに進む。
B:銀行で記帳。ここまで来ないと記帳できない。
C:GH面会。90を超えても元気な春子さん(加盟)の笑顔をじっと見ている。今日のお昼はピザとスパゲティー(デリバリーであった)。すこし固いので、小さく刻んである。
D:銀行で・・・を行う。銀行員から・・について念書を求められる。行員と銀行の将来についいて話し合う。
D-E:移動中に電話で仕事をする。
E:銀行で入金。
F:休憩。30分プールで泳ぐ。
事務所に戻る
記録とEバンクで送金。
広報作業。つまり、今書いていること。
つまり、ブログも仕事の一部です。
わがままな死は許されないのか?
そんなことを考えている。
自宅で亡くなることが困難な時代、病院においても同じことが言える。
病院は専門的な治療を行う場所であり、効率性を高め、医療費を抑えようとする。
すると、治療の必要性が少なくなった患者は病院から出て行かざるを得ない。しかし、自宅に帰れないほどの医療的なニーズがある人を患者とよばず何と呼ぶのだろう。
療養型病床とは、病院のように見えて、病院的な施設だ。だから、入院している人が病気になった時に、ホントウの病院に搬送する。
病院とは何だろう?
患者は、医師のいう通りに、あっちに行けと言われればその通りにし、切った方がいいと言われれば手術をし、黙って薬を大量に飲んでいればいいのか。
わがままを言ってはいけないのだろうか?
自分勝手ではいけないのか。
そんな怖い目をしなくても、先生の言いたいことは分かっている。
振興住宅に住む3人の家族の話。
女性(母親であり妻)は40代の専業主婦。
男性(父親であり夫)は50前後のサラリーマン。
一人息子は大学卒業後、就職浪人のアルバイター。
この3人の三角形には、会話がない。会話だけでなく、交流がない。
家にいる女性は食事を作ることで家族と繋がろうとする。しかし、それを食べる家族がいない。
父親は、家に帰って来たくないのか、残業し、寄り道し、何か用を作り遅く帰る。それでいて、浮気をしたり、飲み歩いたりする力を感じない。
息子は、やはり、家に居たくないのか、夜のアルバイトをし、帰ってきても部屋に籠る。
どこか、男二人は母親を恐れているようであり、逃げている。つまり、腰が引けている。
母親(妻)の問題を認識しているのだが、それを、見ないような行動をとっている。
この家族には、全くパワーがない。
女性は、主婦であることが自分の支えである。主婦とは、家族があって成り立つ職業だ。その家族が薄くなるにつれ、女性の精神は侵されていく。
異常さに気づいているのかもしれないが、声がでない。夫や息子には話さない話せない。
それだけではなく、女性には、家族以外のつながりがない。親戚はいないのか?友達はいないのか?地域との交流もなく、家に囚われているように見える。
夫は、会社に行っている。
しかし、行っているというだけで。会社で死んでいる。
家に居られないから、時間をつぶすところがないから、会社に行っている。会社以外に行くところはない。もちろん趣味もない。
家は、立派である。
かなりのローンを抱えているのだろう。
そのことからも、夫は、家を建てるために一生懸命に働いてきたことがわかる。そして、理想的な家族にしたかったことも伝わってくる。でも、どこかでくるってしまった。
息子は、大学を出ているが仕事がない。いまどき、仕事がない若者は多い。
アルバイトをしているのは、仕事のためやお金のためではない。自分を探している。誰かと繋がろうとしているように見える。それが、なんだか分からない。
そんな、きれそうな細い糸でつながった家族に異変が起きる。
女性が泣く。泣くことで初めて声が出る。すると、限界に達した感情が爆発し、台所を荒らし、家を出る。女性にとって台所は生活の場所であった。それを壊したことで、何かが動き始めた。もう引き返すことはできない状況になってしまった。
三角形はバランスがいい形である。
しかし、それは、それぞれの角(コーナー)につながる様々なつながり(相互関係のある人やもの)があり、さらに、それらがお互いに交流をしている場合である。
家族が再び絆を強めるためには、一度、それが壊れなけれがならない。
それは、もともと壊れていたものを作り直す作業ではなく、形が変わる程の変化が必要だということをこの映画は象徴的に映し出している。
しかし、多くの家族は、すでに壊れているのに、壊れていないようなふりをしている。
The story of three families living in housing promotion.
Women (wives and mothers) are housewives in their 40s.
Men (husband and father) is around 50 years old businessman.
One son graduated from college, have been unable to part-time employment.
These three triangles, no conversation. In addition to the conversation, no exchange.
法政大学の佐藤繭美先生の話を聞き、その著書を購入した。
「自閉症の人の死別経験とソーシャルワーク」明石書店
佐藤さんによると、自閉症の研究や紹介は「その障害特性に焦点をあてた治療や教育を中心」であった。つまり、自閉症は、関係性の障害の特異性を中心の語られてきて、その人の考え方や感じ方を捉えた「自閉症の人が生活の主体者であるという視点が」欠如していた。
佐藤さんのテーマは、自閉症の人と親の死別である。
私がこの業界に入ったきっかけは、自閉症の子どものキャンプであった。
その当時、自閉症という「病気」がクローズアップされ始めた。自閉症は、障害というより「病気」、それも、親の関わりによるところが大きいと言われrこともあり、自閉症児を抱える親の関心事は、教育であり、多くの場合、母親としてどう関わったらいいのかであった。
また、自閉症という「病気」を抱える子どもは、長く生きることはできないだろうといわれ、「親なき後」の問題を語る人は少なかった。
それから30年以上過ぎ、当時の子供たちは中年になった。
当然、親の死を迎える自閉症の人も多くいる。
その時、周りの大人たちは、「この子は親の死を理解できないだろう」「この子はパニックを起こすだろう」という「気配り」により、親の死を経験できないまま、新しい現実に向き合わなけれがならなかった。
それは、自閉症の人だけの問題ではないと感じる。
津波被害にあった宮城県や岩手県には沢山の障害施設があり、多くの人が暮らしている。その人たちに被災情報は伝わっているだろうか。また、親、兄弟の消息は伝わっているだろうか。
認知症の人に対して、私たちは、生活の主体者としての情報を伝えているだろうか。
末期がんに罹った人に対して、医師は、正確な情報を伝えているだろうか。
情報を伝えることの良しあしを言っているのではなく、情報を伝えない私たちの気持ちのありようを考える。
この人は「理解できないだろう」と配慮するとき、理解できていると思っている私たちは、本当にこれから起こることを理解しているのだろうか。
「パニックを起こす」ことで本当に困るのは、本人より周りの人かもしれない。
つまり、さまざまな事情により、情報は伝えられない。
佐藤さんは本著で、自閉症の人も親の死という大きな問題を自分のものとして捉えて、自分なりのやり方でその事実をつかまえられるというストレングスの視点を提示している。
そして、そのプロセスを支えるためにソーシャルワーカーの役割は大きい。
つまり、情報を伝えるかどうかが問題なのではなく、関係性の中でその人の力をどのように支えるかというソーシャルワークの価値が問われる。
不可能と思われることでも取り組むところに面白さがある。
理解できないと思われる人との関係では、理解することだけではない、まったく新しい関係性も探っていきたい。
「最近の若者は何を考えているのか分からない」と若い研究者が云っていた。
若者ではない私は、自分で何を考えているのか分からなくなることがある。
それに、若いというだけで憧れがあるので、何も考えなくても先の長さが羨ましい。
そもそも、他人が何を考えているのかは分からない。
そうした、人のことは分からないと分かってくる年頃が35歳過ぎたころだと誰かが云っていた。
そして、70歳を過ぎるころから、他人のことが気にならなくなると、誰かが云っていた。
Young researchers said, "today's youth do not know what you're thinking."
犬のジローは、最近悩んでいる。
自分の将来について悩んでいる。
犬の将来について人間は悩まないが、ジローは悩む。
ジローの悩みは、夢がないことだ。
犬のジローは夢を見ない。それは、寝ている時の夢もだが、何になりたいかとという夢でもある。
犬のジローは、野球選手にはなれない、電車の車掌さんにもなれない、歌手にもなれそうにない。もしかしたら、だれかみたいにタレントにはなれるかもしれないが、そんな才能がないことは自分が一番知っている。
かといって、勉強も好きではない。
何しろ学校にも行っていないから、字を書くこともできない。
大きくなったら・・・と考えていたら、もう十分大きくなってしまった。だから、他犬からみると、自信満々に見えるから、余計に困る。
そんな不安な眼をして飼い主を見つめる。
しかし、飼い主もジローに負けず、最近悩んでいる顔をしているので、打ち明けることもできない。
Jiro are worried about the dog days.
Worried about my future.
猫のタマには家がある。
しかし、ご飯は隣の家と、三軒先の八百屋さんと、民生委員の安田さんにもらっている。
もちろん、家にも来る。しかし、決して泊まっていくことはない。
タマは、年をとり、物忘れがある。
ご飯を食べたことを忘れることはないから、ぼけてはいない、と自分では思っている。
それに、困ることもない。
でも、友達の三毛やゴローはすごく心配してくれる。
一人で自由に暮らすことが好きであるが、たまに、つまらないとも思うようになった。
この気持ちの変化に自分でも戸惑っている。
はたして、私は猫なのだろうか?
猫として、これからどうやって暮らしていけばいいのだろうか。
そんなことを考えて昼寝をしていた。
昼寝をすれば、きちんと腹が空く。
居室には玄関がある。
どの扉も同じようなので、区別することが難しい。自分の家なら、庭の木も違うし、色だって、香りだって、雰囲気が違うから間違うことはない。
でも、ここは集合住宅。玄関の扉がみな同じ。
でも、扉の横に箱がある。箱には窓が二つあり、ガラスがはめ込まれている。みんな、そこに自分の好きなものを飾っている。
じゃあ、買に行こうと、二人で出かける。
雑貨屋に入り、気に入った小物を探し、牛とツリーを買う。
新しく買うことを、買う+新しい=カウ+ニューということで、牛にした訳ではない。
家を持ち帰り、さっそく玄関脇の箱に飾るとやっと自分の部屋らしくなった。
足首から太ももまでをピタッとつけ、力を抜かないこと、これが意外と維持できない。
座るとき、背筋を伸ばし、同じ姿勢を維持すること、これも我慢できない。
歩くとき、歩幅を10センチ前に伸ばして歩き続けること、これがまたできない。
プールで、1000メートル泳ぐことはできる。
自転車で100キロ走ることもできる。
1000mの山に登ることもできる。
でも、いつもやっていることでできないことが多いね。
気持ちを引き締めるのは、まず、股を閉じることだと信じ、まず、一週間続けてみます。
トイレに座ると目の前に棚がある。
そのスペースに沢山の人形が置いてある。
初めは、一人だったが、寂しいので友達が集まってきた。
現在は、10近い動物やキャラクターが並んでいる。そして、なんだかわからない者たちを見ていると、動かしたい衝動に襲われる。
その中の一人に感情移入し、それが私であり、別の二人が家族になり、また、知り合いや競争相手、嫌いなあいつが登場する。そして、だんだん顔が似てくる。
毎日、それらの位置を変えて楽しんでいた。
ある日、友達たちの位置が変わっている。
それは、家族が置き換えたのだろう。考えることは同じである。
個室に入り、目の前の世界を観察するようになった。
それを見ていると、「ああ、今日はこういう気分なのね」と感心したり、「この位置に俺がいるのか」と悲しんだり、最近は、俺が倒れていてショックを受け、出るものがでなかった。
実生活で会えないお姫様も、トイレに行けばちゃんと会える。
でも、夢の世界にあまり長くいると健康によくないので、早めに引き上げるようにしている。
There are shelves and sit in front of the toilet.
Put the doll in a lot of space.
説得は意味がない。
ということは分かっているが、それでも、説明する。
特に、相手が物事を理解できない、理解しようとしない、認知の問題がある場合はなおさら。
とにかく何度も、なんども同じ話をする。
この、同じ話が、だんだん変わる。
変わるのは、内容ではなく、こちらの気持ちである。
つまり、何度も同じ話をしているうちに、それは、違う話になる。
説明しているつもりで、自分に話しかけているようになり、話の進む方向が変わってきたりする。
それを聞いている方も、理解したくない気持ちは変わらない。防衛的な発言も同じ。それでも、だんだん関係が変わってくる。
それは、繰り返し話を聞いているという事実から生まれる新しい関係から生まれる作用かもしれない。
意味がないことでも、その意味のないことを何度もする。
まあ、それが仕事だけどね。
Persuasion does not make sense.
コメントへのコメントをここに書きます。
まあ、殆どコメントする人もいないからいいでしょう。
今、架空の家族史を作っています。
それは、研修の資料として一人の人の歴史からどのようなアセスメントをするかという問題を作るために。
架空の人の人生を考えるだけでも、かなりの資料に当たらないと生き生きとしたものはできあがりません。
また、今日、50年ぶりの家族の再会に立ち合いました。
50年という長さは、一世代半ぐらいの時間が流れています。
つまり、30年程で子どもができ、もう30年程で孫ができるとすると計算した場合です。
その50数年ぶりの再開は、双方の人生のほとんどを知らないことになります。
それを埋めるためのに、色々な物語が必要となり、生き生きとした物語を感じると相互に関係性が生まれうると感じます。
だから、どんなに小さなことでも、何かのヒントになる可能性はあります。
母親の兄弟は南洋で戦死しました。
すると、南の島に対する私の気持ちは、それを知る前と後では変化するものです。
物語は続いています。
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昨日から、おじいさんとおばあさんに話を聞いている。
自分より若い人に話を聞くことも大変だが、年上の人の話を聞くこともとても疲れる。
それは、想像力を遣うからだろう。
皆さんが生まれたのは明治、大正、昭和の初めだ。
明治時代のことは歴史の本で読んだことがあっても、坂の上の雲を読んでも、映像でも見ても、そこで生活してきた人の思いは想像するしかない。
とくに、戦争が大きく影響をしている。
そんな中で、急に喪失体験を味わった。
それは、兄弟の話になった時だ。
前にも書いたが、母の兄弟は全員戦死している。
それは、私と関係のない話であるように思ってきたが、そうでもないような気がしてきた。
これは、想像でしかないが。
すこし調べてみたくなってきた。
彼らはどのように生きていたのかを。
From yesterday, talking to the grandfather and grandmother.
応援しているサーカークラブの試合に参加する。
サポーターというのは、観客ではなくメンバーだというが、参加する方もそれなりに疲れる。
それで、試合はどうだったのか?それは、シーズンが終わって時に明らかになる。今は、道半ばであり、通過点である。
だから、負けることもあれば勝つこともある。
それにしても、熱い人が多い。
熱いと言えば、会うから鹿児島に行きます。
僕のことを社長と信じているアダムスさん(仮名)とデートした。
話はかみ合わないが、車の中で、ずっと、どちらが話をした。
ちょうど渋滞していたので、話をするにはもってこいのスチュエーションだった。
アダムスさんが話をすると、僕が口を挟み、僕がしゃべり始めると、アダムスさんがちょっかいを出す。
つまり、どちらも話したがり屋である。
だから、自分の話が終わっても人の話を聞かない。
人の話が終わらないうちに、前の話の続きをしようとする。
それで、だからね・・・という具合に。
でも、さっき何を話していたか思い出せないので、話の筋がでたらめになる。
でも、そんなことは関係ない。自分の言いたいことを話したいという欲求さえ満たされれば、それでいい。
最後は、二人で大笑いをして終わる。
それで、どんな話だった?
と、顔を見合わせるが、ちっとも覚えていない。
視線の先に、中華料理屋が現れた。
では、食事をしながら話の続きをしようと、店に入る。
Today, I was dating Mr. Adams believes that my president.
三谷さんの「ショートカット」をみる。
倦怠期の夫婦が山道を下りてくるドラマである。
そう、夫婦というのは坂道を下りるようなドラマを演じている。
たしかに、こんなことがあるのか、これじゃ「ドラマではないか」ということがよくおこる。
これは、家(うち)だけだろうか?
よその家のことは分からないからドラマを見る。すると、「ドラマなんかより家のほうが凄いわよね」なんて、妻がつぶやく。
すると「そうだね」と夫もつぶやく。
その声を聞き、「ああ、あんたがキムタクだったら私もこうはならなかったのに」と妻がつぶやく。
夫も、何か言おうとするが、その思いを飲み込む。
・・・・
ドラマと実生活の違いはどこだろう。
ドラマでは、山から下りて、そして二人は・・・・と、期待を持たせて話が終わるが、実生活では、朝になって目覚めても、隣に寝ているおじさんはキムタクにはなっていないということだ。
僕も、ヨン様のカツラをかぶって寝てみたが、横にずれて、ただのオカマになっていた。
A子さんが笑ってくれた。
それだけでなく、ちょっとだけ肩をぶつけてくれた。
このちょっとだけ触れ合うところに意味がある。
沢山ではだめなのだ。ちょっとだけがいい。
それは、期待を持たせる関係である。そんなに親しくしないもんね、でも、嫌いじゃないからねというサインである。
他の人には知られないような、二人だけのサインである。
でも、それだけ。
それだけというところがいい。
きっと、次に会うときには忘れている。
もっと別のことが気になっているA子さんである。
でも、それでいい。
誰かが発言すると、それを聞いていた人が手を挙げる。
そこには発言する側の人と、聞いている側の人の交流がある。
話は、する人と、聞く人との役割が変わることで成立する。それは、当たり前だが、講演で演者が話をしても聴衆は黙って聞いている。
これは、会話ではない。
会話でないとするとなんだろう?
12月に講演する打ち合わせをした。
講演をすることが目的だはない。参加者と会話をしたい。
話をすることで何かが生まれ、予想もしない出来事が起こることを期待したい。
では、どうしたらそうした状況が生まれるのか。
ということを今考えている。
100人の人が手を挙げるような話をしたいね。
それも、クレームでなく、自分を語る人が一人でも多い会をしたいね。
裸について考えている。
はだかになる趣味はないが、はだかでいることは気持ちがいい。
特に、裸で歩いていると人間であることに感激する。
だから、スポーツクラブでぶらぶら歩いている。
そして、みんながどんなふうに歩いているのか観察する。
すると、裸でいることが好きな人と、裸でいることが嫌いな人がいるらしいことがわかる。
裸好きの人たち、多くはおじさんだが、その人たちは、なかなかパンツをはかない。鏡の前にくると、自分のお尻を見て笑う。体重を測るときにお腹をひっこめる。タオルを肩にかけて歩く。外のベンチで裸で本を読む。・・・・
裸が苦手な人たちは、パンツをはいてから行動する。パンツをはかないと落ち着かない様子で、ズボンに片足を早くとうそうとするので、ふらふらしている。鏡の前を素通りする。鏡を見るときは、まず、顔を見る。そして、顔の表情を作りにっこりする。体重を測るときもパンツをはいている。牛乳を飲むときもパンツをはいている。もちろん腰に手をあてている。
と、はだかで考えている。
小松空港にいる。
グローバル化が叫ばれ、日本は世界と繋がっていると言われ、ギリシャやタイの出来事が日本の生活に直接的にかかわっていると言われる。
インターネットで、世界中の「いま」が伝えられ、世界と私との関係は近くなったのだろうか。
世界は小さくなったのだろうか。
地球の大きさは変わらないのに。
地球を小さな世界にしたい人が多くなれば、世界は小さくなったと言われるかもしれないが、それは、世界の一部である。
能登の海でタコを釣ろうと糸を垂らしてみると、その世界は永遠のように感じる。この感じはそこにいないと味わえない。
つまり、「いま・ここ」という感覚は、それを味わっている人以外には味わえない感覚である。
それが、どのような方法で伝えられようと、「ホントウ」の感覚を伝えることはできない。
食べ物や製品が世界で流通しているのは、それによって、何かを得ている人がいるからだろう。
経済は生き物だというのなら、いつまでも成長する生き物はいない。
人間だけが、成長し続けることには無理がある。
世界中の食べ物を食べる必要はあるのだろうか。
小さな世界では、その世界にある食べ物だけで生きていた。
しかし、人間の数は食糧に比例していたが。
70億の人間を地球は抱えていけるのか。
もしかしたら、人間の問題ではなく、地球の問題なのかもしれない。さて、地球はどんな答えを出すのだろうか。
The calls for globalization, Japan is said to be connected to the world, directly involved in the events of life in Japan, Greece and Thailand.
突然昔のことを思い出すようになると、だいぶ年である。
仕方がない。
でも、想い出が沢山あるというのは暇つぶしにはいい。若い人には味わえない楽しみが多いということでもある。
で、話は伯父さんである。
子どもの頃、自分の父親と同年代の大人といえば、伯父さんだ。
伯父さんは親ではないから、どこか客観的に観察することができる。それに、尊敬もできる。
僕にも伯父さんがいた。
伯父さんは、Sゲージを持っていた。列車の模型。
伯父さんの家に遊びにいくと、線路を組み立て、列車を走らせた。
子どもだったから、線路はどこまでも続くように長く、列車は、本物より重量感があるように感じた。
列車を動かす時には、コントローラーを操作する。この、操作と言うのがドキドキもので、すぐに止まってしまうから、微調整をしながらちょっとづつ動かさなければいけない。
こうしたドキドキと、ハラハラが混じった遊び、しかも、高価な玩具を持っている伯父さんは尊敬の対象だった。
でも、それしか思い出せない、おばさんの顔や食事の風景が出てこない、出てくるのは列車と線路だけである。
伯父さんの家に行けない日は、小田急のロマンスカーをみて過ごした。
今でもロマンスカーを見ると伯父さんを想いだす。
トルコ映画「蜜蜂」を観た。
子ども、8歳くらいだろうか。
「7歳までは神の内」と言われるくらいだから、神様から離れて自然の中で生きようとしている。そんな風に見えた。
子どもの目から見た世界は、夢のようであり、現実も繋がっていない。
そこがリアルである。
認知症の人の世界もこんな風なのかと感じる。
部分的にはすごくはっきりと、それでいて、リアルに感じる。時には見える。
世界で起きているできごとは、全てが事実であるが、それが夢のように感じる。
ファンタジーの世界だろうと、子どもの言葉を信じない人がいるが、それは、殆ど事実である。だた、出来事の流れが現実の時間とは、長さが違っている。
映画の途中で眠ってしまい、夢をみた。もちろん子どもの頃の夢を。
夢の中で、川べりにしゃがみこみ、水をさわろうとしている子どもがいる。たぶん僕。
その手を捕まえ、川に落ちないように握っている大人がいる。
川の流れはゆるやかで、水は冷たい。
その水の中に指が入り、水を切っている。
大人になってはじめて、子どもの時の気分を味わえる。だって、その時には、自分に何が起きているのか分からない。
まあ、今もそうだけど。
人前で話をすることは苦手だ。
苦手だけど、頼まれると受けてしまうのは、生活の為だけではない。
そこに、何かがあるように思う。
それは、東北に何度か出かけて感じるものと同じようなものが。
被災地と言われる場所で、仮設住宅で、沢山の人に出会う。
そこに行く目的は、支援ではない。
何かがあるような気がするから。
誰かに会えるような気がする。
その人は、自分にとって大切な、重要な人だと思う。
それが、誰だか、その人がどんなことを言ってくれるのか分からないから、何度も出かけ、何度も講義をする。
まだ、見つからないし、この先も見つからないかもしれない。
だから、演台に上ると、まず、会場を見回してその人を探す。
Talking in public is poor at me.
笑うスイマーがいる。
彼は、笑っている。笑って泳いでいる。
水から上がっても笑っているが、水中でも笑っている。
笑うと力が抜けて、いい泳ぎができるのだろうか。彼の泳ぎは力が抜けて、宇宙遊泳のようである。
先日、スイマーとジャグジーで一緒になった。
二人だけでお風呂に入っているようで、すこし恥ずかしかった。
彼は、もちろん笑っていた。
僕は、すこし強張って笑顔を作った。
その後、そのままの顔で泳いだら水を飲んだ。
Swimmer at which it laughs is in a neighboring pool.
お父さんは尊敬できるか?
という話を夕食をとりながら少年と話をした。
もちろん、「できない」という答えが返ってきた。
さて、尊敬とはなにか?
これが難しい。
自分でも尊敬できないので、まず、自分で自分を尊敬できる人になることから始めますと宣言する。
研修が始まった。
横に座っている人と話をしていたらなんと、大学時代の1年先輩だった。
でも、大学にあまり行っていなかったので、知らない人・・?
やはり、3回目の軌跡はないのかと思った。
しかし、話を聞いていたら、大学の演劇集団**小劇場に関わっていたという。
すると、あの時の芝居のあの人か?
やはり、軌跡は起きるのだ。
サイコロジカル・ファーストエイド(PFA)
心と付き合うのではなく、向き合うというワークをした。
これは、トラウマのリスクと回復に関する研究をまとめた理論と方法です。
関わりと、配慮・・・そして、専門家としての行動や避けるべき態度・・・
これは、読むことで意味があるガイドブックです。
PFAは、インターネットで無料で見ることができるので、被災地に伺う前に、心と向き合うための専門書として毎回読みたいと思います。
午前中の研修が終わり、学食で「から揚げ」定職を食べた。
そして、販売機で食券を買うために並んでいた。
すると、目も前に、見たことのある姿形の人が現れた。
まるで、僕が来るのを待っているように。
または、妻が電話して用意したように。
それは、学生時代にタイに一緒に行った、今は大学の教員をしている**さんだった。
それから、**さんと一緒に飯を食べた。
初めから準備されたたように、ランチタイムは楽しく過ぎて行った。
もしかしたら、今日、もう一度こんな出会いがあるのかな。
すごく疲れた。
こんなことは書かれるべきでないかもしれないが。
被災地という場所に毎月行きはじめて、毎回感じる疲れがある。
もちろん車の運転を8時間してきたことも大きな影響であるが、それだけではない。
その疲れは、グリーンマイルで主人公が悪を飲み込み、口から小さな虫を沢山だすようなものだろうか。
もちろん、僕には人を癒す力なんかないけど。
だた、話をきいて、冗談をいって笑わすだけだけど。
それでも、被災地で生活している人たちにとって、遠くから人が訪ねてくることって、何らかの意味があることかもしれないとだんだん思うようになってきた。
それは、僕自身が、訪問するたびに感じることである。
それは、僕が癒されていることを意味しているのかもしれない。
癒しは、なんどの何度も体験することから生まれるような気がする。
そのこと自体には大したことはなくても、続けることや、重ねること、現場にいることに大きな希望を感じる。
これは、現場が持っている力なんですか?
今朝、妻と、近所のカフェの話をしていた。
それどこにあるの?
「バス通りを上ったいって、右手のところ。たまにお店の小さな車が走っているでしょ?」
と説明してくれた。
この街に住んで17年になるがそんな、広告が書かれたカフェの車を見たことがない。
「そんな車見たことがないよ?」
「ぼおっとしているからでしょ?」
と言われ、確かにそうだと思った。
大学に行くため、早めに家を出る。
バスに乗り、いつものようにぼおっと窓の外を眺めていると、小さな車が横道から現れた。
それは、もちろん「田園ぽてと」と書かれたカフェの車である。
僕が来るのを待っていたかのように、静かにそして確かに現れた。
もしかすると妻が電話をして、「いま、家を出ましたから、よろしくお願いします」と言ったのだろうか。
その車は、バス通りを抜け、確かに右に曲がって行き、ちゃんと店の前で止まった。
そして、僕の方を見て、「ここですよ」とにっこり言った。
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